Newsletter No.17   19 February 2000


北の国の音楽会 − 日本シベリウス協会「アイノラの集い」から

 日本シベリウス協会は、会員の親睦のため、定期的に「アイノラの集い」という会合を実施しています。会長の舘野泉さん、その他の会員、あるいはフィンランドの演奏家によるミニコンサートや懇親会など、楽しい企画の集まりとして人気があります。会員数などの関係から東京での開催がほとんどですが、1月29日、中国地区では初めての集まりが広島で行われました。前半はヤマハ広島店ピアノフロアでのミニコンサート、そしてその後はノルディックサウンド広島に場所を移しての懇親会ということで、中国地方だけでなく、東京、京都、神戸の会員の方々にも出席していただきました。

 ミニコンサートの第1部は北欧のピアノ小品集です。シベリウスの《エチュード》で始まり、オスカル・メリカントの《ゆっくりしたワルツ》、パルムグレンの《海》、メラルティンの《天の高きところ》、そしてシベリウスの《もみの木》で一服した後、スウェーデンとノルウェーへ移って、ペッテション=ベリエルの《夏の歌》と《フローセの教会で》、グリーグの《夜想曲》、ハルフダン・クレーヴェの《前奏曲》と《トロイメライ》、最後にふたたびフィンランドからクーラの《結婚行進曲》。ライヴで接する機会がほとんどない曲も含まれています(クレーヴェの楽譜はすでに絶版になっているので、ノルウェー国立図書館から寄贈していただいた楽譜を使用しました)。

 ピアノの山根浩志さんは現代音楽を得意とする若手ピアニストです。現代音楽の演奏家がロマンティックな作品を弾くと、思いがけず新鮮な味わいが生まれるというのは、しばしば経験すること。山根さんの場合も例外ではありませんでした (打ち明け話をすると、山根さんのピアノを聴くのは今回が初めて)。響きの格別な美しさは、決して楽器が素晴らしかったということだけではないはずです。《もみの木》、《フローセの教会で》、《結婚行進曲》の3曲は、特に強く心をゆさぶる演奏でした。指の練習だけに終わらなかった《エチュード》と大自然を実感させる《海》。《天の高きところ》の敬虔なたたずまいの音楽を聴いて、山根さんが演奏するラウタヴァーラのソナタ第2番《火の垂訓》はどんなだろうかと思ったりもしました。

 第2部の曲目にはフィンランドのユッカ・リンコラのテューバ協奏曲をピアノ伴奏で演奏することも検討されましたが、最終的には、現代ノルウェーの作曲家トリグヴェ・マドセンのテューバソナタに落ち着きました。テューバを演奏してくれた音大生の小林宏光君の、ピアノ伴奏で演奏した場合、リンコラの曲のもつ協奏曲としての面白味が充分に発揮されないというを考えを尊重した結果です。リンコラの協奏曲を試演した山根さんからもリンコラを演奏したいとの希望がありしたが、次回の楽しみにということになりました。マドセンがテューバのために書いた協奏曲は、技巧的な輝かしさと、バロック音楽風の楽しさで定評のある作品ですが、ソナタのほうは少し渋めの、内省的な音楽です。第1楽章では音楽に乗り切れないようすでしたが、安定したピアノに励まされたのか、しだいにペースをとりもどし、第3楽章ではマドセンの音楽にふさわしい軽やかな演奏を楽しませてくれました。

 北欧音楽にかぎらずマイナーな曲をライヴで楽しめる機会は、決して多くありません。第1部のコンサートはシベリウス協会会員以外の方にも楽しんでいただきました。広島での最初の「アイノラの集い」が盛会だったことから、定期的に開催をとの声も強く、なんとか実現できればと思っています。同時に、これをきっかけに北欧音楽が演奏される機会が少しでも増えればと願っていますので、アイデアやご意見をお寄せください。

参考ディスク

Finlandia 1576-59904-2 オスカル・メリカント (1868-1924) ピアノ作品集
  舘野 泉 (ピアノ)

Naxos 8.544343 ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル (1867-1942) フローセの花(全曲)
  ニクラス・シヴェレーヴ (ピアノ)

MILS 8923 トイヴォ・クーラ (1883-1918) ピアノ作品集
  マッティ・ラエカッリオ (ピアノ)

