Newsletter No.34   23 August 2001

 

軽やかさをもとめて − ラーシュ=エーリク・ラーション

  
 広島のオペラグループのひとつにより、《コジ・ファン・トゥッテ》が上演されました。

 《魔笛》とともに、モーツァルトのオペラの中では、個人的にもっとも好きな作品です。他の曲もそれなりの魅力があるのかもしれませんが、《フィガロの結婚》は、第4幕以外、ゴタゴタした感じがつきまとい、《ドン・ジョヴァンニ》はというと、あまりに重苦しく暗いので、なんとなく気が乗りません。ところが、《魔笛》と《コジ》となると話は別。モーツァルトの音楽から遠ざかってからかなりの年月が経ちますが、この2曲のオペラ (あるいは、ジングシュピール) は、変ロ長調のピアノ協奏曲 (K595)、クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲、弦楽四重奏曲などとともに、時折、ひそかに楽しんでいます。

 《魔笛》は、合唱指揮者のエーリク・エーリクソンによる管弦楽の指揮がちょっと、ということはあるにしても、北欧の歌手たちの素敵な歌を聴きたくて、イングマル・ベルイマンが監督したTV映画をLDに収録したものを時々取り出します。ベルイマンの演出は、パミーナが雪化粧した路地でアリアを歌う場面や、パパゲーノが子供を抱いている最後の場面のように、それはそれは嬉しくなるシーンがふんだんにあるので、多少、趣味が違うところがあっても、それほど気になりません。《コジ》のほうは、ストックホルム郊外のドロットニングホルム宮廷劇場での演奏を映像として収めたLD。爽やかで、いいですね。

 というわけで、音楽仲間と連れだって《コジ・ファン・トゥッテ》を見に行くことに。ただ、「大丈夫なのかな?」という危惧はありました。日本のオペラというと、某国立劇場のこけら落としのために委嘱された新作のように、ほとんど “おとなの学芸会” といった先入観のためです。まして、好きな作品だけに、「変ことにならなきゃいいけど」と、いささか気にしながら出かけたのは、確かです。でも、“怖いもの見たさ” という興味の持ち方もなくはないし……。

 しかし、これが楽しめました。装置と演出は、欲を言えばきりがないにしても、はそれなりによくできているし、とりわけソプラノ2人 (フィオルディリージとデスピーナ) の丁寧な歌は驚きでした。広島交響楽団とオペラの相性も良さそう、というか力演でした。一部の歌手の音程が定まらない歌や日本人には似合わない仕草が気になるのは、“よくあること” (ワイングラスを受け取ってから愛想笑いをするのは、ちょっと)。でも、新年にテレビでやっているオペラコンサートほどには、見ていて恥ずかしくなるというレベルでないのはなによりです。聞くところによると、首都圏の歌手たちはプロ (?) になりすぎ (?) とか。どうなんでしょう。

 とにかく、特別にオペラやモーツァルトを好きなわけでもない仲間3人、おおいに満足しました。(となりの県からわざわざ来た)
ピアニストのYさんは、「えかった。広島、いいなー!」と言い、もうひとり、シベリウス協会員のOさんは −− 去年、ウィーンの国立オペラで《ドン・カルロ》と《ばらの騎士》を見てきたばかり −− 翌日、衝動を抑えられず全曲のCDを買いました。わたしも、クイケンがプティート・バンドを指揮した全曲盤を買うかどうか思案中です。時代楽器によるモーツァルトというのでためらってしまいますが、ソイレ・イソコスキのフィオルディリージ、ノルウェーのバリトン、ペール・ヴォレスタードのグリエルモとくれば、北欧のファンとして、この録音に興味をもたずにはいられません。

 終演後、ロビーを歩きながら3人が口をそろえて言ったのは、「音楽がいいよねッ!」ということでした。そう、《コジ・ファン・トゥッテ》の魅力は、音楽がすべてと言ってもいいかもしれません。簡素ですっきりとした管弦楽法と絶えず表情を変える音楽。その管弦楽にアンサンブル (二重唱から六重唱まで) が絡み合って作り上げる、繊細でありながら鮮やかな響き。軽やかに弾んでいるかと思えば、感情の揺れを的確に伝える深みのある音楽を聴かせ、その両方が美しいバランスで共存しています。「悲しみ、喜びのどちらかに偏らない時、モーツァルトの音楽はもっとも魅力的」と常々感じていて、今回、あらためてそのことを確信しました。そして、今回の公演が上出来だったのは、この音楽のおかげではないかとも思っています。いや、実際のところ、これはモーツァルトのオペラのなかでも、とびきり良くできた音楽でしょう。

 そんなことがあり、モーツァルトの音楽のことを考えている時に、ふと、スウェーデンの作曲家、ラーションのことが頭に浮かんできました。なぜなのかはわかりませんが、なんとなく。多作で、機会音楽を書き、人々に愛されたことが共通するから? それとも、たいした意味はないのかな?

 個人的なことを言うと、わたしが北欧の音楽の魅力を知ることになったきっかけとなった作品は、ラーションのヴァイオリン協奏曲です。イギリスの Gramophone 誌に掲載されたロバート・レイトン氏 Robert Layton の記事を読んで北欧の音楽に興味をそそられ、東京に行ったついでに立ち寄った六本木の WAVE でレイトンが紹介していたCDを何枚か見つけ、そのなかの1枚が Swedish Society Discofil からリリースされていたラーションの作品集でした (SCD1004、現在は、組み合わせが変わっています)。このディスクの最初に入っていたのが、ヴァイオリン協奏曲 (作品42、1952) です。

 この曲は、ラーションのもっとも人気のある作品、抒情組曲(カンタータ)《偽装の神 (Förklädd Gud)》や《田園組曲 (Pastoralsvit)》とは違い、彼の作品のなかでも急進的な傾向の作品と考えられている音楽です。実際、「何だかよくわからない」と言う声もあります。"Metamorfosteknik/Metamorphosistic technique" −− 主に標題音楽に用いられる、いわゆる “メタモルフォーゼ” でしょうが、“変形技法” と訳すのでしょうか? −− で書かれ、いくつかの動機が多様に形を変えながら音楽を進めていくので、ソナタ形式で書かれた協奏曲になじんでいる耳には、そのあたりがとらえにくいのかもしれません。

