Newsletter No.29   4 April 2001

 

Nordic Fantasy − 20世紀北欧音楽のコンサート

 合宿に行きました。グリークラブのメンバーだった夏以来のことなので、ほんとうに久しぶりです。

 山口県の秋吉台芸術村という場所、そして現代の音楽を心から愛する音楽家たち。学生のときとは何もかもが違うので、あるいは合宿と呼んではいけないのかもしれませんが。二泊三日にわたるこの“合宿”の目的は、現代音楽研究会アトナールが3月に山口市で行うコンサート “Nordic Fantasy − 北欧の現代音楽は美しい” のリハーサルをすることでした。

 “アトーナル (atonal/無調)” から名前をとった “アトナール” は、山口県在住の演奏家たちの現代音楽研究会です。演奏される機会の少ない“同時代の音楽”を多くの人たちといっしょに楽しむことを目的に結成されました。これまでに、ジョン・ケージ、フランス、日本をそれぞれのテーマにした3回のコンサートを行い、こんどは20世紀北欧の音楽です。このテーマのおかげで、このコンサートに関わることになり、ついには、ピアニストでアトナールの会長、友人の山根浩志におだてられて、コンサートをすすめるトーク役まで引き受けるはめになってしまいました。そこで合宿に参加というわけです。

 秋吉台芸術村のことは細川俊夫氏の著書「魂のランドスケープ」で知り、山根さんからも話を聞いてはいたものの、その贅沢さは、想像をはるかに超えるものでした。

 自然のままの林を背にしたリハーサル室。今回の部屋は、2台のピアノ、エレクトーン、そしてさまざまな打楽器を、かなり希望にそった配置で並べられるだけの広さがあり、二階分の高さの天井のためか、いろいろな楽器の音が濁ることもなく、また、妙な吸音材に音が吸い取られるということもありません。

 素晴らしいのが、構造そのものが新しい音楽の創造に力を貸すと思われるような、(建築家ではなく) 音楽家の発想に基づくと思われるコンサートホール。ここだったら、カレヴィ・アホの《ペルガモン》も面白く聴けるのではないかという気がします。この曲は、4つに別れたオーケストラと4人のナレーターという編成だけに、素晴らしいといわれながら、録音ではその良さが伝わらないもどかしさを覚えます。そして、蔵書数は寂しいながら、ゆったりとしたライブラリーとオーディオルーム。練習の合間にディスクをチェックするのに使えそうです。

 生活スペースも豪華です。高い天井をもった、広いレストランには、イタリア料理屋の支店が入っています (アップル・ブレッドがおいしい!)。ここで音楽を演奏することも当初の構想にあったということですが、実現していません(ナイフやフォークを使う音が反響してしまう音響では、音楽どころではないでしょう)。宿泊棟は、ここと屋外廊下でつながれ、池の上に散在しています。二階建てのそれぞれのブロックは、2つの個室を居間スペースとバスルームではさんだユニットで構成されていて、音響上の配慮がなされているためか、他のユニットの存在はまったく感じられません。表のドアの密閉性もいいのでしょう、居間で金管楽器の練習をしても、外には音が洩れないようです。

 これらの施設がすべて、音楽家をはじめとする芸術家の “創造” のために提供される。夢のような話ですが、これだけの設備となると、維持にかかるコストも大変でしょう。後日耳にした話では、年に数億円の赤字だとか。見るのはタダですが、実現するとなると高くつくのが “夢” の夢たるところでしょう。でも、どう活かすかによっては、この施設にはそれだけの価値もあるのではないでしょうか。山口県、ひいては日本の音楽を国際的にオープンなものにすることに役立てば、海外から日本の音楽界を見る目も違ってくるような気がします。今年の10月には横浜で ISCM (国際現代音楽協会) のフェスティヴァルが開催されます。いい方向にいってもらいたいものですね。

 余計なお世話でしょうが、この芸術村、問題もありそうです。一例が駐車場。市街地から遠く離れているので、どうしても車に頼ることになりますね。何カ所かに分かれて駐車場があるものの、ホールでコンサートが行われるときなど、これで駐車スペースが足りるのだろうかと心配になります。

 切実な問題でびっくりしたのは、楽器を貸してもらえることと、ピアノがきちんと調律されているのはありがたいにしても、ピアノの内部奏法を禁じられたことです。ボルトや消しゴムなどを挟んだりするプリペアーについては、ある程度は無理もないかなと思いますが、内部奏法まで……。直接手で触れることによって弦が汚れることを嫌うのだとは想像できますが、調律のときに清掃すればすむことでしょうに。今回のリハーサル曲では、ベリマンの作品が内部奏法のために書かれているので、この曲だけは、変則的な練習で我慢せざるを得ませんでした。“現代の音楽” の創造のためにということであれば、それにふさわしい運用が行われてもいいように思いますが。それぞれの考え方があるんでしょうね。

 芸術村に来てリハーサルを行う最大の目的は、エーリク・ベリマンの《ボレアリス》とユッカ・リンコラのテューバ協奏曲の合奏を徹底してリハーサルすることでした。

 ベリマンの《ボレアリス》は、2台のピアノと打楽器のために書かれ、全部の楽器のためのスペースを確保するのは大変です。リンコラのテューバ協奏曲にしても同じこと。室内アンサンブルに編成を縮小したとはいえ、やはり打楽器の数が多いので、ほかの場所ではなかなか合奏練習のむずかしい作品です。その点、芸術村のリハーサル室は申し分ない場所と言えます。

 広島から参加したのは、ソロ・テューバを担当する小林宏光君とわたしのふたり。彼は、日本シベリウス協会の “アイノラのつどい in 広島” などでおなじみの、エリザベト音楽大学マスターコースに在籍中のミュージシャンです。芸術村までの足は “芸術家” 山根さんの車。小郡駅まで迎えにきてもらいました。テューバが大きいところにもってきてミュート(消音器) −− 楽譜の指定では “オプション” ですが、テューバの大きなミュートは視覚面でも面白いので、使うことに −− もあるので、車はギューギューです。新幹線の中ではどうしたかって? 想像にお任せします。だいたい、テューバ奏者は、2本の楽器を持って −− かついで ! −− 移動するのにはなれっこです。他の管楽器と同じく、テューバにもいくつかの楽器の種類があります −− F管、E♭管、C管、B♭管。これを曲によって使い分けなければいけないことがあるので、テューバという楽器を選んだ者の宿命とあきらめているのでしょう。でも、かさばること! (ちなみに、F管とE♭管がバステューバ。あとのふたつを、コントラバステューバと呼ぶのだそうです)。

 昼過ぎに現地に到着。すぐに楽器のセッティングを始めました。そしてリハーサル開始。まずウォーミングアップもかねて、ハンス・マグネ・グレースヴォル Hans Magne Græsvold (b.1936) のピアノデュオ (Klaverduo) (1991) を練習することになりました。  ノルウェーの作曲家グレースヴォルは民謡や教会音楽に影響を受けた声楽曲の作家として著名です。器楽曲もかなり書いており、特定の形式や調性にとらわれず、自由な作風に特徴があるといわれます。ピアノデュオは、中世ノルウェーの聖歌 "Lux Iluxit" (“輝く光” と訳すのでしょうか) が全3楽章の主題として使われた、4手のための曲。一定の間隔で調性があらわれます。終楽章のフーガ、特に声部が複雑に入り組む終結部の緊迫した音楽が印象的です。

 ウォーミングアップにしては難曲ですが、おかげで、リハーサルの雰囲気作りができました。森田さんと岡さんの演奏を聴いた山根さんからフレージングについて提案もあって、こういうところは、いかにも研究会。いよいよ始まるぞという感じです。