Simax PSC1101 トリグヴェ・マドセン (b.1940) テューバソナタ 作品34   
  オイスタイン・ボーズヴィク (テューバ) ニクラス・シヴェレーヴ (ピアノ) 


カンテレタルの歌

 エリアス・ロンルート Elias Lönnrot が採録、集成したフィンランドの叙事詩「カレヴァラ (Kalevala)」は、1835年に出版されて以来、音楽、絵画などにさまざまな題材を提供してきました。交響詩《クッレルヴォ (Kullervo)》をはじめとするシベリウスの作品、ウーノ・クラミの《カレヴァラ組曲 (Kalevala-sarja)》、アーレ・メリカントの交響詩《レンミンカイネン (Lemminkäinen)》等々。フランス人アンリ=クロード・ファンタピエのカタログによると、「カレヴァラ」のエピソードを題材にした音楽作品の数は1985年までで約330にのぼる、と「フィンランドの音楽」 (カレヴィ・アホ 他著) に書かれています。

 近年の話題では、1978年から1982年にかけてフィンランド放送第2チャンネルが、「鉄の時代 (Rauta-aika)」というタイトルでテレビシリーズ化したことが挙げられます。脚本を詩人のパーヴォ・ハーヴィッコ Paavo Haavikko、そして演出を演劇界の問題児カッレ・ホルムベリ Kalle Holmberg がそれぞれ担当し、莫大な製作費がかけられたといわれます。フィンランドの音楽誌「クラシカ (Classica)」の1999年第4号の特集記事の写真を見ると、「不思議な国のアリス」の作者ルイス・キャロルがテーマのイギリス映画「ドリームチャイルド」やメル・ギブスンが出演した「マッド・マックス」の映像と重なって、興味がつきません。世界数十カ国のテレビ局で放映されたといいますが、日本でお目にかかることはないのでしょうか。音楽はアウリス・サッリネン Aulis Sallinen (b.1935) が書き、その一部は、作曲家自身がまとめた、ソプラノ、児童合唱、混声合唱と管弦楽のための組曲《鉄の時代》作品55として、CDでも聴くことができます (Ondine ODE844-2)。叙事的な側面と抒情的な側面の両方が楽しめる、“カッコいい”作品です。サッリネンはこのあとオペラ《クッレルヴォ (Kullervo)》(1986-88) を書き、1992年にロサンジェルスで世界初演されました。

 ロンルートが蒐集した詩のうち、抒情詩の方は「カンテレタル (
Kanteletar)」と名付けて出版されました。抒情詩という性格上、音楽にとっては、歌曲の歌詞になる程度の存在でしかないためか、「カレヴァラ」のように色々な作曲家が題材を求めたという話はききません。その「カンテレタル」に基づく音楽として最も有名な作品が、フィンランドの作曲家ユルヨ・キルピネン Yrjö Kilpinen (1892-1959) の歌曲集《カンテレタルの歌 (Kanteletar-lauluja)》作品100。これは全64曲の大作です。cpo の新しいディスクにはそのうち26曲が選ばれ、フィンランドのふたりの新進歌手、カミラ・ニュールンドとハンス・リュードマンが、ドイツのピアニスト、ペーター・シュタムの伴奏で歌っています。

 700を越える数の歌曲を書いたフィンランド有数の歌曲作家でありながら、キルピネンの作品は歌詞の多くをドイツ語の詩に求めています。《荒野 (Lakeus)》作品22 など、初期の作品いくつかをのぞいてフィンランド語による作品がないだけに、シュタムは、曲数と題材の両方から、《カンテレタルの歌》を「音楽によるキルピネンの遺言」と呼んでいます。「この作品により、(キルピネンは)フィンランドの古い民族文化が後の世代の記憶から消えてしまう前に、そのいくつかの部分を保存しておきたかった」のだろうというのが、シュタムの見方です。たしかに、この歌曲集の音楽は、《死の歌 (Lieder um den Tod)》作品62 などドイツ語による作品のキルピネンの音楽とは違います。「フィンランドの昔の歌“ルーネ (rune)”の5音階の旋律にもとづく」とシュタムが言っていることからも裏付けられるように、ここに収録された《カンテレタルの歌》26曲を通じて感じられるのは、音楽の“自然さ”ということでしょう。単純に“素朴な”と言い換えることには抵抗がありますが、いわゆる芸術歌曲とは明らかに異なる響きです。はじめて聞いた時には、なんだか単調な歌ばかりのような気がしますが、それでも何かしれない魅力を秘めているように感じられるのは、そのあたりのことと関係がありそうです。二度目からは、聴くたびに新しい発見をして、北欧歌曲のファンとしては思わずニンマリとしてしまいます。

