Newsletter No.22   18 July 2000

 

モダニズムと結びついた無邪気な祈り − レイヴル・ソウラリンソン

 レイヴル・ソウラリンソン Leifur Þórarinsson (1934-1998) は、彼と同世代のアイスランドの作曲家たちのなかでもひときわユニークな存在でした。1998年4月24日に63歳の若さでなくなったために過去形を使わなければならないのが残念ですが、このところ相次いで作品が録音され、彼の足跡をたどることができるのはせめてもの慰めです。初めて彼の音楽を聴いたのは、アイスランドの管弦楽作品を4曲収めた ITM のディスクでした (ITM6-02)。管弦楽のための《秋の劇 (Haustspil/Autumn Play)(ITM6-02) から受けたその時の新鮮な印象は、いまでもはっきりと覚えています。

 レイヴル・ソウラリンソンは、1934年8月13日、女優アルダ・モーレルと電信技手ソウラリン・クリスチャウンソンの間に生まれました。子供のころから習いはじめたヴァイオリンの修業をつづけるために入学したレイキャヴィーク音楽大学に、留学先のイェール大学でパウル・ヒンデミットに指導を受けたヨウン・ソウラリンソン Jón Þórarinsson (b.1917) が戻ってきており、それが契機になってレイヴルは彼のもとで理論と作曲法を学ぶことになります。1954年にはウィーンに留学、アルバン・ベルクの弟子ハンス・イェリネック Hans Jelinek (1901-1969) について更に作曲法を学びます。その後1959年からは不定期にアメリカに渡り、アメリカにおける音列技法の先駆者ウォリングフォード・リーガー Wallingford Rieger (1885-1961) やガンサー・シュラー Gunther Schuller (b.1925) について、幅広く作曲技法を身につけていきます。

 アイスランドに戻ったレイヴルは、作曲以外にも活動範囲を拡げ、アイスランド放送局のアナウンサーや番組編成担当を務めたり、ジャーナリズムの仕事にも就きました。他の作曲家たちともグループ活動を行い、1960年代にはアイスランド音楽情報センター (ITM) の創設にもかかわっています。作曲家としてのレイヴルは、大編成の管弦楽作品からジャズやポピュラー音楽まで多種多様な分野の曲を作り、劇場のための作品だけでも40を超える数の曲を書いたとされます。アイスランドにおける音列技法のパイオニアには違いないにしても、レイヴルの音楽の根底にはつねに抒情とロマンティシズムが流れており、そのために多彩なスタイルに適応できたというのが、多くの人々の認めるところです。

 レイヴル・ソウラリンソンの名が一般的に馴染みがあるとしたら、《マヌエラのためのソナタ (Sonata per Manuela)》(1978) という独奏フルートの曲のためかもしれません。作品を献呈された、オーストリア出身のフルート奏者マヌエラ・ヴィースラー Manuela Wiesler (b.1948) の (アイスランドの作品だけを集めた) アルバム “マヌエラに (To Manuela)(BIS CD456) に収録、このディスクは容易に入手することができます。

 レイヴル・ソウラリンソンは、マヌエラ・ヴィースラーとハープシコード奏者ヘルガ・インゴウルスドウッティル Helga Ingóllfsdóttir (b.1942) のために4つの作品を書いています。《マヌエラのためのソナタ》、ハープシコードソナタ (Sonata with "Da" Fantasia) (1987)、ハープシコードのための《"Da" 幻想曲 ("Da" Fantasia)(1979)、フルートとハープシコードのための《夏の到来 (Sumarmál/The Arrival of Summer)(1978) です。フルート奏者コルベイン・ビャルナソンとハープシコード奏者グヴズルーン・オウスカルスドウッティルによる Smekkleysa の新しいディスク (SMK15) には、その4曲が一緒に収録されています。

 この4つの曲にはそれぞれにつながりがあります。まず《マヌエラのためのソナタ》と《"Da" 幻想曲》は姉妹作です。コルベイン・ビャルナソンによると、この2つの作品には共有する動機と主題があり、D (ニ音) と A (イ音) が両作品の重心になっています。また、原題の‘with "Da" Fantasia’から想像されるとおり、ハープシコードソナタは《"Da" 幻想曲》の前奏曲もしくは序奏と考えることもできます。2つの曲がつづけて演奏された場合に、より大きな説得力が生まれるよう、音楽面でのアイデアが多く施されているとコルベインは指摘します。最後の《夏の到来》では、それまでの曲の2つの独奏楽器が共演するだけでなく、《マヌエラのためのソナタ》と《"Da" 幻想曲》の主題の断片も、はめ込まれています。こうした構成上の工夫もあって、この4曲でひとつの作品とみなすこともでき、実際、4曲を通して聴いた後に感じられるレイヴル・ソウラリンソンの音楽の世界の大きさには、心を揺さぶられるほどの魅力を覚えます。

 《マヌエラのためのソナタ》は素晴らしい作品です。このソナタは、2つの楽章から構成され、それぞれさらに2つの部分に分けることができるので、全体の形式としては、“緩 − 急 − 緩 − 急” というバロック時代の教会ソナタを踏襲したと見なすことができそうです。第2楽章の後半はフーガからコラールへと展開していき、これも作者が教会ソナタを意識したことの表れではないかと考えられます(たしかレイヴルはカトリック信者だったと思いますが、そのことと教会ソナタという形式が関係あるかどうかは不明です)。曲の最後に2つの楽章の主題が穏やかに回想されるところだけは、現代の感覚と言えるでしょうね。

 複雑で難解だといわれる1960年代の作品にくらべ、このソナタが作曲された1970年代後期には、レイヴルの音楽は (誤解をおそれずに言えば) 人好きのする作風に変わっていたようです。少なくとも、録音のある1970年代以降の曲を聴いたかぎりでは、いわゆる “現代音楽” というような作品は見当たりません。むしろ、明らかな抒情味が感じられる “情緒的” とでも呼びたくなる瞬間の多い作品さえあります。ハープシコードのためのソナタでも、そういった音楽を聴くことができます。レイヴルは、画家グンナル・オットルン・グンナルソン Gunnar Örn Gunnarsson の “巨大な男が妖精の宮殿を手のひらに載せている” という絵から、この曲の着想を得たといわれます。“夢”を思わせるような音列の単旋律の第1楽章の最初の部分を聴いただけでも、レイヴルが絵画をイメージした幻想曲風のソナタを構想したことが感じられます。この曲もフルートソナタと同じく、2楽章でありながら教会ソナタの形をしています − この曲では第1楽章の最後はフーガです。第2楽章の主要部分はアダージョの音楽で、終りの部分だけが“絵の中の人物が幻想曲の魅惑の世界を落とすまいとあたふたしている” (コルベイン・ビャルナソン) 速い音楽に変わります。クープランが人物を描写した小品の中にこれに似た音楽があったような気がします(クラヴサン小曲集の全集があるので調べたいところですが、CD11枚ともなると探している時間がないのが残念です!(「《マタイ》や第九も持ってないくせに、クープラン?」 と、からかわれることがあります。でも、聴かないものは手元に置かないことにしているので、仕方ありませんよね)。

 《"Da" 幻想曲》では、いっそうはっきりとレイヴルの抒情が感じられます。リズミカルな動きが際立つオープニングのあと、緩徐楽章に相当する “アダージョ・カンタービレ” がつづきます。コルベイン・ビャルナソンの見方では、レイヴルがこういう“指定”をすること自体まれで、しかも、それが20世紀のハープシコード音楽にとって珍しい “カンタービレ”− 歌うように! − だということは、ハープシコードという楽器のもつ “歌唱力” をレイヴルが確信していたことになります。事実、“歌” が大きな役割を果たしていることを考えると、その見方は正しいと言うべきでしょう。それにつづく “回転木馬” を思わせる短調の音楽は、この曲だけを考えたときはもちろん、4曲をひとつの作品として捉えたときの、ひとつの大きな山になる部分ではないかという気がします。まるで影絵で見る回転木馬!フルートソナタの最後の部分の主題による三声のフーガと、アダージョ・カンタービレの主題を逆行させた旋律によるコラールを経て、もう一度 “回転木馬” が短く現れてから曲を閉じます。

 《夏の到来》の冒頭の “孤独、衰弱、何かを待っていることを感じさせる音景色” をフルートとリュートストップを使ったハープシコードの切り詰めた音が "play" する − ここでは “演奏する” と “遊ぶ” のふたつの意味で使われます − 3つの音です。コルベインによると、この3つの音は民謡《光が長く細くなっていく (Ljósið kemur langt or mjótt/The light is coming long and narrow)》からとられ、この曲の大部分はこの歌から生まれたものだということです。彼は「レイヴルが書いた最もわかりやすい音楽」と言っています。“最も” かどうかは別にして、無伴奏の作品でないためもあるのか、たとえば《マヌエラのためのソナタ》あたりにくらべて、現代の作品が苦手な人もレイヴルのこの音の世界には興味が湧くのではないでしょうか。フルートとハープシコードが作り出す音の世界を聴くと、心象風景に似た情景が脳裏をかすめるかもしれません。ふと思ったのは、《"DA" 幻想曲》の “回転木馬” は、この寂しい世界への入り口だったのではないかということです。それがレイヴルの意図したことかどうかはわかりませんが、何となくそんな気がしました。でも、全曲を聴き終わったあと感じるのは、やりきれなさや絶望といったものではありません。何かわかりませんが、ほんのりと明るい世界が待ち受けているような感じがします。いつか見た夢のような音楽、というとちょっとキザっぽすぎるでしょうね。タイトルに影響されたわけではなく、この夏の間、何度となく、ふと聴きたい気分になる音楽。そんな予感がします。

 フルートのコルベイン・ビャルナソン Kolbeinn Bjarnason (b.1958) は、1979年にレイキャヴィーク音楽大学を卒業し、その後マヌエラ・ヴィースラーに3年ほど師事しました。1987年に他の音楽家たちと一緒に CAPUT アンサンブルを組織し、現在もこの現代音楽グループのフルート奏者を務めています。どちらかというと重めの響きをもちながら、音楽のさまざまな局面に自在に対応できる身の軽さも備えています。均質のしっとりとした音色と落ち着いた音楽づくりは、かなり魅力的です。