 夕食のあとは、ベリマン Erik Bergman (b.1911) の《ボレアリス (Borealis)》(作品101) 。打楽器と2台のピアノのために書かれ、同じ楽器編成のバルトークのソナタ −− スウェーデンの打楽器奏者ユニー・アクセルソン Jonny Axelsson は知りませんが、一般の打楽器奏者は “死にそう!” と言うようです −− に負けないだけの難曲。この作品の技法についてベリマンが語った言葉があります。

 「技法というものは、きわめて重要な意味をもち、技法から逃げることはできず、妥協も許されない。技法がなければ空想の中で道に迷ってしまうことになるからだ。作曲家は、自分の最も奥深くにあるものを表現するため、そしてまさに自分だけのメッセージを伝えるために、みずからの技法を使わなければならない。自分自身になるためには強さが必要であって、苦しみから逃げるためにわたしが安易な解決策をとったとは、誰にも言うことはできない。常にゼロからの出発」(Sibelius Academy SACD-3 「シベリウス・アカデミー、エーリク・ベリマン80歳記念コンサート」 ブックレットから)

 このことは演奏についてもあてはまり、ある意味ではバルトークの曲よりも高度な技術が要求されます。即興演奏を行わねばならない個所も多く、特に “打楽器” としての役割を与えられた第2ピアノには、考えつくかぎりといってもオーバーではないくらい、いろいろな種類の内部奏法が指示されています。弦を手で押さえながら鍵盤を弾く、音叉で弦をたたく、などなど。この内部奏法の作り出す音の色彩には、驚かされるばかりです(さっきも言ったとおり、今回のリハーサルでは本格的な楽しみはお預け)。音色に対する鋭い感覚がないピアニストが弾くと、この曲の面白さは出てこないでしょうね。

 むずかしい技巧を求められるという共通点はあるにしても、作品の性格はバルトークの曲とはかなり異なります。曲名の “ボレアリス” は “北の” を意味し、作曲者自身は、この曲を “北の儀式” をイメージしたものと言っています。ウスコ・メリライネン Usko Meriläinen (b.1930) やパーヴォ・ヘイニネン Paavo Heininen (b.1938) とともにフィンランドにおけるモダニズムのチャンピオンと呼ばれながら、自然というもの、ひいてはアニミスティックな世界観を極めて強く反映した作品を書いていることは、ベリマンの音楽の大きな特色のひとつでしょう。アジアやアフリカを旅した経験があり、民俗楽器の膨大なコレクションももっていることも、よく知られています。無調を基本としながらも、有機性を欠く無調音楽になっていないのは、作曲者のイメージしたことが確かな作曲技法により作品化された証拠だと思います。同じことは、ヘイニネンらについても言えることですが。この作品の、北の国の清冽な心象風景を思わせる第2楽章と、北の儀式が原始の世界を表出する第3楽章 (“大地の創造” とでも呼びたい第1楽章は、今回は残念ながら省略です)。“北の世界” のむこうに、暖かい人間味が感じられます。

 それにしても演奏のむずかしい曲ですね。“即興” の部分をどういった音にするか。音楽の縦の線をどうやって揃えるか。リハーサルは、まだ始まったばかりです。

 初日は、このあと当日の即興演奏のための演奏技法と音をチェックして、終わることに。気がつくと、午前0時をまわっていました。翌日からは、リンコラのコンチェルトの集中練習です。

 リンコラの Jukka Linkola (b.1955) の協奏曲 (Concerto for Tuba and Orchestra) (1992) は、1管編成 −− フルート、オーボエ、クラリネット (B♭ (変ロ) 管)、バスーン、ホルン (F (ヘ)管)、トランペット (B♭ (変ロ) 管)、トロンボーンがそれぞれ1本 −− の管弦楽のために書かれているので、これだけを考えれば小編成だと言えるでしょう。でも、2組の打楽器群とピアノを伴うので、実際にはかなり大がかりな感じがします。打楽器の種類は、ちょっと壮観。ヴィブラフォーン、グロッケンシュピール、トライアングル、シンバル、6個のタムタム (内1個は、大サイズ)、スネアドラム、シロフォン、ボンゴ、カバサ、テュービュラーベル、マークチャイム (以上、第1奏者)、タムタム (中サイズ)、バスドラム、シンバル、カバサ、4個のテンプルブロック、ティンパニ (以上、第2奏者)。今回は、フルート、クラリネット、ピアノはそのまま、打楽器の数をやや減らして、弦楽パートとその他の楽器 −− 打楽器の足りないところを含め −− をエレクトーンに担当させて演奏することになりました。

 いずれにせよ、これまでソロないしデュオの曲を取りあげてきたアトナールにとっては大曲です。この作品に挑戦することになるきっかけは、今回のソロイスト、小林君が持っていたピアノスコア。それを見た山根さんがこの曲を気に入り、「山口までテューバを吹きに来る?」と尋ねたことから、話が進みます。「エッ!」という表情をした小林君ですが、室内アンサンブル相手に演奏できるとあっては、何も躊躇することはありません。「やったゼ!」と思ったかどうかは知りませんが、「ハイッ!」という返事は弾んでいました (そう言えば、第1楽章を学部の卒業試験の曲目としてピアノ伴奏で演奏した時、ピアノスコアに書いてある打楽器に対する指示や指定を気にしていたっけ)。

 ユッカ・リンコラは、現代のフィンランドの作曲界の中では、極めてユニークな存在です。作曲家カレヴィ・アホは、現代フィンランドの作曲家を5つのタイプに分けています −− 伝統主義者 (エングルンド、コッコネン、サッリネン、バシュマコフ)、伝統主義アウトサイダー (サルメンハーラ)、伝統主義とモダニズムの要素を結合させた作曲家 (ラウタヴァーラ)、モダニスト (ベリマン、メリライネン、ヘイニネン)、モダニスト・アウトサイダー (セーゲルスタム、レヒベルガー) (Kimmo Korhonen: Finnish Composers since the 1960s (FMIC))。リンコラは、このどのタイプにもあてはまらない。個人的にはそう考えています。

 クラシカル音楽のピアニストとして出発したのち、シベリウス・アカデミーに入学してからジャズに遭遇。在学中からジャズ・ミュージシャンとしての活動を開始。彼が結成したユッカ・リンコラ・オクテットは、フィンランド・ジャズの柱のひとつと呼ばれたこともあります。シベリウス・アカデミーに在学中、リンコラは劇音楽にも出会います。ヘルシンキ市立劇場のリハーサル・ピアニストの仕事です。このことが勉学のさまたげになったのはリンコラ自身も認めるところですが、これが音楽家リンコラにとって新しい世界との出会いになったのは間違いありません。

 基礎としてのクラシカル・ピアノ、ジャズ、劇音楽。リンコラの音楽がこれら3つの要素に支えられているということは、リンコラについてのエッセイを書いたヤルモ・セルミラ Jarmo Sermilä をはじめ、多くの人の意見が一致するところです。

 リンコラはこれまでに金管楽器のために6曲の協奏曲を作曲しています。テューバ協奏曲は、トランペット協奏曲第1番 (1988) につぐ、2曲目の協奏曲。このあと第2番のトランペット協奏曲 (1993) とユーフォニアム協奏曲 (1996)、そして最近の作品としてトロンボーン協奏曲 (1998) とホルン協奏曲 (2000) がつづきます。