 歌詞そのものは、ほんとうに“素朴”です。たとえば、第1曲《羊飼いの歌 (Paimenlaulu)》の詩はこんな具合です。「ああ、わたしたち羊飼いに足りないものってあるのだろうか、この広い緑の牧場で!わたしたち羊飼いに足りないものなんてない、この広い緑の牧場では!岩を飛び越えたり、山の高いところで歌を歌い、谷間ではふざけて、荒れ野いっぱい踊りまわり、森でイチゴを食べて、小川の水を飲む。イチゴの色は鮮やかだから、食べると頬が赤くなり、水で病気になった人なんていないから、泉の澄んだ水を飲むと幸せになる。ああ、わたしたち羊飼いに足りないものってあるのだろうか、この広い緑の牧場で!わたしたち羊飼いに足りないものなんてない、この広い緑の牧場では!」 (英語訳から)

 同じ羊飼いといっても、怠け者の羊飼いを歌ったフーゴ・ヴォルフの歌曲《羊飼い (Der Schäfer)》のゲーテの詩が、みかけの素朴さとは別に何か象徴的なものを思わせるのにくらべると、大きな違いです。ヴォルフの羊飼いの若者とキルピネンの羊飼いとでは、当然のことながら、歌う歌も違います。

 第51曲《おねむり、いとしい子 (Tuuti, tuuti, tummaistani)》は、死んで棺に横たわる自分の子に語りかける母親の歌です。これを、マーラーの《子供の不思議な角笛》の《浮き世の生活》とくらべると、とても興味深い違いがあります。ご存じのとおり、この歌は、ひもじがる子供のためにパンを焼いてやろうと麦を蒔き、刈り入れをし、パンを焼き上げた時には子供は死んでいたという、非常に悲惨な歌です。この歌も、アルニムとブレンターノが蒐集した、民衆の詩を原詩としています。面白いと思ったのは、キルピネンの母親の嘆きとあきらめの歌では、子供の死をもたらしたのが大自然の力ではないかと感じられるのに対し、マーラーの歌では、時代の暗黒が子供の死の背景にあるように感じられることです。個人的な思いこみのせいでしょうか。キルピネンの曲もさることながら、「カンテレタル」がフィンランドの自然とそこに生きた人間の関わり合いを強く感じさせることが、特に印象に残ります。ドイツ人のシュタムが、「カンテレタル」の詩を読み、キルピネンの歌の伴奏を弾きながら何を感じたのか、非常に興味のあるところです。

 《いいえ、私にはできない (Ei minusta lienekänä)》 (第12曲) に代表される、リズミカルで軽快な歌から、《ひとりぼっちで (Kaikissa yksin)》 (第42曲)、《カッコウのように叫びたい (Saisinko käeltä kielen)》 (第50曲)、《恋人は棺に眠る (Armas arkussa ajavi)》 (第57曲) など、抒情的な旋律が心にしみる歌まで、詩、曲ともに変化に富んでいます。ピアノの伴奏は同じ音型の繰り返しが目立ち、決して多彩というわけにはいかないでしょうが、雄弁であることは確かです。この単調な反復は、あるいは、もしカンテレで伴奏をしたらということを想定しているのかもしれません。

 キルピネンは、詩の主題ごとに歌をまとめ、それによって全曲を秩序づけるという構成をとっていますが、26曲だけを抜粋したこのアルバムでは、意図的に曲順を入れ替えています。単調になるのを避けるということと、劇的な変化をつけるためのようです。第3曲の《可愛いマリー、僕のイチゴ (Kukkalatva kuusi)》だけが男女の掛け合いで歌われ、その他の歌はソプラノのカミラ・ニュールンド Camilla Nylund とバリトンのハンス・リュードマン Hans Lydman が詩の内容によって歌い分けています。ここではソプラノが歌っている《羊飼いの歌》のように、女声、男声のどちらで歌ってもかまわない曲もいくつかあります。