 ハープシコードを弾くグヴズルーン・オウスカルスドウッティル Guðrún Óskarsdóttir (b.1962) は、ピアニストになることを目指してレイキャヴィーク音楽大学に進学しました。しかし、卒業後ヘルガ・インゴウルスドウッティルに師事してハープシコードの奏法を学び、1988年から1993年にかけては、ハープシコード演奏と解釈の研鑚のためにアムステルダムのスヴェーリンク音楽院やバーゼルのスコラ・カントールムなどに留学します。帰国後もさまざまのバロック・アンサンブルに参加したり、レイキャヴィーク室内管弦楽団やアイスランド交響楽団のハープシコード奏者も務めるなど、極めて積極的な活動を行っています。CAPUT アンサンブルのメンバーでもあることから、現代の作品にも特別な興味をもっていることがわかります。このCDでも、作品の性格もあるのでしょうが、刺激的な音色や過激なスタンドプレイとは無縁の素晴らしい“現代音楽”の演奏を聴かせてくれます。こうなると完全にセンスの問題ですね。

 録音が行われたスカウルホルト教会というのは、それほど大きな建物ではなさそうです。それがこのアルバムの音楽の録音にとっては最適だったとみえ、フルート、ハープシコードともにほどよい残響をともなった自然な音で収録されています。

 レイヴル・ソウラリンソンの作品を収めたディスクは ITM からもリリースされました (ITM7-12)。“複雑で難解な1960年代” の代表的な作品、ヴァイオリン協奏曲 (1969-70) と1997年に作曲された交響曲第2番のカップリングです。2曲とも素晴らしい作品です。特にヴァイオリン協奏曲は、20世紀を代表するヴァイオリン協奏曲のひとつとさえ言いたいくらい、聴きごたえのある曲です。たしかに複雑な音楽ですが、けっして難解だということはありません。

 この曲は全部で4楽章で構成されていますが、第3楽章が《カデンツァ》なのでハイドンやモーツァルトの古典派協奏曲の形式をそのまま踏襲していることになります。デンマークのベント・セーアンセン Bent Sørensen (b.1958) のヴァイオリン協奏曲《朽ちゆく庭園》 (dacapo 8.224039) も3楽章の曲ですが、独奏と管弦楽のやりとりに関しては、レイヴルの作品のほうが、はるかに“古典的”です。だからといって曲の響きが18世紀的ということでないのは、言うまでもありません。不協和音と無調。1960年代のレイヴルの音楽のスタイルは、この曲でも明らかです。

 「初めてレイヴル・ソウラリンソンの作品を知るようになって、作品をつらぬいて走る一本の糸を探り出すことをわたしは覚えた。その糸は最初にちらっと見ただけでははっきりとしないかもしれない。探すには多少の時間を要するかもしれないが、最後には見つけられる。この糸は、決して切れないほど強い。レイヴルは、絶対に自分に正直でない作品を書くことをしなかった」

 こう語るのは、ピアニストのスノルリ・シグフース・ビルギソン Snorri Sigfús Birgisson (b.1954) です。彼が言うとおり、この曲にも “糸” があることが、何度か聴くうちにわかってきます。決して、きまって現れる旋律線があるというような外面的ことではなく、全曲をつらぬく意志が感じられるとでも言えばいいでしょうか。それがスノルリ・シグフースの言う“糸”と同じものかどうかは、わかりませんが。

 確かなのは、その意志を展開軸にして、約20分間、音楽が淀むことなく持続していくことです。ただ、“淀まない” といっても、レイヴルは、最初から最後まで聴き手に緊張を強いる、ひところ流行した “現代音楽” だけは書いていません。人間の息づかいとでも呼べるようなもの感じられ、時折聞えてくる抒情的なフレーズとあいまって、起伏の自然な音楽を作り上げています。解説ではアメリカのジャズの影響について触れていますが、それだけで説明しきれるものでもなさそうです。ひょっとすると、これはレイヴル・ソウラリンソンのウイットに富んだ性格のせいかも知れません。レイヴルは、古典的な枠組みというしっかりした土台の上で、自分の思いを語りたいだけ語っています。そんな彼の音楽をリラックスして聴いていると、20分48秒という時間は「もう終わるの?」というくらい、あっという間に過ぎてしまいます。面白くて、さわやかな余韻の残る作品です。

 この録音でヴァイオリンを弾いているのは、レイキャヴィーク生まれのシグルーン・エズヴァルスドウッティル Sigrún Eðvaldsdóttir (b.1967) です。レイキャヴィーク音楽大学を卒業後アメリカに渡り、最終的にはカーティス音楽院でヤッシャ・ブロドスキーとハイメ・ラレードに師事しました。《カデンツァ》など、ところどころ間の取り方をもっと緻密にできるかなと思う箇所もあります。でも、アメリカ人のポール・スカイラー・フィリップス Paul Schuyler Phillips (b.1956) が指揮するアイスランド交響楽団と対等に張り合う演奏はなかなかのもので、この作品の魅力はいささかも損なわれていません。シグルーンは、1988年から1990年にかけてマイアミ弦楽四重奏団のリーダーを務め、レイヴルの弦楽四重奏曲も録音しています (ITM7-04)

 交響曲第2番は、1997年11月のアイスランド交響楽団の演奏会で初演されました。レイヴルが急死する5カ月前のことです。単一楽章の作品で、彼のそれまでの作品の素材も使われており、なかでも1988年の管弦楽曲《旅 (För/Journey)》のフレーズの断片が幾度となく現れます。“旅” という語のもつ様々な意味がレイヴルのインスピレーションを刺激し、宗教的な意味も含め、この作品のキーワードと考えられそうです。解説には自作とともにロベルト・シューマンやヴァーグナーの音楽も引用されているとあります。ヴァーグナーの場合は、アッというようなフレーズが使われています。ほんの一瞬マーラーも聞えたような気がしますが、直接の引用というより、響きが似ていただけかもしれません。色々な要素が溶け合った、レイヴルらしい創意に富んだ音楽です。ヴァイオリン協奏曲にくらべると充実感はいまひとつですが、その分、聴きやすい音楽ということも言えるでしょう。しかも、耳になじむとはいえ、晩年に差し掛かった作曲家たちが陥りがちな手札の安売りや、精神の衰弱は感じられません。その意味でもレイヴル・ソウラリンソンには敬意を表したいと思います。それにしても、面白い作品ですね。

 ペトリ・サカリ指揮のアイスランド交響楽団の演奏は、最近の一連のシベリウスの録音同様、作品に対する愛情が感じられ、エンディング近く、25分59秒からの管楽器のアンサンブルの透明な響きなど、ほんとうに見事です。

 友人のアトリ・ヘイミル・スヴェインソン Atli Heimir Sveinsson (b.1938) がレイヴルの死を悼んで書いた文章があります。

 「特定の学派やスタイルに属する音楽を書かなかったため、レイヴルを、これというグループないし陣営にはめこむことはまずできない。彼の場合、その個性と音楽だけで完全な統一体ができあがっていた。レイヴルは奔放な個人主義者で、極端な無政府主義者。自分を駆り立てる強い衝動にしか従わなかった。その衝動に生涯を捧げるために、レイヴルはこの世に生まれた……。彼は停滞するということを知らなかった。スタイルをさらに洗練し、新しい次元を付け加えながら発展させていった。レイヴルの音楽に、複雑なモダニズムと子供のような祈りが結びついているのを見ることも、たびたびだ」

 1997年の春から夏にかけてこの曲を作った後、レイヴルは交響曲第3番の作曲にとりかかり、鉛筆書きの手稿譜までは完成させたということです。オーケストレーションまで出来上がっているということではないかと思いますが、仮に未完成だとしても、アトリ・ヘイミルらの手で補筆して、なんとか初演と録音までこぎつけてもらえないものでしょうか。第2番の交響曲を聴くたびに、その思いがつのります。

(TT)

Smekkleysa SMK15 レイヴル・ソウラリンソン (1934-1998) 夏の到来
 ソナタ・ペル・マヌエラ (Sonata per Manuela) (マヌエラのためのソナタ) (1978) (フルートのための)
 "Da" 幻想曲つきのソナタ (Sónata með "Da" fantasíu) (1987) (ハープシコードのための)
 "Da" 幻想曲 ( "Da" fantasíu) (1979) (ハープシコードのための)
 夏の到来 (Sumarmál) (1978) (フルートとハープシコードのための)
  コルベイン・ビャルナソン (フルート) グヴズルーン・オウスカルスドウッティル (ハープシコード)

ITM ITM7-12 レイヴル・ソウラリンソン (1934-1998) 管弦楽作品集
 ヴァイオリン協奏曲 (1969-70)
  シグルーン・エズヴァルスドウッティル (ヴァイオリン)
  アイスランド交響楽団 ポール・スカイラー・フィリップス (指揮)
 交響曲第2(1997)
  アイスランド交響楽団 ペトリ・サカリ (指揮)

参考ディスク

ITM ITM7-05 レイヴル・ソウラリンソン (1934-1998) ポートレート
 弦楽四重奏曲 (1970)
  マイアミ弦楽四重奏団
 争い、ノットゥルノ・カプリッチョーゾ (Styr, Notturno Capriccioso) (1988)
  ソルステイン・ガウティ・シーグルズソン (ピアノ)
  アイスランド交響楽団 ハウコン・レイフソン (指揮)
 イオ (Io) (1975) 出会い (Mót) (1990) 旅 (För) (1988)
  アイスランド交響楽団 ペトリ・サカリ (指揮) (現在、プレス切れ)

 

アイスランドの作曲家について

 レイヴル・ソウラリンソンの新しいCDを何度か聴くうちに、アイスランドの他の作曲家たちの音楽も聴きたくなってきました。夏はアイスランド!などと旅行会社のパンフレットにでもありそうなことを言うつもりはありませんが、瀬戸の夕なぎでげんなりしたときなど、たしかにアイスランドの透明な響きの音楽には心ひかれます。そんなことからアイスランドの音楽を聴いているうちに、この国の音楽の歴史をふりかえりながら、アイスランド独自の音楽に思いを寄せることになりました。

