Newsletter No.26   18 December 2000

 

エドゥアルド・トゥビンの交響曲

 いま、塩野七生の「ローマ人の物語」という本が評判になっています。カエサルやネロを主人公にすえて古代ローマ帝国を語ろうとする、このシリーズ。ネルヴァからマルクス・アウレリウスに至る五賢帝の物語まであります。この一連の作品は、伝記でもなければ歴史書でもなく、小説です。ことによると、かつてトルーマン・カポーティーが「冷血」を発表したときに使い、ノーマン・メイラーに「想像力(イマジネーション)の怠慢」とかみつかれ、批評家たちには悪ふざけのキャッチフレーズと批判された“ノンフィクション・ノヴェル”という概念でとらえるほうが、もっとふさわしいかもしれません。

 この種の著作はずっと以前からありました。もっとも重要な一冊が、フランスのマルグリート・ユルスナール Marguerite Yourcenar の「ハドリアヌス帝の回想 (Mémoires d'Hadrien)」。余命を知った、五賢帝のひとり、ハドリアヌスが孫のマルクス・アウレリウスに語る“自伝”という形をとり、彼の思索の跡をたどる作品です。白水社から邦訳が出版されていて、手にした時には夢中になって読んだことを覚えています (グレイス・フリック Grace Frick が著者の協力のもとに翻訳した、美しい文章の英語版は Farrar, Straus and Giroux から出版)。イギリスのメアリー・リノールト Mary Renault の「天からの火 (Fire from Heaven)」と「ペルシアの少年 (The Persian Boy)」 (ともに Pantheon) も面白い作品でした。いずれもマケドニアのアレクサンドロス (アレクサンダー大王) を主人公とし、歴史上の人物たちが生き生きと描かれていて飽きさせません。神田の古書店で見つけた、フレデレリック・ファロン Frederic Fallon の「白のクイーン (The White Queen)」 (Doubleday) −− スコットランドの女王メアリーの物語 −− も、あまり大きな評判にこそならなかったようですが、登場人物を人間味たっぷりにリアルに再現することを試みた力作。出版直後に著者が自動車事故で亡くなってしまったことが悔やまれます。25歳の若さでした。

 同じ歴史を扱いながら、どうして歴史書よりも小説のほうに惹かれてしまうのでしょうか (もちろん、好みの問題もありはするでしょうが)。ほとんど疑問に思うこともなく“フィクション”を楽しんでいたところに、先日、塩野七生さんが小説家の平野啓一郎氏との対談の中で興味深いことを言っていました。歴史を題材にした作品を書く作家も、歴史家たちと同様に古文書や研究書などを幅広く研究します。しかし、塩野さんは、「歴史家と作家の両方が同じ人物を研究しても、最終的にその人間像をよりリアルに描くことができるのは作家」と、断言していました。そして、たしか彼女は、「わたしたちの勝ち」という言い方をしていました。作家はイマジネーションを働かせることができる、ということが理由です。

 そういうことはあるでしょうね。ローマで執筆をつづけている塩野さんの場合、コロセウムであれフォーラムであれ、歴史上の人物が立ったその場所に出向いていき、曙光をながめ、日没のときの空気を肌で感じながら想像力を働かせるのはたやすいことだと思います。

 作家の作業と同じように、作曲家が歴史を題材にした作品を書く場合にも、イマジネーションがとても重要な要素を占めるはずです。ローマの話が出たついでに例に挙げると、レスピーギの《ローマの松》の第4曲《アッピア街道の松》の迫力ある音楽は、街道を行軍するローマの軍団を描写したものといわれます。作曲者の想像力は、遠い昔のローマにまで届いたというわけです。

 しかし、もし作曲者レスピーギがローマに“征服された”土地に住んでいたとしたら、進軍する兵士の音楽が単に“気楽な”音楽ですんだでしょうか? もし、作曲家が現実に“過酷な”歴史に巻き込まれていたとしたら……。イマジネーションにくわえて、“その歴史を生きた”作曲家の内面にあるもの、たとえば“心の痛み”が作品に反映するに違いありません。ロシアの圧政下にあったフィンランドでシベリウスが書いた《報道の日の音楽(新聞祭典の音楽)》−− 終曲が《フィンランディア》の原曲のなった《フィンランドは目覚める》−− や、ノルウェーのハーラル・セーヴェルーがナチス・ドイツに占領された時代への怒りと悲しみを音楽にこめた“抵抗三部作”の交響曲は、その最良の例でしょう。

 歴史に翻弄された“当事者”として、祖国への想いを生涯を通じて音楽で語った作曲家のひとりが、バルト三国のひとつエストニアの作曲家エドゥアルド・トゥビンです。

 北欧文化圏に含まれるバルト三国も、長い歴史のなかではさまざまな苦難の道を歩んできました。リトアニアのヴィルニュスやラトヴィアのリガなど、世界遺産にも登録された地区をもつ都市のそこかしこに、悲しい歴史を語る場所が現在も残っているといいます。そういう地域だけに、バルトの国々の作曲家には、そういう歴史を反映させた作品を書いた人たちが数多くいます。そのなかでもトゥビンは、すでに北欧音楽のファンの間では“ビッグネーム”になっている作曲家です。大束省三さんの「北欧音楽入門」にあるとおり、スウェーデンのレコード会社 BIS から発表された1枚のLPがきっかけとなり、その後彼の重要な作品が次々と録音され、また各地で演奏もされるようになりました (広島交響楽団も彼のダブルベース協奏曲をプログラムに取り上げたことがあります)。

 エドゥアルド・トゥビン Eduard Tubin (1905-1982) は、エストニアのトリラ −− ペイプシ湖畔のカラステ近くの村 −− の漁師の家に生まれました。父親は村の楽団でトロンボーンを吹いていたということです。1920年にはタルトゥー師範大学に入学。ほぼ同時期にタルトゥー音楽高等学校でヘイノ・エッレル Heino Eller (1887-1970) のクラスで作曲を学びます (1924-1930年)。1926年に師範大学を卒業後はタルトゥーに近いノオで教職につき、1930年からはタルトゥーに移ってヴァネムイネ劇場の指揮者として音楽家としての活動を開始。タルトゥー男声合唱協会、ミーナ・ハルマ協会とヴァネムイネ協会 − いずれも混声合唱 − など、合唱活動にも大きな力を発揮するようになります。

 トゥビンにとって最大の転機となったのは、ナチス・ドイツが占領していたエストニアに、1944年9月、ソヴィエト軍が再び侵攻してきたことです。トゥビンは、この時、多くの同胞たちとともにスウェーデンに亡命します。ストックホルムに居を構え、王立ドロットニングホルム宮廷劇場に保存されていたオペラの楽譜の修復作業に携わるかたわら、作曲活動やストックホルム在住の人たちにより結成されたエストニア男声合唱団の指揮者としての活動 (1945-1959年、1975-1982年) などに力を注ぎます。スウェーデンに移住した後に作曲された作品は、エストニア時代のスタイル −− 交響曲でいえば第1番から第4番まで −− を彼自身の中で更に発展させたもので、エストニアの民俗音楽をスウェーデンで身に付けた新しい表現方法と融合させた独特の様式による音楽は、彼の全作品の中でも特に重要な位置をしめる作品群といわれます。トゥビンは、1981年のストックホルム市栄誉賞につづき、翌1982年には王立スウェーデン音楽アカデミーの会員に選出されました。彼が亡くなった年です。

 トゥビンが残した作品はかなりの数にのぼります。交響曲をはじめとする管弦楽作品。そのなかには、ヴァイオリン、ピアノ、ダブルベース、バラライカなどの楽器ために書かれた協奏曲も含まれます。その他、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲、合唱曲、そして2曲のオペラ。トゥビンの場合、録音された曲を聴いたかぎり、これだけはどうも、という作品がないのは大事なことでしょう。トゥビンの友人でもあったエストニアのピアニスト、音楽学者のヴァルド・ルメセン Vardo Rumessen (b.1942) も、そう語っています (ルメセンはトゥビンのピアノ作品全集を録音 (BIS CD414/416) しており、トゥビンのピアノ音楽も一曲一曲がとても魅力的です)。ついでに言うなら、エストニアの民謡に基づく作品でさえ、素材の処理のしかたが極めて洗練されているのは、トゥビンの音楽の特徴と言っていいように思います。

 トゥビンは、管弦楽のための作品にもっとも力を注いだといわれます。そのなかでも11曲の交響曲 −− 第11番は未完 −− はいずれも傑出した作品で、トゥビンの作曲家としての評価を確実なものとしたのは、まず、これらの交響曲でした。作曲者の個人的な体験から生まれた楽想を、全体の劇的な構成を把握したうえで、対位法的に展開させる。これは、全部の交響曲に共通します。トゥビンの作曲家としての力量の証しでもあります。そして、管弦楽法には無駄がなく、しかし効果的です。実にすっきり書かれているスコアなので、実際に音として響いた時とのギャップに驚かされます。

 ヴァルド・ルメセンは、同胞人トゥビンの交響曲について、こう語っています。

 「彼の交響曲は、それぞれがあまりに完璧で独特の世界として描かれているために、ひとつひとつが新しい世界観に基づいて書かれたかのように思えてくる。すべての交響曲が、それぞれの作品に応じて、人生と民族への理解、そして祖国と国家への愛を反映している。同時に、彼の交響曲には、エストニアの人々と彼らの自由と独立へ向けての闘争の歴史とも密接な繋がりがある。トゥビンの作品の音楽としての絶対的な質の高さを強調することはもちろんだとしても、彼の作品と、祖国、そして国家との直接の関係を否定することはできない」

 また彼は、「トゥビンの交響曲にはどの作品にも何かユニークなところがあり、それぞれ違った感じ方によって世界がとらえられている」とも付け加えています。「巨匠の作品の常として、トゥビンの交響曲のどれかひとつを他よりも好きだと言うのはむずかしい」

 まったくそのとおりでしょう。充実した、真摯な交響曲群です。

 第1番の交響曲ハ短調は、1931年12月1日に作曲に着手され、1934年5月11日に完成しています。初めて交響曲を手がけることの困難もあったでしょうが、当時タルトゥーの劇場の指揮者の職にあり、午前中のリハーサルと夜の公演の合間の午後を作曲に当てざるを得なかったという事情もあったようです。また、二十代なかばのトゥビンには、この曲によって語りたいことが、それこそ山ほどあったと考えることもできます。この作品には、交響曲にかぎらず、後のトゥビンの音楽を特色づける多くの感情がすでに数多く聞こえてきます。美しい暁に象徴される祖国への愛、郷愁、希望、憧れ、あきらめ……そして歓喜さえ。最初の楽章の主題が中間と最後の楽章にも (変形し、あるいはそのまま) 現れる、トゥビンの交響曲にしばしば見られる手法がすでにこの曲にも使われています。そして、約2年半かかって出来上がった音楽は、最初の交響曲にあってもおかしくない、気負いもなければ、作曲家としての未熟さをうかがわせるところもありません。