 この録音で歌うふたりの歌手は、いずれもオペラを中心に活躍している歌手です。それぞれの曲に的確な表情が与えられていることを考えると、これはひとつの見識のような気がします。しかも、過度な演技など一切していないので、オペラ歌手が歌曲を歌う時にありがちな居心地の悪さは、まったく感じられません。カミラ・ニュールンドは《カルメン》のミカエラでデビュー。1968年生まれという若さで《フィガロの結婚》の伯爵夫人も持ち役にしているということは、彼女のリリコ・スピントの声とも関係があるかも知れません。まさにフィンランドの自然の中に暮らす“気丈な”娘という雰囲気を漂わせます。

 ハンス・リュードマンは、明るく軽めの、よく響く声をもったバリトンです。パルムグレンのオペラ《ダニエル・ユート (Daniel Hjort)》の録音ではタイトルロールを、ラウタヴァーラのオペラ《アレクシス・キヴィ (Aleksis Kivi)》の1997年の初演では、青年時代のキヴィの役を与えられました。同じオペラで後年のキヴィを歌ったのがヨルマ・ヒュンニネン。フィンランドを代表するバリトン歌手です。ヒュンニネンも《カンテレタルの歌》を数曲録音しており、奥行きのある歌を聴かせています。リュードマンの歌にはヒュンニネンほどの熟練の歌は感じられないかもしれませんが、それぞれの曲の性格を心得た自在な歌いぶりには独特の魅力があるように思います。

 聴けば聴くほど愛しくなってくる歌曲集。残る38曲も同じ顔ぶれで聴きたくなりました。


cpo 999575-2 ユルヨ・キルピネン (1892-1952)
 歌曲集《カンテレタルの歌 (Kanteletar-lauluja)》作品100 (抜粋)
  羊飼いの歌 (Paimenlaulu) 可愛いマリー、僕のイチゴ (Kukkalatva kuusi)
  おいで、さあおいで (tule tänne) いつも僕は歌っている (Aina laulan)
  男の子たちと女の子たち (On kumpiaki) いいえ、私にはできない (Ei minusta lienekänä)
  独り者 (Mikäs on poikana eleä) ずっと望んでいた (Viikon vuottelin kärkeä)
  今日はなにもかもが大切 (Nyt on kaikki kallistunna) 貧しい男の娘 (Köyhän lapset)
  もっとよくなっていただろう (Parempi syntymättä) 外では氷が割れている (Ei sula syän suruinen)
  おお、かまわないさ (Mitä tuosta, jos ma laulan) 歌っておくれ、僕の可愛い娘っ子 (Soitapas)
  ひとりぼっちで (Kaikissa yksin) 娘っ子の数を数えると (Mont' on mulla morisianta)
  カッコウのように叫びたい (Saisinko käeltä kielen) おお、ばかだった (Voi minua mieskulua)
  おお美しい家よ (Ohoh Kullaista kotia) おねむり、いとしい子 (tuuti, tuuti tummaistani)
  いと高きところの全能の神よ (Oi Ukko, ylinen herra) 恋人は棺に眠る (Armas arkussa ajavi)
  なんとみじめな下僕の暮らし (Pah, on orjana eleä) いい男ができたなら (Voi jos mie taok miehen saisin)
  力と金があったなら (Oisi mulla vallan miekka) 踊り (Tanssi)   
  カミラ・ニュールンド (ソプラノ) ハンス・リュードマン (バリトン) ペーター・シュタム (ピアノ)


ノルウェー・ランデヴー

 1999年という年で残念だったことに、フィンランドの作曲家エイナル・エングルンド Einar Englund (1916-1999) とスウェーデンの指揮者スティグ・ヴェステルベリ Stig Westerberg (1918-1999) のふたりをなくしたことがあります。エングルンドの逝去についてはフィンランド音楽情報センターから知らせがあり、その事実とともに「とても残念です」とのコメントが添えられていました。エングルンド自身が「人々が聴きたいと思うような音楽を書くことだけが私の仕事」と言っていることからも想像されるように、フィンランドの人たちにとって親しみのある作曲家でした。最近になってインターナショナルリリースされた交響曲第2番と第4番にピアノ協奏曲第1番を加えた NaxosCDも、フィンランドで人気の高いアルバムだったと聞いています。

