Newsletter No.21   16 June 2000

 

レンミンカイネンの物語 − ミッコ・フランクのシベリウス


 ジャン・シベリウス Jean Sibelius (1865-1957) の作品で最近、新録音が目につくようになったのが交響詩《レンミンカイネン (Lemminkäinen)》組曲です。フィンランドの叙事詩「カレヴァラ (Kalevala)」に題材をとった標題音楽で、第1曲《レンミンカイネンと島の娘たち (Lemminkäinen ja Saaren neidot)》、第2曲《トゥオネラのレンミンカイネン (Lemminkäinen Tuonelassa)》、第3曲《トゥオネラの白鳥 (Tuonelan Joutsen)》、第4曲《レンミンカイネンの帰郷 (Lemminkäisen paluu)》の4つの部分からなるため、《4つの伝説》と呼ばれることもあります。

 シベリウスが最初に作品を発表したときにはこの曲順でしたが、1954年に出版された際に、第2曲と第3曲の順序が入れ替えられてしまいました。オリジナルに従うか、出版譜を尊重するかは指揮者あるいはプロデューサーの考え方次第。エサ=ペッカ・サロネン Esa-Pekka Salonen (Sony SK48067) はオリジナル。ユッカ=ペッカ・サラステ Jukka-Pekka Saraste は、RCA (09026-60575-2) では出版譜、フィンランド放送交響楽団とのウィーン公演のライヴ (Classica CL138) とトロント交響楽団を指揮した最新録音 (Finlandia 3984-27890-2) ではオリジナルと、同じ指揮者でも違いがあります。ペトリ・サカリ Petri Sakari (Naxos 8.554265) とレイフ・セーゲルスタム Leif Segerstam (Ondine ODE852-2) はオリジナルの順序にしています。面白いのは、原典版による演奏もあわせて収録したオスモ・ヴァンスカ Osmo Vänskä のディスク (BIS CD1015) が、意外にもオリジナルを採っていないことです。新しく登場したミッコ・フランクのディスク (Ondine ODE953-2) は出版譜どおり、《トゥオネラの白鳥》を2曲目に演奏しています。

 レンミンカイネンは、今風に呼べば “冒険野郎” とでもいうところでしょうか。森本覚丹の訳では “やくざ息子” となっており、すごいのは、新しい Ondine のディスクの解説の “フィンランド版ドン・ファン”。島で娘たちを追いまわすので、これが一番似合っているのかもしれませんが、ちょっとね。いずれにしても、レンミンカイネンの嫁探しと彼の身に起きる出来事がこの交響詩の題材となっています。

 「カレヴァラ」の中でレンミンカイネンが登場するのは、第11章から第15章、そして、そのあと第29章と第30章。シベリウスの《レンミンカイネン》に描かれたのは、最初の5つの章の部分だけと考えればいいように思います。どんな物語なのか、「カレヴァラ」からかいつまんで紹介してみます。

 レンミンカイネンは、島の娘、美しいキュッリッキ Kyllikki を嫁にしようと島をめざして出発します。島に着いたレンミンカイネンを島の娘たちがからかいますが、彼女らは次々と彼の魅力に屈していきます。でも、キュッリッキだけは関心を示さず、業を煮やしたレンミンカイネンは無理やり彼女を橇(そり)に乗せてサーリの島から連れ出してしまいます。途中、レンミンカイネンは彼女の求めに応じて、決して彼女を残して冒険の旅には出ないことを約束します。村に到着したキュッリッキはレンミンカイネンの母に暖かく迎えられ、ふたりの幸せな生活が始まります。

 こういう話がここで終わることは、まずありません。退屈な生活に飽きたレンミンカイネンは、キュッリッキとの約束を破り、こんどは “ポホヨラの娘” を求めるため、北の国に向けて旅立っていきます。娘の母、ポホヨラの女主人で魔術使いのロウヒ Louhi は、レンミンカイネンにいくつかの要求を出します。最初はヒイシの麋 (おおしか)、次が火の息を吐く駿馬を生け捕りにするという難題です。挑戦に成功しポホヨラに戻ったレンミンカイネンに、第三の要求が課せられます。黄泉の国トゥオネラの河にいる白鳥を、たった一本の矢で射るという仕事です。

 レンミンカイネンをトゥオネラで待ちぶせをしていたのが、かねてから彼に恨みをもっていた牛飼いの男です。男は毒をもつ水蛇をレンミンカイネンに投げつけ、彼を殺してしまいます。トゥオネラの爆流に投げ込まれたレンミンカイネンの死体は、トゥオニ Tuoni (黄泉の神) の息子の剣でバラバラにされ、河底深く沈められてしまいます。

 レンミンカイネンの帰りを待っていたキュッリッキとレンミンカイネンの母は、櫛から血が滴るのを見て、彼が死んだことを知ります。ロウヒから息子がトゥオネラに行ったことを、そして太陽からは息子の身に起きたことを告げられた母は、鍛冶のイルマリネンに銅と鋼の大きな熊手を作らせ、それをもってトゥオネラ河まで出かけていきます。急流に入った彼女は熊手で河底を探り、レンミンカイネンの亡骸をすべてかき寄せます。そして、肉片や血管をすべてつなぎ合わせた彼女は、呪文を唱え、蜜蜂に探させた軟膏を息子の身体に塗り、ついに蘇生させることに成功します。ことの経緯を語ったレンミンカイネンは、母とともに故郷の村めざして帰っていきます。

 この物語に題材をとったのが “4つの伝説” ですが、ロウヒの第1と第2の要求、そしてレンミンカイネン殺しと蘇生のくだりはシベリウスの音楽では語られていないと考えられます。また、第4曲《レンミンカイネンの帰郷》には、よみがえった “容姿の優れた若者” の姿は描かれていながら、激流、そして、熊手で河をかき回す母の姿は想像できないような気がします。サロネンは、この第4曲を “壮大なロンド” と呼んでいます。間違いなく、シベリウスが書いた、もっとも活力あふれる音楽のひとつです。

 レンミンカイネンの話の筋立てを紹介した理由は、Ondine からリリースされたミッコ・フランク Mikko Franck (b.1980) による新録音 (199912月) が、この「カレヴァラ」の物語を活き活きと描写しているためです。あどけない (ひげ面の) 笑顔のジャケット写真を見たときには、ほんとうのところ、このフィンランドの若手指揮者が、これほどまで面白くレンミンカイネンの物語を語ってくれるとは思いもしませんでした。第1曲の最初の和音から、目の前に映像が浮かんでくるようです。無理にオーケストラを駆り立てることをしていないのに、ごく自然に、生気あふれる演奏が展開していきます。“フィンランド” から連想される冷え冷えとした空気は強く感じられませんが、雰囲気は実に豊かに表現されています。《トゥオネラの白鳥》では、自然がそのまま呼吸しているような音楽にさえ聞こえます。いくらスウェーデン放送交響楽団という優秀なオーケストラにめぐまれたとはいえ、二十歳にも満たない青年がこんな味のある演奏を聴かせるとは!サロネンのように意識過剰の演奏になるほうが、若手の演奏だったら、よほど普通のことのような気がしないでもありません。また、ミッコ・フランクの演奏を、しばしば言われる “怖いもの知らずの若者だから” ということで片づけるのはどうだろうという気がします。そのためにも、彼の今後の活動からは目が離せません。

 解説によると、ミッコ・フランクの今後の予定として《魔笛》や《愛の妙薬》など、オペラを指揮することになっており、ストックホルムの王立オペラでは新演出の《カルメン》の指揮も任されるということです。今回のシベリウスの演奏からわかるように、物語性のある音楽にもっとも力量が発揮されるのではないかと思われるので、オーケストラピットに入った彼の音楽も聴いてみたいものです。

 Ondine の録音も素晴らしく、音に艶があること、音場に奥行と広がりのあること、広いダイナミックレンジなど、ミッコ・フランクとスウェーデン放送交響楽団の演奏がこれほどワクワクと楽しめるのには、この音質のよさも大いに貢献しているに違いありません。

 《レンミンカイネン》の前に入っている音詩《ある伝説 (En Saga)》は、標題音楽ではなく絶対音楽とみなすほうが妥当と思いますが、ここでもミッコ・フランクは、じっくりと作品に取り組むことで、劣らず説得力のある演奏を聞かせてくれます。まとめることが非常に難しい作品だけに、あざとい演出でもしたくなるところでしょうが、ミッコ・フランクはそんなことにはまったく興味がなさそうです。正攻法で作品にぶつかり、その結果、見事なほど音楽の奥行きが表現されています。

 この曲は通常18分弱で演奏されますが、ミッコ・フランクの演奏は1946秒と、時間がやや長くなっています。確かに、曲が始まってすぐは、これまでの演奏にくらべてテンポが遅めかなという感じもします。でも、音楽の局面に応じてテンポを自在に変化させているので、全体としては遅いとは思えません。表情にきちんとしたメリハリがついていることも、演奏時間のことを忘れさせる理由のひとつかもしれません。この曲をこんなにじっくりと味わったのは久しぶりです。