 作曲者の“署名”もすでにはっきりと見え −− 後の交響曲にしばしばみられる独奏ヴァイオリンの歌や、金管楽器のファンファーレ −− 構成の確かさに支えられた、説得力のある音楽づくりは、トゥビンの交響曲でしかありません。第1楽章の導入部、アダージョに現れる2つのテーマのうち、最初のテーマはいわば交響曲全体のメインテーマでもあり、形を変えて(第2楽章)、あるいは元のまま(第3楽章)印象的に後の楽章に再現します。また、ハ短調で力強く終わりながら、金管楽器が不協和音を演奏する第1楽章のコーダ。第2楽章の最後も不協和音。それに対して、ハ長調の輝かしい和音が全曲を締めくくる第3楽章。そういった構成の巧みさも、この曲に感情の起伏と奥行きを与えていることでしょう。自分の音楽に対する愛情と確信にみちています。

 つづく第2番は、“ドラマ”に対するトゥビンの感覚がさらに大きく発揮された作品です。作曲者みずから《伝説的 (Legendaarne/Legendary)》との副題をつけ、スコアの第1楽章導入部の頭には通常の表情指定のかわりにフランス語で "Légendaire" と記しています。1937年、夏の休暇で滞在していたエストニア北東沿岸部のトイラで作曲に着手し、この地の“すばらしい静けさ、海、自然、そして夏”に触発されながら曲を書いていきました。13世紀、エストニアの自由を守るため、ドイツから攻め込んできたテュートン騎士団と戦い、悲しい最後を迎えた戦士たち。チェスの好きだったトゥビンは、エストニアの戦士を表す白のコマと、テュートン騎士団を表す黒のコマが戦うエストニア式のチェスのことを考えながら作曲をすすめた、とルメセンは語っています。そして、エストニアの過去に想いを馳せた交響曲が誕生します。ただ、“伝説的”というタイトルがつけられ、歴史上の出来事からインスピレーションを授かったとはいえ、この交響曲は標題音楽ではありません。それは、この交響曲にかぎったことではなく、他の交響曲、そしてトゥビンの全作品について言えることです。先日ルメセンから受け取った手紙には、トゥビン自身が明言した、とはっきり書かれていました。

 澄み切った大気のような冒頭の音楽。ヴァイオリンとヴィオラが幻想的な雰囲気を醸し、静かなピアノのアルペッジョも加わって、われわれをはるかな昔へと誘ってくれます。次第に音楽は高揚し、束の間の静穏の後に始まる激しい戦闘。そして、葬送の音楽。更なる戦いが始まり、すべてが終わったあと、死んだ戦士たちを悼むかのように奏でる独奏ヴァイオリンの挽歌。そして、何もなかったかのように元の自然にもどり、勇壮で悲しい交響曲は“伝説”となっていきます。

 第3番の交響曲は、トゥビンにとってもっともつらかったと思われる時代に作曲されました。スコアの表紙には書いてないものの、トゥビン自身がまとめた作品リストでは、《英雄的 (Heroiline/Heroic)》という副題がついています。作曲を始めた1940年12月の6カ月前、エストニアはスターリンによってソ連に併合。翌年の夏までに8万人のエストニア人が、殺されるか、流刑地に送られるかしたといわれます。そして、一年経つか経たないかの間に、こんどはナチス・ドイツが侵攻。第1楽章が書き上がったのは1942年の5月は、ドイツ軍の占領から約9カ月後のことです。同年10月には全曲が完成し、翌1943年2月26日に首都タリンで初演されました。2日前の2月24日は、もし自由な時代であれば、エストニア共和国の独立記念日が祝われていたはずの日です。作曲者はむろんのこと、エストニアの人々はどんな気持で初演を聴いたのでしょうか。憎悪、怒り、絶望……。

 第1楽章、主要主題につづいてオーボエ独奏で歌われる、民謡を思わせる副主題は作曲者の心の訴えのように聞こえます。つづくフーガの音楽は、作曲者の怒りのなのか、統制下でのエストニア国民の生活の現実と理想の葛藤を心理的に描いてるのか。フーガの合間に顔をのぞかせる抒情的な音楽と、コーダでは勝ち鬨の歌となる主要主題がきわめて印象的です。

 ついでながら、この楽章の最初でベースが奏する民謡風の旋律に関連して、ルメセンの手紙にはこう書かれています。「エストニアの民謡のように聞こえるかもしれませんが、実際は違います。でも、この交響曲全体の楽想は、ソヴィエトとドイツに占領された時代のエストニア国民の気持と明らかに結びついています。また、この曲は、多くの音楽家たちから“英雄的な”交響曲と呼ばれてきました。エストニアの自由と独立という理想をはっきり宣言する音楽と、わたしも考えます。といって、(民謡の引用のように)そのことを直接暗示するものは何もありませんが」

 第2楽章スケルツォの中間部のトリオでは、独奏ヴァイオリンが抒情的な歌を奏でます。第3楽章の冒頭のトロンボーンの呼びかけは、まるで「エストニアの民よ立ち上がれ!」とでも言っているかのよう −− この旋律は、楽章の途中でも楽器を変えて奏されます。人々の独立への歩みが結集し、支配者を駆逐するかのように大きなうねりとなっていく音楽。勝利への行進曲を導く金管楽器群のファンファーレ。しかし、独立は実際には願望でしかありません。束の間、音楽はなりを潜めるものの、いつか訪れるエストニアの自由の日への願いよ届けと高らかに凱歌が響き全曲を閉じます。フィナーレの音楽は −− 強固な構成が持ち味のトゥビンにしては −− やや“英雄的”な響きが誇張されたきらいはありますが、悲惨な時代のまっただ中で作曲されたことを思えば、むしろ未来への強い願望のゆえ、と考えたいところです。

 対照的な雰囲気の作品が第4番の交響曲です。《シンフォニア・リリコ (Sinfonia Lirico)》という副題 −− 手元のスコアでは“Nr 4(第4番)”のほうがカッコ書きになっています −− が示すとおりの“抒情的な交響曲”。エストニアの春や夏の自然はこうだろう、と思わせるような音楽は、“パステルカラーのシンフォニー”とでも呼びたい誘惑にかられます。初演を指揮したオーラフ・ルーツ Olav Roots が、“うす暗闇の中で輪郭をなくしてしまっていた田園地帯に、北欧の夜の柔らかい光が拡がっていく”と表現する、第1楽章の開始。ヴァイオリンとヴィオラの弾く第1主題が春の訪れを予感させます。ヴィオラと第2ヴァイオリンにつづいて、この主題をフルートと第1ヴァイオリンがエスプレッシーヴォ(表情ゆたかに)で展開させたあと、バスクラリネットとそれぞれ3声部に分割された (div.) ヴィオラとチェロの上で独奏オーボエが奏でる第2主題。指定は“カンタービレ(歌うように)”です。分割弦が演奏する、ひろがりのある音楽。つぎの第2楽章はスケルツォ風の軽快な音楽ですが、じっくりと感情表現させることを求める表情指定が、いくつも書き込まれています。

 「第4交響曲と同じ時期にトゥビンは、独唱のための歌曲を数曲書いており、その1曲《幸せを待ちわびて(Onne ootel/Waiting for happiness)》はこの交響曲の最初の部分に通じるところがある。ヘンリク・ヴィスナプーの詩による歌曲《夏の夜 (Suvine öö/Summer night)》には『うす暗く、美しく、祝福されたのは夏の夜 (Sume, lembe ja onnis on suvine öö/Dim, lovely, blessed is the summer night)』という一節があり、これを第3楽章の題辞として引用してもいいかもしれない」。ハッリ・キースク Harri Kiisk は、BIS のディスクの解説で第3楽章についてこのように書いています。作曲者自身が“まさに交響的で、元気のでるアレグロ”と語ったとされる第4楽章は、第1ヴァイオリンのハミングするようなピアニシモの旋律が、しだいに他の楽器を誘いながら高揚していく様子が見事です。そしてコーダの輝かしい音楽。

 この曲が完成したのは1943年の8月。翌年の初演にむけてパート譜を作成するために、スコアは首都タリンへと送られました。そしてパート譜は完成、スコアとともにエストニア放送の金庫に保管されます。ところが、初演も近い3月9日、ドイツ軍占領下の首都タリンはソ連軍の空爆を受け、放送局が入っていたエストニア劇場は破壊されてしまいます。金庫は地下に落下したものの、幸いなことにスコアの端が焦げていただけで、パート譜は無傷でした。交響曲第4番は、4月16日、会場をタリン・ドラマ劇場に移して初演。しかし、この年の9月20日、トゥビンはトリーヌ号に乗ってスウェーデンへ亡命。この第4番の交響曲が美しい祖国への惜別の歌になってしまいます。

 その後、1978年になってトゥビンは初稿にカットを施し、“より引き締まった”版 (トゥビン) が誕生しました。1982年11月5日 −− BIS のディスクのハッリ・キースクの解説では1981年とされていますが、ルメセンによると1982年が正しいようです −− 改訂版はベルゲンで初演。BIS のディスクはその時のライヴ録音を音源とし、聴衆の熱気のこもった拍手もそのまま収録されています。

 交響曲第5番をヴァルド・ルメセンは、単にトゥビンの最高作というだけでなく、エストニアの交響作品のもっともめざましい偉業のひとつと位置づけ、“熟練した技術と展開の激烈さ、意図の実現の方法、そして主題の基になったエストニア民謡に与えた象徴的な意味合い”を強調しています。エストニアの国民にとっては、フィンランドの人々のシベリウスの《フィンランディア》と同じ価値のある、“エストニアの国民的交響曲”と呼ばれていいというのが、彼の考えです。亡命後の1946年に作曲されました。
 この作品の圧倒的な力と魅力を語るものとして、ルメセンは、1947年11月16日のストックホルムにおける初演の翌日の、スウェーデンの作曲家モーセス・ペルガメント Moses Pergament (1893-1977) の新聞批評を引用しています。

 「堂々とした作品。楽想と、主題の構造的矛盾の両方から内的な緊張が生まれていることが感じられる……エストニアの国民的悲劇を音楽により描写することが意図され、実現されたことは、疑いがない。そして、未来と、自由の予言的展望に対する宗教的とさえいえる信念に匹敵する力と芸術的空想をもった劇的性格の音楽が創造された……第5交響曲は、作曲者が音楽の表現形式に極めて精通していることを物語る巧みさをもって作り上げられている。予定したことに縛られず、厳格な音楽の論理のままに作品を創造する。彼の音楽は強い印象を与え、気持を高めてくれるが、それだけではなく、気持を鎮め、心を開放してもくれる。終楽章のコーダは、紛れもないシナイの山。そこからは約束の地がはるかな楽園のように見渡せ、雲のヴェールはより高く、もっと高く、勝利を喜ぶ長調の最後の和音に収斂していく」

 第1楽章を始めるのはエストニアの民謡《子供のころの小道 (Mel aiaäärne tänavas/My childhood lane)》に基づく主題。この交響曲の起動力になった背景を象徴的な示す曲とされます。楽章の最後の心にしみる音楽が、1944年の秋、トゥビンと何千ものエストニア人たちが渡った荒海を“美化した”ものというのは、作曲者自らが語るところです。第2楽章では、エストニアの民謡《向こうの方で夜が終わる (Öö lopeb tääl/The night ends yonder)》が、解放への約束のメッセージを運び、変化に富んだ第3楽章の最後を閉じるのは、ティンパニの強打とともに凱旋する強烈な音楽。同じエストニア人としてルメセンがこの曲を高く評価することが納得されます。