 このヴァイオリン協奏曲は、初めて聴いた時からひどく面白くて、たちまち、ラーションという名のスウェーデンの作曲家の音楽の虜になりました。おまけに、この曲が、同じディスクに収録されていた2曲の音楽の性格と違うので、なおさら興味が湧いてきます。異国情緒を漂わせるロマンティックな劇音楽《冬物語 (En vintersaga)》と、民謡風の情緒的な第2楽章《カヴァティーナ》をもつヴァイオリン小協奏曲。ちょっと聴きには、これが同じ作曲家の作品と考えるのは、むずかしいかもしれません。その後、12の小協奏曲、3つの交響曲、《偽装の神》、《田園組曲》、《小ミサ曲 (Missa brevis)》など、ラーションの作品をあれこれ聴いているうちに、さまざまな様式で書かれているのが面白くて……。たしかラーションは、もっとも早い時期から十二音音楽を採り入れたり、無調による音楽を書いたりしたスウェーデンの作曲家のひとりです。1932年の《10の2声のピアノの小品》には十二音技法による部分があって、これがスウェーデンの作曲家の書いた最初の十二音音楽と言われています。それが、《偽装の神》では、“これぞスウェーデンの抒情” という旋律を確信を持って書く。無節操? かもしれません。でも、聴衆におもねた音楽でないことは確かで、それが面白い。

 この作曲家をきっかけに北欧音楽に入り込んでいくことに……。もし、Gramophone のあの記事を読んでいなかったら。六本木 WAVE という素敵なレコードショップがなかったら。そこにラーションのCDを見かけなかったら……。“遙かなる北欧” は、ほんとうに遠かったかもしれません。

 ラーシュ=エーリク・ラーション Lars-Erik Larsson (1908-1986) は、南スウェーデンのスコーネ地方に生まれました。父親は、商売を営むかたわら、教会の聖歌隊では先唱者を務めており、音楽的背景に恵まれた農村の中流家庭。1925年、ラーシュ=エーリクは王立音楽大学で作曲法を学ぶためにストックホルムに出ていきます。師事したのは、保守的なスタイルのエルンスト・エルベリ Ernst Ellberg (1868-1948) でした。ヨーラン・ベリエンダール Göran Bergendal は、学生時代の作品について、「巧みな作曲技法で書かれ、ラーションの音楽の根底に北欧ロマンティシズムが流れていることを示す、気品の高い音楽」と言っており、ラーションの音楽の重要な基礎がこの時代に醸成されたことがうかがえそうです。

 ラーションが知識を広げるためにウィーンに向かったのは、1929年のことでした。“かなり躊躇した後” (ヨーラン・ベリエンダール)、ラーションは、前衛音楽の旗手アルバン・ベルク Alban Berg に教えを請うことを決心します。

 ベルクと出会った時のことをラーションは、つぎのように語っています。

 「とても優しい人だった。わたしが携えていた自作の交響曲 (訳注:シベリウス風の第1番)、演奏会序曲 (同:第1番)、その他数曲の楽譜をパラパラめくると、彼は、『なぜ私のところに来たのかな?』と怪訝そうにたずねた。わたしは答に窮したが、ともかく、彼はわたしを暖かく迎え入れ、勉強にとりかかってくれた。時代の最先端に一直線に投げ込まれ、彼の作曲の方法をいささかでも学ぶのだろうと思っていたものだから、その指導法には驚いたのなんの。予期していたようなことはちっとも教えず、かわりに、いくらかの主題を書き、変奏の技法を勉強しろとのこと。時折、わたしが大胆なことをしたりすると、彼はすぐに、『この脈絡では、それはおかしい』と、指摘してくれた」 (1963年ラジオ・インタヴュー)

 ほどなくしてウィーンを離れたラーションは、ライプツィヒに移り、フリッツ・ロイター Fritz Reuter のもとでしばらく学んだ後、帰国します。

 1933年からは音楽批評家としてルンドに住み、1937年にスウェーデン放送局に採用されてからは作曲家、指揮者、プロデューサーとしての活動が始まりました。映画、ラジオ放送、あるいはその他の機会音楽の作曲家として、マスメディアからももてはやされ、この時期の業績も手伝って、ラーションの名はスウェーデン音楽史に刻まれることになります。この時期に書かれた重要な作品のひとつが《偽装の神》。第2次世界大戦中に作曲され、苦しみのうちにある人々を励ましたこの音楽は、ラーションの代表作とみなされています (この曲については、大束省三さんの著書「北欧音楽入門」の中にくわしく書かれています)。

 1943年にフリーになったラーションは、“さっぱりした簡素な表現” をめざしながら、多くの音楽を作っていきます。1950年代のおわりには、十二音技法による作曲も本格的に行うようになりますが、彼の場合、厳格な法則にのっとった音楽を書いたというより、この技法を自由に展開して自分の音楽にうまく取り込んだと言われます。「作曲家として、たえず、複雑さと愛想のよさ、あるいは機知と表現の豊かさの間を行ったり来たりしていた」とベリエンダールが指摘するように、ラーションは、いろいろな様式の影響を受けた音楽を書きました。そして、十二音技法は、そんなラーションの音楽にある種の軽やかさをもたらし、底流にあるロマンティシズムと抒情を洗練された形で際だたせることに有効でした。巧みというか、現実に即しているというか。

 ラーションの音楽が、通俗でありながら凡庸だとは思えないのは、この巧みさのおかげかもしれません。同時代のスウェーデンの作曲家の中には、新しい技法を拒否した人もいます。彼らが、センスを活かしきれずに音楽を陳腐化させていった原因がそこにあった、と考えるのは短絡的だとしても、ラーションが賢明な方法を選んだのは間違いないでしょう。自己批判の精神が強かったと伝えられるラーションのこと。充分消化した上で作曲技法を自分の音楽に取り入れたはずです。彼の音楽がごく自然な響きをもち、その結果、抵抗なく聴衆に受け入れられたとすれば、(変な言い方を承知で)ラーションの作戦勝ち。しかも、目端が利いていながら、功利的だとは感じられないのは、しばしば語られるように、ラーションの人間性に負うところが多いのでしょうか。おもしろい作曲家です。