 これらの協奏曲は、テナーサクソフォーンと交響楽団のための《クロッシングズ (交差点) (Crossings)(Finlandia 0630-19808-2) −− 協奏曲とみなすこともできます −− アンデルセンの原作を映画化した《雪の女王 (The Snow Queen)》の音楽 (Finlandia 0630-19808-2) やアストリッド・リンドグレーンの小説に基づくバレエ《盗賊の娘ロニア (Ronia the Robber's Daughter)(Finlandia 1576-52207-2) などとともに、リンコラが管弦楽のために書いた音楽のなかでも、もっとも重要で、また人気のある作品と言えるでしょう。

 CD録音のある3曲 (2つのトランペット協奏曲とユーフォニアム協奏曲) は特に人気が高く、テューバ協奏曲も、録音こそないものの、2000年にドイツのマルクノイキルヒェンで行われた国際コンペティションのファイナルの課題曲として知られています。

 トランペット協奏曲第1番 (Finlandia 0630-19808-2) の、一貫して原始を思わせる神秘的な音楽。流れるような旋律をもち、数多い作品のなかでも作曲者自身がもっとも “ロマンティックな” 音楽と呼ぶユーフォニアム協奏曲 (Alba ABCD118)。トランペットと弦楽オーケストラのための協奏曲第2番 (Alba ABCD108) は、“リンコラ一流の推進力のある豊かな表現を持続しつつ、より半透明なテクスチュアにねらいを定め” (ヤルモ・セルミラ) ています。

 テューバ協奏曲は、素材と構成こそ第2番の協奏曲に似ていますが −− いずれも第3楽章は “リトミコ (リズミカルに)” −− 独奏楽器の表現力の幅と楽器編成が違うために、音楽そのもの受ける印象はかなり違います。特に、打楽器が活躍する点は、音楽の性格上の大きな特徴です。ただ、躍動感、ドラマティックな展開、深みのある色彩をもったオーケストラの書法などは、4つの協奏曲 (そして、多くのリンコラの音楽) に共通しています。トロンボーンとホルンの曲は、資料がないために詳細が不明ですが、かなり興味がわきます。
 
 付け加えてもいいのは、リンコラの協奏曲の独奏パートには高度の演奏技術と響きに対する豊かな感覚が求められることです。ヨウコ・ハルヤンネ Jouko Harjanne (b.1962) (トランペット) とユッカ・ミュリュス Jukka Myllys (b.1963) (ユーフォニアム) が、それぞれの録音で証明しているとおりです。第1番のトランペット協奏曲以外の作品に見られるいささか都会的なムードも、個人的に気に入っています (プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番からデモーニッシュなところを取り去って、《静かな都会》のコープランドに挨拶をおくる、と言ったらキザでしょうね。でも、言いたい)。

 ほかの3曲と同じく、テューバ協奏曲は3楽章の古典的な協奏曲の構成をとっています −− 第1楽章《序奏 (Introduction)》、第2楽章《コラール (Choral)》、第3楽章《リズムの綾 (Shades of Rhythm)》 (室内アンサンブルへの負担の関係から、今回は第1楽章を割愛して演奏)。

 練習でもっとも手こずったのは、指揮者なしでアンサンブルをどうまとめあげるかということでした。とにかく変拍子とユニゾンの多い音楽です。おかげで、みんなが演奏するのをひとりで楽しんでいればいいと高を括っていたら、とんでもない。細かくスコアを見ながら、演奏を聴かなければならなくなりました。

 というのは、最初の通しの時、どうもうまく合わないところがあり、チェックしてみたら、エレクトーンの伊藤理佳さんに渡してあったピアノスコアに問題が。オーケストラスコアとの矛盾点が、かなり見つかり、2度目からは、それを一つひとつチェックしながら練習を進めなければなりませんでした。いい勉強になりました、ほんとうに。

 感心したのは、伊藤理佳さん。クラシカル音楽のファンの多くにとって、エレクトーンは、かならずしも馴染みのある楽器ではありません。実際、彼女の弾く音楽を実際に聴くまでは、複雑なオーケストラパートが違和感なく響くかどうか、期待と心配が半々というところでした。「理佳のエレクトーンは大丈夫!」と山根さんから聞かされてはいたものの、やはり不安はあります。ところが、“ラルゴ・レリジオーゾ(敬虔にゆるやかに)” の第2楽章の冒頭、弦楽5部の音楽を演奏するエレクトーンを聴いて、山根さんの言うことがよく分かりました。伊藤理佳さんのエレクトーンは、いうなら足し算ではなく引き算です。必要な “音符” さえ確保されていれば、あとはバッサバッサと切り捨て。とかく音を重ねたがる傾向にあるシンセサイザーや一般的なエレクトーンとは大違い。さすがに、演奏者としてだけではなく、エレクトーンの先生の先生として活躍しているだけのことはあります。元気のよさと緻密さが同居する。体育の先生が感受性豊かでロマンティックなピアノを弾いている、といった風情の山根さんと、そのあたりで気があうのでしょう (ごめんなさい)。

 ユニークと言えば、打楽器をひとりで担当した照喜名さんもユニーク。色々な楽器に取り囲まれながら小柄な女性がキビキビした動作で演奏するのは、なかなかの見物 (みもの) です (ベリマンの《ボレアリス》の時も、すさまじかった!)。ふと、JD・サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンの妹、フィービー・コールフィールドを連想してしまいました (すみません、ミーハー、丸出しで)。

 2日間にわたる練習の間、それぞれの演奏者からさまざまな提案があり、そのおかげでリンコラの音楽がしだいにしっかりした形として見えるようになっていきました。特に、テューバと、フルートやクラリネットやピアノとでは拍の取り方にそれぞれのノウハウがあり、5連符や6連符を正確に刻む方法について教え合っているのには、興味をそそられました。何カ所か、どうしても指揮者が必要なところは、山根さんが合図出しをすることで落着。ただ、すぐにピアノを弾き始めなければならない時には、左手で指示を出すのか、右手にするのか。ちょっと迷いそうになります。さすがの山根さんも面くらう場面が何度かあって、その都度、苦笑いです。 

 この協奏曲は、幕切れの音楽が変わっています。全部の楽器が −− 打楽器はシロフォン(木琴) −− ユニゾンで音階を駆け上がったあと、ピアニシモで一音、“ラ”!何度か通し、かなり満足のいく仕上がりで終わった後、(山口弁まるだしで) 山根さんがひと言、「ええ曲じゃねー!“ラ”!」。みんなも、思わず一緒にニッコリ。

 このグループは、研究会と銘打ってはいても、しかつめらしさはまったくありません。リラックスした雰囲気のうちに音楽が作られていきます。アトナールのメンバー、そしてテューバの小林君をはじめとする友情出演の演奏家たち。みんなが一体となって音楽と取り組む姿勢には、ほんとうに感心させられました。ちょっと思ったのは、このミュージシャンたちは、時間さえかければ −− 繰り返し練習しさえすれば −− 演奏できるという曲には興味がないのではないかということです。実際、“なまいきな” テューバ奏者は、イマジネーションを膨らませることも練習の大きな目的だと言います。

 ついでですが、彼らはみな、出演料なしのヴォランティア。昔だったら、手弁当と言うところでしょう。自分たちが音楽づくりを楽しみ、それが作曲者が感じたことをそのまま聴き手に伝えることになれば最高。この音楽家たちのプロ意識は、どうもそんなところにあるような気がします。彼らのリハーサル風景、本当なら公開したいところです。全員、イヤがると思いますが。