 交響曲第6番 (1952-54) は、晩年のトゥビンが、ピアノソナタ第2番 (1950) とともに、自分にとってもっとも重要な意味をもつと考えていた作品です。浅薄さが増殖し、道徳心が低下していく現代社会に対する抗議の意志を表明されています。トゥビンの目に、そんな時代を反映するものに見えたのが、ジャズの流行でした。作曲者自身がそのことを語っています。

 「クラシカル音楽とくらべて、ジャズを堕落の兆しと思った。粗悪で常套句の即興は、特に空虚なものに感じられた。悲観論者になった主な原因は、ジャズの悲劇的な面を見てきたことにもある。ドラッグ、アルコール…。第6交響曲を書いた1952年から1954年の間というもの、わたしはジャズがまじめな音楽を駆逐するのではないかと恐れていた…」

 世界を攻撃する邪悪と人間の道徳的な尊厳の相剋をテーマとし、その悪を破壊する建設的な力を示したのがこの交響曲というわけです。表現の手段として、ボレロ、ハバネラ、ルンバなどの踊りのリズムが多用され、ジャズの“退廃的”雰囲気を象徴する楽器サクソフォーン − この曲ではテナーサックス − に重要な役割が与えられています。そのことについてトゥビンは、「この楽器 (テナーサックス) のためのダンス音楽を書くことではなく、この楽器をできるかぎり悲劇的に使うことが目的だった」と言っています (トゥビンは、アルトサクソフォーン・ソナタ (1951) という素敵な曲を書いており、とかくクラシカル音楽では新参者ないし継子扱いされがちのこの楽器に対して偏見を持っていないように見受けられます)。これにピアノやさまざまな打楽器が加わり、作曲技法を駆使した音楽が展開していきます。

 全体は3つの楽章にわかれています。ヴァルド・ルメセンは、エストニアのグラフィックアーティスト、エドゥアルド・ヴィーラルト Eduard Wiiralt の作品になぞらえて、それぞれの楽章を「地獄」「キャバレー」「説教師」と呼んでいます。弦楽合奏の刻むボレロのリズムで始まる第1楽章は、スコアを見ていたら頭が痛くなるようなリズムの祭典。第2楽章は、ルメセンがデュオニソスの祭と呼ぶ楽章です。ピアノソナタ第2番の第1楽章の主要主題 −− “北極光 (aurora borealis) のテーマ” −− が、破壊の象徴として使われ、世界の無秩序を表現します。第3楽章についてトゥビンは、「これはまったく新しいダンスだ。といっても今日ではなく、過去の舞曲、シャコンヌ。しかも、組立はシャコンヌでありながら、現代のリズムをもっている」と言っています。そのために、荘重なシャコンヌで始まりながら、音楽はみるみる複雑になっていきます。拍子だけとっても、最初の4分の3が6小節後には4分の2になり、次の小節では8分の5、その1小節後には元の4分の3に戻り、それも6小節後には1小節だけ8分の9という具合です(演奏する立場では、うまく頭を切り換えさえすれば、とりたてて大変なことでもないということのようですが……)。そして、弱音の弦楽合奏のうえで2本のホルンが第1楽章の主題による“答えのない質問”を投げかける幕切れ。この宙ぶらりんの感覚がたまりません。

 “黙示録的な嵐” (ハッリ・キースク) の第6番に対して、1956年から1958年にかけて作曲された第7番の交響曲は、小規模な管弦楽の表現力が念頭におかれています。第1楽章はアレグロ・モデラート。手さぐりするかのように始まり、フルートとバスーンが提示した第1主題をヴァイオリンが受け継ぐあたりから音楽の緊張が増してくる。第2番とともに、トゥビンの交響曲のなかでももっとも印象的な開始のひとつです。展開部でチェロが第1主題を弾くところでは、聴くたびにゾクゾクさせられます。第2楽章は、間にスケルツォをはさんだメランコリックな音楽。そのスケルツォの途中にも葬送の音楽がはさまれています。アレグロ・マルチアーレの第3楽章は、不安をかきたてるような行進曲。コンパクトながら緊密に書かれた曲を締めくくるのは、ホルンとトランペットの高鳴り、そしてティンパニの強打です。これまでの交響曲と同じ作曲家の手になる作品だということは間違いないとしても、いわゆるマンネリズムに陥ることなく目標にむかって音楽を書き進めたことが、充実した作品を生むことにつながっているようです。

 同じことは、その後の3つの交響曲についても言えます。10曲のなかでももっとも暗く、ひたすら情感に訴えてくる第8番 (1966)。開始の憂鬱な気分と、全曲をつらぬく辛辣さと悲劇的な響きが、やはり忘れがたい印象を残します。第9番《シンフォニア・センプリーチェ (簡素な交響曲)》(1969) は、透明で明るい色調と悲しい気分が同居する曲。ヨーテボリ管弦楽協会から委嘱された第10番 (1973) でも、トゥビンの豊かなイマジネーションと構成力は健在です。単一楽章からなる曲の各部分をつなぐ、呼びかけるように響くホルン。この旋律と弦楽の作り出す情緒的な雰囲気との対比が、感情の動きに幅を与えています。

 ところが、この3作品につづく第11番 (1982) となると、作品について否定的な意見が聞こえてきます。第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・コン・スピリトだけの未完の作品 −− エストニアの作曲家カリヨ・ライド Kaljo Raid (b.1921) が、ネーメ・ヤルヴィの依頼によりオーケストレーションを補筆 −− で、叙事的な音楽ですが、さすがに初期の交響曲のような充実した響きは聞こえてこないように思います。トゥビンが未完のままで残したのも無理ないことかもしれません。

 ともあれトゥビンの10曲の交響曲は、どれも深い感情に根ざしています。それでいて、過度に情緒纏綿とした音楽にしない、節度とバランス感覚を備えていることも、トゥビンの美点ではないでしょうか。作為的なクライマックスを用意し、そのカタルシスで聴衆に媚びるなどということもありません。あくまで自分の音楽に忠実です。クライマックスで聞こえる“カッコいい”音楽も、内面に秘めた思いが大きさと勢いを与えた結果だと考えるのが自然でしょう。

 トゥビンは、1982年11月17日に入院先の病院で生涯を終えます。病床にあって、ウォークマンで彼が聴いた最後の音楽は、“彼が書いたもっとも苦く、悲劇的な交響曲” (ルメセン) という第8番。ヤルヴィによるマルメでの演奏の録音でした。“みずからへの賛美歌”で終わる、とトゥビン自身が語った音楽です。

 第2交響曲の解説のなかでヴァルド・ルメセンは、スウェーデンの批評家ペール=アンデシュ・ヘルクヴィストの文章を紹介しています。

 「トゥビンが亡くなるまで、スウェーデン音楽界は、自分たちのなかに我々の時代の巨匠がひとり存在することをわかろうとはしなかった。それでもなお、我々にとって未知の初期の交響曲が天才の円熟期に属する作品なのでは、という気はしていた。そして今、我々の知らなかった交響曲第2番が演奏された。まさに衝撃だった。この独創的な、とりわけ、完璧な形式をもつ並はずれて刺激的な音楽を聞いて、わたしは人はばかることなく泣いた。まるで、大きな不幸が訪れる前のヨーロッパへの器楽レクイエム。ショスタコーヴィチの1930年代の最良の作品は、部分的に更に新奇だったり、その時代としてはもっと独創的かもしれない。だが、それらの曲も、表現の豊かさにおいてこの交響曲を超えることはまずできない。この曲は、戦前の音楽すべての中でも、もっとも人の心を動かす作品に数えられるべきだろう」

 トゥビンの交響曲は、第11番をのぞいて、エストニア出身のネーメ・ヤルヴィ Neeme Järvi (b.1937) が録音しています。作曲者と親交のあったヤルヴィが作品に寄せる共感はむろんのこと、オーケストラ −− スウェーデン放送交響楽団、ベルゲン・フィルハーモニック管弦楽団、バンベルク交響楽団、ヨーテボリ交響楽団 −− のひたむきな演奏が音楽の意図するところを確実に表現し、実に見事です。ベルント・リュセル Bernt Lysell (ヴァイオリン)、ビョーン・シェーグレン Björn Sjögren (ヴィオラ)、オーラ・カールソン Ola Karlsson (チェロ)、ベンクト・フォシュベリ Bengt Forsberg (ピアノ)、ヨリエン・ペッテション Jörgen Petterson (サクソフォーン) らのソロも素晴らしく、名前が記載されていない、ベルゲン交響楽団の奏者も第4交響曲の第3楽章で印象的なヴァイオリンソロを聴かせます。

 フィンランドのレコード会社 Alba で全曲録音が進行中のアルヴォ・ヴォルメル Arvo Volmer (b.1962 エストニア) とエストニア国立交響楽団による演奏は、かなり色合いが違います。ヴォルメルは、トゥビンの音楽をすでに“古典”としてとらえているように思いますが、作品に対する共感はヤルヴィの演奏に少しも劣るものではなく、音楽に誠実に向き合っていることが感じられます。音楽によっては −− 第6番の複雑なリズムの処理のように −− ヴォルメルの演奏のほうが面白いところもあります。また、第5番の両者の録音をくらべた場合、ヤルヴィの方は、何となくオーケストラの音がくぐもって聞こえます。雰囲気を重視した BIS の録音が関係しているかもしれませんが、バンベルク交響楽団というドイツのオーケストラの特質も無視できないようです (個人的には、エストニアのオーケストラの抜けのいい響きに魅力を感じます)。いずれにしろ、一方を選ぶということはできないというのが、トゥビンの交響曲の場合は正しいように思います。希望を言うなら、ヴォルメルの第4番を一日も早く聴きたいというところでしょうか。

 余談ですが、AlbaBIS のディスクの解説を英語やスウェーデン語に翻訳したり、録音風景の写真を撮影しているエイノ・トゥビン Eino Tubin は、エドゥアルド・トゥビンの次男です。また、トゥビンの音楽を広く知ってもらうことを目的に、2000年の秋、国際エドゥアルド・トゥビン協会がタリンに設立されました。現在の会員は55名。近い将来、ホームページの開設も予定されているということです。

 トゥビンは、亡命後もなんどか祖国を訪れています。1961年12月、バレエ《悪鬼 (Kratt)》の改訂版初演にあわせたタルトゥーへの旅が最初です。当初、ためらったようですが、結局はエストニア行きを決意。しかし、その前に忘れずにスウェーデンの市民権を取得しています。KGB の監視下での祖国訪問は決して楽しいものではなかったはずです。トゥビンがあと10年長生きし、自由になった祖国の姿を確かめることができていれば……。

 トゥビンが待ち望んだ独立を勝ち得たエストニアも、まだ政治的にも経済的にも安定しているとはいえません。バルトの他の2つの国、リトアニアとラトヴィアについても同様です。その三国に、同じ文化圏に属する北欧諸国から差し伸べられるさまざまな手は、未来に向けての希望の手。特に、類似した言語と文化をもつフィンランドは、国民合唱祭などのエストニアの音楽文化を自国の雑誌でも積極的に紹介しています。Alba がエストニアのオーケストラと指揮者によるトゥビンの交響曲全集を企画したことも、そのひとつの表れのような気がします。