 今日の作曲家たちの音楽を聴くことが楽しみであるように、同時代の演奏家たちの演奏を聴くことはかけがえのない歓びです。もし、ずっと前の時代の演奏とわれわれと同時代の演奏があって、どちらも素晴らしかったとしたら、どちらを選んで聴きますか。わたしの場合ですか? 答えは明らかでしょう。


Ondine ODE953-2 ジャン・シベリウス (1865-1957) 音詩《ある伝説 (En Saga)》 作品9
 交響詩《レンミンカイネン (Lemminkäinen)》作品22
  スウェーデン放送交響楽団 ミッコ・フランク (指揮)

参考図書

「カレワラ」 (上、下) 森本覚丹 訳  講談社学術文庫 (612, 613)
「カレワラ」 (上、下) 小泉保 訳  岩波文庫 (赤 745-1, 2)
「カレワラ神話と日本神話」 小泉保 著  NHKブックス

 「カレヴァラ(カレワラ)」には、2種の日本語訳があります。森本覚丹氏による美文調の訳は英訳本からの重訳のため、何カ所か誤りがあるということです。岩波文庫の現代語版の翻訳者、小泉保氏の著書「カレワラ神話と日本神話」に、そのあたりのことも触れられています。

 

デンマーク後期ロマンディシズムの交響曲作家たち

 カール・ニルセン Carl Nielsen (1865-1931) は、間違いなくデンマーク音楽史上もっとも巨大な存在の作曲家です。交響曲をはじめ、すべてのジャンルにわたって、内容の充実した素晴らしい作品を残しました。なかでも6曲の交響曲は、シベリウスの作品とともに北欧生まれの交響曲として国際的にも極めて高く評価されています。フィンランドの巨匠の作品ほど“北欧の抒情”が感じられないためか、「ニルセンの交響曲と心中してもいい!」とまで言う北欧音楽のファンは寡聞にして知りませんが、その独創性と革新性、そして何より作曲者の強い意志と意欲が前面に押し出された音楽に心からの敬意を表する人は多いはずです。

 同時に彼は、デンマークの人たちからもっとも敬愛される作曲家でもあります。彼の歌曲がデンマーク国民歌集に収録され、子供のころからニルセンの音楽をごく身近なものと感じているという話は、デンマークの人たちからしばしば聞かされます。

 そのカール・ニルセンも、最初からデンマークの人たちに支持されたわけでもないことはご存知のとおりです。音楽学者のモーエンス・ヴェンセル・アンドレアセン Mogens Wenzel Andreasen は「ニルセンの狙いは、彼よりも前の時代の音楽、すなわちロマン主義とりわけ後期ロマン主義の音楽と決別することにあった」と言っています。ロマンティックな音楽が全盛の時代、若いニルセンの音楽がデンマークの人たちにすんなりと受け入れられなかったとしても無理はありません。しかし、時代が変わるにつれニルセンの考え方は彼の教え子を中心に同調者を獲得するようになり、物議をかもしたニルセンの音楽、特に交響曲はデンマーク音楽のスタンダードとして共感を得るようになっていきます。

 あおりをくったのが、カール・ニルセンと同時代の後期ロマンティシズムの作曲家たちです。後期ロマンティシズムに属するとされる作曲家たちの作品は軽視され、初演されたとしてもそのまま忘れ去られてしまうという悲しい運命をたどります。多くの作曲家たちがシベリウスの陰に隠れてしまったフィンランドと同じことが、結局、デンマークでも起きてしまいました。

 そのデンマーク後期ロマンティシズムの音楽家と彼らの作品に最近、少しずつ再評価と復活のきざしが見られるようになってきました。ここ10年ほどの間のことだと思います。ただし、ほんとうに “少しずつ” です。でも、Danacorddacapo といったレーベルが録音に費用のかかる交響曲や管弦楽曲を次々と紹介してくれることを考えると、ロマンティック音楽のファンは、これからが期待できそうだという気になるでしょう。特に交響曲の初録音がリリースされるともなると、日本の音楽ファンの“交響曲好き”も手伝って、どうしても注目が集まります。CDの人気が高ければ、新しいプロジェクトを考えることがそれだけ楽になるという、いい循環も生まれてきます。

 交響曲という観点からデンマーク後期ロマン派の作曲家をみると、アンドレアセンが名前を挙げているだけでも、かなりの人たちが交響曲を残しています。ペーターー・エラスムス・ランゲ=ミュラー Peter Erasmus Lange-Müller (1859-1926) (2曲)、フィニ・ヘンリケス Fini Henriques (1867-1940) (1曲)、アウゴスト・エナ August Enna (1859-1939) (2曲)、ルードルフ・ニルセン Ludolf Nielsen (1876-1939) (3曲)、アスガー・ハンメリク Asger Hamerik (1843-1923) (8曲)、オトー・マリング OttoMalling (1848-1915) (1曲)、ヴィクトー・ベンディクス Victor Bendix (1851-1926) (4曲)、イェンス・ラウアセン・エムボー Jens Laursøn Emborg (1876-1957) (5曲)、ペーザー・グラム Peder Gram (1881-1956) (3曲)、ルーズ・ランゴー Rued Langgaard (1893-1952) (16曲)、ルイ・グラス Louis Glass (1864-1936) (6曲)、ルードルフ・シモンセン Rudolph Simonsen (1889-1947) (4曲)、ヘーコン・ベアセン Hakon Børresen (1876-1954) (3曲)、ヘアマン・サンビ Herman Sandby (1881-1965) (5曲)。この中には当然ながらカール・ニルセンの交響曲に強い衝撃と影響を受けた作曲家たちもいたものの、ロマンティシズム作家という本質を捨てるところまではいかなかった。それがアンドレアセンの意見です。

 ひとり忘れるところでした。JPE の息子、エミール・ハートマン Emil Hartmann (1836-1898) です。彼の6曲の交響曲は、今年中には Danacord の全集として聴くことができるようになる予定です (ベンディクスの全集と同じ、オムスク・フィルハーモニック管弦楽団による録音が予定さています)。

 ここでちょっと横道にずれます。“後期ロマンティシズム” と簡単に呼びますが、デンマークでは、ドイツの場合ほどはっきりと前期と後期のロマンティシズムを区別していないようです。資料を見ても明らかな色分けがないのでアンドレアセンにたずねたところ、デンマークではドイツほど極端に意識しないという回答でした。参考のために、アンドレアセンの考えを紹介しておきます。

 「ゲーゼはとてもロマンティックな作曲家だった。ベンディクスは公式には後期ロマンティシズムに入るが、様式の面でゲーゼよりずっと進んでいたかというと、実際はそうとも言えない。グラスについても同様。グラスの理想そのものは後期ロマンティシズムと呼ばれてもよかろうが、様式はつねに古典的で、決して極端に走ることはない。標題音楽と大編成の管弦楽を好んだルードルフ・ニルセンとなると、後期ロマンティシズムと呼ばれても当然だろう。しかし、デンマークでもっとも極端な後期ロマン派作曲家といえば、それはルーズ・ランゴーにつきるだろう」
 
 これらの作曲家の交響曲は、完成度に違いはあるにせよ、いずれもしっかりした作曲技法と閃きを感じさせる管弦楽法によって書かれており、現代の聴衆にも充分にアピールする作品だとアンドレアセンは考えています。全曲録音のあるベンディクス (Danacord DACOCD436-437) 、ランゴー (Danacord DACOCD404-410)、ベアセン (dacapo 8.224059, 8.224061)、そして、数曲の録音によって片鱗を知ることのできる“忘れられていた”作曲家の作品を聴くにつけ、アンドレアセンの正しさは理解できるように思います。

 最近も “忘れられていた” 作品の初録音のCDが2枚ほどリリースになりました。ルードルフ・ニルセンの第3番とルイ・グラスの第4番です。ルードルフの交響曲はこれで全3曲が聴けることになり、グラスのほうは全曲録音が進行中で、このディスクはその第1集にあたります。ただ、これらのCDをリリースしたのがいずれもデンマークのレーベルでありながら、録音に起用されたのはそれぞれドイツとブルガリアのオーケストラです。この背景には、以前ベンディクスの交響曲全集の際にも触れた現在のデンマーク音楽界の事情が伺えるようで、どうも寂しさを感じます。どうしてミケール・シェーンヴァント指揮のデンマーク放送交響楽団ではないのか。違うでしょうか?


