Newsletter No.23   31 August 2000

 

フィンランド交響曲の伝統を受け継いだ作曲家 − エイナル・エングルンド


 シベリウスをのぞいて、もっともお気に入りのフィンランドの作曲家は?

 フィンランドの人たちにこう尋ねると、いろいろな答が返ってきます。レーヴィ・マデトヤ、トイヴォ・クーラ、ウーノ・クラミ、アーレ・メリカント…。さすがに多くの魅力的な作曲家を生んだ国だけのことはあります。最近の世代ではカレヴィ・アホ、マグヌス・リンドベリ、カイヤ・サーリアホあたりがもっとも人気があります(わたしだったらエーリク・ベリマン、パーヴォ・ヘイニネンとハッリ・ヴオリは絶対にはずせません)。そして、もっとも多くの人たちが敬愛をこめて名前を挙げるのがエイナル・エングルンドです。彼がゴトランドで亡くなったのが1999年6月27日ですから、すでに1年以上が経ったことになります。

 エイナル・エングルンド Einar Englund (1916-1999) は、スウェーデン語系のフィンランド人としてスウェーデンのゴトランドで生まれました。ヘルシンキのシベリウス音楽院に入学し、マルッティ・パーヴォラ Martti Paavola にピアノを、ベンクト・カールソン Bengt Carlson に作曲、そしてレオ・フンテク Leo Funtek に管弦楽法を学んでいます。1941年に卒業後、シベリウスの推薦を受け、タングルウッド音楽センター(アメリカ、マサチューセッツ州)でアーロン・コープランド Aaron Copland のもとで研鑚を重ねます。1957年から1981年までシベリウス音楽院で作曲法と音楽理論を教え、1976年に名誉教授の称号を授与され、1978年にはスウェーデンの王立音楽アカデミーの会員に選ばれました。1950年代の “作曲家エングルンドは地の塩” という言葉は現在でもしばしば引用され、第2次世界大戦後のフィンランド音楽界における彼の地位を示しています。

 エングルンドの名が多くの人に知られる契機となったのは、レオ・フンテクの指揮により1947年に初演された交響曲第1番《戦争交響曲 (Sotasinfonia)》(1946) です。音楽学者のキンモ・コルホネン Kimmo Korhonen は、この曲を “フィンランド音楽の転換点を示し、新しい時代を告げた作品” と呼び、「エングルンドは、戦争の時代を生き抜き、戦争のもつ幻覚をすべて失った若い世代の考えを表明した。その結果、いつまでも残っていた国民的ロマン主義という牧歌は一掃されてしまった。また、シベリウスの国にあって、もっとも大きな価値があるとされていたジャンル、交響曲をよみがえらせるのに成功したことも、そこそこの手柄とだけみなされていいものではない」と高い評価を与えています。“戦争交響曲” という名が “戦争そのもの” を描いた曲とみなされることを嫌い、エングルンド自身は、後に「戦争を生きのびた若者の歓喜叫び」と作品を性格付けています。

 この画期的な好評を博した作品のあと、1947年のオリンピック・ヘルシンンキ大会に際して行われた作曲コンペティションで第1位をとった《エピニキア (Epinikia) (勝利の賛歌)》(Finlandia 4509-99971-2)、交響曲第2番《クロウタドリ交響曲 (Mustarastassinfonia)》(1947) など、エングルンドは次々と作品を発表していきます。特に、抒情と悲劇性をあわせもつ第2番の交響曲は、彼のもっとも有名な曲ではないかという意見も多い作品です。

 エングルンドが好んだのは絶対音楽ですが、自分の創作意欲が満たされると思えば、劇や映画の付随音楽の作曲も引き受けました。マックス・フリッチュの劇「万里の長城 (The Great Walls of China)」(組曲版 1949) とエーリク・ブルンベリ Erik Blomberg の映画「白いトナカイ (Valkoinen peura)」(組曲版 1954) (BIS CD575) が当時の代表的な作品です。チェーホフの「桜の園 」のためには演奏会ワルツ《ウラルワルツ (Valsuralia)》 (1951) を書いています。ピアノのためのバレエ《シヌヘ (Sinuhe)》(1953) を書いたのもこの時期です (1965年に作曲者自身が管弦楽用に編曲)。

 作曲にあたり、エングルンドは何よりもインスピレーションを重要視したと言われます。しかも面白いと思う旋律やリズムなどが浮かぶと、それを何度も何度もピアノで弾いてみて、それでもなお新鮮さな感覚が失われないでいるとわかってからでないと作品には使わないというくらい、単なる思いつきというもの排しています。エングルンドの音楽から “確信” が感じられるのは、そのあたりに理由があるのではないかという気がします。

 エングルンドが確固とした信念に基づいた作家であったことは、ピアノ協奏曲第1番 (1955) を最後に、1955年から1970年にかけて作曲活動をほぼ休止していたことにも示されています。ちょうどフィンランドに十二音音楽が入ってきて、フィンランドも音列技法やさまざまな前衛的な手法の国際的な波に飲み込まれた時期です。「厳格に音楽を教わったわたしには、新しい時代の風潮は真剣な芸術家としての作曲家の存在をあざ笑うものに思えた。その成り行きから、わたしに残されたのは、時が来ること、神がもっと好意をもってくださる時を待つことだけだった」。1976年に当時を回顧してこう語ったエングルンドは、この時期、シベリウス音楽院での教職と批評家としての活動に全力を傾けて、自分の時が来るのを待っていました。この時期の作品は、手元の資料によれば、大作のバレエ《オデュッセウス (Odysseus)》(1959) をのぞくと、ピアノのための小曲 −− ソナティナ第1番 (1966) と前奏曲第1番《夜想曲》(1967) −− と《シャコンヌ (Chaconne)》 (トロンボーン、ダブルベースと混声合唱のため、またはアカペラ混声合唱のための) (1969) のわずか3曲です。

 1960年代も終わろうかという時期、時流に身を投じることを拒否したエングルンドに “神が、もっと好意をもってくださる時” が訪れます。モダニズムの熱狂も醒め、フィンランドの音楽に新たな展望が開けようとしたこの時代、エングルンドは新しい交響曲の作曲にとりかかり、1971年に完成させます。それが交響曲第3番《バルバロッサ (Barbarossa)》です (Ondine ODE833-2)。1972年5月ヨルマ・パヌラ Jorma Panula (b.1930) 指揮ヘルシンキ・フィルハーモニック管弦楽団により初演されたこの曲は、ピアノとチェレスタを含む大編成のオーケストラのために書かれています。古典的な4楽章で構成され、第3楽章のモルト・アダージョではパッサカリアとシチリアーナが見事に融合した音楽を、そして終楽章では力強いフーガを聞かせてくれます。伝統の手法だけで自分の芸術を表現することを望んだエングルンドの凱歌とでもいえる、自信にあふれた素晴らしい作品です。