 ヴェステルベリは、ステーンハンマルの交響曲第2番 (Caprice CAP21151) をはじめとするスウェーデンの作品のCDでなじみの深い指揮者でした。“格調の高い” という形容がふさわしい演奏には定評があり、20世紀スウェーデンを代表する指揮者のひとりと言える存在だったことは間違いありません。同郷のシクステン・エールリングにくらべて、スウェーデン以外の音楽を指揮した録音が紹介されていないため、国際的な人気がもうひとつだったことが残念です。このヴェステルベリ、スウェーデンの放送局にはかなりの録音が残されているはずです。Swedish Society Discofil の版権をもっている Prophone の過去の録音の見直し計画には放送局音源を活用することも視野に入っているので、考えてもいなかったような録音のCD化の知らせが届くかもしれません。

 話が本題からそれてしまいました。

 1999年、北欧はもうひとりの音楽家をなくしました。ノルウェーのヨハン・クヴァンダール Johan Kvandal (1919-1999) です。同じノルウェーの作曲家ビョルン・クルーセは、クヴァンダールの作風を、“ノルウェー民俗音楽と古典的なモダニズムをちりばめて彩りをそえた、後期ロマン派の伝統を強く感じさせる音楽” と評しています。グリーグはもちろん、師事したゲイル・トヴェイト Geirr Tveitt (1908-1981) 、あるいはハーラル・セーヴェルー Harald Sæverud (1897-1992) らと同様、すぐにノルウェーの作曲家と知れる音楽を書いたことは確かです。ノルウェーとアイスランドの頭韻詩「エッダ」に主題を求めた《巫女の予言》で知られる、ダーヴィド・モンラード・ヨハンセン David Monrad Johansen (1888-1974) は彼の父親にあたります。サンドヴィークとストイレンが収集した民俗音楽に興味をもっていた父親、そしてバラードを歌うことが大好きだった母親といえば、ノルウェーの作曲家が育った家庭環境として、しばしば耳にする話です。

 クヴァンダールは、旧録音を集めた2枚組のアルバムが Aurora からリリースされていたり、作品52 のヴァイオリン協奏曲には3種類の録音があるなど、比較的録音にめぐまれた作曲家と言えます。しかし、“ノルウェー・ランデヴー”と題された、クリスチャンサン室内管弦楽団の新しいディスク (Intim Musik IMCD065) に収録された曲を聴くと、まだまだあるぞという気にさせられます。

 このアルバムの2曲のクヴァンダール作品のうち《ハリングフェレと弦楽のための幻想曲》は、もともとハリングフェレと弦楽四重奏のために書いた曲を、作曲者自身が弦楽合奏のためにオーケストレーションを行った作品です。この曲のユニークなところは、フィドルの一種、ノルウェーのハリングフェレ(ハルダンゲルフィドル)を響きの素材として使いながら、クラシカルな幻想曲に仕立てていることです。北欧音楽ファンに人気の高い、トヴェイトのハリングフェレ協奏曲第2番《3つのフィヨルド》も民族楽器を使った“ヴァイオリン協奏曲”ですが、クヴァンダールの作品はさらに徹底しているように思います。独奏楽器の扱いも含めて、合奏協奏曲を思わせる趣向の作品です。

 クヴァンダールのもう1曲は、アルバムの最後に収められた《弦楽のためのソナタ》です。クヴァンダールは、この曲を書くにあたって、ソナタという形式は “拘束衣の一種” ではなく “作曲家が作動させる、極めて大きな‘電界’” と考えたと言っています。第1楽章は“コン・モート、アジタート”の指定にふさわしい“心をかき乱すような”弦楽合奏で始まりますが、全体を支配するのは瞑想するかのような静かな抒情です。第2楽章アレグロでは、作曲者の感情の動きを表すかのような弦楽合奏の対位法的な動きが印象的です。

 このアルバムには他に、クヴァンダールにつづく世代のノルウェーの作曲家の作品が収録されています。アーネ・ヌールハイム Arne Norheim (b.1931) の《ランデヴー》、マグナル・オーム Magnar Åm (b.1952) の《グラティア》、そしてダーグフィン・コック Dagfinn Koch (b.1964) の《オーラ》の3曲です。