参考ディスク

Danacord DACOCD370-371 2CD's デンマーク後期ロマンティシズム交響曲集
ルイ・グラス (1864-1936)
 交響曲第5番 作品57Sinfonia Svastica (卍 (まんじ) 交響曲)》 (1919-20)
  
[録音 19571022日]
ルードルフ・シモンセン (1889-1947) 交響曲第2番 《ヘラス (Hellas)(1921)
  
[録音 195495日]
ヘーコン・ベアセン (1876-1954) 交響曲第2番 イ長調 作品7 《海 (Havet)(1904)
  
[録音 195463日]
ヘアマン・サンビ (1881-1965) 交響曲第4(1955) [録音 1956319日]
  デンマーク放送交響楽団 ラウニ・グレンダール (指揮) [デンマーク放送 (DR) 音源]

 

“花々で飾られた世界が見える” − ルードルフ・ニルセンの交響曲第3番

 ルードルフ・ニルセン Ludolf Nielsen (1876-1939) は、1876年にノーア・トヴェーゼという村の農家に生まれました。音楽家とは縁のない家族の中で育ちながら、幼少のころからいろいろな楽器に興味を示しはじめ、村のフィドル奏者に手ほどきを受けたのち、8歳の時に近くの町ネストヴェズ在住のプロの音楽教師のもとでヴァイオリンを学ぶことになります。子供にもかかわらず田舎の結婚式や祭りでヴァイオリンを弾かされたということは、音楽家としては珍しい話ではないかもしれません。プロの音楽家をめざして16歳でコーペンハーゲンに移住したルードルフは、しばらくして奨学金を支給されることになり、コペンハーゲン音楽院でヴァイオリンとピアノ、そして音楽理論を正式に学ぶこととなります。

 1897年にはティボリ公園のオーケストラのヴィオラ奏者に採用され、同じころ自分の弦楽四重奏団も結成します。ルードルフは、3年間ほど音楽院に在籍しながらも作曲だけは独学で習得し、すでに数曲の小規模な作品を書いたといいます。自作が初めて演奏されたのは1899年、そして1902年には交響詩《レウナー・ローブロウ (Regnar Lodbrog)》で大きな成功を収めます。新たな奨学金を手にしたルードルフは、それをドイツへの旅費にあてます。1903年から2年間を過ごしたライプツィヒでは数々の作品を書き、第1番と第2番の弦楽四重奏曲は楽譜出版社のブライトコプフ&ヘルテルから出版されるという幸運に恵まれました。デンマークで作曲を始めた当初から復調や全音音階といった手法を採り入れ、進歩的な作曲家のひとりとみなされたようですが、世紀末を通過したライプツィヒでの時代に、より新しいものを数々吸収したようです。

 コペンハーゲンに戻ってからのルードルフの生活も順調だったとみえ、チボリ管弦楽団の指揮者を務め、コペンハーゲン郊外のヘレロプに居を構えます。またしても与えられた奨学金で妻とともにドイツ、オーストリア、イタリアをまわり、各地の音楽を貪欲に学びつづけたルードルフにとって、この時期が作曲家として花盛りの時期だったにちがいありません。

 交響曲第3番ハ長調が作曲されたのもこの時期です。1911年に構想が浮かび、1912年の春からは真剣に作曲に取り組み、1913年の1月にはスケッチが出来上がり、オーケストレーションも含めすべてが完成したのは同年の8月のことです。6本のホルンに2台のハープという大管弦楽が要求されるため、ルードルフの弟子、指揮者のラウニ・グレンダール Launy Grøndahl は、演奏に際して楽器編成の縮小と、10分以上の時間短縮の許可をルードルフに願い出たということです(今回の録音はスコアどおりの演奏です)。

 ルードルフ・ニルセンの3曲の交響曲の中で人気の高いのは第2番でしょう。存命中だけでなく、近年も何度か演奏され、どういうわけかCDも2種の録音があります − フランク・クラーマー指揮の南ユラン(ユトランド)交響楽団 (dacapo 8.224047) と、オーレ・シュミット指揮フランクフルト放送交響楽団 (cpo 999356-2)。最初の楽章の充実した響きの序奏、第2楽章アンダンテ・コン・センティメントの美しく、輝かしい旋律など、とても魅力のある音楽だと言えるでしょう。ただ、第1楽章の“遊園地の音楽”のような第1主題だけは、聞くたびに “何とかならなかったのかな” という思いが残ります (アッテルベリの後期の交響曲やピアノ協奏曲の終楽章のような “気恥ずかしい” 音楽と同様、なんとも複雑な気持ちです)。“喜びが不安に勝利する” ことを表現したかったということですが、なにか他に “それらしい” 旋律は浮かんでこなかったのでしょうか。

 第3番は、ひとことで言うと “カッコいい” 音楽です。「映画のために書いたんだよ」と言っても、信じる人がいるかもしれません。典型的な後期ロマン派の音楽なので、ひとつ間違えると (シュトラウスの音楽も同じことですが) “大時代的” と言われてもおかしくはありません。あとは好みの問題でしょう。

 この交響曲にはモットーがつけられています。ヴィゴ・ストゥッケンベア Viggo Stuckenberg (1863-1905) の対句「花々で飾られた世界が見える/嵐の夜がなければ歓喜も訪れない」です。静かな低弦から始まる第1楽章、まずモットーの前半の部分が、屈託のない牧歌的な音楽として描かれます。ブックレットの解説を書いたイェンス・コーネリウス Jens Cornelius は、この箇所を “人生のあかつき” と呼んています。その後、ルードルフが「歓喜の友たる悲しみ」と記したコールアングレの旋律が奏され、音楽の緊張感が増していきます。シュトラウスの《アルプス交響曲》を思わせる管弦楽法による音楽と、戦いの雄たけびを想像させる音楽とが現れ、“善と悪” そして “光と闇” の戦が展開したあと、最初の主題が再現して神々しく楽章を閉じます。

 第2楽章はスケルツォ。子供心に浮かんだ “海と海底の住人の寓意物語” (どのお話なんでしょうね。人魚姫かな?) をコミカルに、暖かく描いたといわれ、精妙な管弦楽法と魅力的な旋律の、躍動感にあふれ、流れるような音楽を生み出しています。

 “夏の夕べの牧歌” アンダンテ・レントの第3楽章は、メロディメーカー、ルードルフ・ニルセンらしい、しみじみとした音楽です。そして、中間部では一転して金管楽器が呪いのように響く葬送行進曲になります。“牧歌” が奪われてしまったかに見えたあと、ふたたび静けさが戻り、弦楽器の旋律に乗せて遠くの鐘の音が聞こえます。しかし、これはひとときの休息にしかすぎないようです。

 最後の第4楽章は嵐の前の静けさのように始まり、コラール風の金管楽器のモティーフの後、楽しそうな雰囲気の音楽が続きます。そして、突然、静けさが訪れ、独奏クラリネットの音楽と木管楽器が奏する音楽が不思議な気分を醸し出します。すぐに音楽は少しずつ高揚し、緊張感も高まってきます。第1楽章の第2主題が顔をのぞかせたかと思うと、後は金管楽器が荒れ狂う破壊の音楽です。これがモットーの後半の “嵐の夜” です。そして、すべてが破壊され、荒廃した世界の静寂の中から再び聞こえてくるのは、作品の冒頭の“人生のあかつき”の旋律です (“花々で飾られた世界が見える”)。弦とフルートが曲を閉じる静かな幕切れからは、すべてを言い切ったという作曲者の思いが伝わってきます。

 この交響曲が完成した翌年の1914年、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が勃発します。第3番がこの戦争を予感したものだったとは思えませんが、大戦が始まってからの数年間ルードルフ・ニルセンは作曲活動を中止します。多くのヨーロッパ人と同様、この戦いを価値観の崩壊と考えたようです。時をほぼ同じくしてカール・ニルセンの音楽が注目を集めるようになり、ルードルフも、ある意味で大規模でロマンティックな作品の時代は終わったと考えていたようです。大戦後、ルードルフは新しい語法を研究しはじめ、管弦楽のための組曲《森の散策》などで当時の現代的なスタイルを活かしたといわれます。

 1939年に63歳で亡くなったルードルフ・ニルセンは、約200の作品を残したとされていますが、出版されていない作品も多く (交響曲のうち出版されたのは第2番だけ) 作品の全貌を知ることは今のところは無理のようです。ただ、できることなら、管弦楽法の巧みさがより高い完成度を見せたという《森の散策》だけは、なんとか聴いてみたいものです。

 ルードルフの新しい作風が垣間見られるのが、余白に収められた1923年の作品、音画《ヨアトホルム (Hjortholm)》です。フーレセ Furesø という名の湖のほとりにあった中世の城の名をタイトルとし、この城の歴史と自然が音で描かれています。この城は13世紀中期に司教のロスキレによって建立され、1534年から1536年にかけての内戦の末デンマークがプロテスタント国になってから破壊され、その後も再建されていません。ルードルフが以前の作品で誇った豊かな管弦楽法は、この曲では切り詰められています。歴史に思いを馳せる作曲者の心情がゆったりと語られる、短いながら味わいのある作品です。


dacapo 8.224098 ルードルフ・ニルセン (1876-1939) 交響曲第3番 ハ長調 作品22
 音画《ヨアトホルム》 作品53
  バンベルク交響楽団 フランク・クラーマー (指揮)

 

より高貴な存在への憧れ − ルイ・グラス、交響曲第4番と弦楽四重奏曲

 ルードルフ・ニルセンと違い、ルイ・グラス Louis Glass (1864-1936) はデンマークでも指折りの音楽家の家庭に生まれました。作曲家でピアニストの、父クリスチャン Christian Glass (1821-1893) から音楽の基礎を教わり、その後ニルス・W・ゲーゼ Niels W. Gade (1817-1890) に作曲を、ボヘミア出身のデンマーク人フランス・ネルダ Franz Neruda (1843-1915) にチェロを学びました。本格的にピアノを学んだのはブリュッセルの音楽院で、この時の教授陣のひとりが高名なポーランドのピアニスト、ヨーゼフ・ヴィエニャフスキー Józef Wieniawski です。その後、父が創立したグラス音楽院の経営を任されたり、音楽教育者組合を共同創始者になるなど、ルイはコペンハーゲンの音楽界で多岐にわたり活躍します。デンマーク・コンサート協会の指揮者を引き受けた時期もあり、当時、重要な音楽家のひとりだったことは間違いないところです。