 その後のエングルンドは、1991年に完成させたクラリネット協奏曲 (Finlandia 4509-99971-2, RCA Victor 09026-61902-2) まで、数々の素晴らしい作品を、特に1980年代などは猛烈な速さで書きつづけていきました。《郷愁 (Nostalginen)》と副題のついた交響曲第4番 (1976)、ヴァイオリンソナタ (1989)、アイスランドのノルディック・ハウス開設10周年記念の委嘱作のピアノソナタ第1番 (1978) (Sibelius Academy SACD6, BIS CD277) をはじめ、多くの作品を録音により聴くことができるのは幸せなことです。エングルンドのインスピレーションは年齢を重ねても枯渇することはなく、なかでも印象的なのは、1990年のヘルシンキ大学創立350周年記念のコンペティションにも参加し、金管オーケストラのためのファンファーレ《アカデミア万歳 (Vivat academia)》(1989) が1位に選ばれたことです。

 エングルンドの自室のピアノの前に座って写った写真があります。そのピアノの横の壁には、ショスタコーヴィチのポスターが額に入れて飾られています。新古典主義を様式の基礎としたエングルンドが、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、そして後期のバルトークの音楽に親近感を抱いていたといわれます。「一貫した様式をもつ彼の作品では、リズミカルな推進力と透明で力強いオーケストラの響きが優位をしめている。管弦楽法ではオクターヴの声部を重ねることが多用され、音楽を引き締めるために不協和音を響かせる時でも、決して調性は失われることがない」(コルホネン)。エングルンドの音楽の特色は、そのまま彼が親近感を抱いていた作曲家たちの音楽と重なっているような気がします(ショスタコーヴィチについてだけは、正直なところ、弦楽四重奏曲などの小編成の曲をのぞき、どこまでが本当の彼の音楽だと考えればいいのかわからないので、一般的な見方では、と思ってください。エングルンドが独裁制全体主義国家に生まれなかったことを、感謝しないではいられません)。

 Ondine の新しいディスクが初録音になるチェロ協奏曲 (1954) は、エングルンドが独奏楽器と管弦楽のために書いた協奏曲の最初の作品にあたり、6曲の協奏曲のなかではもっとも抒情的とされる作品です。1974年のピアノ協奏曲第2番と、ミカエル・ヘラスヴオに捧げられた1985年のフラウト・トラヴェルソ協奏曲の音源がないので何ともいえませんが、ソロイストの腕を披露するような派手な効果をまったく狙わず、瞑想的な音楽を奏でるチェロを控えめながら色彩感のあるオーケストレーションの管弦楽が共演する音楽だということは確かです。旋律や管楽器の書法に、後期のバルトークとの親密性が強く感じられる作品です。

 交響曲第6番 (1984) はヘルシンキ大学のアカデミア合唱協会 Akateemisen Laulun と指揮者のウルフ・セーデルブルム Ulf Söderblom (b.1930) の委嘱により作曲。合唱と管弦楽のためにエングルンドが書いた唯一の作品です。

 音楽を純粋なものと考えていたエングルンドは、言葉と音楽を統合することに慎重でした。「(エングルンドの)考えでは、言葉と音楽が合体することによって、両方の要素の総和を超えたものが常に生まれるとは限らない。詩は詩、音楽は音楽というのがもっとも幸せだ」。このCDの解説を書いたヤーコ・ハーパニエミ Jaakko Haapaniemi は、エングルンドのそんな意見を紹介しています。シベリウスを引き合いにだすまでもなく、エングルンドの世代の作曲家にはめずらしく、彼は声楽のための作品をほとんどと言っていいほど書いていません。この交響曲をのぞくと、作品リストを見ても、声楽のための作品は1969年の《シャコンヌ》以下の7曲の合唱曲だけで、いずれもフィンランド放送などから委嘱されて書いた作品です(うち2曲は民謡の編曲です)。歌曲は1曲もありません。

 合唱をともなう交響曲というと、スウェーデンのヒルディング・ルーセンベリ Hilding Rosenberg (1892-1985) の交響曲第4番《ヨハネの黙示録 (Johannes Uppenbarelse)》が思い出されます。新約聖書の「ヨハネの黙示録」とヤルマル・グルベリ Hjalmar Gullberg の詩にテクストを求めた壮大な音楽です (Caprice CAP21429)。ルーセンベリとエングルンドの曲の最大の違いは、構成、内容ともに “オラトリオ” と呼ばれてもおかしくないルーセンベリの曲に対し、エングルンドの作品は、あくまでも“交響曲”だということです。この曲でも、合唱が主要な要素だということは確かです。でも、決して全体の構成を大きく支配する要素にはなっていません。比重は常にオーケストラが高く、特に、全曲の重心となる第3楽章のスケルツォはオーケストラだけのために書かれています。ハーパニエミによると、エングルンドはウォーミングアップのつもりでスケルツォから作曲にとりかかり、後で合唱部分を書き加えるつもりだったということです。にもかかわらず、合唱を加えないスケルツォのままで交響曲として完成させたということ、そして全曲が見事なバランスを保っていることは、エングルンドにはオラトリオを書くつもりはまったくなかったと言ってよさそうです。合唱の “禁欲的な” 扱いに関して、ハーパニエミがシベリウスの《クッレルヴォ (Kullervo)》 を引き合いに出していることには同感です。オーケストラと合唱の対比、そしてテクストの内容が飾られることなく聴き手に伝わってくる点は、まったくよく似ています。

 この交響曲のテクストに選ばれたのは、ギリシアの哲学者ヘラクレイトス Helacleitus (c.540-c.480 BC) の 「格言」 をペンティ・サーリコスキ Pentti Saarikoski がフィンランド語に訳したもの。《格言 (Aforismeja)》という副題がつけられているのは、そのためです。

 ヘラクレイトスをテクストに使うというのがエングルンドの考えによるものかどうか調べていますが、どうもはっきりわかりません。ソクラテスやプラトンと違い、ヘラクレイトスの言葉 − 格言 − は、まとまった書物として残されておらず、そのために“断片”とも呼ばれています。断片しかないせいか日本語の訳本もみつからず、名前のわりには日本では知られていないのかもしれません。でも、フィン語訳があるということは、エングルンドがサーリコスキの本を読んでいて、しかも内容に興味をもっていたと考えてもおかしくありません。

 ヘラクレイトスという哲学者は、インテリのために語り、僭主の味方をしている、と揶揄され、彼の言葉は当時、“晦渋” とも “難解” とも言われていたようです。解説書にある英訳の格言をたどっていってわかるのは、たしかにこれは “哲学” だということです。うまくいくかどうか自信がありませんが、試しに、第1楽章《プロローグまたはロゴス (Prologi eli logos)》のテクストになった “断片” を、英語から重訳してみます。

 『人々にはここで説明された法則というものを永遠に理解することができない。説明を聞く前でも聞いた後でも、同じこと。この法則にしたがって万象が起こるにもかかわらず、人々は、わたしが言葉や行いの本質や実体を分析しながら呈示しても、何も聞かなかったかのような顔をする。一方、他の人々は自分たちが眠っている間に行ったことに気づかないのとまったく同じように、目を覚ましてから自分が何を行うかにも気づいていない。ロゴス(理法)。

 『それゆえにこそ、われわれは共有するものに従わねばならない。法則は共有される。だが人々の多くは、それぞれに知性をもっているかのように生を営む。ロゴスは共有される』