 人気があったおかげで、ラーションの作品はややかなりの曲をCDで聴くことができます。人気曲となると複数の録音があり、《偽装の神》は、一般的に入手できるものだけで5種。異なる12の楽器のために書かれた《12の小協奏曲》は、全曲録音が2種と、それぞれの楽器の奏者による個々の曲の録音が数種。《田園組曲》は、それこそスウェーデンの管弦楽作品集の常連なので、これもいくつかの録音があります。ただ、どうしても人気のある作品に録音が集中してしまい、他の曲を聴きたいと思っても、なかなか欲求がみたされません。これは仕方のないことでしょうが……。3曲の交響曲にしても、そろそろ新録音が出てもいいころです。

 Phono Suecia からリリースされた初期の作品ばかりのディスクは、その意味でも貴重です。収録されているのは、《演奏会序曲第2番》、《フィドル弾きの最後の旅》、《シンフォニエッタ》、《輝ける国》の4曲。手元の資料を見たかぎりでは、いずれもこれが初録音です。

 バリトンと管弦楽のための《フィドル弾きの最後の旅 (En spelmans jordafärd/A Fiddler's Last Journey)》 作品1 は、学生時代の1927年の作品です。“作品1” となっているのは、「単なる習作ではない」という作曲者の自信の表明と考えられるでしょう。死んだフィドル弾きの葬列を詠んだ、作家ダン・アンデション Dan Andersson (1888-1920) の詩がテクスト。『もうじき、バラ色の朝の光が/ヒンメルムーラの山の端に/見よ、そのとき死体がひとつベリャビュから運ばれてくる。/丘に咲く花々のむこうを/無言の行列が進む/朝の冷たい灰色の空の下を……』。貧しく、身よりのないフィドル弾きを弔ってくれたのは、葬儀に集まった人たちではなく自然だった、と語るアンデションのロマンティックな詩は、ラーションの心を強くとらえ、まもなく彼は、この詩に曲をつけることにのめり込んでいきます。完成した曲は、スウェーデンの作曲家アウグスト・セーデルマン August Söderman (1832-1876) のバラッドを思わせるロマンティックな音楽。ただ、セーデルマンが、たとえば、《ヘイメル王とアスローグ (Kung Heimer och Aslög)》 に見られるとおり、流れるような旋律で情緒に訴えるのに対して、ラーションは、背景となる厳粛な雰囲気をくっきりと表出することに力を注いでいます。このあたりが、19世紀と20世紀のロマンティシズムの違いでしょう。1927年12月15日の王立音楽大学学生コンサートで、エイナル・ヴェルメ Einar Wärmö の独唱と作曲者の指揮により初演されました。

 5年後に作曲された、弦楽オーケストラのための《シンフォニエッタ (Sinfonietta)》作品10 (1932) は、うってかわってネオバロック、ないしネオクラシカルな音楽です。ラーションの最重要な作品のひとつと考えられています。3つの楽章からなり、始めと終わりの楽章が《アレグロ》。中間の楽章では、ふたつの《ラルゴ》が、激しい《プレスト》を挟んでいます。最初の《ラルゴ》は、バッハかヘンデルの時代に戻ったような、荘重な音楽。楽章を締めくくる《ラルゴ》は、シェーンベルクの目で見つめたバロック様式とでも呼びたい、悲痛な音楽です。作曲の年にトゥール・マン Tor Mann (1894-1974) 指揮のヨーテボリ管弦楽協会が初演しました。1934年4月にはフィレンツェで開催された ISCM (国際現代音楽協会) の World Music Days (世界音楽の日々) で、ヘルマン・シェルヘンの指揮により再演。4時間に及ぼうというマラソン・コンサートで疲れ切っていた聴衆の目を覚ませ、一夜にしてラーションの名を高めたといわれます。ラーション自身は、あまりにも強引で複雑という理由から気に入らなかったと伝えられるものの、密度の高い音楽には存在感があります。

 独唱者、合唱と管弦楽のためのカンタータ《輝ける国 (Det ljusa landet/The Bright Country)》 作品11 が作曲されたのも1932年ですが、優雅で、引き締まり、様式に忠実な《シンフォニエッタ 》とは対照的な音楽です。スウェーデン合唱連盟が1932年から翌年にかけて主催したカンタータ・コンペティションの応募作。連盟がフィンランド系スウェーデンの作家ヨエル・ルント Joel Rundt (1979-1971) に委嘱した、オストロボスニアの風景を讃えた18の詩から成る詩集をテクストにすることを必須とされたため、ラーションの書いた曲も祖国愛を歌う音楽になっています。 《散歩 (Vandring/Wandering)》、《夏の朝 (Sommarmorgon/Summer Morning)》、《神殿 (Templet/The Temple)》、《心 (Hjärtat/The Heart)》、《歌 (Sången/The Song)》。ラーションは詩集のなかから5つの詩を選びました。

 《神殿》では、祈りの旋律 (まるで、バッハのカンタータのコラール) を弦楽器がつつむように彩るさまが美しく、祖国への愛が高らかに歌われる最後の《歌》は、ステーンハンマル Wilhelm Stenhammar (1871-1927) の同名のカンタータ 《歌 (Sången)》(1920-21) と同じ系譜の音楽と言ってもいいでしょう。優勝こそオスカル・リンドベリ Oskar Lindberg (1887-1955) にさらわれたものの、この作品は、一連のカンタータや抒情組曲の最初の曲として、ラーションにとっては意味のある曲となりました。《偽装の神》の原型となる作品です。

 ラーションは、演奏会序曲を3曲、書いています。そのうちもっとも知名度が高いのが、《演奏会序曲第2番 (Konsertuvertyr nr2/Concert Oveture no.2)》 作品13。1934年に作曲され、翌年1月27日にヨーテボリ管弦楽協会がトゥール・マンの指揮で初演。同じ1935年、 ISCM World Music Days (パリ) で、シャルル・ミュンシュが指揮して、前年同様、長時間のコンサートの最後の作品として演奏されました。「……新鮮な空気を一呼吸したような……聴衆は喝采し、ブラヴォーを叫んだ。作曲者は、無理やり舞台に引っぱり出され、自然に湧き起こる盛大な拍手で迎えられた」というステーン・ブルーマン Sten Broman (1902-1983) (指揮者としても活躍) の報告が、熱狂ぶりを伝えています。