 ヌールハイムは、電子音楽を手始めにあらゆるジャンルの音楽を手がけていることから、“モダニスト” であって、時には “伝統主義者” でもあると言われます。弦楽のための《ランデヴー (Rendezvous)》は、歌曲《はじめての蝶々 (Den første sommerfugl)》ほどではありませんが、はっきりした旋律をもっています。1956年の弦楽四重奏曲に基づいた、“音楽によって、忘れてしまった年月とランデヴー”をする作品と作曲者自身は語っています。

 マグナル・オームは、現代音楽の主流からはずれた独自の様式の作品を書く作曲家です。“美しい” という形容詞がつく作品が多く、このハープと弦楽のための《グラティア (Gratia)》も、1994年の作曲ということが信じがたい、思わずはっとするような音楽です。「Gratia は、gratitude (感謝)、grace (恩恵)、good graces (気に入り)、graciousness (魅力) という、異なりながらも似かよった4つの意味をもつラテン語」と、タイトルについて作曲者は説明しています。「…楽想に感謝する。それぞれの音は贈り物のようなものだから。…人生に感謝する。人生自体が魅力的なものになりえるから…」彼はそう続けます。グリッサンドを節約したハープと弦楽合奏の対話。静謐な美しさと呼んでも言い過ぎではない、内省的な音楽だと思います。

 若いダーグフィン・コックの16の独奏楽器のための《オーラ (Aura)》も、オームの作品同様、いわゆる“現代音楽”を感じさせない、いかにも北欧といった透明な響きをもつ作品です。「モンテヴェルディの時代、歌は楽器として理想的な音を与えてくれた。この作品の最初の独奏ヴィオラは、楽器のもつオーラによって、われわれに時代をさかのぼらせてくれる。作品を終わらせるのもヴィオラだが、ここではわれわれの時代のスタイルで演奏される…」

 このコックの作品では “音による動作” が大きな意味をもち、音楽が劇の枠組みを提供しながら、最終的 に“視覚による劇場” もしくは “振り付けられた踊り” とでも呼べる作品として、聴き手に迫ってきます。

 オームにしてもコックにしても、彼らはすでに “技法は技法” と割り切り、技法が作曲の目的になることを意識して避けるという、あえて“新しい”と呼びたい世代に属する作曲家と考えてもいいのではないでしょうか。“時代の最先端” もなければ “退嬰” もない。決して迎合するということではなく、常に聴き手がいることを忘れない。クヴァンダールが民族楽器ハリングフェレを作品の素材に使ったことと、深いところで共通するものを感じます。弦楽合奏のための曲集として歓迎したい、素敵なアルバムです。


Intim Musik IMCD065 ノルウェー・ランデヴー
ヨハン・クヴァンダール (1919-1999)
 ハリングフェレと弦楽のための幻想曲 (Fantasia for hardingfele og strykere) 作品50 (1978)
 弦楽のためのソナタ (Sonata for strykere) 作品79 (1994)
ダーグフィン・コック (b.1964) オーラ (Aura) (1994 rev.1996) (16の独奏弦楽器のための)
アーネ・ヌールハイム (b.1931) ランデヴー (Rendezvous) (1957) (弦楽のための)
マグナル・オーム (b.1952) グラティア (Gratia) (1994) (ハープと弦楽のための)
  アルヴェ・モーン・ベルグセット (ハリングフェレ) ヴィリー・ポストマ (ハープ)
  クリスチャンサン室内管弦楽団 ヤン・スティグメル (リーダー)


MILS の旧譜から − ロシアのオーケストラによる、ラハティ十字架教会のフランス音楽

 フィンランドのレーベル、MILS の旧譜に素敵なCDを見つけました。ドビュッシー、ラヴェル、プーランクの管弦楽作品を、ヴォルゴグラード・フィルハーモニック管弦楽団がエドヴァルド・セロフの指揮で演奏したアルバムです。ロシアの指揮者セロフは、オーゼンセ交響楽団を指揮してデンマークの Kontrapunkt にカール・ニルセンの交響曲全曲録音を行ったり、国際的にも活躍している指揮者です。この録音が行われたのは1990年6月9日、場所はラハティの十字架教会。ラハティ交響楽団が演奏会や BIS のための録音に使っている、あの教会です。この日、この教会でヴォルゴグラードのオーケストラのコンサートが催され、その同じ曲目が演奏会終了後の夜から翌日の朝にかけて、MILS のルッリ=セッパラ氏の手で録音されました。