 彼の多才ぶりを示すエピソードのひとつは、18歳で演奏家デビューした際、チボリ・コンサートホールで2週つづけて土曜の夜のコンサートに出演したことです。最初の週はシューマンのピアノ協奏曲の、そして翌週にはゴルトターマンのチェロ協奏曲のそれぞれソロイストを務めています。しかし、腕の神経障害のためにピアニストとしてのキャリアは断念せざるを得なくなり、その後は作曲家そして教育者の道に専念することになります。

 夢想家で神秘思想の持主だったグラスは、インスピレーションの湧くままにロマンティックな音楽を作り、1890年代の最初の2曲の交響曲をはじめとし、発表されるたびに好評を博したといいます。しかし、ルイ・グラスにとっても、カール・ニルセンという存在が問題になる時期がやってきます。1920年代以降のことです。もともとロマンティストで都会育ちのグラスにとって、ニルセンの気取らない人柄と現実主義的な音楽がどうしても相容れないものだったとしても、それは仕方ないことだったかもしれません。ただ、グラスには、経済的、精神的な余裕があったのでしょう。ランゴーのように、ニルセンの音楽だけがもてはやされ、自分は片田舎の教会のオルガニストにならざるを得なかった状況を恨みに思うこともせず、自分にとって正しいと信じる道を進んだといわれます。

 グラスを再評価しようとする人たちがもっとも強調するのは、もともとゲーゼの音楽から出発したグラスが、デンマーク音楽界にセザール・フランク、ブルックナー、そしてチャイコフスキーの音楽を紹介したということです。グラスの代表作とも言うべき交響曲第3番 ニ短調 《森の交響曲》(1901) は当時デンマークでは無名だったブルックナーの音楽の要素を真っ先に取り入れた作品だとされます。コペンハーゲン市内の公園の名を借りて、この交響曲を “エアステズ公園のブルックナー” と呼んだ外国人もいるということですから、相当に強い影響が感じられるのでしょう (早く聴きたい!)。この作品は初演当時から人気があり、第一次世界大戦まで何度か再演されています。ストラヴィンスキーの《春の祭典》にも興味を示し、その結果が反映したとされる舞踊劇《アルテミス》だけは、相当な物議をかもしたようです。

 これはブルックナーの影響と言えるかどうか、Danacord のルイ・グラス交響曲全集の第1集としてリリースされた第4番 ホ短調 作品43 (1910-11) は、演奏時間60分の長大な交響曲です。このCDでも解説を担当したアンドレアセンは「叫ぶかと思うと、かすかな光がゆらめく。大声がとどろき、渦巻く音楽。まるで、壮麗に元気よく描かれた、祝祭の日の感動のドラマでもあるかのようだ」という、この曲を耳にした、ある現代作家の言葉を引用しています。大作にもかかわらず、解体することなく目標に向かって流れる音楽のことがうまく表現されているように思います。

 第1楽章がもっとも長く、20分を要します。音楽の歩みが遅いので、初めのうちこそ、これで最後までもつのかなという感じがしますが、影響を及ぼした作曲家たちの語法が充分に消化されているために、次第にグラスの個性的な音楽が聞こえるようになります(旋律面でのひらめきはブルックナーどころではない、と言いたい誘惑にかられますが、ファンから叱られるのでよしておきます)。

 静かに、何かそわそわと始まる第2楽章はハ短調のスケルツォです。リズムが変わった後、一度聴けば覚えられる旋律がリズミカルな動きを続けます。素晴らしいのは中間部です。弦楽合奏とハープが奏する抒情的な旋律が微細な表情の変化をみせます。作曲家のペーザー・グラムの指揮により、この楽章だけ何回かベルリンで演奏されたことがあり、1914年にもスウェーデンのマルメの音楽祭で単独の演奏が行われたというのも、当然だろうなという気がします。第3楽章も美しい旋律にあふれ、劇的に展開して勝利のうちに曲を閉じる終楽章と、内容的にも構成的にも自然な対比を聞かせます。

 率直なところ、はじめてこの作品を聴いた時には多少の戸惑いを感じました。しかし、何度か聴いているうちに、フランクやブルックナーの影響があるとはいえ、これはいかにもデンマークの音楽だと考えるようになりました。ルイ・グラスという作曲家が等身大で投影された作品だということが感じられるようになり、そこになんとも言えない親しみを覚えるようになったということかもしれません。やや冗長というきらいはありますが、この程度なら我慢の範囲内でしょう。

 演奏しているプロヴディフ・フィルハーモニック管弦楽団はブルガリアのオーケストラ、ナイデン・トドロフも1974年プロヴディフ生まれの若い指揮者です。ヨーロッパやアメリカ、あるいはイスラエルなどで活躍し、すでに40枚以上のCDを録音しているということです。オーケストラ、指揮、録音について何点か “ないものねだり” をしたいところもあります。でも、Danacord のこのシリーズがもたらしてくれる楽しみのことを考えると、「まあいいか」という気になるのも正直なところです。

 この DanacordCDと相前後して、ルイ・グラスの2曲の弦楽四重奏曲のCDdacapo からリリースされました。“モルト・エスプレシーヴォ” の “歌” を聴くことのできる第3番の第3楽章と第4番の第2楽章では、グラスの音楽の美しさがしみじみと味わえ、ため息をつきたくなります。いずれの曲もしっかりした構成をもち、演奏時間にして45分を越える第4番にしても長さは感じられません。グラスの弦楽四重奏曲にはロシア音楽とグリーグの影響が見受けられるのではないか、と解説には記されています。そのことは別として、多様な性格の音楽からなるこの2曲は、まぎれもなく “北欧の音楽” だと思います。

 サポルスキー四重奏団は、ウクライナ出身のアレクサンドル・サポルスキーをリーダーとし、デンマークとスウェーデンの奏者で結成されたグループです。北欧から次々に登場するアンサンブルの例にもれず、作品への共感を現代的な感覚で表現する彼らの演奏には、新鮮なよろこびを感じます。彼らの演奏で残る2曲も聴いてみたいと思うようになりました。


Danacord DACOCD541 ルイ・グラス (1864-1936)
 交響曲第4番 ホ短調 作品43 (1910-11)
  プロヴディフ・フィルハーモニック管弦楽団 ナイデン・トドロフ (指揮)

dacapo 8.224048 ルイ・グラス (1864-1936)
 弦楽四重奏曲第3番 イ短調 作品23 弦楽四重奏曲第4番 変ヘ短調 作品36
  サポルスキ四重奏団

参考ディスク
dacapo DCCD9306 ルイ・グラス (1864-1936) ピアノ作品集
 ピアノソナタ第1番 ホ長調 作品6 ピアノソナタ第2番 変イ長調 作品25 幻想曲 作品35
  ニナ・ゲーゼ (ピアノ) 

 

スウェーデンに芽吹く“ベル・エポック” − リュセル四重奏団、メルケシュとウデーンの弦楽四重奏曲

 スウェーデンだけでなく現代北欧を代表する弦楽四重奏団のひとつが、1986年に結成されたリュセル四重奏団 Lysellkvartetten です。ヴァイオリンのふたり、ベルント・リュセル Bernt Lysell とペール・サンドクレフ Per Sandklef はスウェーデン放送交響楽団、ヴィオラのトマス・スンドクヴィスト Thomas Sundkvist とチェロのミカエル・シェーグレン Mikael Sjögren は王立ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団のメンバーです。4人全員が首席奏者だということなので、演奏技術の点だけとっても大変なメンバーが集まった四重奏団だと言えます。結成当初から録音活動も活発で、クラウス、ルーセンベリ、ベールヴァルドらの音楽史上重要な作品を彼らの素晴らしい演奏で楽しむことができます。最近も、フェーンストレム Fernström とカールステット Carlstedt の弦楽四重奏曲集が発表され、大きな注目を集めました。作品、演奏ともに充実したアルバムです。

 リュセル四重奏団の最大の魅力は、きめ細やかな弦の音色と音楽の局面にしたがって微妙に変化する響きの豊かさと言っていいでしょうか。4人のプレーヤーが奏でる音楽は、拮抗するよりは融合し、清冽で静かな流れとなって音楽を導いていきます。といっても、音楽の形は少々くずれてもいいから、とにかく雰囲気を優先するということではありません。そこは、なんと言っても“ジュリアード以後”のカルテットです。

 現在、Phono Suecia Modern Classics のシリーズの1枚として、シーグルド・フォン・コック Sigurd von Koch のピアノ五重奏曲やカルステニウス Kallstenius のクラリネット五重奏曲を収めたCDが製作中です。何らかの事情でリリースが遅れているようなので − ニューストレムの交響曲第3番も − スウェーデンの担当者に状況をたずねようかと思っていた矢先、意外なレーベルから彼らのディスクがリリースされていたことを知りました。オランダの Vanguard Classics から1995年に発売された、3曲の弦楽四重奏曲を集めたディスクです。