 アイスランドの人々が初めてオーケストラのライヴ演奏に接したのは、1926年のことです。ドイツで指揮者としても活躍していた作曲家のヨウン・レイフス Jón Leifs (1899-1968) が率いる、ハンブルク・フィルハーモニックのノルウェー、フェロー諸島、そしてアイスランドへというツアーのコンサートがレイキャヴィークで行われました。アイスランド伝統の歌唱様式“ふたご歌 (tvísöngur)”がカトリック教会によって禁じられたのが14世紀。この禁制はアイスランドの世俗の音楽にも影響を与え、その後、教会がプロテスタントに変わってからも、アイスランドは他のヨーロッパ諸国の音楽文化の流れからひとり取り残されてしまうことになります。1870年代になって“ふたご歌”は解禁されるものの、アイスランドの音楽事情が遅れを取り戻すにはなお多くの時間を必要としました。それだけに当時のアイスランドの人たちにとって、初めて耳にするオーケストラの響きはこのうえなく新鮮なものに聞こえたことでしょう。都会に住むわれわれが初めてオーケストラを聴いたときとも、ずいぶんと違うものだったのではないかと思います。

 その1926年に生まれたのが、チェロ協奏曲 (1938) や《春の朝の祈り》の作曲家ヨウン・ノルダル Jón Nordal です。第1次と第2次の世界大戦の間のこの時期、ヨウン・ノルダルにつづいてアイスランドを代表する重要な作曲家が次々と生まれました。ヨウン・アウスゲイルソン Jón Ásgeirsson (b.1928)、レイヴル・ソウラリンソン Leifur Þórarinsson (1934-1998)、ソルケトル・シーグルビョルンソン Þorkell Sigurbjörnsson (b.1938) 、アトリ・ヘイミル・スヴェインソン Atli Heimir Sveinsson (b.1938)、ハブリジ・ハトルグリームソン Hafliði Hallgrímsson (b.1941)。ヨウン・ノルダルより前に生まれたヨウン・ソウラリンソン Jón Þórarinsson (b.1917) とヨウルン・ヴィーザル Jórunn Viðar (b.1918) も、同じ世代と考えていいはずです。ヨウン・レイフス、パウトル・イーソウルソン Páll Ísólfsson (1893-1974)、カール・オット・ルーノウルソン Karl Otto Runólfsson(1900-1970) 、アウルニ・ビョルンソン Árni Björnsson (1905-1995) を20世紀アイスランドの第1世代とすれば、彼らは第2世代の作曲家たちということになります。

 “アイスランドの原始”を再現するかのような音楽を書いたヨウン・レイフスを例外として、第1世代の作曲家たちは、おおむねスヴェインビョルン・スヴェインビョルンソン Sveinbjörn Sveinbjörnsson (1847-1927) らの流れにそった伝統的な手法の曲を書いたとされます。かならずしも彼らの全貌が明らかになっているわけではないので断定はできませんが、19世紀的な作風に特色があると考えてよさそうです。実際、曲によっては大時代的、あるいはサロン音楽的といわれてもおかしくないようなところがあるのは確かです。残念ながら、この時代の作品はほとんど録音がなく、少なくとも“アイスランドの《クッレルヴォ》”と呼ばれる、パウトル・イーソウルソンの《アルシング・カンタータ》− アルシングは、930年に設置され、アイスランドの立法と司法の役割を果たした全島集会 − は、いつか聴いてみたいと思っています(LPは発売されていたようですが)。

 この時代の作曲家の歌曲は Smekkleysa からリリースされている2組のアルバムにかなりの数の曲が収められており、カール・オット・ルーノウルソンの歌曲は、ヨウン・レイフスの歌曲を一緒に収めたディスク (ITM SKREF005) でも聴くことができます。が、器楽作品となるとまだまだです。Chandos の“アイスランド管弦楽作品集”(CHAN9180) の他は、アイスランドのピアノ作品をオットルン・マグヌーソン Örn Magnúson (b.1959) が演奏したディスク (ITM8-02) でパウトルの《3つの小品》作品5 が聴ける程度です。このCDには、スヴェインビョルンの小品も2曲 − 牧歌、ヴィキヴァキ − 含まれています。

 この世代の作曲家の中でヨウン・レイフスだけが特別に個性的な音楽を書くことができたのは、かならずしも本格的な作曲活動を始めた場所がアイスランド音楽の主流から離れたドイツだったということだけではないと思います。後期ロマン派的な和声と管弦楽法にもかかわらず、オルガン協奏曲 作品7 (1930) (BIS CD930) には明らかに20世紀の音楽と呼べる響きがあります。この曲を聴いただけでも、ヨウン・レイフスの音楽がいかに新しいものを求めたかということがわかります。

 彼の名を一躍高めた交響曲第1番《サガの英雄たち》(1941-42) (BIS CD730) の場合、優秀な録音にめぐまれたために日本ではオーディオ面の話題が先行してしまい、ヨウン・レイフスの音楽にとっては気の毒な結果になってしまっています。たしかに打楽器が活躍する、いわばゴツゴツした音楽の印象が強い作品ですが、緩徐楽章 − 第2楽章《アダージョ、マ・ノン・トロッポ、センプレ・マエストーゾ》と第4楽章《アダージョ》 − などに聞かれる抒情的な旋律と和声は、間違いなく、《哀歌 (愛娘にささげるレクイエム) (Requiem)(ITM ITM6-01) や弦楽四重奏曲第1番《死と生》(BIS CD691) など個人的な色彩の強い作品と同じ作者の音楽です。ヨーロッパ大陸を遠く離れた“火と氷の国”アイスランド。音楽という表現手段によって、そのアイスランドの作曲家としてのアイデンティティを追求したヨウン・レイフスの音楽は、ドイツ=オーストリアの音楽どころか、同じ北欧のシベリウスの作品を聴くのとも違った受けとめ方が必要だという気がします。じっくりとヨウンの音楽を聴くと、彼の心情が悲しくなるくらい強く伝わってきます。波乱の人生を送ったヨウンですが、境遇を嘆き、情緒纏綿と後期ロマン派的な音楽に耽溺することはありませんでした。常に未来をみつめていたに違いありません。精神のあり方を考えれば、ヨウン・レイフスはむしろ第2世代に属するとみなすほうがいいかもしれません。

 余談ですが、ヨウン・レイフスの "Requiem" は大束省三さんもわたしも《哀歌 (愛娘にささげるレクイエム)》と呼んでいます。ひとつには、いわゆる“レクイエム (鎮魂ミサ)
”はカトリックの典礼だということ − ヨウンの "Requiem" の歌詞は典礼のラテン語の歌詞ではありません − もうひとつは、この作品について書かれた何かの文章で "the requiem" となっているのを見たことがあるからです。典礼のレクイエムだとすれば、大文字の "R" になっているはずなので、そうでないとすれば辞書にある2つ目の意味“哀歌 (dirge)”を採るほうが自然なような気がします。ただ、ヨウン・レイフスにとって、この曲は亡き娘にささげる“自分だけのレクイエム”という気持もあったに違いないので、感傷的かもしれませんが、あえて副題とすることにしました。

 第1世代に対して、第2世代の作曲家たちは新しい技法を取り入れた作品を書くことに何のためらいもありませんでした。それは、“遅れ”を取り戻したいという意識のためというよりも、表現方法として不可欠だったと考えるほうが自然です。この世代の作曲家は個性の強い人たちばかりで、それぞれに独自の考え方を持っているようですが、“ふたご歌”などアイスランド伝統の音楽を常に意識しながら、それぞれが求める音楽を率直に、そして積極的に書いていったということだけは共通して言えるように思えます。それだけに、“現代音楽”として聞こえるかと思えば、逆に、繰り返し聴いていくうちに彼らの意欲的な音楽にひそむ“心の歌”に気づいて思わずため息をついてしまうこともあります。そういう相反する結果を生んでしまうことになるのも当然でしょう。

 それぞれの作曲家が多様な作品を書いているので、ひとことで彼等の作風を語ることはできませんが、たとえばヨウン・ノルダルの場合、限られた楽器の風合いを最大限に活用することによりアイスランドの大地や空を鮮やかな風景として感じさせる、という程度のことは言ってもよさそうです。ITM7-09 に収録された合唱のための3つの宗教音楽が代表的な例です。特に《春の朝の祈り (Óttusöngvar á vori/Matins in Spring)》(1993) では、チェロ、打楽器とオルガンというシンプルな伴奏と、ソプラノとカウンターテナーの独唱、そして混声合唱によって、アイスランドの日差しと澄んだ空気が実感されます。ヨウン・ノルダルは、音列技法などの近代の手法とは距離を置いている作曲家のひとりです。“ポートレート”(ITM7-04) もリリースされていて、4曲の管弦楽作品を聴くことができます。

 現代のアイスランドの作曲家でもっとも録音に恵まれているのは、ソルケトル・シーグルビョルンソンです。チェロ協奏曲《ユリシーズの帰還 (Ulisse ritorna)》、クラリネット協奏曲《ブーコラ (Búkolla)》、ヴァイオリン協奏曲《連作 (Fylgjur)》の3曲を集めたCD (MedEd 1993)、フルートと弦楽と打楽器のための《獅子の門 (Liongate)》(1984) などのフルートの作品集 (BIS CD709)、弦楽四重奏曲3曲を含む室内楽作品集 (ITM7-11)、ハープの伴奏で女声合唱(または、童声合唱)が歌う《テ・デウム》− あの、わらべ歌を思わせる曲です − をはじめとする宗教合唱作品集 (Smekkleysa SMK1)。“ポートレート”(ITM7-02) 以外に、これほどのディスクがリリースされているのは、アイスランドではソルケトルくらいのものでしょう。アイスランド伝統の音楽と近代、現代の手法をごくごく自然に融合させ、新しい響きと人なつこさが共存する曲に仕上げているところが好まれるためだろうと想像されます。ただ、合唱曲のソルケトルしか知らないと、フルート作品集に入っている《カライス (Calaïs)》(1976) や弦楽四重奏曲と組み合わせになった《KISUM》(1970) の最初の2曲の前衛的な技巧には驚かされることでしょう。でも、じっくり聴けば、それは技巧の問題であって、他のソルケトルの音楽と何も違いはないことに気づきます。