 文脈を把握しながら訳したつもりですが、とにかく難解な文章です。他の4つの楽章に使われた断片についても同様です。第2楽章《全体と非全体が接するところ (Liitoksessa kokonainen)》、第4楽章《二度同じ川で水浴する人たちを過ぎて (Niiden ohitse jotka astuvat samaan virtaan)》、第5楽章《この世界の秩序 (Tätä maailman järjestystä)》。タイトルだけでも、相当に手ごわそうです。

 第6楽章は《フィナーレ (Finale)》。『人々の意見は子供のおもちゃに等しい』に始まり『道は上り、下る。一本の同じ道だ』で終わるテクストがつけられています。いずれも抽象的な文章で、ルーセンベリの作品になった「ヨハネの黙示録」とは大変なちがいです。このあたりも合唱が全面にでてこないことと関係があるかもしれません。

 ヘラクレイトスの断片はたしかに難物です。でも、テクストを追いながら何度か曲を聴いているうちに格言の意味を考える余裕が出てきて、それと同時に、このテクストを選んだのはエングルンド自身ではないかと考えるようになってきました。ほんとうにむずかしい。でも、おぼろげながら、ほんとうにおぼろげながら言葉の中身が見えてくるにつれて、エングルンドはヘラクレイトスの言葉をわたしたちへのメッセージにしたと思いたくなります。この作品を知れば知るほど、自分の信念のために作曲活動を休んだエングルンドの姿と彼の音楽が重なりはじめ、決意と慈愛にみちたまなざしで写真の中から見つめかえす彼に敬意を表する気持にさせられます。

 言うまでもないと思いますが、第6番の交響曲は、テクストが大変そうだからといって、決して身構えて聴くだけが聴き方の曲ではありません。“合唱が聞こえる” 程度に思って聴いたとしても、充分に楽しめる交響曲です。管弦楽書法がそれだけ素晴らしいということでしょう。そういった意味では、ヴァウン・ホルムボー Vagn Holmboe (1909-1996) の合唱つきの交響曲第4番《シンフォニア・サクラ (神聖な交響曲) (Sinfonia Sacra)(BIS CD572) −− エングルンドのオーケストレーションはホルムボーほど派手ではありませんが −− と似たところがあると言えなくもありません。

 ひとつ、誤解してほしくないのは、1950年代のあの時期、フィンランドのすべての作曲家がエングルンドと同じ道を歩まなかったことは、フィンランド音楽にとっては幸せなことでもあったという事実です。これは推測ですが、エングルンドも決して現代の手法をすべて否定したということではなかったのではないか、とわたしは考えています。十二音も音列技法も必要としなかったエングルンドとは逆に、現代の技法を身につけることで新たな表現手段を獲得した作曲家たちもいたこと。エングルンドは、そのことを充分に承知していたはずです。問題は、もの珍しい手法だけに夢中になることが、ひらめきやインスピレーションを無視した音楽のバラマキにつながりかねないこと、そして、その結果、作曲家と真摯な聴き手の間に溝 − 感性のズレ − が生じるおそれがあること。エングルンドは、それらのことをよく知っていて、自分がその波 − vague − に巻き込まれることを嫌い、すでに獲得した表現手段だけで充分間に合っていた彼にとって、前衛音楽は自らの美学とは相容れないものであった、と考えるのが、どうも自然ではなかろうかという気がします。

 エングルンドの最大の功績は、自分が確信したものを貫くことにより、シベリウス以来のフィンランドの交響曲の歴史に確固とした − そして魅力的な − 1ページを記したことです。彼のあとを継ぐのは誰になるのでしょうか?

 最新の情報によると、CD録音のなかった唯一の交響曲、フィンランド独立60周年記念にあたりフィンランド政府から委嘱された第5番《フィンランド風 (Fennica)》も Ondine が録音したということです。交響曲第4番《郷愁》と、初録音の《万里の長城》組曲の組み合わせにより、今年の11月にリリースされる予定です(日本への輸入は来年の1月になりそうです)。

(TT)

Ondine ODE951-2 エイナル・エングルンド (1916-1999)
 交響曲第6番《格言》(1984) チェロ協奏曲 (1954)
  ヤン=エーリク・グスタフソン (チェロ)
  タンペレ・フィルハーモニック合唱団・管弦楽団 エリ・クラス (指揮)

参考ディスク

Ondine ODE751-2 エングルンド 交響曲第1番《戦争交響曲》 交響曲第2番《クロウタドリ交響曲》
  エストニア国立交響楽団 ペーテル・リリエ (指揮)

Ondine ODE833-2 エングルンド 交響曲第3番《バルバロッサ》 交響曲第7番 (1988)
  タンペレ・フィルハーモニック管弦楽団 アリ・ラシライネン (指揮)

Naxos 8.553758 エングルンド 交響曲第2番《クロウタドリ交響曲》 交響曲第4番《郷愁》
 ピアノ協奏曲第1番
  ニクラス・シヴェレーヴ (ピアノ) トゥルク・フィルハーモニック管弦楽団 ヨルマ・パヌラ (指揮)

Ondine ODE726-2 エングルンド ヴァイオリンソナタ (1979)
パーヴォ・ヘイニネン (b.1938) ヴァイオリンソナタ (1938)
  カイヤ・サーリケットゥ (ヴァイオリン) マリタ・ヴィータサロ (ピアノ)

BIS CD277 エングルンド ピアノ作品集
 序奏とトッカータ (1950) ピアノソナタ第1番 前奏曲第1番《夜想曲》 ソナティナ第1番 ニ短調
 ユモレスク 他
  エーロ・ヘイノネン (ピアノ)

 

貴族社会のロマンティスト − ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル

 スウェーデンの作曲家を5人えらぶとすれば誰だろうということが、先日、友人たちとの間で話題になりました。霞ヶ関で日々行われているような高級なレベルの話とは違い、なにを基準で選ぶのかとか、どうして5人なのかなども無関係の、たわいのない井戸端会議です。北欧音楽が大好きというおとなしい仲間ばかりが集まってのことなので、ああだこうだと話してはいても、ルーマン、ベールヴァルド、ステーンハンマル、ルーセンベリは間違いないだろうというところまで話は落ち着きました。問題は最後のひとりです。スウェーデン古典派を代表するクラウスか、スウェーデンの人たちから愛されつづけているアルヴェーンか。

 クラウスがグスタフ三世の葬送のための音楽を書いていなければ、事は簡単です。なるほど、シンフォニア、室内楽、オペラ、カンタータなど、広いジャンルにわたり素晴らしい作品を残してはいますが、スウェーデンの音楽史に与えた影響はとなると、ルーマンほど大きくはないのではないかという気がするからです。でも、あの《葬送の音楽》と《葬送カンタータ》の真摯な音楽の印象はあまりに強烈です (Musica Sveciae MSCD416E)。アルヴェーンの代表作とされる《夏至祭の夜明かし》(スウェーデン・ラプソディ第1番)− NHKの番組「きょうの料理」のテーマは、この曲に似ていませんか? − が素敵な曲だということは間違いないものの、深みを感じさせる音楽かどうかとなるとアルヴェーンが不利かなということで、結局はクラウスだろうということになってしまいました。