 2日目の練習が終わって部屋に戻り、1本ずつ飲んだ缶ビールのおいしかったこと。あまりアルコールは受けつけませんが、やはり緊張していたのでしょう。

 今回、小林君はF管テューバで演奏しました。現在、ソロを吹く場合に多くの奏者がこの楽器を使うというだけでなく、リンコラの曲が求める音域を演奏するにもっとも適しているためだということです。とにかく、この曲のソロの音域の広いこと。第2楽章と第3楽章だけとっても、ピアノの鍵盤の一番低いG (ソ) の音 (GG) から (ト音記号の五線譜で言えば) 下から3線目のB♭ (変ロ) まで、2オクターヴを超す音域です。ちなみに、この曲の一番低い音は、さっきの低いGの下のF。第1楽章の最後に出てきます。デンマーク生まれの名手ミケール・リン Michael Lind (b.1950) が委嘱し、初演した (1993年6月10日、イェヴレボリ(スウェーデン)) だけに、テューバ奏者殺しの音域になっているのも無理のないところでしょうか。

 3日間の合宿。あとは、それぞれの奏者が細かいところを磨き上げること、そしてコンサートの1週間前にもう一度アンサンブル練習をするということで解散しました。帰路は、遠回りして、ひさしぶりの秋吉台のカルスト台地を楽しむことに。リンコラの《雪の女王》の音楽がカーステレオから流れ、車の中に響きます。あまりに景色とうまく溶け合っているので、思わずみんなで声を合わせて、「いいねー!」。

 Nordic Fantasy のコンサートのプログラムには、このほかにソルケトル・シーグルビョルンソン Þorkell Sigurbjörnsson (b.1938) のハープと童声合唱のための《テ・デウム (Te Deum)》(ヴォーカルとシンセサイザーの編曲版) とエルランド・フォン・コック Erland von Koch (b.1910) の独奏フルートのための《モノローグ第1番 (Monologue nr.1)》(1973) も含まれています。フォン・コックの作品に民謡そのものが使われることはないようですが、フォン・コック自身は、民謡の心をとても大切にしていると言います。そのためか、それぞれ異なった楽器のために書かれた18曲の《モノローグ》は、求められる高度の技巧が音楽の心を伝える手段になっていることが、よくわかります。伝統的な色彩の強い作品ですが、ヘイニネンの曲の後に置いても違和感がありません。

 土壇場になって演奏することになったのが、パーヴォ・ヘイニネンのピアノ小品集《プレリュード=エチュード=ポエム》の《プレリュード》と、アイスランドのアウスケトル・マウッソンの《ボレアス》です。

 ヘイニネン Paavo Heininen (b.1938) の《プレリュード=エチュード=ポエム (Préludes-études-poèmes)》(作品32b)は、ピアノソナタ "Poesia squillante ed incandescente (響き渡り灼熱する詩)" 作品32a、弦楽四重奏曲 作品32c、"Poesies-periphrases (詩=迂言法)" 作品32d とともに、作品群としての作品32を形成する曲です。4曲すべてが、共通の素材の上に組み立てられながら、それぞれ独自の性格をもっています。ヘイニネンの創造性が発揮されていて、このフィンランドの作曲家の全作品の中でももっとも重要な位置を占める作品群というのが定評です。

 この曲、ライヴオリ Jouko Laivuori (b.1959) の録音 (Finlandia 3984-23403-2) を聴いて気に入った山根さんの依頼で、少し前に楽譜を取り寄せてありました。しかし、この曲を弾くには、技巧的にも内容的にも相当の準備が必要なため、こんなに早い時期に演奏することは、山根さんも考えていませんでした。それを今回演奏することになったのは、山根さんが弾くソロの曲も聴きたいという声があったためです。同じフィンランドのハッリ・ヴオリの曲など、他にも候補曲はありましたが、色々と考えた末にこの作品にすることにしました。演奏時間の関係から《エチュード》だけカットし、あとの2曲をということに落ち着いたのはいいのですが、実は、この後とんでもないことが待ち受けていました。

 これから本格的な練習をというある日、山根さんの運転する車が川に転落……。この知らせを受けた時には、一瞬、気を失うかと思いました。ところが、肋骨を2本折っただけとのこと。天の采配なのか、日頃の行いがいいためなのか。悪運が強いという意見もあったことは、もちろんです。

 もともと山根さんは、無理な力を入れずに弾く奏法のトレーニングを受けているおかげで、その程度のケガでは演奏には差し支えありません。でも、数日はピアノを控えるよう医者から指示され、結局、まだ練習に入っていなかった《ポエム》は、あきらめざるを得ないことになりました。《プレリュード=エチュード=ポエム》の全3曲は、いずれ (できればソナタと一緒に) 演奏される機会を楽しみに、ということにしましょう。

 となると、プログラムがちょっと寂しい。

 そこで、アウスケトル・マウッソン Áskell Másson (b.1953) の独奏テューバのための《ボレアス (Boreas)》(1999) が浮上してきました。かなり新しい作品ですが、今年フィンランドで行われる国際テューバ・コンペティションの課題曲に選ばれていたために、アイスランドから取り寄せていた楽譜がちょうど手元にあります。小林君に相談したところ、しばらく考えてはいたものの、OKの返事です。

 ただ、気軽に頼みはしたものの、これは演奏者に大きな負担がかかる曲です。なにしろ、なかなかの難曲。タイトルがギリシア神話の “北風の神” の名に由来し、まるでアイスランドの荒野に吹きすさぶ強い風を表現するかのように、テューバの特殊な奏法が駆使される音楽です。

 アウスケトル・マウッソンは打楽器奏者ですが、他の楽器のための独奏曲もいくつか書いています。最初の作品は、フルートのための《イテュス (Itys)》(1978) (この曲もギリシア神話の人物がタイトル)。どの曲も特定の演奏者のために書かれており、作曲するにあたってアウスケトルは、それぞれの楽器の奏法を詳しく研究したといわれます。

 《ボレアス》でも、いくつかの特殊奏法が楽譜に指示されています。音を出さずに息を吹き込みんで、風の音を模す。これは、タイトルから想像できるでしょう。全部のレバーによるトリル。カタカタいう音がします。面白いのは重音です。テューバの音を出しながら、同時に声を出す。つまり、楽器を吹きながら、歌を歌います。こういった奏法はすべて、音楽が表現しようとする内容 −− 気性の激しい北風の神とその行動 −− と一致しているので、演奏者は、頭で理解するだけでなく、その感覚を身体に覚えさせる必要があります。一苦労だと思います。

 これを10日間で仕上げてくれというのも、いくら若い者は頼りになるとは言っても、考えてみればずうずうしい話です。でも、ベリマンの《ボレアリス》と並べて演奏するにはぴったり。そもそも "Boreas" から派生した形容詞が "borealis" だし、面白い曲だから……。などというのは、本人でないから言えることなんでしょう、きっと。もちろん、言い出した立場上、呼ばれたときには練習に立ち会わないわけにいかなかったことは言うまでもありません (この曲は、まだ録音がありません。お聴きになりたい方は、ご相談ください!)。

 合宿からコンサートが終わるまで。何より楽しかったのは、感性の豊かな音楽家たちが音楽を作り上げる過程に立ち会う機会を与えられたことです。自分たちが感じたとおりの音楽。自分たちの心に正直な音楽、と言い換えられるかもしれません。

 作品にしろ、演奏にしろ、なにやら訳の分からないもの −− 評論家と呼ばれる人たちなのかメディアなのかは知りませんが −− によって作り上げられた虚像が闊歩する時代。ほんとうに求められているものと“提供”されるものとの乖離が起きているような気がします。作品について言えば、お仕着せの “珠玉の名曲” の時代はとっくに終わっているはず。そして、演奏家に関しても、巨匠といわれる人たちがいないという嘆きの声が聞こえてきますが、時代は巨匠を必要としていないと考えることもできます (“カリスマ” が安売りされることとは、あまり関係ないのでしょうが)。ある意味では、今は過渡的な時代と考えることもできるでしょう。こういう時だからこそ、聴き手のひとりとして、自分にとって必要なものを自分の耳で選ぶことを大切にしたいと思っています。