 アトリ・ヘイミル・スヴェインソンはなにぶん録音された作品が少なく、どんな音楽とひとことで言うだけの自信がありません。ただ、この人もソルケトルやレイヴル・ソウラリンソンのように、ありとあらゆるスタイルや技法を取り入れたいという好奇心の持ち主のように見受けました。1976年のNOMUS (北欧音楽委員会) 賞を受賞したフルート協奏曲 (1973) は、まるで“パーカッション協奏曲”かと錯覚させるような出だしから、極めてダイナミックで、変化に富んだ音楽が展開していきます。あまりに面白いので、これでいいのかなとさえ思ってしまいます(この作品、大好きな音楽です)。この“ポートレート”アルバム (ITM7-06) の他の2曲 − 《探検 (Könnun/Exploration)》(1971) (ヴィオラ協奏曲)と《ユビリウス II (Julibilius II)》(1986) (トロンボーン、管楽器、打楽器とテープのための)− も、時に“前衛”?と思わせもしますが、聴きかえすたびに新しい発見をする作品です。ITM からリリースされているリサイタルCDでチェロ (ITM8-04) とフルート (ITM8-06) の曲 − いずれも“おとなしい”作品です − あるいは合唱曲 (ITM6-01) も聴くことができますが、次はどんな音楽が飛び出してくるのか、初めて聞くアトリ・ヘイミルの音楽にはびっくり箱を前にするのと同じ楽しみがあります。

 ヨウルン・ヴィーザルは歌曲集 (Smekkleysa SMK8) がリリースされているので、まだいいとしても、ハブリジ・ハトルグリームソンとヨウン・ソウラリンソンは録音に関してはまったく不遇です。それでもハブリジ・ハトルグリームソンのほうは、アイスランド管弦楽作品集 (ITM6-02) でヴァイオリンと弦楽のための《ポエミ (Poemi)》を聴くことができます。旧約聖書の3つのエピソードを題材にしたマルク・シャガールの絵を思い描きながら作曲したという、音色やリズムが自在に変化する、面白くて美しい作品です。この曲も、アトリ・ヘイミルの協奏曲と同様、NOMUS賞 (1986) を受賞しました。そのためか、ノルウェーのヴァイオリニスト、テリエ・トネセン Terje Tønnesen もこの曲を録音しています (Victoria VCD19014)。でも、せめて“ポートレート”アルバムの1枚くらいはほしいところです。

 ヨウン・ソウラリンソンはもともと寡作の作曲家ですが、それにしても録音が少なすぎます。アイスランドの民謡を集めたハムラクリーズ合唱団のディスク (ITM8-05) で編曲の巧みさの片鱗を知ることができる程度です。余談ですが、このアルバムは、民謡集ではあっても、ソルケトルを初めとするアイスランドの作曲家たちによる編曲が歌われているので、決して“素朴”ということだけで片づけられるアルバムではありません。それぞれの作曲家たちが、いわば彼らの原点と対峙する気持で編曲に取り組んだのではないかと思えるくらい、しっかりした編曲がおこなわれています。聴きごたえ充分です。

 この世代につづく、第3世代とでも呼ぶべき作曲家たちは、更に大胆な、違った意味でとても面白い音楽を聴かせてくれます。ヨウナス・トウマソン Jónas Tómasson (b.1946)、カロウリーナ・エイリークスドウッティル Karólína Eiríksdóttir (b.1951)、アウスケトル・マウッソン Áskell Másson (b1953)、フロウズマル・インギ・シーグルビョルンソン Hróðmar Ingi Sigurbjörnsson (b.1958)、ミスト・ソルケルスドウッティル Mist Þorkelsdóttir (b.1960) − ソルケトル・シーグルビョルンソンの子 − ヒルマル・ソウルザルソン Hilmar Þórðarson (b.1960)、ヘイクル・トウマソン Haukur Tómasson (b.1960) − ヨウナスの弟 − アトリ・インゴウフヴソン Atli Ingólfsson (b.1962) ら、それこそ数え切れない数の作曲家たちが現代アイスランドでは活躍しています。

 この中ではヨウナスとカロウリーナのふたりが、国際的にも知名度が高いように思います。彼らの場合、“ポートレート”はもちろん − ヨウナス・トウマソン (ITM7-08)、カロウリーナ・エイリークスドウッティル (ITM7-01) − すでにかなりの数のディスクがリリースされています。最近も Smekkleysa から器楽曲や歌曲を収録したカロウリーナのCD (SMK13) が発表されたばかりです。打楽器奏者でもあるアウスケトル・マウッソンも、現代のアイスランド音楽に欠かせないユニークな存在です (Smekkleysa SMK14)。打楽器とチェロとギターと少女合唱!こんな組み合わせの曲を作る人も、そう多くはないでしょう。

 この世代の作曲家たちに初めて触れるために最適のディスクがあります。“連句 − アイスランドと日本のための音楽”と題された、イーミル・アンサンブル Ýmir EnsembleCD (ITM8-03) です。このアルバムには、山口県徳山市の“Mirkk Art Forum (マーク・アート・フォーラム)”の主宰者、中嶋康雄 (なかじま・みちお) 氏による5人のアイスランド作曲家への委嘱作品が収録されています。現代音楽、とりわけ北欧の今日の音楽に対する並はずれた理解者で、このアルバムの作品の他にも北欧の作曲家たちへの数点の委嘱作品があります(昨年のラハティ交響楽団の徳山公演が実現したのは、中嶋氏の尽力のおかげです)。

 このCDの5人の作曲家のなかでヒルマル・ソウルザルソンだけは実際に日本を訪問したことがあります。《新宿駅》を含む《日本の3つの場所》は、その時の印象に基づく作品です。作品によってヴァイオリン、チェロ、クラリネット、トランペット、打楽器、ピアノという楽器の組み合わせがいろいろと変わり、現代のアイスランドの音楽の素晴らしさがストレートに楽しめます。6人の奏者全員で演奏するヨウナス・トウマソンのソナタ第21番など、聴けば聴くほど楽しくなってくる音楽です。ヨウナスには《キリストの栄光 (Dýrð Krists)》という、オルガンのための作品を集めた崇高な輝きをもったディスクもあります (Tónlistarfélag Ísafjarðar TÍ 97-1)。アイスランドの最北端の町のひとつ、イーサフィヨルズルで教育者として地味な生活を送りながら作曲活動をつづけるヨウナスは、間違いなくもっとも注目すべき作曲家のひとりでしょう。

 この他にも名前を挙げなかった現代アイスランドの作曲家たちが、数多く活躍しています。その中には ITM から“ポートレート”がリリースされている人もいて、同時代の音楽として今後も彼らの作品がいっそう広く紹介されていくことを強く期待しないではいられません。

(TT)

ITM ITM8-03 連句 (Renku) − アイスランドと日本のための音楽
ヨウナス・トウマソン (1946-) ソナタ第21(1992)
アウスケトル・マウッソン (1953-) 雪 (Snjór) (1992)
アトリ・インゴウルソン (1962-) むすび (Musubi) (1992)
カロウリーナ・エイリークスドウッティル (1951-) 連句 (Renku) (1992)
ヒルマル・ソウルザルソン (1960-)
 日本の3つの場所 (Three Places in Japan) (1992)
  大仏殿の仁王像 (The Guards of the Great Buddha) 新宿駅 (Shinjuku Station)
  禅寺の庭 (The Zen Garden)
  イーミル・アンサンブル
   エイズル・ハフステインスドウッティル (ヴァイオリン)
   ブリンディス・ハトラ・ギルファドウッティル (チェロ) エイナル・ヨウハネソン (クラリネット)
   エイナル・サンクト・ヨウンソン (トランペット) マールテン・ファン・デル・ヴァルク (打楽器)
   オットルン・マグヌーソン (ピアノ)

ITM ITM6-01 岩への祈り − 合唱のための作品集
ヨウン・ノルダル (1926-)  わたしの周りにあるもの (Umhverfi)
 ありがたい忠告 (Heilræðavísa) 岩への祈り (Kveðið í bjargi)
 美しい小さな友だち (Smávinir fagrir)
ヨウン・レイフス (1899-1968) 哀歌 (愛娘に捧げるレクイエム) (Requiem)
ソルケトル・シーグルビョルンソン (1938-) トロルの踊り (Tröllaslagur)
 春の声がきこえる (Vorið það dunar)
 聞いてください、天の創り主よ (Heyr, himnasmiður) 退出賛美歌 (Recessional)
ヒャウルマル・ヘルギ・ラグナルソン (1952-) 四月の夜の歌 (Kvöldvísur um Sumarmál) (1984)
アトリ・ヘイミル・スヴェインソン (1938-)  ありがたい忠告 (Heilræði)
 マドリガレット (Madrigaletto)
  暗い炎のように (Wie dunkle Flammen) 冷たい泉のそばで (Am kühlen Brunn)
 秋の情景 (Haustmyndir)
  ハムラクリーズ合唱団 ソルゲルズル・インゴウルスドウッティル (指揮)

参考ディスク

Chandos CHAN9180 アイスランド管弦楽作品集
パウトル・イーソウルソン (1893-1974) 祝祭行進曲 祝祭序曲
アウルニ・ビョルンソン (1905-1995) ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス 作品6
 ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス 作品14
ヨウン・レイフス (1899-1968) 《ガルドラ=ロヴトゥル》組曲 − 序曲 作品10 葬送音楽 作品6
カール・オット・ルーノウルソン (1900-1970) 組曲《十字路で》
  シグルーン・エズヴァルズドウッティル (ヴァイオリン)
  アイスランド交響楽団 ペトリ・サカリ (指揮)

 

アイスランド人の名前について

 大束省三氏の著書「北欧音楽入門」が出版されてから、アイスランドの人たちの名前について尋ねられることが増えてきたので、ちょっと調べてみたところ、興味深いことがあるのがわかってきました。