 ただ、今ごろになって、最後のひとりとしてアルヴェーンを選ぶことを主張したほうがよかったかな、という気持も強くなってきました。いろいろとアルヴェーンの曲を聴いているうちに、クラウスのような作曲家は他の国にいても、アルヴェーンはスウェーデンにしか生まれない音楽家だったのではないだろうか、と考えるようになったためです。人々の心情に触れる作品を書くことに喜びを感じていた作曲家を軽視して、音楽に高い精神性を求めることを重要視しすぎるのは、音楽、とりわけ北欧の音楽のありかたを考えたときには一面的な見方にすぎる、と言い換えてもいいでしょうか。そういう見地からすると、スウェーデンの国民的ロマンティシズム音楽を代表する作曲家アルヴェーンをはずすことは、やはりできません。

 交響曲第4番《海辺の岩礁から (Frå havsbandet)》、交響詩《岩礁の伝説 (En Skårgådssägen)》の超ロマンティックな2曲、スウェーデンの英雄グスタフ二世アードルフを題材にした劇のための音楽、バレーパントマイム《山の王 (Bergakungen)》、カンタータ《主の祈り (Herrens bön)》、《森は眠る (Skogen sover)》と《夕べ (Aftonen)》に代表されるおびただしい数の歌曲と合唱曲、なかでも自身が指揮者をつとめていた男声合唱団オルフェイ・ドレンガル (OD) のために書いた作品の数々。どう考えても、アルヴェーンのいないスウェーデン音楽などはありえません。こんど同じ話題になったら、5人の顔ぶれは絶対に変わることになりそうです。

 スウェーデンには、フィンランドのシベリウス、ノルウェーのグリーグ、デンマークのニルセンにあたるような特別の存在の作曲家がいません。逆に魅力的な作曲家の数となると、これはもう北欧諸国でもとびぬけています。それだけにスウェーデンの作曲家5選の話の際にも、アルヴェーンとともに色々な作曲家の名前が挙がりました。そのうちのひとりが、ペッテション=ベリエルです。ピアノのための3つの小品集《フローセの花 (Frösö blomster)》、《春の歌 (Vårsång II)》をはじめとする合唱曲、あるいは《空にある星のように (Som stjärnorna på himmelen)》などの歌曲が今でも大いに愛されている、アルヴェーンとともにスウェーデンの民族的ロマンティシズムを代表する作曲家です。

 また、ペッテション=ベリエルは、いろいろな意味でスウェーデンの作曲家のなかでももっとも興味深い人物像の持ち主と言えます。なんと言っても、ペッテション=ベリエルが理想と考えたこと、言うなら“アイドル”にしたものと、 人々が魅力的だと感じた作品の間に大きなへだたりがあったという点で、彼ほど端的な例はちょっと見あたりません。だいたい“民族的ロマンティシズムの作曲家” と呼ばれる自体、ペッテション=ベリエルは不愉快に感じたはずです。実際、ペッテション=ベリエルに関する文献を書いた指揮者のレンナット・ヘードヴァル Lennart Hedwall は、ペッテション=ベリエルは “民族的” と呼ばれることを誇りに思うことはあっても、自分の音楽が “ロマンティシズム” とみなされることは喜ばないに違いない、と言っています。

 ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル Wilhelm Peterson-Berger (1867-1942) − 彼は自分の批評に "P-B" と署名する習慣をもっており、スウェーデンでは彼のことを "P-B" と呼ぶことが慣例になっているようです − は、スウェーデン北部の沿岸の町ウロンゲルに生まれました。父親のオーロフ・ペッテション Olof Peterson は、土地測量士という実務をこなすかたわらホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」をギリシャ語で朗誦するという知識人、そして母親のソフィア・ヴィルヘルミーナ・ベリエル Sofia Wihelmina Berger は堪能なピアニストだったといいますから、典型的な教養ある中流家庭だったことになります。P=B は父親からギリシャの文化を学び、それがヘレニズム、ひいてはニーチェやヴァーグナーに傾倒するきっかけになり、母親に初めて教わったピアノが彼の終生の楽器となります。

 その後、一家は同じ北部の町ウメオーに移り、P=B は高等学校を卒業する1885年までをこの町で過ごします。この高等学校の時代に知ったのが、エドヴァルド・グリーグ Edvard Grieg (1843-1907) の音楽です。P=B が出会った作品が何だったのかは不明ですが、この1880年代の初期には、ピアノ協奏曲 イ短調 (1968)(原典版)、バラード 作品24 (1875-75)、第1番 (1865) と第2番 (1867) のヴァイオリンソナタ、そして劇音楽《ペール・ギュント》といったグリーグの代表的な作品はすでに世に出ています。ドイツ=オーストリアの管弦楽曲や室内楽曲を連弾用に編曲したものを子供のころから母親と一緒に弾いていた P=B にとって、グリーグの音楽の和声がどのように新鮮に響いたかを想像するのはたやすいことです。P=B はグリーグの音楽を啓示と受けとめ、そのことから作曲家になる道を選ぶ決心をします。

 P=B は1886年から1889年までストックホルムの王立音楽大学でオルガンと作曲を学び、1889年にはドレスデンに行って宮廷オルガニストで作曲家のエドムント・クレチュマー Edmund Kretschmer のもとで作曲と管弦楽法の勉強をつづけます。このころにはすでに交響曲第1番《軍旗 (Baneret)》の作曲にとりかかっており、P=B の創作意欲がみなぎっていた時代と考えてもよさそうです。しかし、音楽ならドイツ、とばかりにドレスデンまで渡った P=B も、しだいに望郷の思いがつのってきて、翌1890年にはウメオーに戻ってしまいます。

 ウメオーに帰った P=B は、ピアノを教えるかたわら音楽協会を復興させるなどのさまざまな活動を通じてウメオーの町の文化に貢献し、地元の人たちの間で尊敬を集めていきます。その P=B も、せっかく望んで戻った故郷の小さな世界に息苦しさを覚え、もっと広い世界で羽ばたきたいと考えが捨てきれずにいました。そんなところにドレスデンから、新設の音楽学校での教職という話があり、P=B は1892年に再びドイツに行くことになります。ところが、行ってみれば、音楽学校に集まっていたのが上流階級の子弟たちばかりで、音楽に対して P=B の理想とはかけはなれた興味しかもちあわせていないという状態です。結局、P=B も愛想がつきて、2年ほどでドレスデンの生活にピリオドを打ちます。

 スウェーデンに戻った P=B は、ストックホルムの新聞社の音楽批評担当という仕事の申し出もあって、1895年からは首都に居を構え、音楽家としての本格的なキャリアを開始します。翌1896年には《フローセの花》の第1巻も出版されます。作曲家、そして音楽批評家としての活動はめざましく、1897年にはオスカル二世在位25年の記念のカンタータ《スウェーデンのガルドラル (Sveagaldrar)》、1900年にはオペラ《ラン (Ran)》を作曲、1903年にはドレスデン時代に書き始めた第1番の交響曲を原典スコアを完成させます。その合間にはヴァーグナーのいくつかの著作やニーチェの「悲劇の誕生 (Die Geburt der Tragödie)」のスウェーデン語への翻訳も行っています。1908年には王立ストックホルム歌劇場のプロデューサーに就任するなど、P=B は音楽家としては非常に恵まれた活動をしていきます。ただ、 その幅広い活動も、かならずしも P=B の思いどおりばかりには行きませんでした。