 これは、嬉しくなるくらいに素敵なディスクです。ひと昔前だったら “盆と正月がいっしょにきた” とでも言うところでしょうね。

 演奏されているのは、モーリス・ラヴェル Maurice Ravel (1875-1903) のヘ長調、そしてスウェーデンのオーケ・ウデーンの第1番とH・メルケル・メルケシュのト長調です。ラヴェルの曲は、あらゆる弦楽四重奏曲の中でも屈指の名品のひとつとして数々の特徴的な演奏で親しまれていますが、他の2曲はこれが唯一の録音です。しかもこの2曲、音楽自体が素晴らしいというだけでなく、近代スウェーデン音楽のレパートリーからは欠かせない作品ではないかという気がしています。

 H・メルケル・メルケシュ H. Merlcher Melchers (1862-1961) の名は、セシリア・シリアクスが弾いたヴァイオリンソナタでスウェーデン音楽ファンにはおなじみのことと思います。メルケシュの何よりの功績は、ドイツ音楽一辺倒だった20世紀初頭のスウェーデンにフランス近代音楽を紹介したことでしょう。リヒァルト・ヴァーグナーといえば、19世紀の後期の音楽界では、なんといっても時代の先端を行く“前衛”作曲家です。ペッテション=ベリエル Wilhelm Peterson-Berger (1867-1942) のような根っからのヴァーグナー信奉者が批評家として大きな発言力をもっていただけでなく、ステーンハンマル Wilhelm Stenhammar (1871-1927) でさえヴァーグナーの音楽に心酔した時期があったことを考えると、当時のスウェーデンでドイツ音楽が幅を利かせていたことは容易に想像できます。

 1905年フランスに旅したメルケシュは、1919年までベルエポック全盛のパリに留まります。1908年から1912年にかけてはパリ音楽院で対位法を学び、いわば近代フランス音楽にどっぷりとつかった恰好です。さまざまな活動を通じてラヴェル、ドビュッシー、サティらの音楽に親しんだようですが、もっとも強い影響を与えたのはエルネスト・ショーソンとヴァンサン・ダンディだという意見があります。

 1920年代になってストックホルム音楽院で和声法を教えるようになってからも、時代が時代だけに、おおっびらに “フランス精神” を喧伝するわけにはいかなかったようです。実際、この弦楽四重奏曲 (1922) が1925年に初演された時も、ペッテション=ベリエルには “女々しく、曖昧な” 性格の音楽と呼ばれ、アッテルベリ Kurt Atterberg (1887-1974) からは、「散漫で、煮え切らない、軟体動物のようなフランス音楽が好きな人には素晴らしい経験となるだろう」とまで酷評される始末です。

 しかし、このころ少しずつではあっても時代が変わる兆候もありました。Svenska Dagbladet (朝刊スウェーデン) に批評を書いた作曲家モーセス・ペルガメント Moses Pergament (1893-1977) は、メルケシュの新作について違った見方をしていました。ペッテション=ベリエルやアッテルベリとは異なり、もっと国際的な見地からメルケシュの作品をとらえたと言えるでしょうか。メルケシュの音楽にはドビュッシーの音楽と同様 “力まかせの爆発に対する明らかな嫌悪感” が見て取れるとし、「ドビュッシーと同じように優美で、高度に洗練された雰囲気がある。眩惑させることなく光り輝く正真正銘の典型的フランス精神を、何の不安もなしに楽しむことができる」と共感を寄せています。

 ペルガメントはドビュッシーの名を出しましたが、この弦楽四重奏曲を聴いてまっさきに浮かんだのはラヴェルの作品です。第1楽章がどちらも “アレグロ・モデラート” ということだけでなく、旋律、和声、リズムのすべてがラヴェルの弦楽四重奏曲を思い起させます。「ラヴェルの未発表作だよ!」と言われて信じる人がいたとしても、おかしくないでしょう。しかし、第3楽章《エレジー(悲歌)》(レント、モルト・エスプレシーヴォ)のように、フランス的要素と北欧的な響きがごく自然にブレンドした音楽がきこえてくると、これは、絶対にラヴェルやフランス音楽の “亜流” などではないことがわかります。それに、この音楽のどこをとって “生気に欠ける” とペッテション=ベリエルが酷評したのか、われわれには理解しがたいところです。

 このころからスウェーデンの新しい世代の音楽家たちは、ヴァーグナー信仰に対する自然な反発心もあったのか、しだいに“パリ”のダイナミックで近代的な音楽に惹かれていく傾向が見られるようになってきました。パリからベルリンにあてた一通の電報が、スウェーデン音楽史のひとつの資料として残されています。「ドイツくんだりで何をしている。旬は今、ここだ。さっさと来い」。モーセス・ペルガメントが発信し、受け取ったのは、作曲家のヨースタ・ニューストレム Gösta Nystroem (1890-1966) と指揮者のマッティ・ルービンスタイン Matti Rubinstein (1888-1966) です。その後ニューストレムはパリに行き、そこで学んだことがスウェーデン音楽の新しい魅力として開花したことはご存知のとおりです。

 このCDに作品が収録されたオーケ・ウデーン Åke Uddén (1903-1987) も、そんな若者のひとりでした。(外国人だからという理由から)聴講生としてパリ音楽院で楽理と作曲法を学んだウデーンは、セザール・フランクの音楽とシャルル・トゥールヌミールの神秘主義に特に魅力を感じたようです。ウデーンは “過去の遺産の上に新たなものを築くというパリ流の考え方に賛成” という立場をとり、“パレストリーナ、バッハ、ベートーヴェン、ヴァーグナー、ドビュッシー、ラヴェル、そして自分たちの世代” へと続く連鎖を重要なことと考えました。当然のことながら、技法そのものに学ぶべきものはあるとしながらも、シェーンベルクやベルクらの無調音楽に組みするつもりはなかったようです。ただ、同じ曲の中に複数の調性の音楽を同時に響かせる、復調という手法を使ったことは自身で認めています。もっとも、ウデーンは対位法の大家としてのバッハに傾倒しており、“バッハ自身でさえ復調の音楽を書いたことがある” と語ったくらいですから、新しい手法と考えていたとばかりも思えません。

 第1番の弦楽四重奏曲を聴いてわかるのは、ウデーンの作品が知と情のバランスがとても巧くとれた音楽だということです。強い意志力が感じられる第1楽章と、切々と抒情を語る第2楽章アンダンテ・トランクィッロ。第3楽章のスケルツォは、ちょっとダーグ・ヴィレーンの音楽を想像させます。充実した音楽の中でもとりわけ印象的なのが、モデラートの終楽章《パルティータ》です。思わず熱くなる音楽に胸がしめつけられました。

 ウデーンはストックホルムの音楽院で和声法と対位法を教え、1956年まではスウェーデン放送交響楽団のヴィオラ奏者も兼務していました。余談ですが、このCDのプロデューサーを務め、リュセル四重奏団によるフェーンストレムの弦楽四重奏曲を製作した Daphne レーベルのオーナー、ビョン・ウデーン氏 Björn Uddén (b.1942) は、オーケの息子さんです。ビョンもオーボエ奏者として父親と同じオーケストラのメンバーだったことがあります(そうだ!オーケの第2番の四重奏曲をリュセル四重奏団で録音してもらうことを、ウデーンさんに頼んでおくべきでしょうね)。

 アルバムの最初に録音されているラヴェルの四重奏曲については、現在聴くことができる、この作品のもっとも好きな演奏とだけ言っておけばいいでしょうか。4人の弦楽器奏者が醸し出す浮遊するような音楽の世界に、ただただ酔ってしまいそうです。

Vanguard Classics 99050
モーリス・ラヴェル (1875-1937) 弦楽四重奏曲 ヘ長調 (1902-03)
オーケ・ウデーン (1903-1987) 弦楽四重奏曲第1番 (1940)
H・メルケル・メルケシュ (1862-1961) 弦楽四重奏曲 ト長調 (1922)
  リュセル四重奏団

[追記 Vanguard Classics は活動を停止しました。この録音は権利譲渡先が未定のため、当面、入手がむずかしくなっています。(20041月)]

参考ディスク リュセル四重奏団の代表的ディスク

Acoustica ACCD1013  ヤン・カールステット (1926-2004) 弦楽四重奏曲集
 弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 作品2 弦楽四重奏曲第2番 作品22
 弦楽四重奏曲第3番 作品23
  リュセル四重奏団

Daphne DAPHNE1009 ヨン・フェーンストレム (1897-1961) 弦楽四重奏曲集
 弦楽四重奏曲第4番 変ホ長調 作品54 弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品81b
 弦楽四重奏曲第7番 作品91 弦楽四重奏曲第8番 作品93 (ドリア旋法の)
  リュセル四重奏団

Musica Sviciae MSCD414 ユーセフ・マッティン・クラウス (1756-1792) 弦楽四重奏曲集
 弦楽四重奏曲第5番 ハ長調 弦楽四重奏曲第2番 変ロ長調
 弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 弦楽四重奏曲第6番 ト長調
  リュセル四重奏団

Musica Sviciae MSCD518 ルードヴィーグ・ノルマン (1831-1885)
 ピアノ四重奏曲 ホ短調 作品10
  クリスチャン・イヴァルディ (ピアノ) シルヴィー・ガゾー (ヴァイオリン)
  ジェラール・コセー (ヴァイオリン) アラン・ムニエ (チェロ)
 弦楽四重奏曲 ハ長調 作品42
  リュセル四重奏団

Musica Sveciae MSCD520 フランス・ベールヴァルド (1796-1968)
 七重奏曲 変ロ長調 (1828)
  ソルヴェ・シングステット (クラリネット) イェンス=クリストフ・レムケ (バスーン)
  イーヴァル・オルセン (ホルン) ベルント・リュセル (ヴァイオリン)
  トマス・スンドクヴィスト (ヴィオラ) ミカエル・シェーグレン (チェロ)
  ホーカン・エーレーン (ダブルベース)
 弦楽四重奏曲 ト短調 (1818)
  リュセル四重奏団

 

ウィンドバンドのための音楽 − ノルウェー軍音楽隊

 吹奏楽団が “ブラスバンド” って呼ばれなくなって、どのくらいになるのかな?