 アイスランドの人たちには、一般的な意味での “姓” はありません。たとえば、レイヴル・ソウラリンソン Leifur ÞórarinssonÞórarinsson は“ソウラリンの息子”を示すだけで、姓ではありません。そのため、彼に息子がいて Jón という“名”だとすれば、その息子は Jón Leifsson と呼ばれることになります。Karólína という娘だとすると、Karólína Leifsdóttir です("dóttir" は英語の "daughter" に相当します)。実際に、ソルケトル・シーグルビョルンソン Þorkell Sigurbjörnsson の娘の名前がミスト・ソルケルスドウッティル Mist Þorkelsdóttir だということは、先に言ったとおりです。そのことからアイスランド人の“姓”が -son となっていれば、その人は男性、-dóttir だと女性ということがわかります。

 一般的には父親の名を使うようですが、まれに母親の名を引き継ぐケースもあるようです。作曲家のヘルギ・ヘルガソン Helgi Helgason (1848-1922) の場合がそれにあたるのかと思っていたら、これは父親の名 Helgi が語尾変化して Helgason になったもの。もし母親が Helga で、その名を受けるとしたら Helguson となるということです。

 スウェーデン人の姓、たとえば Andersson (アンデション) も、もとは “アンデシュの息子” から始まったのでしょうが、いつのころからか、それがいわゆる姓として固定してしまったのだと思われます。 デンマークやノルウェーの Andersen も同じでしょう。

 アイスランドでも、-son-dóttir のついていない名前に出会うことがあります。たとえば、フルート奏者のマヌエラ・ヴィースラー Manuela Wiesler は、オーストリア国籍の時の名前をそのまま使っています。市民権をとりながら、名前だけは前のまま。外国生まれの人たちの場合は、だいたいがそのようです。では、ヨウン・レイフス Jón Leifs は? ヨウン・レイフスも、もとは Jón Þórleifsson (ソウルレイフソン)
でした。ドイツへ留学する際、海外の人たちが発音しやすいようにいうことから名前を変え、それ以後アイスランドの公式の資料もすべて Jón Leifs となっているということです。

 問題は、人名リストなどで名前をアルファベット順に並べる際にはどうすればいいのかということです。アイスランドではファーストネームの順に並べるということですが、国外ではこれをどう扱うかについての決まった方法はありません。イギリスのカタログでは、姓とみなして、Leifur Þórarinsson であれば Thórarinsson, Leifur として Th のところに掲載されています (アイスランド文字の ÞTh)。ところが BIS のカタログを見ると、こちらでは Jón LeifsJ のところにあります。

 「北欧音楽入門」のリストでは、いろいろ検討した結果、便宜上“姓”と考えて、イギリスのカタログにならうことにしました。現実には姓と考えられるだろうと判断した結果です。でも、大束省三さんの文中では、“シーグルビョルンソン”は“ソルケトル”となっています。個人的に親しい間柄かどうかは別として、アイスランドの慣習を尊重したためです。

 アイスランドにも Mr. などに相当する語はあります − Herra (Mr.)Frú (Mrs.)Ungfrú (Miss) − が、公式の場合とか伝統に基づく儀式の場でしか使われることはなく、人を紹介する場合でさえファーストネームで紹介するのが日常的だということです(「先生!」と呼ばれないと不愉快に思う人たちは面白くないでしょうが、かなり風通しはよさそうです)。実際、面識のないアイスランドの人から初めて受け取る手紙や電子メールでも、 "Dear" のあとにはファーストネームとファミリーネームしか書いてないことが多々あります (普通は "Mr." をつけますよね)。日本人の名前のどちらが姓でどちらが名かわからないということもあるかもしれませんが、日常の習慣が無意識に出てくるということもあるでしょう (こういうのって、大好きです!)。

 アイスランドに電子メールを送ったり、電話をかける時には、わたしも相手にあわせて “Haukur (ヘイクル)” とか “Helga (ヘルガ)” とかファーストネームを使うことをこころがけます。他の北欧の国々の人たちとも親しくなるとファーストネームで呼び合うようになりますが、アイスランドの場合だけは、やはり何か特別です。今回もアイスランドの作曲家の名前は意識的にファーストネームを使うようにしました(くれぐれも「キザなヤツだ」などと思わないでください)。

 日本では、アイスランドどころかその他の欧米諸国の習慣とも違い、最近は変わったかもしれませんが、親しい友人同士でさえ「小林ィー」とか呼び合うことが普通ではないかと思います (余計なお世話でしょうが、オフィスを舞台にしたテレビドラマで「おさむー!」とか「玲子ォ!」とか呼び合っているのはウソ、というか何か変です)。そんなところにアイスランドの人が来たら、きっととまどうことでしょうね。

 文化の違いというのは、ほんとうに面白いものです。単なる名前の問題をこえて、その背景にあるいろいろなものを考えてしまうからです。どうでもいいことかも知れませんが、こだわると、遠くはなれた火山と氷河の国の人たちに対する興味がますます深まっていくような気がします。

(TT)

デンマーク語で歌うディーリアス

 イギリスの作曲家フレデリック・ディーリアス Frederick Delius (1862-1934) が、北欧とりわけノルウェーとデンマークと関係が深いことはよく知られています。毛織物の会社を経営していた父親の代理で1881年にスウェーデンの工業都市ノールショーピングを訪れ、その一年後に再びスウェーデンに渡ります。このとき足をのばしたノルウェーの美しい自然にすっかり魅せられてしまい、ディーリアスと北欧の関係がますます深まっていったと伝えられています。

 1887年夏にノルウェーに赴いたときには、ディーリアスはすでに音楽家の道に進むことを決心していました。秋からはライプツィヒの音楽院へ入学という、その夏、ディーリアスはノルウェーのフィヨルドと山地を旅してまわり、その折々にこの国の言葉と習慣を少しずつ身につけていきました。そのおかげでライプツィヒ音楽院では同級のノルウェーの留学生たちと親しくなり、そのなかにはクリスチャン・シンディング Christian Sinding (1856-1841) やヨハン・ハルヴォシェン Johan Halvorsen (1864-1935) の名前もあります。そのシンディングから紹介されたのが、ライプツィヒに到着したばかりのエドヴァルド・グリーグ Edvard Grieg (1843-1907) と妻のニーナ・グリーグ Nina Grieg (1845-1935) で、彼らとの友情はエドヴァルドが亡くなるまで続いたといわれます。

 ディーリアスが最初にデンマークに渡ったのは、記録によれば1891年で、コペンハーゲンにも立ち寄り、作家のヘルゲ・ローゼ Helge Rode (1870-1937) に会っています。その後も数回にわたってデンマークを訪れ、ローゼに会うとともに、楽譜出版業の ヴィルヘルム・ハンセン Wilhelm Hansen に作品の売り込みをはかっています。

 そのデンマークで、1998年の六月に“ディーリアスとデンマークの友人たち”という3日間の音楽祭が開催されました。場所はオーフス Aarhus から70キロ離れたところにある、ディーリアスゆかりのパルスゴー城 Palsgaard Slot です。ディーリアスは妻のイェルカ Jelka とともに数週間にわたってこの屋敷に滞在したことがあり、彼が弾いたピアノが現在も残っているそうです。音楽祭の初日のコンサートはオーフスで行われ、合唱指揮者としても高名なボー・ホルテン Bo Holten (1948-) 指揮オーフス交響楽団により、ディーリアスの作品を中心としたプログラムが演奏されました。

 特にこの音楽祭では、ディーリアスがデンマークの詩人や作家の詩を基に作った曲が、英語やドイツ語の訳詞ではなく、オリジナルのデンマーク語で歌われたことも好評でした。ディーリアスは、先に触れたローゼのほか、ハンス・クリスチャン・アナセン(アンデルセン) Hans Christian Andersen (1805-1875)、ホルガー・ドラクマン Holger Drachman (1846-1908)、ルーズヴィ・ホルステン Ludvig Holstein (1864-1943)、そしてイェンス・ペーター・ヤコブセン Jens Peter Jacobsen (1847-1885) の詩による歌曲を書いています。しかし、ディーリアスがテクストとしたのは、いずれもオリジナルのデンマーク語の詩ではなく、それを英語や(彼の両親と妻の母国語) ドイツ語に訳したものでした(ニーナ・グリーグに献呈した《ノルウェーの7つの歌》では、イプセンやヴィニエのノルウェー語の詩をそのままテクストにしているのに、どうしてでしょうか)。

 この音楽祭でとりあげられた曲を中心に、ディーリアスがデンマークの詩人や作家の詩を基にした歌曲と、彼らの作品を題材にした管弦楽曲を集めたのが Danacord から新たにリリースされたディスクです。歌曲はすべて管弦楽伴奏によっており、ディーリアス自身の編曲がないものは、指揮者のボー・ホルテンがオーケストレーションを担当しています。ディーリアスの音楽や管弦楽法を充分に知ったうえでの作業だと思います。ちなみに、ホルテンがオーケストレーションしたニルセンのオルガン曲《コンモティオ (Commotio)》の初演が8月にオーゼンセで行われるということです。

 アルバムの最初は、牧神パンを歌った《アラベスク (En Arabesk/An Arabesque)》です。通常はイェンス・ペーター・ヤコブセンの詩をもとにフィリップ・ヘゼルタイン Philip Heseltine が英語で書いた歌詞で歌われますが、この録音ではヤコブセンの詩をそのまま歌っています。最初ディーリアスは妻のイェルカのドイツ語訳をテクストにして作曲し、1915年に手を加えるにあたってヘゼルタインに依頼して書かせた訳詩を使い、それを最終稿としました。晩年、視力を失い身体も不自由になったディーリアスの口述筆記を手伝ったエリック・フェンビー Eric Fenby (1909-1997) はこの曲を“力強い音楽”と呼び、声と管弦楽の展開の巧みさと洗練された表現を讃えています。その一方で、この英訳の歌詞については「あちらこちらで飾りたてが過ぎるのではないか」と指摘。フェンビーがデンマーク語を理解したかどうかはわかりませんが、詩人であると同時に植物学者でもあったヤコブセン (ダーウィンの「種の起源」のデンマーク語への翻訳という仕事もしています) のことをフェンビーは“countryman (田舎の人)”と呼んでおり、ヘゼルタインの英訳には違和感を覚えたのかもしれません。録音は今回が初めてのはずです。