 その理由として、批評家としての率直で厳しい意見が多くの敵を作ったからだ、という意見がありますが、それは結果であって、原因はペッテション=ベリエルの内面の矛盾にあったと考えるのが、現在では一般的になっています。それはかならずしも P=B のせいだけではなく、社会的な要素が多分にあるような気がします。P=B が生まれたスウェーデンは北欧の大国です。長い歴史があり、規範を重んじる貴族社会の色彩が色濃い国です。そんな社会に育った P=B にとって、自分のほんとうの心とは違う理想を追い求めることも必然性のあることだったに違いありません。

 P=B はスウェーデンの自然、とりわけ北部のイェ
ムトランド地方 Jämtland の自然をこよなく愛していたと言われます。その例として、レコードプロデューサーの故フランク・ヘードマン Frank Hedman が、楽劇《アルンヨット (Arnljot)》のなかで、タイトルロールのヴァイキング、アルンヨットが、併合したイェムトランドのことを歌う歌を紹介しています。「おまえは白樺の香り、そして、水のきらめきと轟でわたしを迎えてくれる。大いなる森がすべてわたしに向かって手を振る。樹々のざわめきは歌となって聞こえてくる。そうだ、今わかった。この地こそ、わたしが暮らしたい場所だ」。ヘードマンの言うとおり、P=B がアルンヨットの声を借りて自分の心の内を歌ったものと考えても、まず間違いないところです(この曲は単独で歌われることも多く、バリトンのイングヴァル・ヴィクセルによる録音もあります − Musica Sviciae MSCD617 “スウェーデンのバラード”)。

 同じような思いは、彼の代表作と呼ばれることの多い《フローセの花》 をはじめ、P=B の音楽のいたるところで耳にすることができます。普通に考えれば、ロマンティック音楽の作曲家に徹すればいいのではないかというところでしょう。でも、P=B は “反ロマンティシズム” を標榜し、別の道を選びました。レンナット・ヘードヴァルによると、P=B は「“ロマンティシズム”を現実逃避への憧れの表れとみなし、“理想” とするものへ向けて自分の周囲にに影響をあたえ、変えていくことが芸術家の使命だと考えていた」ということです。自然というものを愛していながら、ニーチェの超自然的な理想に対する憧れをもちつづける。《フローセの花》の作者の考え方だとすれば、なんと素晴らしい矛盾でしょう。

 P=B にとってのアイドルは、ベートーヴェンやヴァーグナーらドイツの先達たちです。P=B の音楽家としての活動が作曲家と演奏家という範囲にとどまり、アイドルたちと同じ道を自分ひとりで歩んだのなら、問題はなかったことでしょう。ところが彼には芸術家としての使命感があり、そのことが音楽批評という仕事につながり、結果として敵を作ることになってしまいます。

 ストックホルムの新聞 Dagens Nyheter (デイリーニューズ) の P=B の音楽批評は、生き生きした文体と洞察の鋭い内容で読者の好評を博しながら、一方、P=B の大陸からの視点にもとづく意見が支持されたとばかりもいえないようです。P=B の批評では、多くの作曲家や演奏家たちがやり玉にあげられました。ステーンハンマル、シベリウス、ニルセンはすべて間違った道を歩んでいるいると指摘され、アルヴェーンは表面を美しく飾るオーケストレーションの達人でしかないと言われています。P=B は、新たに音楽の道を志す人たちの指針を示すことが自分の役割だと考え、自分の理想とするものにその基準を求めました。

 批評家にとって、自分の批評のバックグラウンドとなる考え方 − “哲学”− は絶対に必要です (某国のいわゆるカリスマ評論家たちが “好き嫌い” を “善し悪し” にすり替え、その結果、好きなものは “満開の桜の春” のごとく褒めちぎり、嫌いなものは理由も示さずに切り捨てるのを見るにつけ、そう考えざるをえません)。その意味では P=B はかならずしも間違ってはいません。問題は、彼が自分の理想 − ドイツ的なもの、アポロ的な古典美、デュオニソス的情熱などが作り上げる世界 − の価値基準を、そのままフランスや北欧の音楽に当てはめたことでしょう。P=B が正しいと信じた、スウェーデンの自然を起点にして “超自然” という理想に至るという弁証法的な思考が、例えばアルヴェーンとスウェーデンの音楽にとって幸せなことだったかどうかは疑問です。

 もうひとつ気になるのが、先に触れたように、P=B が、シベリウスら北欧の同時代の作曲家たちの目指す方向を非難したことです。P=B は、一例を挙げるなら、ニルセンの第4番の交響曲を聴いた上でそう断じたのでしょうか。この曲は、人間という存在の尊厳と意志を表明した作品です。その崇高なまでに壮麗な音楽は、ヘレニズムの象徴、アテネのパルテノンの神殿に匹敵すると言ってもいいかもしれません。しかも、そこに見えるのは、決して神格化されていない普通の人間の姿です(最近リリースされたミケール・シェーンヴァント指揮の原典研究版スコアによる、音楽の立体感がデンマーク的な爽やかさ、あるいは輝かしさのうちに表現された演奏 (dacapo 8.224156) などを聴くと、一層その感を強くします)。ニルセンが第4番の交響曲で表現したこの相剋のドラマは、“自然から超自然へ”という P=B の“理想”と違うのでしょうか。かりに P=B がこの曲を聴いていて、なおニルセンの行き方を否定したとすれば、その理由がわかりません。ニルセンの第4番以降の交響曲の調性の使い方が P=B にとって新しすぎたということはないはず。アイドルとしたヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》にしたところで、調性の点で斬新な作品です。悪意と言いたくはないものの、なんとなく P=B の態度に不可解なものを感じます。ニルセンとシベリウスの音楽に関する P=B の批評に実際にあたってみたいものです。

 だいたい、P=B の理想追求が生涯を通じてのものだったのか、それ自体にも疑わしいところがあります。たとえば、P=B の交響曲第3番《ラップランド (Same Ätnam)》には、友人のヴァイオリニスト、カール・ティレーン − ヴァイオリンソナタ第2番とヴァイオリンと管弦楽のためのロマンスの被献呈者 − が収集したラップランドのヨイクが5曲、主題として使われています。P=B が愛した北部スウェーデンをヨイクの中に見いだしたことが理由でしょうが、完成した曲は “超自然的” どころか、スウェーデンの自然を感じさせる後期ロマン派の音楽です。第2番の交響曲《旅は南の風に乗って (Sunnanfärd)》の第2楽章《ばらの都市、デュオニソスの行列 (The City of Roses, The Procession of Dionysus)》でソクラテスやプラトンの哲学を語ろうとした P=B の面影はなく、むしろヴァーグナーの音楽との決別さえ感じられます (このあとの交響曲第4番《ストックホルム (Holmia)》ではP=B のどんな音楽を聴くことができるのか。2001年の1月に cpo のシリーズ第4作の録音がリリースされることになっているので − 第5番は 2001年末の予定 − 楽しみです)。