 ラーションは、いろいろな機会に自作について語っています。もっともしばしば引用されるのが、1968年のインタヴューの中の次のことばです。

 「わたしは、もっと簡素な、もっと穏やかな、もっと軽快な音楽を書きたい。うぬぼれに聞こえるかもしれないが、わたしは重力の法則を壊してみたい」

 これは、おそらく、《シンフォニエッタ 》について語ったものと思われますが、《演奏会序曲第2番》についてはどう考えていたのでしょうか。機知に富んだ、ネオクラシカルな様式の小品。たえず“モーツァルトの音楽のような軽さ”を追い求めていたラーションにとっては、お気に入りの作品だったとしても不思議はないのですが。

 モーツァルトの音楽のように軽いということで思いつくのが、室内管弦楽のためのディヴェルティメント第2番(作品15)です。ディヴェルティメントといえば、モーツァルトも得意としたジャンルの音楽。気分が乗って作曲したことが仕上がりから想像されます。1935年に作曲され、1937年に再びパリで開かれた World Music Days で演奏されました。「軽く、才気煥発の新古典主義精神と牧歌的で北欧的な響きの旋律を一体化した、優雅なディヴェルティメント」(ラーシュ・ヘードブラード Lars Hedblad)。ソナタ形式の《アレグロ・コン・スピリト》、北欧抒情の《アダージョ》、ロンド形式の《プレスト》の3つの楽章で構成され、ディヴェルティメントの雰囲気にみちた小品です。1980年にストックホルム・シンフォニエッタが録音しており、その演奏をラーションも聴いたと思われます。ずっと以前に書いたこの曲の録音を聴いて、ラーションは何を思ったのでしょうか。

 管楽五重奏のためのディヴェルティメント《Quarttro tempi (4つの時)》(作品55、1968)や弦楽四重奏曲第3番 (作品65、1975) のように、シリアスな傾向の音楽も好んで書いたラーションは、なかなか全体像のつかみにくい作曲家とも言われます。でも、これらの作品にしても、どこかに必ず軽やかな表情が顔をのぞかせます。《偽装の神》が静かな抒情だけの音楽でないことからもわかるように、一面だけをとらえないほうが、ラーションの音楽がしっかりと見え、その魅力がたっぷりと味わえるのではないでしょうか。ラーションの音楽には、それだけの美しいバランスが備わっているように思います。ちょうど、最良の時のモーツァルトの音楽のように。


Phono Suecia (Musica Sveciae Modern Classics) PSCD714 ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986)
 演奏会序曲第2番 作品13 (1934)
 フィドル弾きの最後の旅 (En spelmans jordafärd) 作品1 (1927) (バリトンと管弦楽のためのバラッド)
 弦楽オーケストラのためのシンフォニエッタ 作品10 (1932)
 輝ける国 (Den ljusa landet) 作品11 (1932) (独唱者、合唱と管弦楽のためのカンタータ)
  カール=マグヌス・フレードリクソン (バリトン) レーナ・ホール (ソプラノ)
  スウェーデン放送合唱団 SAMI シンフォニエッタ ステファン・パークマン (指揮)

参考ディスク

Swedish Society Discofil SCD1056
ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986)
 ヴァイオリン協奏曲 作品42 (1952) ヴァイオリン小協奏曲 作品45-8 (1956)
  レオ・ベッリーン (ヴァイオリン)
  ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団 スティーグ・ヴェステルベリ (指揮)
 トロンボーン小協奏曲 作品45-7 (1955)
  クリステル・トルイェ (トロンボーン)
  オレブルー室内管弦楽団 レンナット・ヘードヴァル (指揮)
 ダブルベース小協奏曲 作品45-11 (1957)
  ルイジ・オソイナク (ダブルベース) フィルハーモニック室内アンサンブル
リレ・ブルール・セーデルルンド (1912-1957)
  オーボエ小協奏曲 (1944)
  アルフ・ニルソン (オーボエ) フィルハーモニック室内アンサンブル

Swedish Society Discofil SCD1051 ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986)
 田園組曲(管弦楽のための)作品19 (1938)
  ストックホルム交響楽団 スティーグ・ヴェステルベリ (指揮)
 劇音楽《冬物語》 作品18
  ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団 スティーグ・ヴェステルベリ (指揮)
 小セレナード 作品12 (1934)
  ストックホルム室内アンサンブル
 管弦楽のための変奏曲 作品50 (1962)
  スウェーデン放送管弦楽団 シクステン・エールリング (指揮)
 小行進曲 (1936)
  ストックホルム交響楽団 スティーグ・ヴェステルベリ (指揮)
 民謡の夜
  オレブルー室内管弦楽団 レンナット・ヘードヴァル (指揮)
 ピアノ曲集《クロッキー》 − エスプレッシーヴォ
  ラーシュ=エーリク・ラーション (ピアノ)

Marco Polo 8.225123
ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986)
 抒情組曲 (カンタータ) 《偽装の神》作品24 (1940)
ヒルディング・ルーセンベリ (1892-1985)
 クリスマス・オラトリオ《聖なる夜》(1936)
  カーリン・インゲベック (ソプラノ) アンナ・ラーション (メゾソプラノ) アンデシュ・ラーション (テノール)
  ヨン・エーリク・エレビ (バス) フレイ・リンドクヴィスト (語り) アマーデイ室内合唱団
  スウェーデン室内管弦楽団 ペッテル・スンドクヴィスト (指揮)