 先日、学生たちと話しているときにこの話題になりました。“吹奏楽団” というと、肩章のついた制服を着て、制帽をかぶった団体を想像するので敬遠されるようになったせいなのか、あるいはカタカナでかっこよく決めるためなのか、それはわかりません。でも、いつのころから中学校や高校のグループが “吹奏楽団” でなく “ブラスバンド” と呼ばれることが多くなったのは確かです。

 でも、この呼び方には大きな間違いがあります。日本でいう “ブラスバンド” には、クラリネット、サクソフォーンといった木管楽器が加わっているからです。本当のブラスバンドは、イギリス映画「ブラス (Brassed off)」のバンドのように、“金管 (ブラス) 楽器” だけの集まりでなければならないはずです (グロッケンシュピールなどの打楽器には目をつぶりましょう)。そのためか、このところの傾向として、学校の吹奏楽グループも、欧米にならって “ウィンドオーケストラ” もしくは “ウィンドバンド” と呼ばれるようになってきました。中には “シンフォニック・ウィンド”、あるいは “フィルハーモニック・ウィンズ” と称するグループもあります。

 結局、最初の話題の答は、ここ5年くらいかな?ということで落ち着きましたが、どうなんでしょう。

 まったく余計なことですが、素朴な疑問があります。“オーケストラ (orchestra)” は日本語では “管弦楽”、団体は “管弦楽団” ですよね。管楽器も弦楽器もあるので、決して変ではありません。では、“ウィンド・オーケストラ (wind orchestra)” は、どう訳せばいいのか? まさか “管楽管弦楽団” ってことはないですよね。String orchestra にしても同様です。曲のタイトルに使われることもあって、邦題に苦労します。スウェーデンの作曲家グンナル・ド・フルメリ Gunnar de Frumerie"Pastoralsvit för flöjt, stråkorkester och harpa/Pastoral suite for flute, string orchestra and harp" は、《フルート、弦楽オーケストラ、ハープのための田園組曲》としていますが、“弦楽” だけでもいいではないかとの意見もありそうです。でも、それでは室内楽曲と誤解されるかもしれません (バーバーの《弦楽のためのアダージョ》くらい有名だと、何も問題はないんですけどね)。そうなると困るんですね。だって、爽やかな弦楽のアンサンブルとハープに乗って、フルートが軽やかな旋律を奏でる、たとえばサントリーホールのような大きな会場でも演奏できる作品ですよ (サントリーホールで弦楽四重奏のコンサートをやるって? まさか!)。だったら “弦楽合奏” でいいじゃないかって? ところが、そうすると、こんどは "string ensemble" と同じになって、それはそれで後味が悪くありませんか? つまるところ “弦楽オーケストラ” で妥協するしかないというのが、現状です。“オーケストラ” って一体、何なのでしょうね。

 それはそれとして、日本ではウィンドオーケストラの活動が実に盛んです。ヨーロッパの高等学校のように管弦楽団をもっているところは数えるくらいでしょうが、編成の大小はあるにしても、ウィンドオーケストラをもっている高校は多いはずです。ウィンドオーケストラではじめて管楽器に触れ、それがきっかけでプロの管楽器奏者になることだってあります。音楽の裾野を広げるためにはなくてはならない、大切な活動でしょうね。

 ただ、“普通の” クラシカル音楽のファンにとっては、ウィンドオーケストラというのは (叱られることを覚悟で言えば) それほど “眼中にない” 存在ではないでしょうか。場合によると、ウィンドオーケストラのコンサートに誘われることは、苦痛でさえあるかもしれません。わたしにも覚えがあります。

 かなり前のこと、高校の文化祭か何かに行く機会があり、その時にとんでもないものを聞かされてしまいました。ヴァーグナーの《マイスタージンガー》の第1幕の前奏曲をウィンドオーケストラで演奏するというものです。決してヴァーグナーの音楽に肩入れするものでも、編曲物は絶対にイヤだという純粋主義者を自負するものでもありません。でも、弦楽器群が演奏すべきパートをクラリネットだかサクソフォーンだかが演奏するのを聞いた時には、思わずうめいてしまいました。懸命に演奏している高校生たちには申し訳ありませんが、すぐにでもその場を離れたい気持ちでした。それからしばらくして、こんどは、「モーツァルトのト短調をやるんだけど」と誘われた時には、「誰もわかってくれない!」という寂しさを感じてしまいました。だいたいが苦手な曲でもあるし、散歩でもしているほうがよほど創造的。丁重にお誘いを断ったことは言うまでもありません。

 これは極端な例だとしても、たいていのクラシカル音楽ファンには、こんな話、思い当たるふしはありませんか?ところが、“光明” というのはどこから訪れるかわかりません。誘われて行った、あるコンサートのおかげで、それまで抱いていた “ウィンドオーケストラ” に対する気持が一変してしまいました。“誘われて” というより、プレーヤーのひとりに「演奏を聴いてほしい」と頼まれて “アラ探し” 気分で出かけたというのが真相ですが。

 例によって “音楽のため” とは思われないような編曲による “名曲” もあったものの、プログラムの中心はウィンドのためのオリジナル曲でした。驚いたのは、チェコ出身のアメリカの作曲家ヴァーツラフ・ネリベル Vaclav Nelhybel (1919-1996) の《シンフォニック・レクイエム (Symphonic Requiem)》。バリトン独唱をともない、現代の語法で書かれた真摯な音楽です。この曲には心を動かされるとともに、作品さえ間違えなければ、ウィンドオーケストラには素晴らしい可能性があることに気づきました。その後、同じくアメリカのジェイムズ・バーンズ James Barnes (b.1949) の交響曲第3番を聴いたときの印象は、さらに強いものでした。亡くした愛娘への別れの言葉と、もうじき生まれることになる新しい子に託す夢が語られる、強く情緒に訴える音楽です。この曲も、もちろんウィンドのためのオリジナル作品です。

 ウィンドオーケストラのための音楽にも注意をしておかねばならないと考えるようになったのは、そういった事情がきっかけです。たしかに、北欧のレーベルのカタログを見ても、ウィンドのための興味深いCDが結構目につきます。スウェーデンの作曲家トゥルビョン・イヴァン・ルンドクヴィスト Torbjörn Iwan Lundquist (b.1920) のシンフォニックバンド版《北極 (Arktis)》(1984) という素晴らしい曲も見つけました。ストックホルム・シンフォニック・ウィンドオーケストラが演奏し、指揮をしているのは、“あの” オスモ・ヴァンスカです。

 ごく最近 Simax からは、ノルウェー軍音楽隊という、わたしにとっては目新しい名のバンドがウィンドのためのオリジナル曲を演奏したCDがリリースされました。これが、とても楽しいアルバムです。バンドの正式名称の "Forsvarets Stabmusikkorps (The Staff Band of the Norwegian Armed Forces)" をどう日本語にすべきかノルウェー大使館にたずねたところ、「訳出したことがないので “ノルウェー軍楽隊” ですかね」ということでした。たしかにそうですね。とりあえず “ノルウェー軍音楽隊” としておくことにしました (いい考えがあれば教えてください)。

 ルネッサンスの時代、ウィンドミュージックは、為政者の権力を誇示する目的に使われたといいます。ウィンドミュージックは軍隊にはつきものということになり、諸国でミリタリーミュージックとして発達していきます。ノルウェーのミリタリー音楽の伝統は1660年代にさかのぼり、今日のような形態のミリタリーアンサンブルは19世紀のはじめになって生まれました。ノルウェーの7つの町に軍楽隊がつくられ、ノルウェー軍音楽隊のもとになった、クリスチャニア (現在のオスロ) の Brigademusikken (旅団楽隊?) は、音楽教育を施す唯一の機関としての役割を果たしていました。ヨハン・スヴェンセン Johan Svendsen (1840-1911) やヨハン・ハルヴォシェン Johan Halvorsen (1864-1935) らノルウェーを代表する作曲家たちも、この軍楽隊で学び、演奏したことがあるということです。

 ノルウェー軍音楽隊の演奏技術と音楽的感性の高い水準が維持されていることは、この新しいアルバムに歴然と表れています。収録されたグレインジャー、フローラン・シュミット、ホルストの作品は、管楽器のプレーヤーから聞いたところでは、ウィンドオーケストラのレパートリーとしては定番の曲ばかりだということです。しかも、案外と満足できる演奏がないのだそうです。