 いま、磨けば光る原石とでも言える音楽家たちが、いろいろなところでさまざまな活動をしています。地方でも相当な数のコンサートがあることを考えると、東京あたりでは、アマチュア、セミプロ、プロを問わず、途方もない数のコンサートが、それも毎日のように開かれていることでしょう。その中には、きっと、商業的な名声を得ているわけでもない音楽家たちによる“素敵な音楽”と出会う夕べが見つかるはずです。それが見つかるかどうかは、受け止める側が“自分の感覚”に素直になれるかどうかにもかかっているでしょうね。

 Nordic Fantasy のコンサート会場には、たくさんの子供たちが来ていました。最初から小人料金を設定していたのは、気軽に親子で足を運んでもらえるように、ということだったのかもしれません。でも、“連れられてきた” 子供たちは、最後まで “20世紀の音楽” をおとなしく聴いていたといいます。“泣く子は更に泣く” とも揶揄されかねない現代音楽。これは、考えてみればすごいことです。

 彼らの耳に、このコンサートの若い音楽家たちが演奏する北欧の音楽がどんな風に響いたか。そして、彼らがこれからどんな音楽を聴いていくか。これらのことに、とても興味があります。

 コンサートの後、出演者の友人が控室にやってきました。普段はボン・ジョヴィでも聴いているのかな、とでもいったルックスのボーイフレンドが一緒です。

 「この人、眠るんじゃないかと思ってたら、ずっと起きてるのよ」

 楽しそうに言います。すると、

 「あのテューバ、オレ、口でできるよ」

 と、ボーイフレンド。楽しそうにテューバの小林君に話しかけます。

 「エッ?」という風な表情をして、小林君も思わず苦笑いしました。でも、彼らの屈託のない表情を見て、演奏者としては、とても嬉しかったのではないでしょうか。

 そう、この夕べの音楽家たちの輝いて見えたこと。心から音楽を愛する聴き手が見捨てていないのは、あるいは彼らのような音楽家たちなのではなかろうか。そう考えると、思わず胸が熱くなってきました。

 後で、小林君がとんでもないことを耳打ちしてくれました (ニヤニヤしながら)。

 「ね、一度もチューニングやらなかったの、気づきました?」

 さあ、どうしよう。

 

参考ディスク

Pro Musica PPC9027 四手のためのノルウェー・ピアノ作品集
クリスチャン・シンディング (1856-1941) ピアノの連弾のための6つの小品 作品71
トマス・ベック (1899-1963) グブランスダールの舞曲 作品24 (1940)
ヨハン・クヴァンダール (1919-1999) デュオ・コンチェルタンテ 作品41 (1974)
ハンス・マグネ・グレスヴォル (1936-) ピアノデュオ (1990)
ニルス・ヘンリク・アスハイム (1960-)  きつねのミケル − よく知られたメロディによる5つの変奏曲
  テレフ・ユーヴァ (ピアノ) トリグヴェ・トレダール (ピアノ)

Ondine ODE806-2 2台のピアノのための作品集
ベーラ・バルトーク (1881-1945) 2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz110 (1937)
エーリク・ベリマン (1911-) ボレアリス 作品101 (2台のピアノと打楽器のための)
イーゴリ・ストラヴィンスキー (1882-1971) 2台のピアノのためのソナタ (1943-44)
  マッティ・ラエカッリオ (ピアノ) ユハニ・ラーゲルスペツ (ピアノ)
  ティモシー・ファーチェン (打楽器) ラッシ・エルッキラ (打楽器)

Sibelius Academy SACD-3 エーリク・ベリマン80歳記念シベリウス音楽院コンサート
エーリク・ベリマン (1911-)  ソナティナ 作品36 (1950)
 ピアノ組曲《間隔》作品34 (1949) エスプレシーヴォ 作品40-1 (1952)
 景観 (Aspekter) 作品63 (1968-69)
 B-A-C-H について (à propos de b-a-c-h) 作品79 (1976)
 クリストフォロ・コロンボへのオマージュ 作品119 (1991)
 ボレアリス 作品101 (1983) (2台のピアノと打楽器のための)
  リーサ・ポホヨラ (ピアノ) ホセ・リベラ (ピアノ) イェスパー・ヘンゼ (打楽器)
  [19911129日 シベリウス・アカデミー コンサートホール・ライヴ]

Alba ABCD108 ハルヤンネとトランペット体験を
ユッカ・リンコラ (1955-) トランペット協奏曲第2(1993)
レオニード・バシュマコフ (1927-) ピッコロトランペット協奏曲 (1992)
パウル・ヒンデミット (1895-1963) トランペット、バスーンと弦楽合奏のための協奏曲 (1949)
アーロン・コープランド (1900-1990) 静かな都会 (1939)
  ヨウコ・ハルヤンネ (トランペット) サトゥ・アラ (コールアングレ)
  エルッキ・スオマライネン (バスーン)
  スピリトゥス・フォルティス室内管弦楽団 ヨルマ・パヌラ (指揮)

Alba ABCD118 フィンランドのユーフォニアム
ユッカ・リンコラ (1955-) ユーフォニアム協奏曲 (1996)
ユハ・T・コスキネン (1972-) 行先 (ユーフォニアムとピアノのための)
オリヴァー・コーレンベリ (1957-)
 北極のヒステリーの青いきらめき (1995) (バリトンホルン、打楽器とピアノのための)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ (1844-1908) くまんばちの飛行
  ユッカ・ミュリュス (ユーフォニアム) ハンヌ・ヒルヴェラ (ピアノ)
  アキ・ヴィルタネン (打楽器) オウル交響楽団 アルヴォ・ヴォルメル (指揮)

Arietta Discs ADCD9 スカンディナヴィアの光
ユングヴェ・ショルド (1899-1992) フルートとピアノのためのソナティネ 作品57
オイスタイン・ソンメルフェルト (1919-1994)
 無伴奏フルートのためのディヴェルティメント 作品9
グンナル・ド・フルメリ (1908-1987) 田園組曲 (フルートとピアノのための)
エルランド・フォン・コック (1910-) モノローグ第1番 (フルートのための)
ヨアキム・アナセン (1847-1909) 組曲《国民的幻想曲集》作品59 − スウェーデン
 スケルツィーノ 作品55-6
  ヤン・ベンクトソン (フルート) ベンクト=オーケ・ルンディン (ピアノ)

Finlandia 3984-23403-2 ミート・ザ・コンポーザー パーヴォ・ヘイニネン (1938-)
 アリオーゾ 作品16 (1967) 交響曲第2番 作品9 《喜びの小交響曲》 (1962)
  ヘルシンキ・フィルハーモニック管弦楽団 ウルフ・セーデルブルム (指揮)
 ピアノ協奏曲第2番 作品15 (1966)
  イルモ・ランタ (ピアノ)
  ヘルシンキ・フィルハーモニック管弦楽団 ウルフ・セーデルブルム (指揮)
 セレナード 作品31-1 (1974)
  アンシ・カルットゥネン (チェロ) トゥイヤ・ハッキラ (ピアノ)
 夏の音楽 作品11 (1963/67)
  アヴァンティ!室内管弦楽団 ユッカ=ペッカ・サラステ (指揮)
 ピアノソナタ 作品32a プレリュード=エチュード=ポエム 作品32b

  ヨウコ・ライヴオリ (ピアノ)