Swedish Society Discofil SCD1096 ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986)
 抒情組曲 (カンタータ) 《偽装の神》作品24 (1940)
  エリーサベト・セーデシュトレム (ソプラノ) エーリク・セデーン (バリトン)
  ラーシュ・エークボリ (語り) マッティン・リスタム・ヴォーカルアンサンブル
  スウェーデン放送交響楽団 スティーグ・ヴェステルベリ (指揮)
 小ミサ曲 (1954)
  室内合唱団 エーリク・エーリクソン (指揮)
 裸の樹の歌
  OD (オルフェイ・ドレンガル) エーリク・エーリクソン (指揮)

Intim Musik IMCD030 ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986) 12の小協奏曲 第1集
 フルート小協奏曲 作品45-1 オーボエ小協奏曲 作品45-2 クラリネット小協奏曲 作品45-3 
 バスーン小協奏曲 作品45-4 ホルン小協奏曲 作品45-5 トランペット小協奏曲 作品45-6
 トロンボーン小協奏曲 作品45-7
  ヨーラン・マークッソン (フルート) モッテン・ラーション (オーボエ)
  ウルバン・クレーソン (クラリネット) アンデシュ・エングストレム (ファゴット)
  ペール・ヨーラン (ホルン) ベンクト・ダニエルソン (トランペット)
  ラーシュ=ヨーラン・カールソン (トロンボーン) カメラータ・ルーマン

Intim Musik IMCD031 ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986) 12の小協奏曲 第2集
 ヴァイオリン小協奏曲 作品45-8 ヴィオラ小協奏曲 作品45-9 チェロ小協奏曲 作品45-10
 ダブルベース小協奏曲 作品45-11 ピアノ小協奏曲 作品45-12
  ヤン・スティグメル (ヴァイオリン) ペール=オーラ・リンドベリ (ヴィオラ)
  ビョルグ・ヴェルネス (チェロ) インガリル・ヒレルード (ダブルベース)
  ヨアシム・カルヘード (ピアノ) カメラータ・ルーマン
 
Caprice CAP21492 ラーシュ=エーリク・ラーション (1908-1986)
 アルトサクソフォーン協奏曲 作品14 (1934)
  クリステル・ヨンソン (アルトサクソフォーン)
  スウェーデン放送交響楽団 ライフ・セーゲルスタム (指揮)
 ディヴェルティメント第2番 作品15 (1935)
  ストックホルム・シンフォニエッタ ヤン=オラヴ・ヴェーディン (指揮)
 ホルン小協奏曲 作品45-5 (1955)  
  イブ・ランスキ=オトー(ホルン)
  ストックホルム・フィルハーモニック室内アンサンブル
 管楽五重奏のためのディヴェルティメント 作品55 《Quattro tempi (4つの時)》
  ストックホルム管楽五重奏団
 弦楽四重奏曲第3番 作品65 (1975)
  ストックホルム四重奏団

 

誰かが知ってるデンマーク人 − アウゴスト・ヴィニング

 デンマークの Danacord から、おもしろいディスクが2枚リリースされました。

 ひとつは、「デンマークのピアノ協奏曲」のシリーズ第2作 (DACOCD581)。アウゴスト・ヴィニングとエミール・ハートマンの作品が録音されています。JPE・ハートマンの子、エミール・ハートマンは、「父と子のシリーズ」にも作品が収録され、多少はなじみのある作曲家ですが、ヴィニングのほうは、ほとんど無名。ジョン・ホートンの「北欧の音楽」にも名前が見あたりません。

 アウゴスト・ヴィニング August Winding (1835-1899) は、デンマーク・ロマンティシズムの作曲家で、《光と昼を創りし神 (Gud, du som lyset og dagen oplod)》など数曲の賛美歌によりデンマーク音楽史に名が残っています。しかし、今回のピアノ協奏曲のようなしっかりした音楽を聴くと、なぜこんな人が忘れられてしまっていたのか、不思議です。

 ヴィニングの父は、牧師。民謡収集を趣味とし、この父が、アウゴストの最初の音楽の師でした。その後、ヴィニングは、アントン・レー Anton Rée (1820-1886) に師事します。ハンブルク、ウィーン、パリに学び、ショパンやカルクブレンナーとも面識のあったピアニストです。もうひとりの師が、当時コペンハーゲンの宮廷ピアニストだったカール・ライネッケ Carl Reinecke (1924-1910)。作曲家としても有名だった人なので、ライネッケからは作曲法の手ほどきも受けたと考えられます。ニルス・W・ゲーゼ (1817-1890) は、ヴィニングに音楽理論とオルガン教えました。このゲーゼとは、交友関係がつづいたと伝えられています。

 1851年にピアニストとしてデビュー。国外への演奏旅行も行い、その折には、ドライショック Alexander Dreyshock (1818-1869) のもとで研鑽を積みます。帰国してからはモーツァルト、ベートーヴェンの協奏曲を得意とするコンサートピアニストとして名を広め、室内楽の奏者としても人気を集めたといわれます。ライプツィヒのゲヴァントハウスの演奏会にも招待されるなど、活躍が期待されたものの、腕の神経障害のためにピアニストとしての経歴を断念。1867年には、コペンハーゲンの音楽院の教職に就き、以後は、音楽教師、作曲家として生涯を捧げることになります。

 ちなみに、ヴィニングの妻クララは、JPE・ハートマン (1805-1900) の娘です。そのことから、エミール・ハートマンとは義兄弟にあたります。エミールとは、バレエ《山小屋 (Fjeldstuen/The Mountain Hut)》のための音楽を共作しており、この作品は1859年に上演されました。ヴィニングはエドヴァルド・グリーグ Edvard Grieg (1843-1907) の親友でもあり、ヴィニングの《ノルウェーの悲劇への序曲 (Ouverture til en nordisk Tragedie/Overture to a Norwegian Tragedy)》は、グリーグの指揮によりクリスチャニア (現在のオスロ) で演奏されています。

 ヴィニングの主な作品は、1曲の交響曲、今回録音されたピアノ協奏曲と《演奏会アレグロ》、そしてエミール・ハートマンと共作の《山小屋》です。その他、ピアノ曲と室内楽作品も残されているといいます。