 この曲の新しい録音への興味はなんといっても、そのヤコブセンのデンマーク語の詩がテクストに使われることで音楽がどう変わるかということでしょう。トマス・アレン Thomas Allen がフェンビー指揮のロイヤル・フィルハーモニックと共演した英語版による録音 (Unicorn-Kanchana DKP(CD)9063) と、ヨハン・ロイターがデンマーク語で歌った新録音を聞き比べると、詩の言葉の響きと流れなどが変わることで、たしかに同じ旋律でもかなり違って聞えることがわかります。

 たとえば、2行目の "Knowst thou Pan?" (パンを知っているか?) は、ヤコブセンの詩では "Kender du Pan?" です。たったこれだけの短いフレーズも、デンマーク語で歌われただけで、音楽の雰囲気がかなり違ってきます。個人的な感覚の問題かもしれませんが、どうも "Kender" の柔らかい子音 "d" と、"Knowst""s""t" という硬い子音の違いが、響きの柔らかさの違いとなっているように思えてなりません。全体を通じて、デンマーク語と英語の響きの違いが、ディーリアスの音楽そのものの響きにかなりの影響を与えているようです。この "Kender du Pan?" は曲の最後にもう一度出てきます。"Pan" の母音 "a" の発音 − 響き − がデンマーク語と英語でどう違って聞こえ、それが音楽の印象をどれだけ変えるものか、ぜひ自分の耳で試してもらいたいと思います。

 もうひとつ面白かったのは、最後近くの“ひとつ、またひとつ、ひとつ、またひとつ、血のように赤い苺を落としながら”というくだりです。英語では "One after another, One after another" となっているところが、ヤコブセンの詩では "Et for et, Et for et" です。明らかに長さが違います。そのため、 "One after another" と英語では一回しか歌わないところが
、デンマーク語では "Et for et, et for et" とくりかえして歌われます。そのためデンマーク語の場合、“ひとつ、またひとつ”という感じが強調され、それが音楽に面白いリズムをもたらしているように感じました。

 ただ、ロイターが歌うデンマーク語の歌詞について、一カ所だけデンマークの友人から指摘されたことがあります。彼によると、曲の終わりで "Kender du Pan?" と歌われる前の最後の一節が、ヤコブセンの原詩のとおりに歌われていない。たしかにそのとおりです。複雑になって申し訳ありませんが、デンマーク人にとっては大事なことなので、ちょっと耳を貸してください。

 まず原詩です − Drypper den de blodrøde Bær/Ned i den hvide Sne/De glødende Bær/I den kolde Sne。英訳すると、"Shedding the blood-red berries/Down in the white snow/the glowing red berries/in the cold snow." (血のように赤い苺を落としながら/白い雪のなかで/輝く赤い苺を/冷たい雪のなかで)となります(ブックレットに掲載されているヘゼルタインの歌詞とはちょっと違います)。

 問題は、最後の "I den kolde Sne""kolde" (cold) (冷たい) を、ロイターが "hvide" (white) (白い) と歌っていることです。つまり2つ前の節 "Ned i den hvide Sne""hvide" をくりかえしていることになります。ここでは "blodrøde" に対して "hvide"、そして "glødende" に対して "kolde" という絶妙な対比があり、"kolde" のかわりに "hvide" と歌われることで、せっかく詩人が計算して選んだ言葉の使い方が最後の最後で台無しになったというのが、友人の考えです。ヤコブセンの「アラベスク」を“不滅の詩”と考えているだけに、がっかりした友人に同情します。

 なぜこういうことが起きたのかは、よくはわかりません。今回の録音は、ドイツ語と英語の歌詞が印刷された出版譜ではなく、ディーリアスの手稿譜を使って行われたということです。友人の推測では、デンマーク人歌手ロイターがこんな大事なところを歌い違えるわけがなく、ディーリアスが手稿譜に誤って "hvide" と書いてしまったのではないかということです。こうなると手稿譜を見てみたいものです。ついでながら、ヘゼルタインの“歌詞”では問題の箇所はこうなっています − Shedding its blodd-reddened berries/In the white, cold snow/Its glowing red berries/in the cold, white snow。原詩の "hvide""white, cold" に、"kolde""cold, white" となったのは、旋律にあてはめるためには仕方なかったのかもしれません。 "white, white""cold, cold" とすることもできたかもしれませんが、それではあまりに感傷的になるような気がします。原詩の優雅さは失われていないことだし、ヘゼルタインとしてば最善の仕事をしたというのがデンマークの友人の意見です。

 《アラベスク》についてオシャベリがすぎました。でも、友人を“がっかり”させたところもあるこの演奏、そうは言ってもほんとに素敵です。

 比較の材料は少なかったものの、そのほかの歌曲でも、デンマーク語ならではの面白さが感じられました。ディーリアスの歌曲では、詩の抑揚と旋律にグリーグの歌曲の場合ほど密接な関係が感じられないせいか、グリーグの "Jeg elsker dig(君を愛す)""Ich liebe dich" とドイツ語で歌われた時のように“気が滅入る”ということはありませんでした。それぞれに素晴らしい歌として楽しめます。

 1897年の歌曲集《7つのデンマークの歌)》には、北欧の作曲家たちが曲を書いたヤコブセンの詩も含まれています。《イルメリンのバラ (Irmelin Rose)》 はカール・ニルセン Carl Nielsen (1865-1931) とスウェーデンのヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル Wilhelm Peterson-Berger (1867-1942) が歌曲を書いており、《スルタンの宮殿の庭で (I Seraillets Have/In the Seraglio Garden)》 はニルセンの歌曲とこれもスウェーデンのヴィルヘルム・ステーンハンマル Wilhelm Stenhammar (1871-1927) による合唱曲(《3つの合唱曲》第2曲)があります。ニルセンは《長年かかって (Det bødes der for/Through long, long years)》による歌曲も書いています。これらを聴き比べるのも、それぞれの作曲家の感じ方の違いが味わえて楽しめます。

 このディスクには歌をともなわない作品も2曲ほど収められています。オペラ《フェニモアとゲルダ (Fennimore and Gerda)》 の間奏曲と交響詩《生の踊り (Lebenstanz/Life's Dance)》です。オペラは題材をヤコブセンの小説からとっており、交響詩のほうはヘルゲ・ローゼの戯曲から着想を得ているので、いずれもデンマークとは深い関係にあります。《生の踊り》は、なんだかR・シュトラウス風の変わった、面白い音楽ですね。余談ですが、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンク Edvard Munch (ローゼと同時代人です) にも「生の踊り」という作品があります。1898年 にデッサンを書き、1899年に完成したということです。ローゼの戯曲が出版されたのが1898年なので、あるいは関連があるのかもしれません。こんど調べてみようと思います。ちなみにディーリアスの初稿が書かれたのは1899年です。

 ボー・ホルテンが管弦楽を指揮するのを聴くのは初めてなので、大丈夫かなという心配はありました。でも、最初の《アラベスク》の最初の音楽を聞いただけで、もう安心です。アルス・ノーヴァなどの合唱団を指揮する時と同じく、細部まで注意を払いながら音楽をよどみなく運んでいきます。エリック・フェンビーが《アラベスク》で聞かせる、むせかえるような情熱の高まりや、木管楽器の際立たせ方の巧みさこそありません。でも、同じ《アラベスク》では、弦楽器のフレーズを無理にふくらませたりしないぶん、音楽が繊細に、すがすがしく響きます。これには透明度の高い録音も、かなり寄与しているのではないかと思います。個人的にはもう少し音場に奥行きがほしいところですが、でも、これで充分です。

 注目したいのは《フェニモアとゲルダ》 間奏曲です。エリック・フェンビーが編曲したこの作品は、代表的なものだけでもサー・トマス・ビーチャム Sir Thomas Beecham、リチャード・ヒコックス Richard Hickox、ヴァーノン・ハンドリー Vernon Handley、エリック・フェンビーなど、おそらくイギリスの指揮者の数だけ録音があると考えてもいい、美しい曲です。ボー・ホルテンとオーフス交響楽団による演奏は、フルート、オーボエと弦が奏でるオープニングの瑞々しい音楽など、いかにもデンマークのオーケストラらしい明るい響きの音楽を聞かせてくれます。《生の踊り》では、クライマックスのホルンが、このオーケストラがエドヴァルド・セロフ Edvard Serov (b.1937) の指揮で録音したカール・ニルセン の序曲《ヘリオス (Helios)》 の圧倒的なホルンのアンサンブルを思い出させます。

 《アラベスク》のデンマーク国立オペラ合唱団とオーフス室内合唱団による合唱が素晴らしいことは、言うまでもないでしょう。フェンビーの録音のアンブロージアン・シンガーズ Ambrosian Singers も、かつてはいいと思っていましたが、ここ十数年の間に世界の合唱の水準は相当高くなりました。

 ソプラノのヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン Henriette Bonde-Hansen (1963-) は、やや太目の声ながら瑞々しさも備えています。ヴィブラートをさらに控え目にしたほうがいいかなと思われるところもありますが、寄り添うように伴奏するオーケストラと一緒になって音楽を高揚させる場面など、自然な感情のたかまりが表現されて見事です(作り笑いをしながら、ヴィブラートしか聞えない歌を歌うスタイルが常識になっているのとは違う次元の音楽ですね)。ボンデ=ハンセンは、オペラ《デンマーク人ホルガ (Holger Danske)》 (1789) で風の精の女王ティタニアの役を歌っていました (dacapo 8.224036/37)。ドイツ出身のデンマークの作曲家、フリズリク・ルーズヴィーグ・エミリウス・クンツェン Friedrich Ludwig Aemilius Kunzen (1761-1817) と、台本を書いたデンマーク人作家イェンス・バッゲセン Jens Baggesen (1764-1826) の共同作業による、妖精の王オベロンも登場するおとぎ話的なオペラです。第3幕冒頭のアリアを歌うボンデ=ハンセンが印象に残っています。

 バリトンのヨハン・ロイター Johan Reuter (1969-) も魅力たっぷりの歌い方です。ロイターも《デンマーク人ホルガ》の演奏に参加してバビロンのスルタンの役を歌っていますが、出番はほんのわずかです。ほかにもカール・ニルセンのオペラ《仮面舞踏会 (Maskarade)》 (ウルフ・シルマー指揮、Decca 460 227-2DHO2) の夜警の役を歌った録音がありますが、本格的なソロを聴くのは今回が初めてです。このディスクでは、《アラベスク》、《すみれ (Viol/TheVioet)》、《グアの夏) (Sommer i Gurre/Summer Landscape)》、《サクンタラ (Sakuntala)》 の4曲を歌っています。フレーズの最後で音程がやや不安定になるところもありますが、声が美しいことと若々しい歌いぶりに爽やかさが感じられて、ほんとうに素敵です。もっともっと、じっくりとソロで聴いてみたい歌手です。