 この年、ヴァイオリニストのマンフレード・グレースベク Manfred Gräsbeck (b.1955) とオルガニストのマイヤ・レヘトネン Maija Lehtonen (b.1962) は、ヴォルゴグラードでこのオーケストラと共演し、その時の素晴らしい演奏をもう一度ということが、ラハティでの再会につながりました。たまたま予定されていた夏のツアーに、急きょラハティのコンサートと録音が組み込まれために、それこそ強行軍のスケジュールだったようです。そのことが演奏者たちに独特の緊張感をもたらし、コンサートは成功、その勢いのまま録音が行われ、まるでライヴ録音かと思わせる集中力の高い演奏となって記録される結果となりました。

 指揮者とオーケストラがロシアで、独奏者がフィンランドと、一見フランス音楽とは無縁と思われて当然ですが、結果は予想をはるかに超えて、素晴らしいフランス音楽の再現になっています。ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》以下、まさに印象主義的な管弦楽の風合いと響きの世界が展開します。しかも、絵画で言えば、中期から後期にかけての模糊としたルノワールではなく、同じ印象派でも、比較的くっきりとした輪郭をもちながらも雰囲気が伝わってくる「積み藁」や「花盛りの菜園と樹」のピサロ、あるいは「観覧席前の出走馬」のドガの絵。そんな感じを受けます。

 ドビュッシーにしろラヴェルにしろ、あるいはプーランクにしろ、多様な表現を許しながら、それぞれに魅力を発揮する音楽を書いていると思います。1960年代初期にカラヤンがベルリンのフィルハーモニックを指揮して録音したラヴェルの《ダフニスとクロエ》第2組曲やドビュッシーの《海》が、“フランス的”とはいえない演奏にもかかわらず高く評価されたのも、同じ理由によるものと思われます。フルート、クラリネット、ヴァイオリン、ハープ、いずれの独奏楽器も、曲の魅力を充分に楽しませてくれます。ラヴェルの《序奏とアレグロ》でしっとりとした弦楽合奏とハープが醸し出す音楽からは、北欧音楽に相通じる肌触りを味わえると言ってもいいでしょうか。

 十字架教会の空間に響く音を豊かにとらえたオフマイクによる録音も、演奏を引き立てているように思います。プーランクのオルガン協奏曲では、威圧的でなく、教会内に豊麗に響き渡るオルガンと管弦楽の調和が素敵です。雰囲気たっぷりの音楽を聴きたいという時にお勧めしたい、美しい内容をもったアルバムです。


MILS 9232 ドビュッシー、ラヴェル、プーランク
クロード・ドビュッシー (1862-1918) 牧神の午後への前奏曲 (1892-94)
 ラプソディ第1(1909-10) (クラリネットと管弦楽のための)
モーリス・ラヴェル (1875-1937) ツィガーヌ (1924) 序奏とアレグロ (1905)
フランシス・プーランク (1899-1963) オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調 (1938)
  ヴィアツェスラフ・ツェルノフ (クラリネット) マンフレード・グレースベク (ヴァイオリン)
  イリーナ・アモツォヴァ (ハープ) マイヤ・レヘトネン (オルガン)
  ヴォルゴグラード・フィルハーモニック管弦楽団 エドヴァルド・セロフ (指揮)

 

新譜情報

BIS CD1028 アッラン・ペッテション (1911-1980) 室内楽作品集
 2つのヴァイオリンのための7つのソナタ (1951)
  デュオ・ジュラン
   マッティン・ジェラン (ヴァイオリン) セシリア・ジェラン (ヴァイオリン)
 ラメント (Lamento) (1945) (ピアノのための)
   レンナット・ヴァリーン (ピアノ)
 2つの悲歌 (1934) (ヴァイオリンとピアノのための)
 ロマンス (Romanza) (1942) (ヴァイオリンとピアノのための)
 アンダンテ・エスプレッシーヴォ (Andante espressivo) (1938) (ヴァイオリンとピアノのための)
   マッティン・ジェラン (ヴァイオリン) レンナット・ヴァリーン (ピアノ)