 ヴィニングが、しっかりした音楽教育を受けた、まじめな作曲家だったことは、1869年に初演されたイ短調のピアノ協奏曲(作品16)を聴けば一目瞭然。ほぼ同時期に作曲されたグリーグの協奏曲と同じ調性と作品番号をもち (解説書とカバーノートでは“作品19”となっていますが、正しくは “作品16”) 冒頭からピアノが入ってくるところも似ています。しかし、音楽そのものは、かなり違います。音楽のそこかしこからノルウェーの自然が感じられるグリーグの曲に対して、ヴィニングの協奏曲には、民族的な香りはありません。ゲーゼと同じように、ドイツ・ロマン主義の影響が残っているということでしょう。

 第1楽章《アレグロ・コン・フオコ》は、活気にみちた、緊密な構成の音楽。主題も確固とした自信にあふれています。独奏者に技巧を要求される個所が多いにもかかわらず、ピアニズムだけを聞かせる表面的な音楽になっていないのは、ヴィニングに表現すべきものがあったことの証でしょう。

 第2楽章《アンダンティーノ》でも、彼がメロディメーカーとしての資質をもっていたことが示されます。木管楽器と独奏ピアノの静かな対話の美しさ! むだのないオーケストレーションも魅力です。ノクターン風の旋律を弾くピアノに対してオマージュを捧げるかのような旋律を弾く独奏チェロが印象に残ります。第3楽章《アレグロ・ジョコーゾ》は、再び、ピアノと管弦楽がリズミカルな協奏を繰り広げる音楽です。この作品、現代のコンサートで演奏されても人気を博すのではないでしょうか。

 ピアノと管弦楽のための《演奏会アレグロ (Concert Allegro)》ハ短調 作品29 は、1875年ごろの作品。モルト・モデラート、アレグロ・ノン・トロッポ、モルト・アレグロの3つの部分で構成されています。解説を書いたアンドレアセン Mogens Wenzel Andreasen は、ロベルト・シューマンの音楽からインスピレーションを得ていると言います。そのとおりでしょう。ただ、主題の旋律だけとれば、シューマンの音楽よりも新しさを覚えます。管弦楽パートは、節約したオーケストレーションで書かれていて、厚い響きになることから救われています。これは、ゲーゼの影響でしょうか? 協奏曲と同様、ヴィルトゥオーゾ的なカデンツァが用意されています。

 エミール・ハートマン Emil Hartmann (1836-1898) も、ヴィニングと同じアントン・レーにピアノを習いました。その後、ニルス・ラウンキレ Niels Ravnkilde (1823-1890) からもピアノを学び、楽理とオルガンは父の JPE・ハートマンに教わっています。1858年に宗教作品で作曲家としてデビュー。1859年がヴィニングと共作のバレエの初演の年です。ドイツに留学したのは、その後のことでした。

 ピアノ協奏曲 ヘ短調 作品47 は、“気分はラプソディ” では言い過ぎでしょうが、(音楽の魅力は別としても) ヴィニングほど緊密な仕上がりの作品ではないかもしれません。3楽章構成。生き生きした第1楽章《アレグロ》と第3楽章《終曲(アレグロ)》。第2楽章《カンツォネッタ(アンダンテ)》では、ヴィニングの曲の緩徐楽章と同様に、独奏チェロの抒情的なフレーズを聞くことができます。1890年にベルリンで演奏された際には、地元の批評家から「ヴェーバーを連想させる “いいドイツ音楽”」と評されたということですが、これには異議あり。デンマークの響きをもった音楽です。

 このディスクでピアノを弾くのは、ロシア生まれのオレク・マルシェフ Oleg Marshev (b.1961)。プロコフィエフのソナタ全曲をはじめとする数々の録音に起用され、Danacord のブール氏のお気に入りのピアニストです。音楽的センスと技巧のバランスがとれた演奏家として、欧米の雑誌でも高く評価されています。デンマークの作品では、これまでにランゴー父子の協奏曲の録音があります (Danacord DACOCD535) (デンマーク・ピアノ協奏曲集 第1集/仲のいい家族 − 父と子の作曲家 第4集)。オーケストラは、ソンダボー Sønderborg に本拠を置くデンマーク・フィルハーモニック管弦楽団 (デンマーク名は南ユラン交響楽団 Sønderjyllands Symfonirkester)。団員数は65名。年間に160の演奏会をこなし、このところ実力をつけてきたと言われます。聞くところでは、デンマークのオーケストラのメンバーは、確かなアンサンブルも大切ですが、まず、いかにそれぞれが音楽を歌うかということに腐心するとか。このディスクで聴くことのできる屈託のない音楽は、そのことと無関係でもないでしょう。1997/1998年のシーズンからは、アイオナ・ブラウン Iona Brown が首席指揮者に就任しました。指揮者のマッティアス・エッシュバッヒャー Matthias Aeschbacher (b.1945) は、チューリヒの生まれ。デンマーク・フィルハーモニックにはたびたび客演しています。

 新しい Danacord のディスクのプロデューサーは、ヘンリク・ヴェンセル・アンドレアセン Henrik Wenzel Andreasen。フルート奏者、録音技師、そしてプロデューサーと、幅広く活動しており、ちなみに、解説を書いているモーエンスの息子さんでもあります。彼がプロデュースしていることと関係があるかどうかは確かではありませんが、ソンダボーのコンサートホールで行われた録音は音に芯があり、響きも豊かです。これまでの Danacord の録音とは、かなり印象が違います。


Danacord DACOCD581 デンマーク・ピアノ協奏曲集 第2
アウゴスト・ヴィニング (1835-1899)
 ピアノ協奏曲 イ短調 作品19
 ピアノと管弦楽のための演奏会アレグロ ハ短調 作品29
エミール・ハートマン (1836-1898) ピアノ協奏曲 ヘ短調 作品47
  オレク・マルシェフ (ピアノ)
  南ユラン交響楽団 (デンマーク・フィルハーモニック管弦楽団)
  マッティアス・エッシュバッヒャー (指揮)

 

それぞれの道を − カール・ヘルステズとゴスタウ・ヘルステズ

 Danacord のもう1枚は、「仲のいい家族 − 父と子のデンマーク音楽」の第5集。シリーズの最後のこのディスクでは、ヘルステズ父子の作品が取り上げられています。カールとゴスタウ。