 結局、P=B はあまりにスウェーデンの自然を愛しすぎており、P=B が自分の心に忠実になればなるほど、理想とはかけ離れていったというのが、実際のところではないかと思います。P=B は《フローセの花》を “大衆のために” 書いたと言われています。しかし、それは結果であって、P=B がこの曲集を書くことになった動機とは関係ないのではないかいうことを、このごろ感じるようになりました。ひとつには、グリーグの音楽をきっかけに作曲家になった P=B にとって、“ベルゲンの息子” グリーグの抒情小曲集と同じようなピアノのための曲集を書くことは、内的な欲求だったのではないかということがあります。そして、この21曲のひとつひとつには P=B が世界でもっとも美しい眺めと呼んだストゥールシェン湖と、そこに浮かぶ島フローセの自然、そして島に建てた家ソンマルハーゲンでの生活、そういったものへの真正の思いがこめられており、それらはすべて、山に湧く水のようにごく自然に P=B の指から生まれてきたのではないかという気がします。

 P=B が亡くなったオステルスンド Östersund の病院の彼の病室の窓からはフローセの島が眺められたといいます。目に届いていたのがストックホルムの市庁舎や大聖堂でもなければ、ましてパルテノン神殿でもなかったのは、生に別れを告げようとしている P=B にとって、もしかすると幸せなことだったかもしれません。どんな感慨とともに P=B がその景色を見つめていたのかは誰にもわかりません。でも、寂しさや孤独、まして後悔などということではなかっただろうという気がします。P=B は、はじめてドイツから帰国した時、ウメオーの人々にテニスを紹介しました。もしかすると、そのテニスに興じた日々を回想していたかもしれません。

 ペッテション=ベリエルについては、知りたいことがもっともっとあります。第4番の交響曲《ストックホルム (Holmia)》はリリースが決まりましたら、《アルンヨット》やカンタータ《スウェーデンのガルドラル (Sveagaldrar)》などの録音を期待するは、ちょっと無理でしょうね。P=B がどこまでヴァーグナーの世界に近づこうとしているのか、とても興味があるのですが。

 最近 P=B の初期のピアノ曲を集めたディスクがリリースされました (Swedish Society Discofil SCD1086)。スウェーデンのピアニスト、オーロフ・ホイエル Olof Höjer (b.1937) による P=B のピアノ作品全集の第1集です。作曲の時代順に製作が進行する予定ですので、P=B の音楽がどう変わっていくのかが興味をひきます。このアルバムに収録された作品は、音楽に未整理の箇所があったり気楽なサロン音楽にしかすぎなかったりと、曲によってやや音楽の内容にばらつきがありますが、興味深い録音ということには変わりありません。

 魅力的な《ヴァルツェリーノ (小ワルツ) (Valzerino)》、そして《音画 (Tonmålgingar)》の第1曲《森のなかで (Skogsinteriör)》の印象主義的(?)な音楽やダンスのリズムが楽しい第3曲の《海景色 (Marin)》。《ヴァルス・ブルレスク (おどけたワルツ)》や《カンツォネッタ》などには、すでに《フローセの花》の世界と同じ響きを聞くことさえできます。また、当時のピアノ曲のスタイルを学ぶための習作とされる《ご婦人方のアルバム (Damernas album) (7つの献呈曲)》の第7曲《ドレスデンのファニー・クラウス嬢に (An Fräulein Fanny Clauss, Dresden)》は、《フローセの花》第1巻の第6曲《フローセの教会で (Vid Frösö kyrka)》の原曲ではないかとも言われる曲です。旋律が似ているというより、調性、響き、雰囲気に共通するところがあるというのが理由です。

 同じ Swedish Society Discofil から近々リリースされる “管弦楽による《フローセの花》” というアルバムには、《フローセの花》をはじめとするペッテション=ベリエルの曲を管弦楽に編曲した作品が集められています。スウェーデンのライトミュージックの黄金時代といわれた1950年代後期と、民謡をもとにした音楽に人気のあった1960年代中期の録音、そして1974年にレンナット・ヘードヴァルの指揮による LP のための録音からの2曲 − 《何年も経ってから (Om många år)》と《菩提樹の下の芝生で (På gräset under lindarna)》− を加え、全部で14曲が収められています。

 1950年代後期はLPに対する課税がきつくなったことからEPがさかんに作られ、Swedish Society Discofil が1957年にエゴン・チェルマン Egon Kjerrman 指揮のオーケストラ − 実体はスウェーデン放送ライトミュージック・オーケストラ − により録音したEPは、当時ベストセラーになったといいます。ペッテション=ベリエル自身も自作のピアノ曲を管弦楽用に編曲しており − 一例が 《エアリナ組曲》(cpo 999632-2) − 《フローセの花》も数曲のオーケストレーションが残されているようです。しかし、このアルバムの録音では、それぞれの指揮者が自らおこなった編曲版が演奏されています。

 このディスクの音源のうち、マッツ・オルソン・オーケストラ − スウェーデン放送交響楽団員 − の1959年録音とスティーグ・リューブラント Stig Rybrant (1916-1985) 指揮の1966年 (1968年?)録音は “ペッテション=ベリエル作品集” (SCD3008、廃盤) にも収録されていますが、チェルマンのモノーラル録音は、《夏の歌 (Sommarsång)》 (《フローセの花》から) をのぞき、これが初めてのCD化です。曲の静かな美しさを活かした編曲のおかげで、品のいいムード音楽を聞きたいときに最適のアルバムです。

 ペッテション=ベリエルのこれらの曲の人気の高さの最大の理由は、何と言っても旋律の魅力でしょう (《夏の歌》をケータイの着メロにしている友人がいて、メロディに聞きほれるのか、なかなか電話に出てくれず、困っています)。《フローセの花》全曲のピアノによる演奏では、スウェーデンのピアニスト、作曲家でもあるニクラス・シヴェレーヴ Niklas Sivelöv (b.1968) の録音 (Naxos) が、一番気に入っています。繊細で知的な演奏というだけでなく、作品に対する共感が感じられます。エステル・ブーディン Esther Bodin が、細かくテンポ・ルバートをきかせがら、慈しむように演奏した録音は、残念ながら7曲の抜粋です。ただ、この Bluebell のアルバムには、リュセル四重奏団のリーダー、ベルント・リュセル Bernt Lysell がブーディンと共演した、ヴァイオリンとピアノのための組曲と、ニコライ・イェッダ (ゲッダ) Nicolai Gedda が歌う歌曲も収録されていて、このディスクも聴く機会が多くなっています。素敵なアルバムです。

(TT)