 一般的に北欧音楽のファンは、ディーリアスの音楽も好きだといいます。ディーリアスのファンが「ディーリアスが好きです」などと言わないように、わたしたちもあまり「北欧音楽が好きです」とは言いません。言うとしても、ほんの小声です。この共通点、何でしょうね。

(TT)

Danacord DACOCD536 フレデリック・ディーリアス (1962-1934) デンマーク名作集
 アラベスク (En Arabesk) (1911) (バリトン、合唱と管弦楽のための)
 5つのデンマークの歌 (ボー・ホルテン オーケストレーション)
  小姓は高い塔の上で (Pagen højt paa Taarnet sad)
  ぼくらは笑いながら歩いた (Vi lo jo før saa længe)
  茶色のふたつの瞳 (To brune Øjne) 夜、聞こえてくる (Jeg hører i Natten)
  父さん、白鳥はどこへ飛んでいくの (Far, hvor flyver Svanerne hen) 
 7つのデンマークの歌 (1897)
  絹靴は金の型から (Silkesko over gylden læst)
  イルメリンのばら (Irmelin Rose) 白夜 (夏の夜) (Lyse Nætter)
  スルタンの宮殿の庭で (I Seraillets Have)
  ワイン色のばら「グラスを高く掲げ」 (Wine Roses "Løft de klingre Glaspokaler")
  報いはある (Det bødes der for) さあ春よおいで (Lad vaaren komme)
 オペラ《フェニモアとゲルダ (Fennimore and Gerda)》 − 間奏曲 (エリック・フェンビー 編曲)
 2つのデンマークの歌
  すみれ (Viol) (1900) グアの夏 (Sommer i Gurre) (1902-03)
 サクンタラ (Sakuntala) (1889)
 交響詩《生の踊り (Lebenstanz)(1898 rev.1901/11)
  ヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン (ソプラノ) ヨハン・ロイター (バリトン) デンマーク国立オペラ合唱団
  オーフス室内合唱団 オーフス交響楽団 ボー・ホルテン (指揮)

 

“音色の魔術師” − スウェーデンのパーカッション奏者、ユニー・アクセルソン

 
 スウェーデンから最近送られてきたCDの中でもっとも興味をひかれた1枚が、Phono Suecia"Con Forza" シリーズの最新作 "Percussione Con Forza" (PSCD126) です。

 このシリーズの主な目的は、いろいろな楽器のために書かれた現代スウェーデンの作品と、それぞれの楽器の演奏家として注目を集めている若手アーティストの両方を紹介することにあります。これまでにもホルン、サクソフォーン、オルガン、ギター、ピアノなどのアルバムが製作され、優秀な作曲家や演奏家を輩出するスウェーデンの豊かな音楽土壌を紹介することに貢献してきました。

 パーカッションのための新作を紹介するために選ばれたアーティストはユニー・アクセルソン Jonny Axelsson。1963年生まれ、ヨーテボリ音楽大学で打楽器ソロと室内楽奏法を学びました。現在では、国際的にも “同時代の音楽” シーンには欠かせない演奏家のひとりに数えられ、ドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼン Karlheinz Stockhausen (b.1928) とも親交があります。奥行きと豊かな次元をもつ解釈については各国の批評家たちの間でも定評があり、国際音楽祭を中心に、19カ国で300回のソロ演奏をした実績をあげています。イギリスの BBC、ドイツの WDR、フィンランドの YLE、スウェーデンの SR など、各国放送局もアクセルソンのソロ演奏をフィーチャーした番組を数多く制作してきました。

 他の楽器の演奏家とのアンサンブル活動も精力的に行い、アメリカのフルート奏者カミラ・ホイテンガ Camilla Hoitenga や、スウェーデンのトロンボーン奏者 − 兼作曲家 − イーヴォ・ニルソン Ivo Nilsson (b.1966) とは長年にわたりデュオ活動をつづけています。1997年にリリースされた“アクセルソン&ニルソン・デュオ (Axelsson & Nilsson Duo)”という dB ProductionsCD (7 393787 97029 5) には作曲の段階から参加した曲が集められ、打楽器とトロンボーンという面白い組み合わせの音楽の世界が楽しめます。作曲家も含めた“ワークショップ”という考え方を大切にしているためか、作品の中に音楽の即興性がうまく活かされています。なかでもイスラエル出身のスウェーデンの作曲家ドロール・ファイラー Dror Feiler (b.1951) の《Even the blood must sleep... (血液だって眠らなければ…)》(1990) は、面白い曲です。最初はふたりの奏者が気まぐれに音を出しているだけのように聞えるかもしれませんが、しだいに音楽の形が見えてきます。“音楽に旋律と和声は不可欠”という考え方と相容れない音楽であることは確かですが、“苦労した割には報われない”といった種類の音楽ではないので、念のため。なんだかわからないけど爽快な、そんな感じでしょうか(でも、このCD、イヤがる人も多いだろうな!)

 アクセルソンのソロの新しいアルバムに集められた音楽も、たとえばモーツァルトのディヴェルティメントを好きな人たちからは敬遠されてしまうに違いない作品ばかりです。でも、静かな夜、同時代の音楽を好きな人が、このディスクを − 近所迷惑にならない音量で − 聴けば、きっと気に入ってもらえるのではないかと思います。シュトックハウゼン・アンサンブルの活動を通じてアクセルソンのために曲を提供するようになった、ケルン音楽院の作曲法教授ヨハネス・フリッチュ Johannes Fritsch は、「アクセルソンが自分が演奏するために選んだ作品は、これからも生き残っていく数少ない作品だろう」と語っています。

 フリッチュはアクセルソンの桁外れに高度な演奏テクニックとともに、彼のパーカッション演奏が生み出す音楽の豊かさを称えています。音のダイナミックスや和声だけでなく、それぞれの楽器の “音色” を音楽に活かすことができる非凡さ、それがアクセルソンの演奏の最大の特色だというのがフリッチュの指摘する点です。このディスクでも実に多様な楽器が使われています − 小太鼓、大太鼓、シンバル、マリンバ、ヴィブラフォーン、タム=タム、チャイム、すでにあたりまえの “打楽器” になった木板や金属板など。アクセルソンは、これらの楽器から大胆な響きや繊細なニュアンスの音色を引き出すことで、打楽器演奏を通じて聴き手に豊かな感情の流れを伝えてくれます。このディスクに収められた6つの作品がもたらすものが単なる快感だけでないのは、そのためではないでしょうか。フリッチュがアクセルソンのことを“音色の魔術師”と呼ぶのも、このことを重視してのことだと思います。

 演奏されている中で一番ユニークな楽器は、カーリン・レーンクヴィスト Karin Rehnqvist (b.1957) の《流れ (Strömmar)》(1992) で使われるバス・ツィンバロンです。ハンガリーのツィンバロンをモデルに、ドイツの作曲家で楽器製作もするフォルカー・シュタウプ Volker Staub と共同でアクセルソンが設計、製作した楽器です。当然ながら、この1台しか世界に存在しません。レーンクヴィストには《ティンパニーの歌−牛寄せの呼び声 (Puksånger-lockrop)》(1989) (BIS CD996) という評価の高い作品があります。牧場に響き渡る“牛寄せの呼び声”を歌唱法として純音楽に取りいれた − 最初は驚かされますが − 面白い曲です。彼女は“変わった”響きに特別な関心があるとみえ、アクセルソンのバス・ツィンバロンの音を初めて聴いた時に、すぐにこの曲が即興的に“流れ出し”、それを曲名にしたということです。

 アクセルソンの抜群のテクニックがなければ演奏できなかっただろうと思われるのが、ケント・オーロフソン Kent Olofsson (b.1962) の《バーカッション・ソロのためのトレッチャ《ミノタウロスの迷宮》(Treccia for percussion solo/Minotaur Labyrinth) です。作曲者のオーロフソンは − "Treccia" というタイトルの "tre" の部分が "3" を意味することから想像されるとおり − 構成の基礎を "3" におきました。そのため、楽器だけをとっても、金属、木、ドラム という3つの楽器群のそれぞれに高音、中音、低音の3つの音域を担当する楽器が配されています。特に演奏者にもっとも過酷な要求をするのが、3の倍数 − 3, 6, 9 − のリズム・プロセスです。このリズム・パターンが同時進行するので、よほど鋭いリズム感覚がなければ音楽が混乱してしまうに違いありません。聴き手の側にしても最初はとまどってしまうようなリズム進行ですが、アクセルソンがあまりに巧みに演奏しているので、聴けば聴くほど面白くなっていきます。

 残りの4曲もそれぞれに工夫があり、各作曲者もそのことを “説明” していますが、それを知らなくても充分に興味をもって聴ける作品ばかりです。くどいようですが、“苦労した割には報われない” という演奏者泣かせ − そして聴き手泣かせ − の作品はひとつもありません。打楽器だけによる変化に富んだ音楽を安心して楽しめるディスクです。当然のことながら、鮮やかでありながらも耳障りでない録音の見事さも預かっての結果だと思います。

 このCDのあと、ユニー・アクセルソンはシュトックハウゼンの音楽も録音し、そのディスクも新譜として Caprice からリリースされました。このディスクにはシュトクハウゼンの4つの作品が収められ、アクセルソンは《ツィクルス (Zyklus)》と《コンタクテ (Kontakte)》の2曲を演奏しています。ピアノ、打楽器と4トラックのテープのために書かれた後者の曲のピアノパートは、同じスウェーデンの若手フレードリク・ウッレーン Fredrik Ullén (b.1968) が担当しています。ピアノソロのための2つの《ピアノ曲 (Klavierstück)》を弾いているのもウッレーンです。