(TT)

 

Nordic Fantasy − 書簡 その1

前略 ノルディックサウンド広島 様

 先日、山口での「アトナール」のコンサートに行って来ました。ここで今までになかった新鮮なインパクトを受けたので、述べさせていただきたいと思います。

 いわゆる現代音楽といわれているシロモノは、音楽に特に興味のない人にすら有名な “嫌われ者” でした。「あの、騒々しくてわけのわからない音楽?」というわけです。私も従来はそう思っていました。ディレッタントを気どって分かったふりをしていてもどこか居心地が悪かったし、正直にそう言っていた時期もありました。楽しく聴ける音楽はせいぜいバルトークの一部までで、シェーンベルクは《淨夜》でやめておくべきだった、というわけです。最近はその考えは変わってきましたが、今回のコンサートでは、もうひとつヒントをもらったような気がしたんです。

 この会は、程度の差こそあれ一応全部 “現代” といえる曲が並んでいたわけで、途中いわゆる “そうでない昔の音楽” でホッと一息をつく作りにはなっていませんでした。そのことがかえって現代音楽を楽しめた理由ではないかと思うのです。ご存知のように現代音楽の音は非常にデリケートなものが多く、時に過度に神経質ですらあります。このような音たちに近くで触れるためには、聴く方が自分からそちらに降りて行く必要があると思います。そのためには、神経の振幅を小さくして感覚を研ぎ澄まさなくてはなりません。

 おまけに、いくら “現代、現代” とありがたがったところで、所詮、時の試練を経ていないのですから、それほど価値のないものだってあるはずです。玉石混合のものを評価するなんて至難の業だし、かつて大衆は間違いを繰り返してきました。すなわち結構むずかしい作業に立ち会っているわけです。

 そういったとき、確立された、例えばベートーヴェンの強い音楽に混じって特殊な音の世界が理解できるはずはなかったのです。嵐の中では池に落ちた石は全く気付かないが、静けさの中では広がる波紋によってその大きさや形すら感じ取れます。今回は、このプログラムにどっぷり漬かることにより一種違った気分や感覚が引き出されてきたような気がします。そうすると、ちょっと風変わりな衣装をまとった素敵な音の連なりが良く見えてきました。現代といっても北欧のそれですから、刺激的というよりはどこか澄んだ清々しさのようなものが見え隠れしていたわけで、そこが私としては嬉しいところでした。これが通常のコンサートの一曲であったならば感じ取れたかどうか……。でも、もしバッハの曲との組み合わせだったら……。このことは、また連絡しましょう。

 とっても良い経験をさせて頂きました。

 Dr. No

 (プロフィール 広島県呉市在住の日本シベリウス協会会員、広島交響楽団定期会員。自らピアノをたしなみ、バッハ以後のピアノ音楽に特別の愛着をもつ)

 

Nordic Fantasy − 書簡 その2

ノルディックサウンド広島 様 前略

  "Nordic Fantasy" と題された北欧現代音楽のコンサートのことを知ってから数ヶ月。ずっと前には “現代音楽は苦手” と決め込んでいたのですが、北欧の現代音楽の透明感や響きの美しさに触れて、その印象は大きく変わりつつありましたし、なかなか実演を聴く機会のない曲ばかり聴けるというのですから、これは出かけるしかありませんよね。山口市というと、カミーユ・クローデルの彫刻展を見に行ったとき、緑の多い落ち着いた街という印象を受けました。そんな街で北欧の音楽が聴けるというのも嬉しくて、待ちに待ったというところでしょうね。

 とはいっても、プログラムのすべてが現代音楽というのは、初めてのこと。ひょっとして途中で寝てしまうかも、という危惧もありました。それに、会場に入ってあたりを見渡すと、聴衆には小さい子供さんが多いではありませんか。わたしですら聴き通せるかどうかというコンサートを子供たちはどんな風に聴くのだろうと、少し心配になってきました。でも、そんな必要はなかったようです。わたしも眠るどころではありませんでしたし、子供たちもちゃんと聴き通していました。先入観のない子供たちの耳に北欧の現代音楽がどのように響いたのでしょうか。とても興味があります。今度感想を聞いてみたいな。

 個人的に嬉しかったのは、やはり、トークにもあったように、“音色” と “響き” を最大限に楽しめたことです。透明感あふれる響きの中に身を浸す心地よさ。こういう感覚は初めてでした。

 ヘイニネンの《プレリュード》では、ピアノの響きによってそこに造型される冴えざえとした空気と空間を堪能しました。これは実演でなくては味わえなかったでしょうね。テューバ独奏の《ボレアス》では、音が2つ聞こえるので、びっくり。わたしの聴き違いかと思いましたが、やはりハーモニーになってる 。ひょっとして奏者の声ではと思っていたら、どうやら正解だったようです。現代音楽って “なんでもあり” で面白いですね。実際の演奏に接して、それが奇をてらっているだけではないということが、すこし分かったような気がします。

 《ボレアリス》では、ピアノと打楽器の新しい面を楽しみました。それにしても内部奏法というのは大変そう。現代音楽初心者としては、ピアニストの椅子がないのにも驚きました。通の人には「それくらいでびっくりされちゃ 」と叱られそうですね。即興では、会場のちょっとした音や声、演奏者の足音なども音楽の一部となって、それこそ “一度きり” の贈り物をいただいて、しあわせな気分になりました。《テューバ協奏曲》のオーケストラ部分の響きの新鮮さと緊迫感。それに応えて、テューバも伸びやかな音を響かせる。協奏曲の醍醐味とリンコラの音楽の生き生きした表情が伝わってきて、これもしあわせ。

 北欧の音楽は、その自然と同じように厳しさも持っていますが、底に流れている暖かさや素朴さが魅力だと思っています。現代音楽においてもそれはまったく変わりないものだということを、このコンサートであらためて知りました。温もりのある心を伝えてくれたアトナールのメンバーとゲストに心から感謝しています。演奏中の皆さんの真剣な表情の美しかったこと。

 蛇足ですが、このコンサートに興奮したわたしは、傘を忘れ、いつのまにかイヤリングまで落っことす始末。我を忘れるほどすてきなコンサートになるという予感がしたときは、くれぐれも用心しなくては。では。

  ムスティ

 (プロフィール 広島市在住の日本シベリウス協会会員、広響フレンズ会員。山根浩志のピアノには……ミーハー状態)

 

フィンランド便り

 ラハティ交響楽団の新しい本拠地、シベリウス・ホール Sibelius-talo の音響は、かなり評判がいいようです。このホールでの最初の録音、シベリウスの《クッレルヴォ》(BIS CD1215) もリリースされ、演奏だけでなく、新しいホールの響きが好評です。今後のラハティ交響楽団の録音は、原則としてこのホールで行われるということなので、楽しみがひとつふえました。

 このホールは、ラハティ交響楽団のコンサートや録音以外にも、貸ホールとして使われます。フィンランドからのニュースによると、なんと、ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送交響楽団のニルセン交響曲シリーズの最後の1枚 (第1番と第2番) の録音もこのホールで行われたということです。フィンランド放送のオーケストラのラハティ公演にあわせての録音スケジュールのようですが、“おらがホール” でライヴァルが録音をするというのは、ラハティのメンバーにとっては複雑な心境というところでしょう。ちなみに、フィンランド放送交響楽団の新しいホールも、2005年を目標に計画が進んでいるということです。

(TT)

 

新譜情報

cpo 999 641-2 クット・アッテルベリ (1887-1974)
 交響曲第7番 作品45 《シンフォニア・ロマンティカ (ロマンティックな交響曲)》
 交響曲第8番 作品48
  南西ドイツ放送シュトゥットガルト交響楽団 アリ・ラシライネン (指揮)