Swedish Society Discofil SCD1086 ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル (1867-1942) ピアノ作品全集 第1
 良家の人たちの曲 (En herrskapstral) (1883)
 ヴァルス・ブルレスク (おどけたワルツ) (Valse burlesque) (1886)
 カンツォネッタ (Canzonetta) (1888) フーガ (Fuga) (1889)
 ヴァルツェリーノ (小さなワルツ) (Valzerino) (1892)
 ヴァイキングの掟 (Vikingabalk) 結婚行進曲 (Bröllopsmarsch) (1894)
 花嫁の行進 (Brudmarsch) (1895)
 ご婦人方のアルバム (Damernas Album) (7つの献呈曲) (1895)
 音画 (Tonmålningar)
  森の中で (Skogsinterior) 鐘が鳴る (Klockringning) 海景色 (Marin)
  オーロフ・ホーイェル (ピアノ)


Swedish Society Discofil SCD1109 管弦楽による《フローセの花》
 ソンマルハーゲン入場 トネリコの花が咲くとき 踊りのゲーム フローセの教会で
 夏の歌 あいさつ セレナード 聖ラウランティウスの祭日に お祝い ばらに寄せて
 イルメリンのバラ 菩提樹の陰の乙女 菩提樹の下の芝生で 何年もたってから
  マッツ・オルソン・オーケストラ エゴン・チェルマン・オーケストラ
  オレブルー室内管弦楽団 レンナット・ヘードヴァル (指揮)
  ベルリン交響楽団 スティーグ・リューブラント (指揮)
 
参考ディスク

cpo 999564-2 ペッテション=ベリエル 交響曲第2番 《旅は南風に誘われ》 東洋風舞曲 
 ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス ニ短調 カンタータ《スウェーデンのガルドラル》前奏曲
  ウルフ・ヴァリーン (ヴァイオリン) ノールショーピング交響楽団 ミハイル・ユロフスキー (指揮)

cpo 999632-2 ペッテション=ベリエル 交響曲第3番 ヘ短調 《ラップランド》
 管弦楽のための組曲《エアリナ》
 コミックオペラ《最後の審判の予言者》− コラールとフーガ
  ノールショーピング交響楽団 ミハイル・ユロフスキー (指揮)

Naxos 8.554343 ペッテション=ベリエル ピアノ曲集《フローセの花》 (全3巻)
  ニクラス・シヴェレーヴ (ピアノ)

Bluebell ABCD034 ペッテション=ベリエル
 ピアノ曲集《フローセの花》− 夏の歌 ばらに寄せて お祝い フローセの教会で
  たそがれに イェムトランド ポプラの木の下で
  エステル・ブーディン (ピアノ)
 組曲 作品15 (ヴァイオリンとピアノのための)  献呈 セレナータ まどろみの歌 松明の踊り
  ベルント・リュセル (ヴァイオリン) エステル・ブーディン (ピアノ)
 歌曲集  菩提樹の木陰の乙女 夏の夜露 乙女のバラ あなたの窓辺の美しい子
  ふたつの明るい瞳 その日が終わる 若きゼピュロスのように 暗い森をひとり歩くと
  あなたの名前を書いた 空にある星のように 森の高い樅の木のあいだに
  ニコライ・イェッダ (ゲッダ) (テノール) ヤン・エイロン (ピアノ)

Bluebell ABCD030 ペッテション=ベリエル 混声合唱作品集
 アーネの5つの詩 (1891)  アーネの歌 母の歌 ヴェネヴィル インゲレド・スレッテン あの木
 混声合唱のための8つの歌 作品11
  九月(気分) 松林で 海辺で 山の小道で 小さな花 小さな雄山羊 誘惑ごっこ
  フィドルは踊りをさそう
 10の歌 − 青春の夢 夏の思い出 夏がくる 山の夕べ 誘惑の旋律 僕の野望 王女
 混声合唱のための歌 − 水の精 金色の鳥 春の歌T 春の歌U 春の歌V
  六月の夜 気分U 森の憩い
  ミカエリ室内合唱団 アンデシュ・エビ (指揮)

 

ピアノ・デュオ・コンサート

 10月8日の日曜日に、山口県の防府市でピアノ・デュオのコンサートがあります。今年の1月の日本シベリウス協会の 「アイノラのつどい in 広島」 のピアニスト、山根浩志さんと友人の刀根由貴子さんの共演です。ノルウェーのめずらしい作品が演奏されるので、ご紹介します。

 プログラムの第1部は “フィヨルドの国ノルウェーから” と題してロマン派と現代の作品が、そして第2部ではルトスワフスキの《パガニーニの主題による変奏曲》、シューベルトの幻想曲 ヘ短調 D940、ブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲《聖アントニウスのコラールによる変奏曲》》が演奏されます。

 第2部の曲は連弾や2台のピアノの定番レバートリーといってもいいでしょうが、第1部のノルウェーの曲は耳にする機会の少ない作品ばかりです − クリスチャン・シンディングの《6つの小品 (Sechs Stücke)》作品71、トマス・ベック の《グブランスダールの舞曲 (Dansar frå Gudbrandsdal)》作品24 (1940)、ニルス・ヘンリク・アスハイム の《きつねのミケル:よく知られたメロディによる5つの変奏曲形式の組曲 (Mikkel Rev: Suite i 5 variasjoner over en kjent melodi)》(1977)、そしてヨハン・クヴァンダールの《デュオ・コンチェルタンテ (Duo Concertante)》作品41。ピアノ・デュオのための作品をさがしていて、Pro MusicaCDで演奏されているこれらの曲が目にとまりました。当初、このうちの2曲を予定していましたが、ノルウェー王国大使館の後援をいただくことができたため、山根さんの「こうなったら、やっちゃえ!」という勢いで、前半はノルウェーの曲ばかりでまとめられることになったという経緯があります。

 クリスチャン・シンディング Christian Sinding (1856-1941) の曲はドイツのペータースから楽譜が出版されたので、かつては演奏されることも多かった作品です。残念なことに現在は絶版になっており、ノルウェー国立図書館のコレクションから楽譜をプレゼントしていただいたことにより演奏が実現しました。いかにもシンディングという、後期ロマン派の響きとともに北欧の抒情が聞こえてくる音楽です。

 トマス・ベック Thomas Beck (1899-1963) の曲のタイトルのグブランスダールというのは、1994年冬季オリンピックの開催地リレハンメルの近くにある谷の名前です。《スプリンガル風のイントラータ (Intrata quasi Springar)》、《レスヤの結婚行進曲 (Brurleik frå Lesja)》、《ルムのハリング (Halling frå Lom)》の3曲は、その谷に点在する町や村の舞曲と民謡が素材になっています。装飾音の使い方や和声の処理のしかたには独自の魅力があり、同じように民俗音楽を題材にしたグリーグの作品とも違った音楽に仕上がっています。

 ニルス・ヘンリク・アスハイム Nils Henrik Asheim (b.1960) の曲は、《きつねのミケル (Mikkel Rev)》という童謡を4人の作曲家 − バッハ、モーツァルト、ショパン、エドヴァルド・グリーグ − そしてジャズという、5通りのスタイルにパラフレーズした連弾のための作品です。ノルウェーで演奏されることが多いというのは、“放課後のパーティ” といった気楽な雰囲気のためだと思います。現代ノルウェーを代表する作曲家のひとりアスハイムの、学生時代の“楽しい”習作です。