 フランスの映画監督ジャン・ルノワールが残した、平和というのは所詮は“大いなる幻影 (Le Grand Illusion)”でしかないというメッセージ。たしかに、現実はそのとおりかもしれません。エストニアが、覇権主義に蹂躙される前の真の祖国の姿に戻るにはしばらく時間がかかることでしょう。しかし、トゥビンが音楽にこめたのと同じ思いをいだく人々の手によって新たな建設が始まっているのも、また確かなことだと信じます。

(TT)


Alba ABCD141 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)
 交響曲第2番《伝説的》 交響曲第5番 ロ短調
  エストニア国立交響楽団 アルヴォ・ヴォルメル (指揮)

Alba ABCD147 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)
 交響曲第3番《英雄的》 交響曲第6番
  エストニア国立交響楽団 アルヴォ・ヴォルメル (指揮)

BIS CD351 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) 交響曲第1番 ハ短調
 バラライカ協奏曲 (1964) 弦楽のための音楽 (1962-63)
  エマヌイル・シェインクマン (バラライカ) スウェーデン放送交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)
  ベルント・リュセル (ヴァイオリン) ビョーン・シェーグレン (ヴィオラ) オーラ・カールソン (チェロ)

BIS CD304 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) 交響曲第2番《伝説的》 交響曲第6番
  スウェーデン放送交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮) ベルント・リュセル (ヴァイオリン)
  ビョーン・シェーグレン (ヴィオラ) ベンクト・フォシュベリ (ピアノ) ヨリエン・ペッテション (サクソフォーン)

BIS CD342 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) 交響曲第3番《英雄的》 交響曲第8番
  スウェーデン放送交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮) ベルント・リュセル (ヴァイオリン)

BIS CD227 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)
 交響曲第4番《シンフォニア・リリカ (抒情的な交響曲)》
  ベルゲン・フィルハーモニック管弦楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)
 交響曲第9番《シンフォニア・センプリーチェ (簡素な交響曲)》 トッカータ (1937)
  ヨーテボリ交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)
  
BIS CD306 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) 交響曲第5番 ロ短調 バレエ《悪鬼》 (1961) − 組曲
  バンベルク交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)

BIS CD401 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) 交響曲第7番
 エストニアの主題によるシンフォニエッタ (1940) ピアノ協奏曲 (1944/45)
  ローランド・ペンティネン (ピアノ) ヨーテボリ交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)

BIS CD297 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)
 交響曲第10番
  ヨーテボリ交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)
 斃れた兵士のためのレクイエム (1979)
  シェシュティン・ルンディン (アルト) ルーランド・リュデル (バリトン) ヘルムート・シタール (ティンパニ)
  ペーテル・ヴァリーン (ドラム) ホーカン・ハーデンベリエル (トランペット)
  ルンド大学学生合唱協会 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)

Koch International Classics 3-7291-2H1 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)
  交響曲第11番 − アレグロ・ヴィヴァーチェ、コン・スピリト (オーケストレーション補筆:カリヨ・ライド) 
  弦楽のためのエレジー (悲歌) (カリヨ・ライド 編曲)
 カリヨ・ライド (b.1921) 交響曲第2番《ストックホルム交響曲》
  エストニア国立交響楽団 アルヴォ・ヴォルメル (指揮)

参考ディスク

Virgin Classics 7243-545212-2 ルーツを探して
エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) 交響曲第11番 − アレグロ・ヴィヴァーチェ、コン・スピリト
アルヴォ・ペルト (b.1935) 追悼の辞 作品5 (1960)
エルッキ=スヴェン・トゥール (b.1959) ルーツを探して (1990) インスラ・デゼルタ (無人島) (1989)
 ツァイトラウム (時代) (1992 rev.1996) 
  王立ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団 パーヴォ・ヤルヴィ (指揮)

BIS CD286 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) プレリュード・ソレネル (荘重な前奏曲) (1940)
 ヴァイオリン協奏曲第1番 (1941-42)
 エストニア舞曲による組曲 (ヴァイオリンと管弦楽のための) (1974)
  マーク・ルボツキー (ヴァイオリン) ヨーテボリ交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)

BIS CD337 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) ダブルベース協奏曲 (1948) 悲しいワルツ
 ヴァイオリンと管弦楽のためのバラード (1939)
 ヴァイオリン協奏曲第2番 (1945) エストニア舞踊組曲 (1938)
  ホーカン・エーレーン (ダブルベース) グスターヴォ・ガルシア (ヴァイオリン)
  ヨーテボリ交響楽団 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)

BIS CD541/542 2CD's エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)  ヴァイオリン、ヴィオラとピアノのための作品全集
 3つの小品 (ヴァイオリンとピアノのための) (1933) 前奏曲 (ヴァイオリンとピアノのための) (1944)
 カプリッチオ第1番 (ヴァイオリンとピアノのための) (1937/71) カプリッチオ第2番 (1945)
 瞑想 (ヴァイオリンとピアノのための) (1938) バラード (ヴァイオリンとピアノのための) (1939)
 エストニア舞曲による組曲 (ヴァイオリンとピアノのための) (1943)
 おんどりの踊り (ヴァイオリンとピアノのための) (1957-58?) 無伴奏ヴァイオリンソナタ (1962)
 ヴァイオリンソナタ第1番 (1934-36/68-69) ヴァイオリンソナタ第2番 (フリギア旋法による) (1949)
 エストニア舞曲の旋律による組曲 (ヴァイオリン独奏のための) (1962)
 アルトサクソフォーンソナタ (1951) (ヴィオラとピアノのための編曲) ヴィオラソナタ (1965) 
  アルヴォ・レイブル (ヴァイオリン) ヴァルド・ルメセン (ピアノ) ペトラ・ヴァーレ (ヴィオラ)

BIS CD414/16 3CD's エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)  ピアノ作品全集
 6つの前奏曲 (1927-35) ピアノソナタ第1番 (1928) 子守歌 (1925) アルバムのページ (1926)
 子供のための3つの小品 (1935) 小行進曲 (1978) 3つのエストニア民俗舞曲 (1978)
 前奏曲第1番 (1949) エストニア民謡の旋律による変奏曲 (1945 rev.1981)
 マルト・サールの主題によるバラード (1945) 祖国の4つの民謡 (1947) ソナティナ ニ短調 (1942)
 7つの前奏曲 (1976) エストニアの羊飼いの歌による組曲 (1959) ピアノソナタ第2番 (1950)
  ヴァルド・ルメセン (ピアノ)

BIS CD269 エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) ヴァイオリンソナタ第2番 (フリギア旋法による) (1949)
 マルト・サールの主題によるシャコンヌ形式のバラード (1945) アルトサクソフォーンソナタ (1951)
 退却する兵士たちの歌 (1969) アヴェ・マリア (1952) (男声合唱とオルガンのための)
   ニルス・エーリク・スパーフ (ヴァイオリン) ローランド・ポンティネン (ピアノ)
   ペッカ・サヴィヨキ (サクソフォーン) ヤノーケ・ラーション (ピアノ)
   ルーランド・リュデル (バリトン) ルンド大学学生合唱協会 ネーメ・ヤルヴィ (指揮)

Ondine ODE776-2D 2CD's エドゥアルド・トゥビン (1905-1982) オペラ《ティーセンフーゼンのバルバラ》
  ヘルヴィ・ラーマット (ソプラノ) ヴァイノ・プーラ (バリトン) アンツ・コロ (テノール)
  ハンス・ミーベリ (バス) ウノ・クレーン (バス) マレ・ヨーゲヴァ (メッツォソプラノ)
  エストニア歌劇団合唱団・管弦楽団 ペーテル・リリエ (指揮)

Ondine ODE783-2D 2CD's エドゥアルド・トゥビン (1905-1982)
 オペラ《レイギの牧師》 (1970-71)
  テオ・マイステ (バリトン) マリカ・エーンサル (ソプラノ) イーヴォ・クースク (テノール)
  アンニカ・トーヌリ (ソプラノ) ウルヴェ・タウツ (メッツォソプラノ) レイリ・タンメル (アルト)
  エストニア歌劇団合唱団・管弦楽団 パウル・マギ (指揮)
 斃れた兵士のためのレクイエム (1979)
  ウルヴェ・タウツ (アルト) タレヴァルディス・デクスニス (オルガン) ウルマス・レイテン (トランペット)
  レイン・トゥド (ティンパニ) レイン・ロース (ドラム) エストニア国立男声合唱団 エリ・クラス (指揮)

 

「シベリウス − 写真でたどる生涯」

 アメリカに "Sports Illustrated" という雑誌があります。スポーツを、記事だけではなく視覚的な要素 −− 大きなサイズの写真 −− でもアピールするというのが編集方針。どのくらいの歴史を誇るのかは知りませんが、“ヴィジュアル雑誌”の代表のひとつとなっているようです。イギリスには、1842年創刊の "Illustrated London News" という週刊誌まであるとききますから、“ヴィジュアル”というのは今に始まったことではないのでしょうね。

 音楽に関する本の場合、オペラをのぞくと、“視覚”という面はあまり強調されることがないように思います。スポーツと違い、もともと見るよりは聴くものですから、当然かもしれません。でも、視覚という要素は強いインパクトを与えます。作曲家の生涯について書いた本に、写真やポスターやイラストレーションがたくさん挿まれているとすれば、かなり面白いのではないでしょうか。

 最近、音楽之友社から出版されたマッティ・フットゥネン著「シベリウス − 写真でたどる生涯」(菅野浩和 訳)は、そんな本です。原著は、フィンランド語を左ページに、その英訳を右ページにという面白い作りになっており、シベリウスの生涯と音楽を簡潔にまとめた文章と、写真などを数多くつかっているところに最大の特色があるようです。そのため、原著にはフィンランド語の "Pienoiselämälerta (小さな物語風伝記)" と英語の "An Illustrated Life" という副題がつけられています。"illustrated" には適当な訳語がありませんが、日本語版の“写真でたどる生涯”くらいの感じでしょうか。

 マッティ・フットゥネン Matti Huttunen は、1964年生まれのフィンランドの音楽学者。ヘルシンキにあるシベリウス・アカデミーの教授です。シベリウス研究に携わるとともに、フィンランド学士院の研究員、フィンランド音楽学会の機関誌の編集も務めているということです。エーリク・タヴァッシェルナ Erik Tawastjerna (1916-1993) が4巻 (スウェーデン語版)) に分けて記述したシベリウスを、1冊の小冊子で。かなり大変な仕事だったと思われますが、シベリウスの生涯と音楽を手頃に知るにはちょうどいいくらいの読み物に仕上がっています。

 巻末には訳者、菅野浩和氏の手になるシベリウスの作品リストがつけられています。ファビアン・ダールストレム Fabian Dahlström のカタログとは分類が異なるものの、未完成曲を省いた、ほとんどの作品が掲載されているようです。ピアノ曲集や歌曲集も内容がしっかりと書いてあり、訳者による本文中の注釈とともに、とても参考になると思われます。シベリウスに興味のある方に、特にお勧めしたい一冊です。

 マッティ・フットゥネン「シベリウス 写真でたどる生涯」
 菅野浩和 訳 日本語監修:舘野泉
 音楽之友社 A5版 価格 \2,000(税別)

(TT)

ラハティ交響楽団の“クッレルヴォ”