◇スウェーデンの作曲家アッテルベリ Kurt Atterberg の “何かと話題” の交響曲第7番と第8番。ユロフスキーとマルメ交響楽団 (Sterling CDS1026-2) につぐ録音。第7番は、当時の反ロマン主義の動きに対抗して書かれた。最初は、自作のオペラ《ファーナル (Fanal)》の中のお気に入りの “うたた寝のアリア (slummer-aria)” を素材にしたソナタ形式による単一楽章の管弦楽作品として構想。曲が形をなしてくるにつれ、仮に “アリア” がなくても構成のしっかりした楽章になるのではないかと考えたアッテルベリは、4つの楽章からなる交響曲にすることを決意した。第2楽章にも、同じオペラの素材が使用され、第3楽章は、オペラの第1幕の “乱痴気騒ぎ気分 (upprors-orgie-stämning)” が基になっている。第4楽章も作曲されたが、冗長だとの理由から、作曲者自身が破棄。ただただロマンティックな音楽と “から騒ぎ”−− 演奏によっては違って聞こえることもありえるかもしれないが −− に腹一杯気味なことろに更に音楽が続くことを考えると、賢明な判断?

 第8番は、スウェーデンの民謡を素材にしたポプリ的音楽。最大の疑問は、アルヴェーンの3曲のスウェーデン・ラプソディ、あるいはパーシー・グレインジャーの《リンカンシャーの花束 (Lincolnshire Posy)》のような作品にせず、“交響曲” にしたこと (第4番も同様)。アルヴェーンとグレインジャーの作品がともに、実にのびのびとした音楽に仕上がっていることを考えると、このことがどうも気になって……。ひたすら耳当たりのいい音楽に身を委ねればいいのだろうが、この曲を聴くたびに −− 決して多くはない回数 −− しだいにアッテルベリの名声に陰りが出てきたことも無理のないこと、と考えてしまう。第1番、第2番、第3番の交響曲、そして組曲第3番というスウェーデン音楽史に残る名作を書きながら、それほどインスピレーションの感じられない音楽を書く職人になってしまったアッテルベリ。初期の作品の大きな特色のひとつでもあったオーケストレーションの非凡さにもかげりが……。どうして “交響曲” にすることにこだわったのだろうか。ただ、この新録音では、第6番 (cpo 999 640-2) をある程度、巧くまとめ上げたラシライネンが指揮していることと、録音が比較的良好なおかげで、“交響曲” と思わなければ楽しめる。

dacapo 8.224140 CEF・ヴァイセ (1774-1842) ピアノソナタ集
 ピアノソナタ第6番 変ロ長調 (1799) ピアノソナタ第8番 ト短調 (pub.1818)
 ピアノソナタ第5番 ホ長調 (1799) ピアノソナタ第7番 イ短調 (1799)
  トマス・トロンイェム (ピアノ)

CEF・ヴァイセは、ホルステン公国 (現ドイツ領) の都アルトナ Altona に生まれ、15歳の時にコペンハーゲンに旅した際、ドイツ出身の JAP・シュルス (シュルツ) J. A. P. Schulz (1747-1800) の家に迎えられる。シュルスは、《魂の牧場》の作者、モーエンス・ペーザセン Mogens Pedersen (c.1585-1623) らが開花させたデンマークの宮廷音楽を市民音楽に橋渡しする役目を担い、オラトリオ《キリストの死 (Christi død)》やオペラなど多数を作曲した。ある意味では、デンマーク音楽の先駆者とも呼べる存在の作曲家。もともと優秀なピアニストだったヴァイセは、シュルスの手助けでコパンハーゲンの音楽サークルに加わることになり、モーツァルトのピアノ協奏曲をコペンハーゲンに紹介。即興による長大なカデンツァで聴衆を驚嘆させた。1795年から1799年にかけて、7曲の交響曲の初稿も書いている (スヴェン・ラウンキレ Svend Ravnkilde 「デンマーク音楽の黄金時代 1800-1850 (Danish Music Golden Age 1800-1850)」(DMIC))。声楽のための作品や劇音楽を得意とし、抒情的な作風のロマンス(歌曲)や(劇そのものは次第に影が薄くなったものの)劇中歌は、国民的な人気を集めた。活躍の時期がちょうどデンマークの黄金時代にあたり、クーラウやゲーゼらとともにデンマーク音楽文化の発展に貢献したことも高く評価されている。8曲のピアノソナタを書いたとされ、これまで録音がなかった。

dacapo 8.224148 ポウル・ルーザス (1949-) ピアノ作品集
 星の前奏曲と愛のフーガ (Star-Prelude And Love Fugue) (1990)
 ピアノソナタ第1番《ダンテ・ソナタ (Dante Sonata)(1970)
 無名兵士の3通の手紙 (Three Letters from the Unknown Soldier) (1967)
 ピアノソナタ第2(1982)
  ロルフ・ハインド (ピアノ)

◇大きな成功をおさめ、批評家からも好評のオペラ《侍女の物語》を作曲したルーザス Poul Ruders は、イブ・ネアホルム Ib Nørholm (b.1931) の弟子。さまざまな技法の作品を書き、いつの間にか国際的な人気者になってしまった。室内協奏曲と呼ぶべき《4つの作品 (Four Compositions)》 (1980) −− 作曲家仲間のハンス・エブラハムセン Hans Abrahamsen (b.1952)、オリヴァー・ナッセン Oliver Knussen、イブ・ネアホルム、そしてルーザス自身に捧げられた −− の、目のくらむような、それでいて透明感のある響きの音楽は強い印象を与えた (Paula PACD37)。これまでに作曲されたピアノのための作品は、独奏曲が6つと協奏曲が2曲。《行進》、《鐘》、《祈り》の3つの部分で構成される《無名兵士の3通の手紙》は、ルーザスの作曲家としてのデビュー作。《星の前奏曲と愛のフーガ》は、1988年3月の来日時の滞在を実りあるものしてくれた高橋アキに献呈された作品。《前奏曲》は、オペラ《ティコ (Tycho)》−− タイトルは、月面でもっとも光が集中するクレーターの名 −− の前奏曲に基づき、《フーガ》は、モテット《Charitas nunquam excidit (愛は止むことがない》の冒頭を主題とする。

Danica DCD8181 20世紀デンマーク合唱曲集
カール・ニルセン (1865-1931) 3つのモテット FS139
ベアンハート・レオコヴィチ (1927-) 聖母マリアへの讃歌 (1994)
ペーア・ネアゴー (1932) 3つのアニュス・デイ (怒りの日)
のモテット (1983)
ポウル・ルーザス (1949-) プレギエラ・センプリーチェ (実直な祈り)
ニルス・ラクーア (1944-) BS・インゲマンの詩による賛美歌集
  コペンハーゲン王立教会合唱団 エベ・モンク (指揮)

◇コペンハーゲン王立教会合唱団は、高声部が少年合唱。

Erato 8573-85776-2 ジャン・シベリウス (1865-1957)
  交響曲第2番 ニ長調 作品43 交響曲第4番 イ短調 作品63
  バーミンガム市交響楽団 サカリ・オラモ (指揮)