BIS CD1036 カレヴィ・アホ (1949-) 室内楽作品集
 オーボエ五重奏曲 (1973) オーボエとチェロのための7つのインヴェンションと後奏曲
 フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための五重奏曲 (1977)
  ラハティ交響楽団室内アンサンブル

BIS CD1085 北風の歌 (Cantus Borealis) − フェロー諸島の作曲家の作品集
アトリ・ペータセン (1963-) フルート、クラリネットとホルンのための三重奏曲 (1990)
 木管五重奏曲 (1991)
パウリ・ウイ・サンダジェーレ (1955-) 木管五重奏のための間奏曲第1(1984)
 対話 (1989) (フルートとオーボエのための)
カーリ・ベク (1950-) 木管五重奏のための幻想曲 (1994)
 バスーンとピアノのためのエレジーとユモレスク (1996)
クリスチャン・ブラク (1947-) 星座 (1994) (木管五重奏のための)
エドヴァール・ニホルム・デベス (1960) 両側で (1995) (独奏クラリネットのための) 
ソンライフ・ラスムセン (1961-) 北風の歌 (Cantus Borealis) (1995) (木管五重奏のための)
  レイキャヴィーク木管五重奏団 グヴズリーズル・シーグルザルドウッティル (ピアノ)
 

BIS CD1125 Sibelius - Lahti - Vänskä
ジャン・シベリウス (1865-1957) 管弦楽作品集
 フィンランディア (Finlandia) 作品26 *
 トゥオネラの白鳥 (Tuonelan joutsen) 作品22-3
 春の歌 (Kevätlaulu)作品16 *
 組曲《カレリア (Karelia)》作品11 − 行進曲風に (Alla marcia)
 メロドラマ《伯爵夫人の肖像 (Grevinnans konterfej)(1906)
 劇付随音楽《テンペスト (Stormen)》 作品109
  − アントニオ、不思議な姿をしたものたちの踊り (Antonio. Dance of the Shapes)
 組曲 (Suite) ロ短調 作品117 (ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための)
 悲しいワルツ (Valse triste) 作品44-1
 劇音楽《ペレアスとメリザンド (Pelléas et Mélisande)》作品46
  − 前奏曲 (Förspel) (間奏曲) 前奏曲 (Förspel) (メリザンドの死)
 交響詩《タピオラ (Tapiola)》作品112
  ドン=スク・カン (ヴァイオリン) ラハティ交響楽団 オスモ・ヴァンスカ (指揮) [* 新録音]


EMI Classics CDC556942-2 ヨハネス・ブラームス (1833-1897) ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15
 ハイドンの主題による変奏曲 作品56a
  ニコライ・コペル (ピアノ) デンマーク国立放送交響楽団 トマス・ダウスゴー (指揮)

EMI Classics CMS567299-2 5CD's for price of 4 ジャン・シベリウス (1865-1957)
 交響曲・管弦楽作品集
 音詩《フィンランディア》作品26 組曲《カレリア》作品11 音詩《ポホヨラの娘》作品49
 悲しいワルツ 作品44-1 レンミンカイネン組曲 作品22 − トゥオネラの白鳥、レンミンカイネンの帰郷
 交響曲第1番 ホ短調 作品39 交響曲第4番 イ短調 作品63 交響曲第2番 ニ長調 作品43
 交響曲第3番 ハ長調 作品52 交響曲第5番 変ホ長調 作品82
 劇音楽《ペレアスとメリザンド》作品46 から 交響曲第7番 ハ長調 作品105
 組曲《歴史の情景》から 組曲《恋する人》作品14 ロマンス ハ長調 作品42
 交響曲第6番 ニ短調 作品104
  ハレ管弦楽団 サー・ジョン・バルビローリ (指揮)

Nightingale NC190087 リヒァルト・シュトラウス (1864-1949)  ユーモラスなシュトラウス
 交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》作品28
 楽劇《バラの騎士》作品59 − 追いかけるワルツ第1番・第2番 《ホイップ・クリーム》組曲
  ヨーテボリ交響楽団 フリートリヒ・ハイダー (指揮)


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