 フィンランドのラハティから、オスモ・ヴァンスカとラハティ交響楽団による新録音の知らせが届きました。曲目は、シベリウスの交響詩《クッレルヴォ (Kullervo)》(クッレルヴォ交響曲)です。コンピレーションアルバム (BIS CD1125) に収録された《春の歌 (Kevätlaulu)》と《フィンランディア (Finlandia)》をのぞくと、1999年12月8日のフィンランド独立記念日コンサートの曲目を集めたディスク (BIS CD1115) 以来のシベリウスの録音。まとまった作品というのも久しぶりです。

 シベリウス作品の原典版の録音で話題のラハティと BIS。《クッレルヴォ》の場合、手元の資料を調べたかぎりでは異版はなさそうなので、コンサート(2000年9月27日)の曲目に取りあげられたのを機会に新録音を、ということでしょう。同じ BIS のネーメ・ヤルヴィ Neeme Järvi の演奏 (CD313) も、録音から15年が経過しました。

 独唱はリッリ・パーシキヴィとライモ・ラウッカ。ラウッカ Raimo Raukka (バリトン) は、セーゲルスタムともこの曲を録音しています (Chandos CHAN9393) が、パーシキヴィ Lilli Paasikivi (メッツォソプラノ) は初めてのはずです。ラハティ交響楽団のコンサートに招かれることも多く、ヴァンスカが BIS に録音したシベリウスの《テンペスト (The Tempest)(CD581) 、《誰もかれも (Jokamies)》と《ベルシャザールの饗宴 (Belsazars gästabud)(CD735) でもソロを歌っています。合唱はヘルシンキ大学男声合唱団 (サロネン Esa-Pekka Salonen (Sony SK52563)、パーヴォ・ベリルンド Paavo Berglund の新旧録音 (EMI Classics CDM5 65080-2, CZS5 74200-2) に参加しています)。すでに録音は完了しており、2001年春のリリース予定です。

(TT)

Hero? Me, too? − 光通信 nr.2

 出し汁の色が麺に移るくらいの、うどんと焼きハゼのお雑煮がいとおしくなっている小生の今日このごろ。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 そうそう、前回の光通信で言い忘れたことがあります。

 “ハルサイ”のことなんですけど、冒頭に fagott のソロがありますよね。ここのところで、ごくごく稀に、何を勘違いしたのか、棒を振ってしまう指揮者がいるらしいんです。テンポをまかされてると思っている fagottist には、これはとてもメーワクなことだそうです。

 ステージから見た指揮者 −− 業界用語では“フリボー”さんという −− については、またいつか。

 さて、前回の“ハルサイ”の反響が大きかったので、今回もCDを1枚。こんどはラーシュ・ベンストープのフリボー (!)、ヨーテボリ交響楽団によるスヴェン=エーリク・ユーハンソンの《クマのプーさん》です。

 「この曲は、ファゴット (プー) とテューバ (虎のティーゲル) が主役というオーケストレーションがとても奇抜です」 (ブックレットより)。“ティーゲル、森へ朝ごはんを食べに行く”というエピソードが基になっていて、曲の内容にあわせてナレーションがついています。ナレーターのユンクヴィストが「クマのプーさん」の物語を提案して、作曲者自身がこのエピソードを選んだんだそうです。

 ちなみに小生は、このお話の内容を知らないんです。ですが、ジャケットとお話のタイトルを見ると、なんとなく理解はできます。ナレーションをじっくり、注意深く聴けば、もっと理解できるでしょう。いつか日本で live で聴いたみたいと思っています。でもですね、とても困難です。多分。‘なーんでか? それはね’(←堺すすむ風に)ナレーションがスウェーデン語だから!そのうえ、ナレーターは歌える人じゃないといけないんです。ヨーテボリまで行って、子供のためのコンサートに出くわせば、この音楽に Live で触れることができるかもしれませんね。

 このディスクには《魔法使いの弟子》も、ナレーション(スウェーデン語)入りとナレーションなしのヴァージョンで収録されています。どちらのヴァージョンも演奏のクオリティは、もちろん一緒です。ウォルト・ディズニーの「ファンタジア」をご覧になったことのある方なら、ナレーション付きのヴァージョンがより一層お楽しみになれるでしょう。

 このCDのご予約、ご意見、ご感想はノルディックサウンド広島まで。

 次回 (が、あれば) は、ティッゲル、いやテューバの世界 (おと) にどっぷり浸っていただく予定です。


参考ディスク

BIS CD259 クマのプーさん 
スヴェン=エーリク・ユーハンソン (1919-1997) 交響的物語《熊のプーさん》
ポール・デュカース (1865-1935)
 交響的スケルツォ《魔法使いの弟子》(1897) (スウェーデン語語りつき版、語りなし版)
  ステファン・ユンクヴィスト (語り) アーネ・ニルソン (バスーン) スティーグ・イェルベリ (テューバ)
  ヨーテボリ交響楽団 ラーシュ・ベンストープ (指揮)

 

新譜情報

Bergen Digital Studio BD7036CD グブランスダールの響き
ダーヴィド・モンラード・ヨハンセン (1888-1974)
 ピアノ組曲第2番 作品9 《グブランスダールから (Fra Gudbrandsdalen)(1922)
 ピアノ組曲第3番 作品12 《プリラル=グリ (Prillar-Guri)(1924)
  スヴァイヌング・ビェラン (ピアノ) クヌート・ショーク (ハリングフェレ)
  ライダル・スヴァーレ (ヴォーカル、フルート)

◇ダーヴィド・モンラード・ヨハンセン David Monrad Johansen の組曲は、リレハンメルに近い谷間の地方、グブランスダールで生まれた舞曲や民謡をピアノのために編曲した作品。ここでは、グリーグの《スロッテル(ノルウェー農民舞曲)》 (作品72) の原曲 (ハリングフェレによる演奏) とピアノ版を交互に収録した Simax のディスクと同じ趣向により、ハリングフェレ、フルート、ヴォーカルによる演奏とヨハンセンの版の両方が録音されています。ノルウェーの作曲家と民俗音楽の関わり合いを知ることができる貴重な、そして楽しいディスクです。

Caprice CAP21641 生きることの歓喜 − ラ・カペッラ、北欧の合唱曲を歌う
エヴァ・ニューベリ/アンデシュ・ニューベリ (1955-) ニーナの結婚の行進 (Ninas Brudmarsch)
カーリン・レーンクヴィスト (1958-) この地をおおう夜 (Natt över jorden)
 暗闇をこわがらないで (Var inte rädd för mörkret)
 生きることの歓び (Triumf att finnas till)
ヤーコ・マンテュヤルヴィ (1963-) ヨイクに似せて・ライト (Pseudo-Yoike Lite)
クヌート・ニューステット (1915-) マリアの歌 (Marys Song)
ヨーアン・イェアシル (1913-2004) 白夜 (Lyse naetter)
ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986) 冬の草原 (Vinteräng)
ニルス・リンドベリ (1933-) (カーリン・エークルンド 編曲) きみを夏の日にくらべたらどうだろう (Shall I Compare Thee)
ソルケトル・シーグルビョルンソン (1938-) なんじ、地と天の主へ (Til þin drottinn)
エドヴァルド・グリーグ (1843-1907) はじめての桜草 (Med en Primula veris) 作品26-4
ヨウン・アウスゲイルソン (1928-) 五月の星 (Maístjarnan)
ニルス・ラクーア (1944-) つばさ (Vinger)
トイヴォ・クーラ (1883-1918) 夕まぐれ (Iltatunnelma)
民謡 (フィエードゥル/カーリン・エークルンド 編曲) 痛みはもっとひどくなるのでは (Ô väln't ä barô vär)
スウェーデン賛美歌 (カーリン・エークルンド 編曲) なんじの大きな翼をひろげ (Bred dina vida vingar)
  ラ・カペッラ女声合唱団 カーリン・エークルンド (指揮)

◇ラ・カペッラは、オルフェイ・ドレンガルの指揮者、ロベルト・スンド Robert Sund (1942-)1986年に創設した、ウップサラに本拠をおく室内合唱団です。高度なレベルの歌唱を実践することによってスウェーデンの女声合唱を発展させることが活動の目的。今日の音楽からアフリカの歌まで、また世俗曲から宗教作品まで、広いレパートリーをもっています。国際的なコンペティションも含めた各地の大会で優勝を経験し、"美しい歌唱と優雅な舞台" は合唱音楽に新風をもたらしたと称えられました。北欧各国の作品を集めたアルバム。ただ清純というだけでない歌い方が彼らの音楽を示しています。カーリン・エークルンド Karin Eklundh (1962-)ストックホルム王立音楽大学でアンデシュ・エビ Anders Eby に指揮を学び、1993年にラ・カペッラの指揮者に就きました。ダーラナ地方の民謡をルーツとするヴォーカルグループ、フィエードゥル Fjedur のメンバーとしても活躍しています。

Chandos CHAN9862 ニルス・W・ゲーゼ (1817-1890) 交響曲全集 第1
 交響曲第2番 ホ長調 作品10 交響曲第8番 ロ短調 作品47 アレグレット、ウン・ポコ・レント
 スコットランド序曲《高地にて》作品7
  デンマーク国立放送交響楽団 クリストファー・ホグウッド (指揮)

◇ 不滅の童話の作者ハンス・クリスチャン・アンデルセン (アナセン) (1805-1875)、振付師オギュスト・ブルノンヴィル (1805-1879)、哲学者キアケゴー (キルケゴール) (1813-1855)、、民俗学者スヴェン・グロントヴィ (1824-1883)、画家クリストファ・ヴィルヘルム・エカースベア (1783-1853)…。デンマーク国内だけでなく国際的にも認められた文化人を数多く輩出した1800年から1850年までの50年間は、“デンマーク文化の黄金時代”と呼ばれる。1世紀半にわたりデンマーク黄金時代の精神を体現しつづけるティヴォリ公園も、オープンは1843年。1817年、建具師兼楽器職人を父にコペンハーゲンで生まれたニルス・W・ゲーゼ Niels W. Gade は、JPE・ハートマン Johan Peter Emilius Hartmann (1805-1900) とともに、この輝かしい時代を代表する作曲家。

 1840年に序曲《オシアンの余韻 (Efterklane af Ossian)》作品1 がコペンハーゲン音楽協会の賞を受賞。交響曲第1番は、それほど好評とは言えなかったものの、メンデルスゾーンがこの作品に熱狂したと伝えられる。このことが縁となり、ゲーゼは1843年にライプツィヒに渡り、第2番の交響曲を完成。メンデルスゾーンが指揮者を務めていたゲヴァントハウス管弦楽団を指揮して初演した。明らかなゲーゼの個性が感じられ、好意をもって受け入れられたものの、“北欧的”な音楽を期待しすぎた一部の批評家からは充分に評価されたとはいえない。《オシアンの余韻》と似た趣向の作品《高地にて (I Højlandene)》もライプツィヒで初演された (1844年)。1848年、デンマークとプロシアの間で第1次スレスヴィー戦争が勃発し、ゲーゼは帰国。その後も交響曲、室内楽作品、声楽曲など、ロマンティックな作品を次々と発表しデンマーク黄金時代に大きな功績を残す。最後の交響曲となった第8番は、ふたたび、初期の曲にみられるような北欧情緒を歌いあげた作品。最終稿が完成するまでにはかなりの変更が行われた −− 終楽章の序奏を削除、草稿がほとんど完成していた《アレグレット、ウン・ポコ・レント》(イ長調)の変わりに、新たに《アンダンティーノ》を作曲し、緩徐楽章(第3楽章)とした。ディスクの余白には、最初に書かれた《アレグレット、ウン・ポコ・レント》が、作曲者の指示に従ってト長調に移調した版で演奏、収録されている。《高地にて》とともに初録音。