 ヨハン・クヴァンダール Johan Kvandal (1919-1999) は、《ハリングフェレと弦楽オーケストラのための幻想曲》に代表されるように、新古典主義的な音楽に民俗音楽を自然な形で取り入れた作風の作曲家です。デュオ・コンチェルタンテはどちらかといえば新古典的な傾向がつよく、第1部の最後を力強くしめるにふさわしい作品でしょう。

 今回の演奏会では、刀根さんがプリモと第1ピアノを担当し、山根さんはセコンドと第2ピアノにまわります。一見、脇役のようですが、ある意味でこちらのほうが大変です。ふたりともノルウェーの舞曲を題材にした作品を弾くのは今回が初めてです。トマス・ベックの作品などは譜面づらは比較的簡単ですが、舞曲のリズムが相当の難物です。そのため、たまたまレッスンのために揃ってドイツに行く機会があるのを利用して、急きょ予定を変更、帰路オスロに寄ってノルウェー国立音楽アカデミーの教授の個人レッスンを受けることが決まりました。教えてくださるのは、Victoria のハーラル・セーヴェルーのピアノ作品集や、テリエ・トネセンと共演したグリーグのヴァイオリンソナタなど多数の録音でも知られるアイナル・ヘンニング・スメビ氏 Einar Henning Smebye (b.1950) です。感性豊かにピアノを響かせるという演奏の特徴、そして現代の音楽も得意とするという意味で山根さんと相通じるところがあるので、これはとてもラッキーでした。いったい、どんな演奏会になるのでしょうか。

 山根さんの演奏会は、もうひとつ予定されています。11月4日(土曜日)の第2回「アイノラのつどい in 広島」 です。プログラムは未定ですが、グンナル・デ・フルメリの《田園組曲 (Pastoral svit)》のフルートとピアノのための原曲と、テューバとピアノのためのフィンランドの抒情的な作品などが候補に挙がっています。ノルウェーでのレッスンが選曲に影響することも考えられるので、ちょっと楽しみです。ホールは決まっているので、あとは曲目だけです。決まり次第、あらためてご案内します。

(TT)

デュオ・ピアノ・リサイタル 2000年10月8日(日曜)午後2時 開演
 会場 防府市文化交流センター アスピラート音楽ホール  出演 刀根由貴子 山根浩志
 料金 一般 2,000円 学生(高校生以下) 1,000円

参考ディスク

Pro Musica PPC9027 ピアノ・デュオのためのノルウェー作品集
 クリスチャン・シンディング (1856-1941) 6つの小品 作品71
 トマス・ベック (1899-1963) グブランスダールの舞曲 作品24
 ヨハン・クヴァンダール (b.1919) デュオ・コンチェルタンテ 作品41
 ハンス・マグネ・グレスヴォル (b.1936) ピアノデュオ (1990)
 ニルス・ヘンリク・アスハイム (b.1960)
  きつねのミケル − よく知られたメロディによる変奏曲形式の組曲
  テレフ・ユーヴァ (ピアノ) トリグヴェ・トレダール (ピアノ)

Kontrapunkt 32183 フランツ・シューベルト (1797-1828) 4手のピアノのための作品全集 第1集
 幻想曲 ヘ短調 D940 イタリア風序曲 ニ長調 D592 イタリア風序曲 ハ長調 D597
 3つの軍隊行進曲 D733 フランスの歌による変奏曲 D624
  トーヴェ・ロンスコウ (ピアノ) ロドルフォ・ラムビアス (ピアノ)

Kontrapunkt 32148 ヨハネス・ブラームス (1833-1897) 交響曲第3番 ヘ長調 作品90(2台のピアノのための)
 ハイドンの主題による変奏曲《聖アントニウスのコラールによる変奏曲》作品56b(2台のピアノのための(原曲))
  トーヴェ・ロンスコウ (ピアノ) ロドルフォ・ラムビアス (ピアノ)

 

新譜情報

BIS CD1050 ヨウン・レイフス (1899-1968) 声楽と管弦楽のための作品集
 流氷 (Hafís) 作品63 (1965) (混声合唱と管弦楽のための)
 2つの歌曲 (Tveir Söngvar) 作品14a (メッツォソプラノと管弦楽のための)
  月が動いていく (Máninn liður) (1930) 子守歌 (Vöggvísa) (1929/1936)
 グヴズルーンの歌 (Guðrúnarkviða) 作品22 (1940) (メッツォソプラノ、テノール、バスと管弦楽のための)
 夜 (Nótt) 作品59 (1964) (テノール、バリトンと管弦楽のための)
 フィーネ I (Fine I) 作品55 (1963) (管弦楽のための)
 子守歌 (Vöggvísa) 作品14a-2 (1929)
  イングヴェルドゥル・イール・ヨウンスドウッティル (メッツォソプラノ)

  グンナル・グヴズビョルンソン (テノール) ロヴトゥル・エルリングソン (バス)
  オウラヴル・キャルタン・シーグルザルソン (バリトン)
  スコラ・カントルム室内合唱団 アイスランド交響楽団 アン・マンソン (指揮)

BIS CD1066 カレヴィ・アホ (1949-)
 中国歌曲集 (Kiinalaisia lauluja) (1987)
  赤い太陽 (Punainen aurinko) なんとしなやかな (Miten taipuisa)
  金色の鳥 (Kultainen lintuhiusneula)
  夜の酒に酔った者 (Yöllä, aivan päihdyksissä)
  秋の風 (Syksyn tuuli)
  雪の中にも春の兆しが (Lumen keskellä kevään viesti)
 交響曲第4(1972-73)
  ティーナ・ヴァヘヴァーラ (ソプラノ) ラハティ交響楽団 オスモ・ヴァンスカ (指揮)

BIS CD1068
ヘイクル・トウマソン (1960-) ヴァイオリンと室内管弦楽のための協奏曲 (1997)
 年輪 (Árhringur) (1994) らせん (Spírall) (1992)
 ステンマ (Stemma) (1997)
  シグルーン・エズヴァルスドウッティル (ヴァイオリン)
  CAPUT アンサンブル グヴズムンドゥル・オウリ・グンナルソン (指揮)
伝承曲 ステンマ (Stemma)
  ヨウン・アウスムンズソン (ヴォーカル) [1966年現地録音]

Erato 8573-82917-2
 エドヴァルド・グリーグ (1843-1907) 管弦楽作品集
 《ペール・ギュント》第1組曲 作品46 第2組曲 作品55
 演奏会序曲《秋に》作品11 交響的舞曲 作品64
  バーミンガム市交響楽団 サカリ・オラモ (指揮)

 

ワールドミュージック新譜

Buda 92756-2 カウスティネンとその周辺の音楽
 ユッシ・クルタ、ラプスカ、サンギンライタのワルツ、他

◇例年7月に民族音楽祭が開催されるフィンランドの町、カウスティネンとその周辺の民俗音楽を集めたアルバム。


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CD artwork © Ondine (Finland), Prophone, BIS (Sweden)