Erato 8573-85785-2 マイ・ワールド・オヴ・オペラ
ジュゼッペ・ヴェルディ (1813-1901)
 オペラ《シモン・ボッカネグラ》 − なんと、この真っ暗な時刻に
ジャコモ・プッチーニ (1858-1924) オペラ《マノン・レスコー》 − 華やかに着飾っても
ピョートル・チャイコフスキー (1840-1893)
 オペラ《スペードの女王》 − ああ、わたしは疲れきってしまった
リヒァルト・ヴァーグナー (1813-1883)
 オペラ《ローエングリン》 − エルザの夢「そよ風よ、わたしの嘆きを聞いておくれ」
 楽劇《ヴァルキューレ》 − 一族の男たちが あなたこそが春
リヒァルト・シュトラウス (1864-1949)
 楽劇《エレクトラ》 − あなたのように座って闇を見つめることは
フランツ・レハール (1870-1948) オペレッタ《メリー・ウィドウ》 − ヴィリアの歌
レオシュ・ヤナーチェク (1854-1928) オペラ《イェヌーファ》 − イェヌーファの祈り
  カリタ・マッティラ (ソプラノ) ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 佐渡裕 (指揮)

◇フィンランドのソプラノ、マッティラ Karita Mattila は、シベリウスをはじめとする歌曲の録音でなじみ深いが、一般的にはコヴェントガーデン、メトロポリタン、ウィーン国立などのオペラハウスでの活躍ぶりで人気が高い。アウリス・サッリネンの《4つの夢の歌 (Haavikko)》や、ミッコ・ヘイニオ Mikko Heiniö (b.1948) の歌曲集《鉄条網飛行 (Vuelo de alambre)》の印象的な歌唱 (Finlandia 4509-99403-2) からも想像できるように、スピントのかかった声と大柄な歌は、むしろオペラに向いていそう。ここでは《ヴィリアの歌》だけがレパートリーとしてはやや異色に思えるが、ジャズ・ミュージシャンのラッセ・モッテンソン Lasse Mårtenson (b.1934) が書いた、フィンランドの自然を歌うポピュラー曲集の録音 (Ondine ODE907-2 “海の歌”)で屈託のない歌を聴かせてくれたマッティラだけに、ちょっと楽しみ。ただ、指揮者が……。

Finlandia 8573-85573-2 北国の情景 − 世界の頂上からオーケストラ・クラシックスを
ヘイノ・カスキ (1885-1957) 前奏曲 作品7-1
エイノユハニ・ラウタヴァーラ (b.1928)
 カントゥス・アルクティクス (極北の歌) − メランコリー
エイナル・エングルンド (1916-1999) 組曲《白いトナカイ》 − トナカイのレース
アハティ・ソンニネン (1914-1984)
 ヘッシとイルッシア 作品39 − ネズミの婚礼のワルツ
エルッキ・メラルティン (1875-1937)
 劇音楽《眠れる森の美女》組曲 作品22 − 蝶々のワルツ 祝祭行進曲
オスカル・メリカント (1868-1924)(ニルス=エーリク・フーグステット 編曲) ゆっくりしたワルツ
トイヴォ・クーラ (1883-1918) 結婚行進曲 作品3-2
ウーノ・クラミ (1900-1961) 序曲《スオメンリンナ》 作品30
ジャン・シベリウス (1865-1957) 劇音楽《死 (Kuolema)》作品44 − 悲しいワルツ
 《カレリア》組曲 作品11 − 行進曲風に 音詩《フィンランディア》 作品26-7
アルマス・ヤルネフェルト (1869-1958) 子守歌 前奏曲
伝承曲 (ロベルト・カヤヌス 編曲) ポリ連隊行進曲
フレードリク・パーシウス (1809-1891) (ロベルト・カヤヌス 編曲) わが祖国 (フィンランド国歌)
  クオピオ交響楽団 佐藤俊太郎 (指揮)

Finlandia 8573-87182-2 アルヴォ・ペルト (b.1938) ヨハネ受難曲 (1982)
  ヨルマ・ヒュンニネン (バリトン) トピ・レヘティプー (テノール) カリ・ユッシラ (オルガン)
  ユッカ・ランタマキ (ヴァイオリン) マルヤ・タルカ (オーボエ)
  カンドミノ合唱団 タウノ・サトマー (指揮)

◇2000年11月録音。エストニア生まれのオーストリアの作曲家アルヴォ・ペルトの代表作とされる作品。ポール・ヒリヤー指揮ヒリヤード・アンサンブルとウェスタン・ウィンド室内合唱団らによる録音よりも、演奏時間が約10分みじかいぶん、緊張感が際立って聞こえるとされる。ヒュンニネン Jorma Hynninen は、フィンランドの歌曲とオペラには欠かせないバリトン。ピラトを歌うトピ・レヘティプー Topi Lehtipuu は、ラウタヴァーラの《ヴィジリア》の録音に参加。ミシェル・コルボによる、昨年のバッハの《マタイ受難曲》の日本ツアーでは、福音史家とテノールのアリアと歌った。

Rondo RCD8357 フレゼリク・クーラウ (1786-1832) ピアノ作品集 第4
 スウェーデンの歌による幻想曲 ト長調 作品93
 ソナタ ハ長調 作品26-2 ソナタ 変ホ長調 作品26-3
 スウェーデンの歌と舞曲による幻想曲と変奏 ニ短調 作品25
  トマス・トロンイェム (ピアノ)

Rondo RCD8371 剣と王冠
エドワード・グレグソン (1945-) 剣と王冠 (1991) (シンフォニックバンドのための)
ヨハン・デ・メイ (1953-) T-ボーン・コンチェルト ラ・クインテッセンツァ
デイヴィッド・ギリンガム (1947-) 4つの打楽器とウィンドアンサンブルのための小協奏曲
ヤン・ヴァン・デル・ロースト (1956-) ホルン、ウィンズと打楽器のためのラプソディ
  デンマーク・コンサート・バンド ヨーアン・ミッサー・イェンセン (指揮)

 

新譜情報 − Blues, Folk, Pop & World Music

Caprice CAP21648 ドラウプネル
 アンテ・スンディン バムセポルス ブリンド=ペレによるポルスカ スクヴァルトクヴァーン
 変わり者 ノルマンによるポルスカ ペルサポイカーナによるポスルカ
 ペール・ペーションによる結婚行進曲 メーリトのワルツ
 フルム=ウッレの最後の曲/イェルスブー=ユーナスによるポルスカ
 トゥルパンス・アンデシュにょるポルスカ  胸のふるえ/フルト・ラッセによる老ニックのポルスカ
 1984年  ラーシュ=エーリク・フォシュリンによるマッティアスのグランポルスカ
 グルッブ=アンテによるセンポルスカ  自分勝手なふるまい
  ドラウプネル

◇ドラウプネル Draupner は、北部スウェーデン、ヘルシングランド出身の若いフォークミュージック・グループ。1984年に結成された。翌年のムシーク・ディレクト −− 若手ミュージシャンのためのスウェーデン最大のフェスティヴァル −− で7つの賞のうちの4つを受賞。引き続き、パリとスウェーデン各地をツアーでまわる。1998年秋のスウェーデン国会開会にあたり、国王夫妻臨席のもとで演奏。メンバーは、ヘンニング・アンデション Henning Andersson (フィドル)、ヨリエン・アントンソン Görgen Andonsson (フィドル、5弦フィドル)、トゥーマス・リンドベリ Tomas Lindberg (ギター、マンドラ) の3人。その後、グリーンランドで開催された初の民俗音楽祭にスウェーデン代表として参加。CDデビューにあたるこのディスクでは、フルム=ウッレ From-Olle、トゥルパンス・アンデシュ Tulpans Anders、ブリュッガーン Bryggarn、フルトクレッペン Hultkläppen らのエヴァーグリーン (永遠の名作) と、伝統のスタイルによる自作を録音。ヘルシングランドのフィドル演奏の遺産が、熱っぽく力強い演奏となって受け継がれている。


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