 ヘルステズ家では、王立劇場のヴァイオリニストだったエズヴァード・ヘルステズ Edvard Helsted (1816-1900) も、オギュスト・ブルノンヴィル August Bournonvlle (1805-1879) のバレエ《ナポリ (Napoli)》第1幕や《ジェンツァーノの花祭 (Blomsterfesten i Genzano)》など、作曲家としてもいくつかの作品を書いています。“父と子の音楽” という趣旨からはずれるために作品を聴けないのは残念ですが、機会はあるでしょう。

 父、カール・(エードルフ)・ヘルステズ Carl (Adolf) Helsted (1818-1904) は、フルートの教育を受け、デンマーク王立管弦楽団の奏者を務めた後、王立劇場の指揮者になりました。しかし、デンマーク音楽史に彼の名が留まっているのは、作曲家としてではなく、デンマーク最初の公式の声楽教師として多くの優秀な歌手を育て上げたためです。生徒のなかには、イェンス・ラーセン・ニーロプ Jens Larsen Nyrop、アウゴスタ・リュトケン Augusta Lütken (1855-1910)、アナ・レヴィソン Anna Levysohn (1839-1899) ら、デンマーク歌唱史に残る歌手の名前があります。

 カール・ヘルステズが管弦楽曲、室内楽曲、歌曲、合唱曲など、かなりの数の作品を書いたのは、青年時代でした。声楽を学ぶためにパリに留学する前のことです。しかし、声楽の教師になってからのヘルステズは、積極的な作曲活動から身を引いてしまいます。その理由について、音楽学者のモーエンス・ヴェンセル・アンドレアセン Mogens Wenzel Andreasen は、ニルス・W・ゲーゼ Niels W. Gade (1817-1890) の存在が大きかったと考えています。

 このふたりを結びつけたのは、コペンハーゲンの音楽協会が、若い作曲家を支援するために企画した作曲コンペティションです。1839年に企画され、演奏会用序曲が募集の対象になりました。審査員はシュポーア。当初、シュポーアとともにメンデルスゾーンも審査員に予定されていましたが、断られてしまいます。1840年の10月までに10人の作曲家が応募し、翌年、ゲーゼの《オシアンの余韻 (Efterkjlang af Ossian/Echoes of Ossian)》の第1位受賞が発表されます。カール・ヘルステズの《序曲 ニ短調 (Ouverture d-mol)》は第2位に終わります。この結果、ヘルステズは、ゲーゼの影にかくれてしまっていると感じたのではないか。アンドレアセンは、こう推測します。

 ゲーゼの序曲は、たしかに彼の代表作でもあり、もっとも人気のあるデンマーク・ロマン主義音楽のひとつです。しかし、ヘルステズの作品も、魅力の点ではゲーゼの音楽に引けを取りません。スコットランドの伝説に題材をとったゲーゼの曲とは異なり、ヘルステズの演奏会用のニ短調の序曲には標題的な背景はないと考えられています。ほのぐらい雰囲気の序奏にはじまり、主部では、トランペットが奏する上昇音型の主題が特徴的。ちょっとメンデルスゾーンのスケルツォを連想させます。コンサートの冒頭に演奏されてもいい、躍動感のある音楽です。

 ニ長調の交響曲第1番にも、メンデルスゾーンの影響が感じられます。典型的なロマンティシズム音楽。目新しさはなく、保守的な音楽ですが、北欧デンマークを感じさせる第2楽章《アンダンティーノ・コン・モト》のメランコリーと、第3楽章《プレスト》の目まぐるしい音楽には、独自の魅力があります。もっとも、このスケルツォについては、「ゲーゼが、自分の音楽だと主張したがったかもしれないが」(アンドレアセン)という見方もあり、それも一概には否定できません。この曲は1841年から1842年にかけて作曲。1862年に改訂された後、1863年に初演されたと考えられています。ヘルステズは、この間にもう1曲の交響曲 (第2番 ホ長調《抒情 (Den lyriske)》 ) を書きましたが、アンドレアセンによると、質的に第1番には及ばないということです。

 カールの子、ゴスタウ・(カール)・ヘルステズ Gustav (Carl) Helsted (1857-1924) は、コペンハーゲンの音楽院でオルガン演奏を学んだ後、ヴァルビ Valby のイエズス教会のオルガニストに任命されました。その後、1916年にコペンハーゲン大聖堂に移るとともに、母校でオルガンと楽理を教えることになります。デンマーク・コンサート協会の創設者のひとりに名を連ね、数年間、会長の職を務めます。

 ゴスタウ・ヘルステズは、作曲家としては、それほどめざましい活動をしておらず、このディスクに収録された作品のほかには、2曲の交響曲、合唱曲《グアの歌 (Gurresange)》と《われらが祖国 (Vort Land)》、ヴァイオリン協奏曲 (Danacord DACOCD461/70)、(未上演の) オペラ《警鐘 (Stormklokken)》が主なところ。彼の作品のなかでは、室内楽のための作品がもっとも高く評価され、デンマーク国外でも演奏されたといわれています。

 「(ゴスタウが) “気むずかしくて風変わり” と思われたのは、まったくの見当違いでもなかったろう。たとえば、時としてびっくりするような転調を立て続けに行い、そわそわと落ち着かない音楽という印象を与えかねないことからも、彼がまわりくどさを好んだことがわかる」

 アンドレアセンは、こう述べながらも、卓越した技巧が、かなり突飛な音楽の埋め合わせをした、と付け加えることを忘れていません。そのいい例が、チェロ協奏曲の第2楽章《アンダンテ・コン・モト・エド・エスプレッシーヴォ》。当時の人々には、変わった音楽だったかもしれませんが、現代の耳には、旋律の美しい魅力的な音楽に聞こえるだけです。第1楽章《アレグロ・モデラート》は、チェロの独奏から始まり、対照的な2つの主題 −− 元気いっぱいの第1主題と抒情的な第2主題 −− をもち、ごく自然なソナタ形式の音楽。第1楽章冒頭のチェロの旋律の変形と思われる音型の主題を中心とする第3楽章《アレグロ・ジョコーゾ》も、やや風変わりな (?) 音楽という印象はあるかもしれませんが、“ジョコーゾ(おどけた)” となっている以上、このくらいは当たり前でしょう。後期ロマン主義の情趣が感じられる音楽です。