 デンマーク放送交響楽団とホグウッドは、これまでにもゲーゼの第4番とフローリクの変ホ長調の交響曲を録音していた (Chandos CHAN9609)。爽やかな抒情と生気にあふれた演奏が、デンマークの豊かな香りを伝えている。


dacapo 8.224135 ヘアマン・D・コペル (1908-1998) 管弦楽作品集 第1
 交響曲第6番 作品63 《シンフォニア・ブレーヴェ (Sinofonia breve) (短い交響曲)》 (1957)
 交響曲第7番 作品70 (1960-61) 管弦楽のための協奏曲 作品101 (1977-78)
  オルボー交響楽団 モーシェ・アツモン (指揮)

◇ヘアマン・D・コペル Herman D. Koppel は、東欧からデンマークに移住してきたばかりのユダヤ系の両親の子に生まれる。カール・ニルセンが教鞭をとっていたコペンハーゲン音楽院に入学、1930年にはピアニストとしてデビューするが、作曲法はほとんど独学で習得。カール・ニルセン、バルトーク、ストラヴィンスキーらの音楽に影響を受けるが、ジャズをはじめとする“新しい音楽”にも関心を抱くようになる。ナチス占領時代にはスウェーデンに亡命、戦後帰国してからはピアニスト、作曲者として20世紀デンマーク音楽において大きな存在感を示す。晩年の室内楽作品では、“形式の正確さと、バランスのとれたリズムのエネルギー感とモチーフの表情豊かな扱い”に定評があった。7曲の交響曲、4曲のピアノ協奏曲、チェロ協奏曲、室内楽、ピアノ作品、歌曲など、広いジャンルの音楽を手がけ、映画、演劇、放送のためにも作曲。オペラ《マクベス》、2曲のオラトリオ −− 旧約聖書による《モーゼ》と旧約・新約聖書をテクストにした《レクイエム》 −− などの大作もある。特に、1963年から1964年にかけて作曲された《モーゼ》(作品76) は、戦後のデンマーク音楽を代表する作品のひとつとされ、戦時中の体験が強く反映した、心のうちから湧き出る音楽が心をうつ。コペルの管弦楽作品のシリーズ第1作の3曲は、バルトークの影がうかがえる作品。

 ピアニストとしての代表的録音は、カール・ニルセンのピアノ作品集 (dacapo 8.224095-96)Danacord のニルセン歴史的録音集 (Vol.5) にも、1952年録音の交響的組曲 (FS19 作品8) が収録されている。ちなみに、才能あるピアニストとしてデビューしながら、最近ジャーナリストに転身して話題を呼んだニコライ・コペル Nikolaj Kopel (b.1969) は、彼の孫のひとり。

dacapo 8.224139 ルーズ・ランゴー (1893-1952) 
 リーナウの気分 (Lenaustemninger) BVN138 (メッツォソプラノと弦楽四重奏のための) (1917)
 歌曲集《開花の時期に (I Blomstringstiden)BVN136
  (アルヴィルデ・プリーズの詩によるメッツォソプラノと弦楽四重奏のための2つの小品) (1917)
 七重奏曲 BVN95 (フルート、オーボエ、2つのクラリネット、2つのホルンとバスーンのための) (1915)
 弦楽四重奏曲 変イ長調 BVN155 (1918)
 ユモレスク BVN176 (木管楽器とスネアドラムのための六重奏曲) (1922-23)
  アネテ・L・シモンセン (メッツォソプラノ) ラナス室内管弦楽団

◇才能にめぐまれながら社会に適応できず、デンマーク音楽界のアウトサイダーと呼ばれたルーズ・ランゴー Rued Langgaard。典型的後期ロマン派の濃密な音楽、素朴で優しい自然が感じられる音楽、そして今日の音楽を予感させる領域にまで入り込んだ大胆な作品まで、膨大な数の曲を残した。特に16曲の交響曲は、音楽の中身から副題のつけかたまで、ランゴーの奇矯な性格が端的にあらわれた音楽として有名。そのランゴーの音楽も、歌曲や室内楽の分野になると、北欧の抒情 (時として、ゲーゼ Niels W. Gade (1817-1890) かと思わせるような) を感じさせる作品が多い。変イ長調の弦楽四重奏曲は、dacapo の弦楽四重奏曲集 (DCCD9302a/b) に収録されていなかった作品。

dacapo 8.224154 マティアス・ロネフェルト (1959-1986) 作品集
 グロデック (Grodek) 作品7 (ソプラノ、アルトと室内アンサンブルのための) (1980)
 カプリッチョ (Capriccio) 作品8 (ハープシコード (とヴァイオリン) のための) (1982-83 rev.1986/87)
 ドゥルシネアのための4つの歌曲 (Vier Lieder für Dulcinea) 作品9 (ソプラノとピアノのための) (1981 rev.1985)
 オルガンのための小協奏曲 作品3 (1980) ヴィオラと5つの楽器のためのアンダンテ 作品1 (1979)
 「ソロモンの雅歌」の7つの歌曲 (Sieber Lieder nach dem Hohelied Salomos) 作品5b (1981)
 来たれ創造主なる聖霊よ (Veni, creator spiritus) (ピアノのための) (1986)
  ダニエラ・ベクリー (ソプラノ) ランディ・ステーネ (アルト) クリスチャン・テツラフ (ヴァイオリン)
  デボラ・ウッド (ピアノ) イェンス・E・クリステンセン (オルガン)
  ラース・ウルリク・モーテンセン (ハープシコード) コペンハーゲン・アテラス・シンフォニエッタ
  セバスチャン・ゴットシック (指揮)

◇27歳で没したマッティアス・ロネフェルト Matthias Ronnefeld は、作曲家で指揮者の父とピアニストの母の間に生まれた。ウィーンとコペンハーゲンで育ち、晩年はハンブルクに住んだ。ヴァイオリンをアリス・アーノーンクール、ピアノをヘアマン・D・コペルに習い、フィン・ヘフディング Finn Høffding (b.1899) とペーア・ネアゴー Per Nørgård (1932-) に作曲法を学ぶ。15歳の時に交響曲を作曲するなど、才能を発揮する間もなく夭折したために作品の数は少ない。後年は主に室内楽の分野を手がけた。アルバン・ベルク、ベルント=アロイス・ツィマーマン、ジェルジー・リゲティらの影響を受け、私的色彩のつよい、抒情的な表現の音楽語法を開拓した。

dacapo 8.224165-66 2CD's ポウル・ルーザス (1949-) オペラ《侍女の物語 (The Handmaid's Tale)(1997-98)
  マリアネ・レアホルム (メッツォソプラノ) ハネ・フィッシャー (メッツォソプラノ) ポウル・エルミング (テノール)
  オーエ・ハウグラン (バス) アンネ・マルグレーテ・ダール (ソプラノ) スサンネ・レスマーク (メッツォソプラノ)
  デンマーク王立オペラ合唱団 デンマーク王立管弦楽団 ミケール・シェーンヴァント (指揮)

◇《侍女の物語 (Tjenerindens Fortælling/The Handmaid's Tale)》は、室内アンサンブルのための《4つの作品》(1980) などで国際的にも人気の高いルーザスの新作オペラ。プロローグ、前奏曲、2幕とエピローグで構成される。マーガレット・アトウッドの小説をもとに、ポール・ベントリーが台本を書き、ルーザス自身でデンマーク語に翻訳した。西暦2195年、一握りの人間だけが出産を許される、原理主義的で女性嫌悪症の不気味な未来社会。この社会における愛、権力、そして極右体制からの脱出が語られる。大編成の管弦楽と合唱にオルガンを伴う音楽。多様な様式の音楽に取り組むルーザスの、登場人物の心理的な葛藤を巧みに表現した真摯な音楽は、2000年3月の初演以来、多くの支持を集めた。このディスクは、初演の舞台を3月6日から11日にかけてライヴ収録したもの。dacapo、デンマーク国立放送、コペンハーゲン王立デンマーク劇場が共同製作した。

dacapo 8.224168 イブ・ネアホルム (1931-) 合唱作品集
 アメリカーナ (Americana) 作品89 (1988) (混声合唱のための)
 マクムーンの歌 III (MacMoon Songs III) 作品154 (1999) (12人の独唱者と器楽アンサンブルのための)
 魂のこもった夏 (Sjælfuld Sommer) 作品146 (1997) (混声合唱のための)
 3つの歌 (1988-90)
 鳥たち (Fuglene) 作品129 (1994) (混声合唱、フルート、クラリネット、ヴィオラとチェロのための)
  ヴォーカルアンサンブル アルス・ノーヴァ デンマーク室内プレーヤーズ タマーシュ・ヴェテ (指揮)

◇イブ・ネアホルム Ib Nørholm は、同時代の作曲家ペーア・ネアゴーやペレ・グズモンセン=ホルムグレン Pelle Gudmundsen-Holmgreen (b.1932) とともにデンマークに戦後の前衛的な音楽をもちこんだひとり。その後、3人はそれぞれの方法で前衛的な技法を放棄。10曲 −− 録音されているのは9曲 −− の交響曲に、その変化と試行の過程をたどることができる。はっきりした調性と美しい旋律をもった作品も多く、とりわけ声楽のための作品では、デンマーク音楽の伝統にそった“旋律”の復権が認められる。アルス・ノーヴァは、モーエンス・ペーザセン Mogens Pedersen (c.1585-1623) らクリスチャン四世の時代の音楽 (Kontrapunkt 32100) から今日の音楽まで、美しさだけでなく、音楽の意図するところを表現できるだけの技術 −− そして魅力 −− をもったグループ。タマーシュ・ヴェテの指揮で録音したネアゴーの合唱作品集 (dacapo 8.224115) でも、決して前衛だけではない音楽の色々な要素を巧みに表現していた。同じディスクには、デンマーク室内プレーヤーズも参加していた。

dacapo 8.224169 カール・ニルセン (1865-1931) 交響曲全集 (カール・ニルセン・エディション版) 第3
 交響曲第1番 ト短調 FS16 (作品7)
 交響曲第6FS116 《シンフォニア・センプリーチェ (単純な交響曲) (Sinfonia Semplice)
  デンマーク国立放送交響楽団 ミケール・シェーンヴァント (指揮)

◇「カール・ニルセン・エディション」 (新カール・ニルセン全集) に基づき、さらに手稿譜を仔細に検討した結果を反映させた、シェーンヴァントとデンマーク国立放送交響楽団による全集の最後の1枚。ドイツ的に重厚な、はっきり言えば“非デンマーク的”な響きを排した前2作は、賛否両論で迎えられた。しかし、Danacord の歴史的録音 (Vol.1) のエーリク・トゥクセン Erik Tuxen (1902-1957)、ラウニ・グレンダール Launy Grøndahl (1886-1960)、トマス・イェンセン Thomas Jensen (1898-1963) ら、カール・ニルセンゆかりの指揮者たちの“デンマーク的”な演奏とも違う、デンマークの新しい世代の演奏として好感をもつ人が多い。オーケストラの響きはまさしくデンマーク。新鮮な味わいのロマンティシズムが魅力の第1番。“センプリーチェ(簡素な)”というタイトルはどうして?という、ニルセンの音楽の集大成ともいえる、多彩な性格の複雑な音楽の第6番。この対照的な2曲を、どのように響かせてくれるのだろうか。