 彼らの演奏の特色が総合的に発揮されたと思われるのが、フランスのフローラン・シュミット Florent Schmidt (1870-1958) の《ディオニュソスの祭 (Dionysiaques)》です。

 “シリアスな” 音楽の作曲家は、委嘱でもされないかぎり、概してミリタリー・オーケストラのための曲には手をつけないようです。その中でシュミットだけは、このジャンルの作品を積極的に書いています。その代表作とされるのが《ディオニュソスの祭》で、複雑なリズムと対位法的な動きが特徴的な、面白い曲です。ノルウェー軍音楽隊による演奏が優秀だというのは、下手をすると各パートがバラバラになって “それはもう大騒ぎ” となりかねない音楽を、極めて節度をもって表現しているからです。指揮者のアイヴィン・オードランの手腕もあるには違いありません。“やぶれかぶれ” に騒ぎ立てることなく祭りの気分とディオニソス(酒神バッコス)的陶酔を盛り上げていき、興奮の頂点でも響きの美しさは絶対に失われることがありません。シクステン・エールリングがスウェーデン放送のオーケストラを指揮したストラヴィンスキーの《春の祭典》の演奏スタイルを、ちょっと思い出してしまいました。しっかりとした弱奏の美しさと、透明感のある強奏、そして最弱奏から最強奏までの幅の広さ。美しい音ということだけをとっても、かつて名を馳せたフランスのギャルド・レピュブリケーヌ Garde Républicaine も顔負けではないかと思います。

 民謡を素材としたグスターヴ・ホルスト Gustav Holst (1874-1934) とグレインジャーの曲では、独奏楽器の妙味も楽しめます。ホルストの第2組曲の《行進曲 (March)》のユーフォニアムのソロと、このピースの全体を通して活躍するテューバが特に印象に残ります。同じ組曲の《無言歌 (Song without Words)》のクラリネットもしみじみと歌い、郷愁を誘います。最後のところのリタルダンドだけは、好みが分かれるかもしれません。終曲の《ダーガソンによる幻想曲 (Fantasia on the Dargason)》は、おなじみの《グリーンスリーヴズ (Greensleeves)》が基になっています。ホルストの曲のなかでノルウェー軍音楽隊の圧倒的な音が楽しめるのは、第1組曲の《シャコンヌ (Chaconne)》です。「これがシャコンヌ?」と言いたい迫力のある曲で、最後の高揚した気分は最高です。シンバルの音を安売りして音楽の品を落としていないのは、さすがですね (クライマックスというと、ひたすらシンバルを鳴らせばいいと思っている作品が多いのは、さあ、どんなものでしょう)。

 パーシー・グレインジャー Percy Grainger (1882-1961) は、オーストラリアの出身で、後に市民権をとってアメリカに移住しました。実験的な音楽に興味をもっていたようですが、この人の最大の功績は、イギリス各地の民謡を収集してまわったことだと言われています。母音のわずかな違いや言葉のニュアンス、抑揚、リズムを仔細に記録し、方言の研究に欠かせない貴重な資料になっているということです。

 グレインジャーはノルウェーとも縁があります。フレデリック・ディーリアス Frederick Delius (1862-1934) からグリーグ を紹介され、グリーグが亡くなる前年の1906年に初めて会った際には、グリーグのピアノ曲《スロッテル (Slåtter)》 (ノルウェーの農民舞曲 作品72) を作曲者の前で演奏しています。「あなたが気に入りました。あなたの、芸術に対する新鮮で健全な見方、そして民謡に対する造詣の深さが好きです……《スロッテル》の演奏と解釈は素晴らしいものです」と、グリーグがグレインジャーに書き送った手紙が残されています。グレインジャーが独奏パートを弾いたグリーグのピアノ協奏曲イ短調の録音が残されており (Vanguard Classics OVC8205)、グレインジャーがグリーグの音楽をどう感じて弾いたかを知る手がかりになりそうです。

 グレインジャーの民謡に対する興味と愛情は、ウィンドバンドのための《リンカンシャーの花束 (Lincolnshire Posy)》と3つの小品からも充分にうかがい知ることができます。《アイルランドの旋律 (Irish Tune)》というのは、もちろん、有名な《ダニー・ボーイ (Danny Boy)》のことです。

 指揮者のアイヴィン・オードラン Eivind Aadland (b.1956) はヴァイオリニストですが、ミッコ・フランクらの師、シベリウス・アカデミーの教授ヨルマ・パヌラ Jorma Panula について指揮法も学んでいます。

1987年から1997年までは、ベルゲン・フィルハーモニック管弦楽団のコンサートマスターを務めていました。ヴァイオリニストがウィンドバンドの指揮をする。このあたりにも、このCDのセンスのよさの理由の一端がありそうです。

 これほど、洗練された外面と素朴な内面のバランスのとれた演奏をされると、一般のウィンドのグループもやりにくいことでしょう。でも、考え方を変えると、新しい目標ができたということもできるでしょうね。


Simax PSC1208 グレインジャー、シュミット、ホルスト − ウィンドバンドのための音楽
パーシー・グレインジャー (1882-1961) 岸辺のモリー (1907 rev.1911) リンカンシャーの花束 (1937)
 アイルランドの旋律 羊飼いのヘイ
フローラン・シュミット (1870-1958) ディオニュソスの祭 作品62-1
グスターヴ・ホルスト (1874-1934) 組曲第1番 変ホ長調 作品28-1 組曲第2番 ヘ長調 作品28-2
  ノルウェー軍音楽隊 アイヴィン・オードラン (指揮)

参考ディスク

Caprice CAP21415 ストックホルム・シンフォニック・ウィンドオーケストラ
アーネ・メルネス (1933-2002) Blow (1974)
アラム・ハチャトゥーリアン (1903-1978) ウズベク行進曲と踊り歌 (1932) アルメニア民謡と舞曲 (1932)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ (1844-1908)
 クラリネットとウィンドオーケストラのための協奏曲 (1878)
グスターフ・ホルスト (1874-1934) 前奏曲とスケルツォ《鍛冶屋 (ハンマースミス)》作品52 (1932)
トゥルビョン・イヴァン・ルンドクヴィスト (b.1920) 北極(シンフォニックバンドのための) (1984)
  ストックホルム・シンフォニック・ウィンドオーケストラ チェル・ファゲーウス (クラリネット)
  ブライアン・プリーストマン (指揮) オスモ・ヴァンスカ (指揮) 

 

「北欧音楽入門」についてひとこと

 大束省三氏の著書「北欧音楽入門」が好評だということです。

 文中にも触れられているとおり、“北欧” の人と自然の関わりを知ると知らないとでは、北欧の音楽への親しみ方が変わってきます。どこの国の音楽についても言えることではあっても、北欧音楽の場合は特に、いろいろな作曲家の音楽に親しむにあたっては、彼らの感性を育んだものを知っておくことがとても大きな手がかりになります。これまで日本語による北欧音楽に関する一般的な本がなかったために、北欧音楽への第一歩として、その手がかりを伝えるということも、大束省三氏の構想の主眼点のひとつでした。そのため、最終的には「北欧音楽入門」になりましたが、“北欧・人・音楽” という、現在の第1章のタイトルが当初の書名となる予定でした。

 そのことを知ってもらえば、『箸やすめ』として各章の間で語られた大束省三さんの個人的ないろいろなエピソードの意義も自然とわかっていただけることでしょう。想像力をちょっと働かせれば、“日本人と北欧人にはとても似たところがある” ということが語られているのに気づくはずです。「想像力を働かせるまでもない」という声も聞こえてきそうですし、すでに感じとっていらっしゃる方も多いことと思います。

 この本は、これから広く聴かれるようになってほしい北欧音楽への最初のステップです。大束省三さんがたくさんの人に “まず” 知ってほしいということが多かったために、ページの関係もあって、現代の北欧音楽、あるいは具体的な曲やCDについてはあまり触れられていません。それは次のステップです。

 巻末の『北欧主要音楽家人名一覧』を削ればよかったじゃないか、との意見もあるかもしれません。しかし、この付録は、大束さんにとっては、どうしても必要なものでした。リストには約750人の北欧の音楽家の名があります。『あとがき』にもあるとおり、印刷されたリストはオリジナルの4分の1に縮めてあります。ということは、オリジナルのリストの人名の数は約3000ということです。大束さんが本当に知ってほしかったのは、この3000人、いや作業が進むにつれて更に数が増えつつあった、すべての人たちの名前です。この本の中に「北欧にも音楽があるのですか、と人に問われたことがあった。私は何も言わず、黙っていた。また別のとき、北欧音楽というものがあるのですか、と問われたことがあった」という印象的なくだりがあります(第1章、22ページ)。3000人の名が載ったリストを示すことによって、これらの問いに対する答の “ひとつ” としよう。それが、大束さんがお考えになったことです。縮小されたとはいえ、大束さんのメッセージは伝わったことと信じます。