 このCDを聴いてまず感じたのは、シュトックハウゼンの作品がこんなに “楽しい” 音楽だったのかということです。

 “最初にして最後”に《コンタクテ》を耳にしたのがいつだったのか、ちょっと思い出せませんが、少なくとも20年以上は前のことのはずです。誰が演奏し、どこのレコード会社のLPだったのかはわすれましたが、やたらと退屈したことだけは覚えています。そういうわけで、それ以来シュトックハウゼンというだけで「バイバイ!」です(よくある話ではないでしょうか!)。このCDが届いたときも「聴こうかな、どうしようかな」という気持はありました。でも、ユニー・アクセルソンという名前に聞き覚えがあったので −“アクセルソン&ニルソン・デュオ” のため! − 自宅に持ち帰って “静かな夜” に聴いたという次第です。

 あれだけ毛嫌いしていたシュトックハウゼンの曲をどうしてこれほど面白く聴けたのでしょうか。おそらく、アメリカや北欧の“現代音楽”に親しんでいるうちに、こういう種類の音楽に慣れてしまったということが大きいのでしょう。現在の音楽に与えたシュトックハウゼンの影響は決して少なくはないはずなので、間接的に “シュトックハウゼン” を聴いていたということはありえます。それに、演奏する側にとっても、かつては “難しかった” 曲が、いまではごく普通の作品になってしまっているということもありそうです。また、このディスクの場合、アクセルソンとウッレーンのセンスの良さと録音の素晴らしさも、大事なポイントとして見逃すことはできないでしょう − プロデュースしているのは、数々の優秀録音の製作にたずさわってきた Caprice Records のチェル・セーデルクヴィスト Kjell Söderqvist です。

 もうひとつ興味深いのは、全4曲を通じて音の響きに透明感があることです。アクセルソンのパーカッションとウッレーンのピアノのいずれも、実にクールで明るい響きを聞かせます。北欧独特の感性が、このふたりの演奏にも表れていると言っても、必ずしもひいきめばかりではないように思います。彼らの演奏からは情感さえ漂ってきます。

 スウェーデンにはマッツ・ペーション Mats Persson (b.1943) という、現代作品を得意とするピアニスト − 兼作曲家 − がいます(スウェーデンの作曲家クロード・ロヨラ・アルゲーン Claude Loyola Allgén (1920-1990) の49分間休みなしに演奏する大曲《ピアノのための幻想曲》 (Alice ALCD020) で見事な解釈と演奏を聴くことができます)。フレードリク・ウッレーンも、技巧と感性の両面で彼に負けないものを持っているような気がします。アクセルソンともども、これからも興味をひく演奏を聞かせてくれることは間違いないでしょう。

 スウェーデンの作曲家ヒゥーゴ・アルヴェーン Hugo Alfvén (1872-1960) を国際的に有名にした作品に《夏至祭の夜明かし (Midsommarvaka)》(スウェーデン・ラプソディ第1番)という曲があります。夏至の日が入った六月の週の週末に各地で催され、北欧の人たちにとっては復活祭やクリスマスと同じくらい大事なお祭りです。スウェーデンでは、マイストング(メイポール)を立てて、そのまわりで歌を歌って踊りながら祝うのだとも教わりました。ユニー・アクセルソンは、今年の夏至祭の週末をシュトックハウゼンたちと一緒に過ごしたということです。最近になって、やっとスウェーデンでもシュトックハウゼンの音楽が演奏されるようになってきた背景には、こういった芸術家同士の交流もあるということでしょうね。

(TT)

Phono Suecia PSCD126 ペルクッショーネ・コン・フォルツァ − 現代スウェーデン・パーカッション作品集
アンデシュ・フルトクヴィスト (1955-)
 コンポジション (Composition)1番 《アルファベット (Alphabet)(1997-98)
アンデシュ・ブルムクヴィスト (1956-) Tass/A (動物の足/A) (1999)
ケント・オーロフソン (1962-)
 トレッチャ 《ミノタウロスの迷宮 (Minotaur Labyrinth)(1996-97/99)
カーリン・レーンクヴィスト (1957-)
 流れ (Strömmar) (1992) (バス・ツィンバロンのための)
クリステル・リンドヴァル (1950-) Clash (クラッシュ) (1992-93)
シェシュティン・イェプソン (1948-) プロメテウス (Prometheus) (1983)
  ユニー・アクセルソン (パーカッション)

Caprice CAP21642 カールハインツ・シュトックハウゼン (1928-)
 ツィクルス (Zyklus) (1959)
 ピアノ曲第5(Klavierstücke V) (1954)
 ピアノ曲第9
(Klavierstücke IX) (1961)
 コンタクテ (Kontakte) 1958-60) 
  ユニー・アクセルソン (打楽器)
  フレードリク・ウッレーン (ピアノ)

参考ディスク

dB Productions dBCD29 アクセルソン&ニルソン・デュオ
ケント・オーロフソン (1962-)
 トロンボーンと打楽器のためのモノディ《The Monolith Masque (モノリス・マスク)》 (1994)
カーリン・レーンクヴィスト (1957-) ドードラ、爆発するコラール (Dådra/en sprängd koral) (1992)
クリステル・リンドヴァル (1950-) セイレーン (Sirèn) (1990-91)
ドロール・ファイラー (1951-) Even the blood must sleep... (血液だって眠らなければ…) (1990)
マッツ・ペーション (1943-) Stilleben (1996)
  ユニー・アクセルソン (パーカッション) イーヴォ・ニルソン (トロンボーン)

 

新譜情報

BIS CD995 エミール・シェーグレン (1853-1918) ヴァイオリンとピアノのための作品集
 ヴァイオリンソナタ第2番 ホ短調 作品24
 2つの抒情的な小品 (Zwei lyrische Stücke) (c.1895)
 ヴァイオリンとピアノのための詩曲 (Poème pour violon et piano) 作品40
 ヴァイオリンソナタ第1番 ト短調 作品19
  ペール・エーノクソン (ヴァイオリン) キャスリーン・ストット (ピアノ)

BIS CD1107 ユハニ・ヌオルヴァラ (1961-) 作品集
 Three Impromptus (3つの即興曲) (1995) (カンテレとクラリネットのための)
  ヘイッキ・ニクラ (クラリネット) アイノ・メイサルミ=ミンクライネン (カンテレ)
 弦楽四重奏曲第2(1997)
  ケラヴァ四重奏団
 'What's a Nice Chord Like You Doing in a Piece Like This?' (1996)
  (3つのアコーディオンのための)
  ミッコ・ルオマ (アコーディオン) (三重録音)
 弦楽四重奏曲第1番 《Dancescapes (踊りの光景)》 (1992)
  アヴァンティ!四重奏団
 Twitching Gait (1993) (室内アンサンブルのための)
  ペトリ・アランコ (フルート) ヘイッキ・ニクラ (クラリネット)
  パシ・ピリネン (トランペット) ヤリ・ヴァロ (ヴァイオリン) リスト・ポウタネン (チェロ)

BIS CD1118 レスポンス − 打楽器のための作品集
ファン・ギンホアン (1931-) Tension - Relax (緊張と弛緩) (1972)
安部圭子 (1937-) 桜の夢 (1983) (マリンバのための)
オッド・ビョルゲ・サーグラン (1967-)
 ヘッダ・ガブラー (Hedda Gabler) − 間奏曲 (Intermezzo) (マリンバのための)
ハーラル・セーヴェルー (1897-1992) (サーグラン 編曲)
 ロンド・アモローゾ (Rondo amoroso) 作品14a-7
田中利光 (20世紀) マリンバのための2
アルネ・ヌールハイム (1931-)
 Response (レスポンス) (1990) (打楽器と電子音のための)
  オッド・ビョルゲ・サーグラン (打楽器)

Finlandia 3984-29708-2 ウーノ・クラミ (1900-1961) ピアノと弦楽オーケストラのための作品集
 ピアノ協奏曲第2番 作品41 ヘンデルに捧げるオマージュ 作品21 4つのフィンランド民謡 作品12
  舘野泉 (ピアノ) オストロボスニア室内管弦楽団 ユハ・カンガス (
指揮)

Slask (Sweden) SLACD021 スタファン・モッセンマーク (b.1961) Injection
 Acts (幕) (1998) (テナーリコーダー、トランペット、キーボードと打楽器のための)
 No Mercy (無慈悲) (1991) (テナーリコーダー、テープとライヴエレクトロニクスのための)
  ダン・ラウリン (リコーダー) アンサンブル・“サージ”

 

ワールドミュージック新譜

Bergsmeden BS7460-003 ミラ・セクトゥス、スルフス − グロモス・スペルマンスラグ
 ヘンリク・モルマンのポルス、トロールカステット、コングスヴィンゲルのコメン、他

◇約20人のフィドル奏者の合奏による、スペルマンの伝統的レパートリーのノルウェー舞曲集。

Grappa GRCD4170 シニッカ − リッレ・ロサ
 アグネーテとハフマンネン、リッレ・ロッサハルパ、ハルパ、他
  シニッカ・ランゲランド(カンテレ)

◇ノルウェーを中心に活動するシニッカ・ランゲランドによる、ノルウェー周辺の恋の歌と中世の歌の弾き語り。

Hurv KRCD20 ヴィッレ・トゥールス − ロガル、スクーガル、ジゲナルラーゲル、シルクスタント地方の音楽
 スクーゲン地方の聖歌、ハルダンゲルミネン、ロングクトン、結婚式のブーケ、他
  ヴィッレ・トゥールス(フィドル)

◇1921年生まれのフィドル奏者のスペルマン風の演奏によるノルウェーの民族音楽。

Nor-CD (Norway) NOR-CD0037 スモークヴェダラーネ − スモークヴェダラーネ・フロ・ヴォス
 ヴェルコムネ・メ・エアラ、エグ・リーテン・エグ、セッテ・メグ・イ・フスケストング、他

◇1993年結成の少女合唱団(17人編成)がハリングフェレやピアノ伴奏で、少人数に分かれて歌うノルウェー民謡集。


Special Interest

Hallmark The Music of ABBA − ロイヤル・フィルハーモニックによる“アバ”の音楽
 マンマ・ミア、イーグル、マネー・マネー・マネー、ノウイング・ミー・ノウイング・ユー、SOS、他
 (《ダンシング・グイーン》はメドレーに入っています)
  ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団 ゲスト・プレーヤーたち


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