Danacord DACOCD547 愛の糧
フランチェスコ・バルサンティ (1690-1772) ヘレンが横たわるところ
 ダンバートンの太鼓 ピーティーの水車場の少女 ハイランドの若いの
 ソナタ 作品1 − 第3番 ト短調 ロカバー ハンサムなマーリ伯 ペギー、君を愛さなければ
ウィリアム・ベイベル (c.1690-1723) ソナタ第10番 ハ長調 ソナタ第1番 ト短調
ゴットフリート・フィンガー (c.1660-1730) フィンガー氏のグラウンド
GF・ヘンデル (1685-1759) ソナタ 作品1 − 第11番 ヘ長調
作者不詳 ("Balcarres Lute Book" から) トゥイードサイド ナイチンゲール 恋人を愛する、内緒で
  デュオ・アル・デンテ

◇デンマークのリコーダーとリュートのデュオによる、初録音曲も含むバロック期ロンドンの作品集。使われている楽器は、テナーリコーダー、ソプラノリコーダー、アルトリコーダー、ヴォイス・フルート、ソプラニーノリコーダー、アーチリュート、テオルボ。

EMI Classics (Int'l) CDC5 557002-2 フェレンツ(フランツ)・リスト (1811-1886) ピアノ作品集
 バラード第2番 ロ短調 (1853) 4つの忘れられたワルツ − 第4番
 メフィスト・ワルツ第1番・第2番・第4番 ダンテを読んで 他
  ライフ・ウーヴェ・アンスネス(ピアノ)

◇ノルウェーのアンスネス Leif Ove Andsnes (b.1970) による、ピアノ協奏曲第2番 (Virgin Classics 7777-59613-2) (21歳の時の演奏) 以来のリスト作品の録音。協奏曲は、クリストファー・ヘディントンによる Gramophone (1991年4月) の批評では (キタエンコの指揮には注文がつけられたものの) アンスネスの “かなり燃え立つような” 演奏が評価された。

Kvinnekoret Concentus KC002 ビョルン・クルーセ (b.1946)
 永遠の碑の上のコンセントゥス (Concentus på evighetens tavler)
  コンセントゥス女声合唱団 ペール・シグムン・レッテダール (指揮)
  モナ・ユルスルード (ソプラノ) カリリア弦楽四重奏団

Lithuanian New Music Series LMIPCCD007 室内管弦楽団のための現代リトアニア作品集
オヌテ・ナルブタイテ (1956-)
 Sinfonia col triangolo (トライアングルつきの交響曲) (1996)
テイスティス・マカチナス (1938-)
 Pacem relinquo vobis (平和よとどまれ) (1998)
ラミンタ・シェルクシュニーテ (1975-) De profundis (深き淵より) (1998)
ヴィドマンタス・バルトゥリス (1954-)
 I like F. Schubert (F・シューベルトが好き) (弦楽オーケストラのための) (1998)
  聖クリストフ室内管弦楽団 ドナータス・カトクス (指揮)

◇聖クリストフ室内管弦楽団は、リトアニアの首都ヴィルニュス市協議会に所属する団体。1994年、カトクスが創設。街の守護聖人にちなんで命名された。バロック期の作品から今日の作品まで幅広く演奏できるだけの技術を備えていることが、国内だけでなく海外からも高く評価されている。指揮者のドナータス・カトクス Donatas Katkus は。リトアニア国立音楽院でヴィオラと指揮法を学び、その後モスクワ・チャイコフスキー音楽院に留学。帰国後、1966年にヴィルニュス弦楽四重奏団を創設。ドイツ、フィンランド、スペインなどでも教鞭をとる。

 オヌテ・ナルブタイテ Onute Narbutaite は、今日のリトアニアを代表する作曲家のひとり。ブロニュス・クタヴィチュス Bronius Kutavicius (b.1932) に基礎を、リトアニア国立音楽院 −− 現在はリトアニア音楽アカデミー −− に進学後、イリュス・ユゼリューナス Julius Juzeliunas (b.1916) のもとで作曲を学んだ。現在はフリーで作曲活動を続ける。彼女の作品は、バルト音楽祭 (ストックホルム)、スレースヴィ=ホルステン音楽祭、ヘルシンキ・フェスティヴァル、音楽の秋 (オーゼンセ)、A-Devantgarde (前衛後衛) (ミュンヘン) などでも演奏された。《シンフォニア・コル・トリアンゴロ (Sinfonia col triangolo)》は、月の満ち欠けにイメージされるような循環形式による、鋭さと内面の緊張をもった作品。

 テイスティス・マカチナス Teisutis Makacinas は、1961年にリトアニア国立音楽院を卒業。ナルブタイテと同じく、ユゼリューナスが師。弦楽オーケストラの響きに強い関心があり、数々の曲を書いている。《パーチェム・レリンクオ・ヴォービス》は、グレゴリオ聖歌 "Pacem relinquo vobis, pacem meam dovobis dicit Dominus meus" −− 概略の意味は“平和よとどまれ……わが主はおおせられた”−− に基づく、穏やかで内省的な作品。

 ラミンタ・シェルクシュニーテ Raminta Serksnyte がリトアニア音楽アカデミーで師事したのは、クタヴィチュスとともに、もっとも早い時期に国外から現代リトアニアを代表する作曲家と認められたオスヴァルダス・バラカウスカス Osvaldas Balakauskas (b.1937)。1997年ロストック、1998年ダルムシュタットで開催された若い作曲家のためのマスタークラスにも参加した。古代から中世を経て現代まで、時代に関係なく様々な作曲技法に関心をもつとされるが、ニューロマンティシズムとミニマリズムが大きな位置を占める。彼女が音楽で表現したい要素は3つ −− 生命力、神秘、瞑想。それぞれの作品で、これらがキーワードとなる。“生命力”を表現する《デ・プロフンディス (De profundis)》は、学位取得のために書かれた。タイトルの意味する“深きところからの祈り”が示す陰鬱さと劇的な気分が同居する音楽。

 ヴィドマンタス・バルトゥリス Vidmantas Bartulis の代表作のひとつは《レクイエム》。《F・シューベルトが好き (I like F. Schubert)》の時間の感覚を失ったような音楽からも、静謐な祈りが聞こえてきそう。《……が好き (I like...)》シリーズの1作で、シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調のアダージョを基にする。中間の速い音楽を、解説のルータ・ガイダマヴィチューテは“つぎからつぎへと変わる悲劇の前兆の踊り”と呼び、“心のもち方は、シベリウスの《悲しいワルツ》に似ている”とも付け加えている。素晴らしい音楽。

Lithuanian New Music Series LMIPCCD008 リトアニア・ニューミュージック・イヤー 1998
ギンタラス・ソデイカ (1961-)
 音色存在論第2(Garso ontologija nr.2) (2台のピアノのための) (1998)
  ルータ・イベルハウプティヤーネ (ピアノ)
  ズビグニャヴァス・イベルハウプタス (ピアノ)
ノメダ・ヴァランチューテ (1961-)
 病院地区の断片 (Ligonines parko fragmentas) (1998) (弦楽四重奏のための)
  コルドス弦楽四重奏団
ブロニュス・クタヴィチュス (1932-)
 エロティクス (Erotikos) (1997) (フルート、ホルンとテープによる)
  ニャーダ・マルーナヴィチューテ (ヴォーカル) イェヴァ・バウプルーテ (フルート)
  パウリュス・ルカウスカス (ホルン)
オヌテ・ナルブタイテ (1956-)
 Winterserenade (冬のセレナード) (1997) (フルート、ヴァイオリンとヴィオラのための)
  カーステン・ヒューステット (フルート) ライムンダス・カティリュス (ヴァイオリン)
  アウドローネ・プシビリスキャーネ (ヴィオラ)
アルギルダス・マルティナイティス (1950-)
 死と乙女 (Mirtis ir mergele) (1998) (弦楽四重奏のための)
  コルドス弦楽四重奏団
ミンダウガス・ウルバアイティス (1952-)
 Schlußstück (最後の曲)
(1998) (メッツォソプラノと室内アンサンブルのための)
  ユディタ・レイタイテ (ソプラノ) ヴィーガンタス・シリンスカス (トロンボーン)
  ダニエリュス・ルビナス (ダブルベース) ポヴィラス・ギュンテリス (打楽器)
  ラムーナス・カウツィカス (打楽器) コルドス弦楽四重奏団 ミンダウガス・ピャツァイティス (指揮)

◇1997年から1998年のコンサート・シーズンで、もっとも興味をひいた室内楽作品を集めたアルバム。もっとも古い世代からブロニュス・クタヴィチュス Bronius Kutavicius。20世紀後半リトアニアでもっともカリスマ的な音楽人と呼ばれる。つづく世代が、アルギルダス・マルティナイティス Algirdas Martinaitis、オヌテ・ナルブタイテとミンダウガス・ウルバアイティス Mindaugas Urbaitis の、“リトアニア音楽と対峙した1968年世代”の作曲家たち。“教義や規範 −− 前衛からソヴィエトのイデオロギーまで −− を拒絶、個人と独立 −− ロマンティックな世界観、エコロジー、ミニマル音楽 −− の証人となった”世代。過去の音楽の影響をさまざまな形で提示した作品を発表する。ノメダ・ヴァランチューテ Nomeda Valanciute とギンタラス・ソデイカ Gintaras Sodeika は、“現代のテクノロジーを具現化する −− リズム、構成主義、変形、デフォルメ、文化的融合、ポップカルチャーからのインスピレーション −− 都市文化の世代”と呼ばれる人たち。

 ソデイカが2台のピアノのために書いた《音色存在論第2番 (Garso ontologija Nr.2/Tone Ontology No.2)》では、いろいろな“都市文化”の要素が“打楽器”ピアノによる反復パターンの音楽として表現される。演奏者ルータ・イベルハウプティヤーネ Ruta Ibelhauptiene とズビグニャヴァス・イベルハウプタス Zbignevas Ibelhauptas との協同作業により作曲された。ヴァランチューテの《病院地区からの断片 (Ligonines parko fragmentas/Fragment from Hospital Park)》も、反復が効果的に用いられる。リトアニアの詩人ヘンリカス・ラダウスカスの「病院地区で (Ligonines parke posmas/In the Hospital Park)」の断片を弦楽四重奏団のメンバー自身が語りながら演奏する、かなりポップな音楽。

 クタヴィチュスは《エロティクス (Erotikos/Erotics)》を最初フルートとホルンのために書き、その後ヴォーカルパートを追加。テープ録音された音源とライヴの奏者ふたりが共演する。テクストはスタシス・アイドリガヴィチュスの俳句風エッセイ。“自然と子供時代の世界、日常生活のなかの神秘、言と音と色彩と身振りの統合”が、クタヴィチュスの世界に通じるという。“‘過ぎ去った世界’への郷愁に浸る”音の世界。