 このオリジナルのリストに関する問い合わせをいただいているので、お答えしておきます。

 現在、リストの人名の入力はほぼ終わっています。ただ、新しい作曲家や演奏家が日々、登場するので、人名の追加も当然やっていかなければなりません。同時に、現役の演奏家は生年を明らかにしないことが慣例になっているので、出版されたリストの時と同様に、この調査も必要です。750人のリストの作成にあたっては、北欧各国の音楽情報センターの人たちと、演奏家の連盟や組合の責任ある立場の人たち、あるいはレコード会社の人たちの手を、ずいぶんと煩わせてしまいました。プライバシーに関することなので演奏家の許可もとらねばならず、そのため、この件に関して手紙、電子メール、あるいは電話が北欧各国でどれだけ行き来したことか、想像しただけで気が遠くなります。でも嬉しいのは、CDで一方的に知っていたアーティスト自身からのメールが、いくつも届いたことです。役得だとお考えいただいて結構です。

 お世話になった方々には完成した本をお送りしました。いただいた礼状に「役に立てることがあれば遠慮なく言ってくれ」と添えられた言葉には、感激しました。外交辞令とも思えないので、残りのデータについて、遠慮なくお願いしようと考えています。

 残っている作業に、カナ表記のことがあります。これも大変な作業でした。なんとかできたのは、出版になったリストのカナ表記をする際に決めた、一定の基準です。北欧言語にかぎらず、発音をカナで表記することなど、実際、無理なことです。大束省三さんの言い方を借りるなら “永遠の課題” です。そのために、作業にあたっては、どうしても基準になる考え方が必要でした。実際には、ラフのリストを大束さんにチェックしていただきながら、新たな問題が出てくるたびに「これはこうしましょうか?」という具合に基準を作っていきました。その際には、大束省三さんの奥さんの助言も非常にありがたいものでした。なにしろ、去年の三月までは大学で先生をなさっていた、言語学と音声学の専門家です。

 フィンランド語の場合はほんとうに楽でした。ウムラウトのついた "a""o" を、元の母音と同じ表記にすることだけ決めておけばよかったからです。ほんとうは "Vänskä" は“ヴァンスカ”ではな く“ヴァェンスカェ” とすべきところでしょう。ただ、フィンランド語の場合、ひとつの単語の中でひとつの "a" にウムラウトがついていたら、合成語をのぞいて、残りの "a""o" にもウムラウトがつきます。 "o" の場合も同様です。仮に、「カレヴァラ」の中の英雄的人物 "Väinämöinen" (ヴァイナモイネン) と同じ名の人がいたとして、“ヴァェナェモェイネン” としたら、読めますか? (ドイツ語にならって “ヴェイネメイネン” と表記すると音が違ってしまいます)。

 フィンランド語ではもうひとつ、直後に母音をともなわない "h" の問題もあります。 "Lahti" (ラハティ) とか "Lehtinen" (レヘティネン) の場合です。この "h" は “息” しか聞こえない音なので、カナ表記をするのは無理です。幸いなことに、これについては慣例がありました。"h" の直前の母音の‘ハ行’の文字をあてる、というものです。こうなると楽ですね。

 あとの言語は大変でした。フェロー語の人名はすべて、フェロー諸島の作曲家クリスチャン・ブラク Kristian Blak 氏に教わりました。電話で聴いた音だけで判断するのも不安ですし、費用も無視できないので、主にメールでの確認作業になりました。ノルウェー語、アイスランド語、デンマーク語、スウェーデン語も大まかな原則はあるものの、ここでも “例外のない原則は…” という言葉があてはまります。ノルウェー語の原則では "i" の前の "g""y" のような柔らかい音になるはずですが、ノルウェーに問い合わせたら "Gimse" が“ギムセ”だったりします。"ø" はアクセントがある場合は “オ”、ない場合は一応 “エ” か “ウ” の音にしてあります。スウェーデンの場合だけは、後にくる子音などによって "ö" の音が変化するので、この基準をあてはめていない場合があります。

 困ったのは、“ブランド” になっている人名をどうするかということです。"Nielsen" は通常ドイツ語ないし英語風に “ニールセン” と表記されることが多いようですが、英語の "Nilsen" (“ニルセン” と “ネルセン”の中間の音) に近いので、すでに “ニルセン” と表記する人もあり、簡単に決まりました。問題は "Grieg" です。“グリーグ” ではなく “グリグ” のほうが原音に近いんですよね。でも、そうすると、必ず「グリグって誰?」とたずねられることになるでしょう。ベルゲンの息子 “エドヴァルド・グリーグ” には申し訳ありませんが、勘弁してもらいましょう。

 "Andersen" も、有名なハンス・クリスチャン以外のノルウェーとデンマークの Andersen は、それぞれ “アンネルセン” と “アナセン” にしました。もっとも、大束さんの文章では、ハンス・クリスチャンも “アナセン (アンデルセン)” となっています。この程度の “こだわり” だったら、心の広い読者の方々は許してくださる。でしょう? スウェーデンのテノール “ユッシ・ビョルリング Jussi Björling” は、大束さんが「“ユシー・ビョーリン” にしましょう」と “楽しそうに” おっしゃたので、決まりです。

 ブランドになっている場合でも、リストの表記は基準どおりにしました。ピアニストの "Leif Ove Andsnes" は “ライフ・ウーヴェ・アンスネス” とし、ブランド名の “レイフ・オーヴェ” は、“ビョーリン” の場合と同様、カッコ書きすることにしました。セーゲルスタムも同じです。“ライフ” と “レイフ” の中間ですが、デンマークに長らく在住なさっている日本の方の「“ライフ” と書きます」の一言で決まりました。

 これらの基準はほんの一部です (これだけでも疲れるでしょ!)。今後も、この基準にあわせてカナ表記の作業をつづけることになります。当然のことながら例外も出てくるので、疑問点は、大束さんに相談するとか、北欧各国に問い合わせるとかしなければなりません。オリジナルのリストの扱いをどうするかについては、作業が残っている以上、何とも言えません。でも、何か方法を考えます。それだけの時間はいただけることと思います。

 北欧音楽についての “次のステップ” は、どうなるのでしょうか。

 アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの共著「2001年宇宙の旅 (2001: A Space Odyssey)」の最後、地球が水爆で滅びた後、星の子 (スターチャイルド) は地球再生の方法を探さなければなりません。でも、ひと仕事を終えたばかりです。そこで彼は、まどろみながら考えます。「そのうち思いつくだろう」。大束省三さんも同じ気持でいらっしゃる、と想像しています。

 

新譜情報

BIS CD803/804 2CD's JS・バッハ (1685-1750) 無伴奏チェロ組曲 BWV1007-1012
  トゥールレイフ・テデーエン (チェロ)

BIS CD899 スペインのギター音楽
ガスパル・サンス (1640-1710) とサンティアゴ・デ・ムルシア (17-18世紀) の作品
  ヤーコブ・リンドベリ (バロックギター)

BIS CD1033 フランツ・シューベルト (1797-1828) 男声合唱曲集
 森の夜の歌 (Nachtgesang im Walde) D913 (男声合唱と4つのホルンのための)
 夜 (Die Nacht) D983C
 ゴンドラ漕ぎ (Der Gondelfahrer) D809 (男声合唱とピアノのための)
 あこがれ Sehnsucht (D656)
 時の流れのうちに (Im Gegenwärtigen Vergangenes) D710 (男声合唱、テノールとピアノのための)
 愛 (Liebe) D983A セレナード (Ständchen) D920 (男声合唱、アルトとピアノのための)
 墓と月 (Grab und Mond) D893 詩篇23(Der 23. Psalm) D706 (男声合唱とピアノのための)
 隠遁所 (Die einsiedelei) D337 夜の明るみ (Nachthelle) D892 (男声合唱、テノールとピアノのための)
 16世紀の酒宴の歌 (Trinklied aus dem 14ten Jahrhundert) D847 
 孔子曰く、時に三相あり (Dreifach ist der Schritt der Zeit) D69
 愛の精霊 (Geist der Liebe) D747 (男声合唱とピアノのための)
 水の上の精霊の歌 (Gesang der Geister über den Wassern) D714 (男声合唱と弦楽のための)
  オルフェイ・ドレンガル (OD) ロベルト・スンド (指揮) フォルケ・アリーン (ピアノ)
  マレーナ・エルンマン (アルト) ユーナス・デーゲルフェルト (テノール)
  スウェーデン放送交響楽団員 王立ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団員

BIS CD1040 カミーユ・サン=サーンス (1835-1921) ピアノ協奏曲第1番 ニ長調 作品17
 ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品22 管弦楽のための組曲 作品49
  小川典子 (ピアノ) タピオラ・シンフォニエッタ ジャン=ジャック・カントロフ (指揮)

EMI Classics CDC557035-2
ゾルターン・コダーイ (1882-1967) ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7
  トルルス・モルク (チェロ) シャンタル・ジュイエ (ヴァイオリン)
ベーラ・バルトーク (1881-1945) コントラスツ (1938)
  マイケル・コリンズ (クラリネット) シャンタル・ジュイエ (ヴァイオリン) マルタ・アルゲリッチ (ピアノ)
フェレンツ・リスト (1811-1886) 悲愴協奏曲 ホ短調
  マルタ・アルゲリッチ (ピアノ) ネルソン・フレイレ (ピアノ) [サラトガ音楽祭ライヴ録音]


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CD artwork © Ondine (Finland), Danacord (Denmark), BIS (Sweden)