 ナルブタイテの《Winterserenade (冬のセレナード)》は、シューベルトの《冬の旅》の1曲《おやすみ (Gute Nacht)》がモティーフとして使われた作品。“音楽は、夜の耳のように、日常文化の騒音にかき消される重要なものにむかって開かれている”という作曲者の信念を象徴する。マルティナイティスの《死と乙女》は、作品自体をふたつの対照する音楽的要素が演じる劇と見立てた作品。その劇を上演する劇場の雰囲気を醸し出すために、《死と乙女 (Der Tod und das Mädchen)》の最初の数小節が使ったとされる。反前衛の立場をとる作者が書いた、劇的な音楽と抒情が交差する曲。幕切れの寂寞感が印象に残る。


 ウルバイティスのメッツォソプラノと室内アンサンブル −− 弦楽四重奏、トロンボーン、ダブルベース、ヴィブラフォーン、打楽器 −− のための《Schlußstück (最後の曲)》は、語法的にはマーラーの《大地の歌》の《告別》に基づいた作品とされる。テクストは、リルケの『おお主よ (O Herr)』と『最後の曲 』。調性があり、透明感のあるテクスチュアも美しい。打楽器を主体とした間奏で劇的な対比を作ったあと、静寂とともに音楽は無限の彼方に消えていく。今日の音楽のあり方のひとつを示すといえる作品。

Lithuanian New Music Series LMIPCCD009  リーティス・マジュリス (1961-)
 タリタ・クミ (Talita cumi) (1994/97 rev.1998/99)
  サロメ・ハッレル (ライヴ・ヴォイス)   イナニメット・ヴォイス
  [録音 アカデミー・シュロス・ソリテュード]

◇マジュリス Rytis Mazulis は、ヴィルニュスのMK・チュリュリョーニス芸術大学を卒業後、リトアニア音楽アカデミーでイリュス・ユゼリューナスのもとで作曲法を学ぶ。音楽アカデミーの作曲法の講師を務めるとともに、室内楽曲、声楽曲、コンピューターによる作品を中心とする作曲活動を行う。実験的手法の音楽にも関心があり、このディスクの《タリタ・クミ》がその代表作。リトアニア系フランス人オスカル・ミロス Oscar Milosz の同名の詩がテクスト。テクストの意味を伝えることは目的ではなく、詩の中の「子よ!この叫びは表現の域を超えている」という一節に標題としての意味をもたせた作品とされる。ヴィルニュスのスタジオで録音、コンピューター処理されたイナニメット・ヴォイス (無生命の声) と、別録音のライヴ・ヴォイス (生命のある声) を後でカップリング。シュトゥットガルトのアカデミー・シュロス・ソリテュード Akademy Schloss Solitude で1999年10月1日に初演。平行して撮影された映画は、ヴィルニュスの第9回国際現代音楽祭 “ガイダ” で10月24日に上映された。ミニマリズムを基本にした音楽と思われるが、ビート感が弱いためか、くどさや催眠効果は感じられない。味わえるのは、空間に浮遊するような感覚。演奏時間は48分25秒。リトアニア音楽情報出版センター (LMILC/LMIPC) とアカデミー・シュロス・ソリテュードの共同製作。

Opus 111 OPS30-257 コラリス・セプテントリオナリス − 初期スカンディナヴィア合唱作品集
 イエス・キリストへの捧げ物 キリストは生まれたまう − 新しいイェルサレムに歌おう
 ああ、主キリストよ 汝への感謝、イエス・キリスト 祝福せし、キリストの花嫁 さあ話そう
 イル・メ・ソーフィット・ド・トゥー・め・モウル(器楽) おおイスラエルの羊飼いよ、耳をかたむけよ
 キリスト教徒よ、罪から目覚めよ 聖なる心に祈ろう
 われらは祈る − 来たれ聖なる精神よ、主たる神 おおキリストわれらの救い主
 過ぎ越しの犠牲者 ル・コマンドマン・ド・デュー(器楽)
 われらが偉大さを必要なとき 誠実な聖歌隊を勝ち誇れ 過ぎ越しの犠牲者への賞賛
  レトロヴァー マルクス・タピオ (指揮)

◇スカンディナヴィアに古くから伝わる、教会で歌われた合唱作品集。北欧に伝わったヨーロッパの宗教曲に独自の解釈が加えられ、一部の作品は自国の言語に翻訳されるなどして歌い継がれてきた。このディスクの曲も北欧の言語、イタリア語、ドイツ語、フランス語による歌唱。指揮者のマルクス・タピオは、スコラ・カントールムでジョルジュ・サヴァールらにヴィオラダガンバを学ぶとともに、15世紀の音楽を研究した。エスペリオンXXやセクエンツァなどのグループとも演奏活動を行う。中世とルネサンスの音楽が専門のレロトヴァーは、ほとんど知られていない音楽の紹介に努めるグループ。

Phono Suesia (Musica Sveciae Modern Classics) PSCD710 エルランド・フォン・コック (1910-)
 北欧カプリッチョ (Nordiskt capriccio) 作品26 (1943)
 交響曲第2番《シンフォニア・ダレカルリカ (ダーラナ交響曲) (Sinfonia Dalecarlica)(1945)
 ヴィオラ協奏曲 作品33 (1946 rev.1966)
 組曲第1番 作品24 (1942) (バレエ《シンデレラ (Askungen)》から)
  ヨハンナ・ペーション (ヴィオラ) スウェーデン放送交響楽団
  B・トミー・アンデション (指揮)

◇エルランド・フォン・コック Erland von Koch は、現代スウェーデンのもっとも多才な作曲家のひとり。交響曲や協奏曲から、子供のためのオペラや60作品を越す数の映画音楽 −− イングマル・ベルイマンの作品が6つ −− まで、幅広いジャンルの音楽を手がけている。このディスクに収録されたのは、いずれも1940年代、フォン・コックの“ロマンティック”期の管弦楽作品。《北欧カプリッチオ (Nordic Capriccio)》は、彼の作品のなかでもっとも演奏されることの多い曲。“トロルの太鼓”を連想させるティンパニ、回りながら踊るリングダンス、そして朗々と歌う弦楽のメロディ。これらが混じり合い、華麗な音楽を作り出す。

 《シンフォニア・ダレカルリカ (Sinfonia Dalecarlica)》の副題がつけられた第2番の交響曲は、兵役についたフォン・コックが駐屯していたシュールベリのあるダーラナ地方の景色や音楽からインスピレーションを受けた作品。暗く静かに始まる第1楽章。すぐに活発な音楽に変わり、くつろいで陽気な第1主題と、伴奏部にリズミカルな副主題をもつ優しく軽やかに動く第2主題がやり取りをくりひろげる。第2楽章は軽快なスケルツォ。およそスウェーデン的とはいえないリズムは、バルトークの音楽への関心と青年時代に演奏したジャズが結びついた結果生まれた予期せぬ副産物とされる。第3楽章アンダンテ・エスプレシーヴォは、一転して北欧的な雰囲気を感じさせる物悲しい音楽。民謡に基づいた、アルヴェーンの《ダーラナ・ラプソディ》(スウェーデン・ラプソディ第3番)を連想させる旋律が聞こえるが、直接の引用ではなさそう。軽い足取りのマーチで始まる終楽章はアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。最初のマーチ、金管楽器のシンコペーションのエピソード、付点リズムの歌など、いろいろな要素が組み合わさった音楽。弦楽五重奏の短い歌、主題のフーガ風の処理、最初の楽章の第1主題の再現など、いろいろな趣向でフィナーレを劇的に盛り上げる。

 ヴィオラ協奏曲は、これまでにフォン・コックが書いた13曲の協奏曲の最初の作品。雄々しい第1主題と荘重な第2主題をもった第1楽章。第2楽章では、三部形式の最初と最後の部分の8分の3拍子のリズミカルな動きに、いかにもフォン・コックらしい音楽を聴くことができる。リズムは第3楽章でも重要な要素。技巧を求められるパッセージも絡みながらの独奏と管弦楽の“対話”。比較的長いカデンツァのあと、リズムを強調しながら曲を締めくくる。組曲第1番は、バレエ《シンデレラ (Askungen)》のために書いた音楽から作曲者自身が選んだ3曲を組曲にしたもの。バレエそのものは、奇怪な舞台美術のせいか、上演されずに終わった。《マーチとゴシップダンス》、《夜想曲》、《ワルツ》の3曲からなり、いずれも鮮やかな色彩を聴かせる。

 ヨハンナ・ペーション Johanna Persson は、ヨーテボリ・オペラ管弦楽団の首席ヴィオラ奏者。ヨーテボリ音楽大学でオーケ・アーヴィンデル、ベルリン芸術大学でブルーノ・ジュランナのもとで学んだ。1997年マックス・ロスタル・コンペティション(ベルリン)で優勝。独奏者、室内楽奏者としても活躍する。B・トミー・アンデション B. Tommy Andersson (b.1964) は、ストックホルム王立音楽大学でシェル・インゲブレツセンとヨルマ・パヌラについて指揮法を学んだ。カンマルアンサンブルN などを指揮しての現代作品を得意とするが、オペラや通常の管弦楽団の指揮者としても人気がある。Musica Sveciae Modern Classics シリーズにも、エドヴィン・カルステニウスの作品集 (PSCD701) とヒルディング・ルーセンベリのバレエ《街のオルフェウス》を録音している。曲の構造を把握しながら、表情豊かな演奏を聞かせる指揮者。このディスクの曲は3曲が初録音。《北欧カプリッチオ》には、スティーグ・ヴェステルベリがスウェーデン放送交響楽団を指揮した録音がある (Phono Suecia PSCD55)

Pro Musica PPC9040 ギスレ・クヴェルンドク (1967-)
 放送音楽劇《ボッケン・ラッソン (Bokken Lasson)
  カトリーネ・ブルムストラン カーリ・シモンセン マーリト・シュノヴェ・ベルグ
  オースライク・エングマルク ノルウェー放送管弦楽団 クリスチャン・エッゲン (指揮)

Tellef Juva TJ2002 子供のためのピアノ作品集
セルゲイ・プロコフィエフ (1891-1953) 子供の音楽 作品65
ボフスラフ・マルチヌー (1890-1959) あやつり人形 (1914-25) (全14曲)
フェデリーコ・モンポウ (1893-1987) 子供の情景 (1915-18)
  テレフ・ユーヴァ(ピアノ)

 

ワールドミュージック新譜情報

ARC EUCD1609 リトアニアの歌と踊り
 挨拶の踊り クレイジー・ポルカ タオルの踊り うさぎ 別れのワルツ 他
  ダイナヴァ
 
◇バルト三国のひとつ、リトアニアのグループ、ダイナヴァのヴォーカルと器楽による民俗音楽。カンクレス −− カンテレと同じ系統の楽器 −− や、パンパイプの一種のスクドゥチャイ、スクラバライ(木琴)などの伝統楽器が、クラリネットやアコーディオンとともに用いられている。軽快な舞曲を中心とした選曲のディスク。

ARC EUCD1617 スウェーデンの民俗音楽
 なんて美しい朝 マクリンの結婚式の行進 悲しみの力 悪魔のリール 他
  クルビツ

◇クルビツは、ダーラナ地方のグループ。フィドル演奏と女声のアカペラ独唱による、伝統曲中心の録音。


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