 覚えやすいメロディということでは、ヴァイオリンと管弦楽のための《ロマンス》のほうが勝っているかもしれません。ゴスタウがもっとも初期に書いた管弦楽作品のひとつです。当時、おびただしい数のヴァイオリンのための《ロマンス》が作曲されました。人々の間で人気が高かったということでしょう。管弦楽伴奏つきの曲も多く、北欧ではノルウェーのスヴェンセン Johan Svendsen (1840-1911) とスウェーデンのペッテション=ベリエル Wilhelm Peterson-Berger (1867-1942) の作品が、いまでも愛好されています。

 ヘルステズがこの曲を書いたのは、1888年。スヴェンセンは1883年からコペンハーゲンの王立劇場の指揮者の地位にあり、1881年に作曲された彼のロマンスは、すでに人気曲になっていました。ヘルステズが、スヴェンセンの曲を聴いていたことは充分に考えられます。ヘルステズの曲は、演奏時間にして4分半。小曲ながら、実質をともなう音楽です。北欧的な抒情とともに、わずかな異国情緒も漂うところがユニーク。ゴスタウ・ヘルステズがスヴェンセンに負けないメロディメーカーだということが、実証されています。

 このディスクの独奏者は、ふたりともデンマークの若手です。ヴァイオリンのカーステン・ダルスゴー・マセン Karsten Dalsgaard Madsen (b.1957) は、1989年にソロ・デビュー。オーフス王立音楽アカデミーを卒業後、クリスチャン・フェラス Christian Ferras とプラハ・アカデミーのヨーゼフ・ヴラハ Josef Vlach に師事。デンマーク王立管弦楽団に4年間在籍し、現在は、デンマーク・フィルハーモニック管弦楽団のリーダーを務めています。国内外の管弦楽団のコンサートに独奏者として出演。セーヴェルーの《2つのヴァイオリンのための20の小二重奏曲》の録音があります。

 チェロのヘンリク・ダム・トムセン Henrik Dam Thomsen (b.1974?) は、9歳の時にオーレ・セーアンセン Ole Sørensen から手ほどきを受け、14歳で、デンマークを代表するチェリスト、モーテン・ソイテン Morten Zeuthen (b.1951) に師事。1991年にデンマーク王立音楽アカデミーに入学してからは、トゥールレイフ・テデーエン Torleif Thedéen (b.1962)、ヘンリク・ブレンストロプ Henrik Brendstrup、そしてモーテン・ソイテンのクラスに参加。在学中にロンドンに留学し、ウィリアム・プリース William Pleeth の生徒となります。その他、ハインリヒ・シフ Heinrich Schiff、ラルフ・カーシュボーム Ralph Kirshbaum、ヨーヨー・マ Yo-Yo Ma のマスタークラスにも参加しています。学部卒業後に入学したソロイスト・クラスの1998年デビュー・コンサートは高く評価され、その後の活躍につながっていきます。各地のオーケストラとも共演。1999年からはデンマーク国立放送交響楽団の首席同格チェリストの座にあります。


Danacord DACOCD537 仲のいい家族 − 父と子によるデンマークの作品 第5
カール・ヘルステズ (1818-1904) 交響曲第1番 ニ長調 (1841-42)
 序曲 ニ短調 (1841)
ゴスタウ・ヘルステズ (1857-1924)
 ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス (1888)
 チェロ協奏曲 ハ長調 作品35 (1919)
  カーステン・ダルスゴー・マセン (ヴァイオリン) ヘンリク・ダム・トムセン (チェロ)
  南ユラン交響楽団 (デンマーク・フィルハーモニック管弦楽団)
  ジョルダーノ・ベリンカンピ (指揮)

 

オーレ・シュミットのカール・ニルセン交響曲全集復活

 デンマークの指揮者、作曲家オーレ・シュミット Ole Schmidt (b.1928) によるカール・ニルセン交響曲全集が再リリースされます。

 活動を停止した Unicorn-Kanchana からリリースされていたこの全集は、いつの間にか廃盤になり、その後は、デンマークの Fisker & Schou 社から出版されたニルセンの伝記 "Musik er liv (音楽が人生)" (スティーン・クリスチャン・スティーンセン Steen Christian Steensen 著、1999年) の参考用付録としてしか入手することができませんでした。

 レーベルは Regis。第4番と第5番だけはすでにリリースされました (Regis RRC1036) が、日本のファンからの強い要望に応えて、版権をもっているオーレ・シュミット自身とのライセンス契約が結ばれ、久しぶりに全集として日の目を見ることになりました。9月のリリースを目指して製作が進行中です (Regis RRC3002)

 

ヨーテボリ交響楽団の録音予定

 Gramophone 誌の9月に、ネーメ・ヤルヴィとヨーテボリ交響楽団の録音予定がリポートされています。興味のもてそうな録音をピックアップすると、まずシベリウスの交響曲全集。BIS の全曲録音以来なので、久々にシベリウスの交響曲を録音することになります。2004年にDGから、とりあえず全集としてリリースされる予定です。

 このコンビの古巣 BIS でも、新たな録音が計画されています。驚くと同時に喜んだのが、ヒルディング・ルーセンベリ Hilding Rosenberg (1892-1985) の交響曲全曲。2002年の発売予定 −− ということは来年! 落ち着いて待てますか? −− となっており、順次リリースされるものと思われます。最近の BIS は、全曲録音としてスタートしながら、スタヴァンゲル交響楽団のセーヴェルー交響曲シリーズのように中断してしまう場合が多く、全8曲の録音が完結するどうか、実際にこの目で見るまで何ともいえないという不安はありますが。

 

オールアバウトジャパンのクラシカル音楽ページ

 インターネット上のユニークなサイト、“オールアバウトジャパン” をご存じでしょうか。

 アメリカの About, Inc. と株式会社リクルートが合弁で設立した、株式会社リクルート・アバウトドットコム・ジャパンのサイトで、今年の2月15日にオープンしたばかりです。

 このサイトの特色は、システムではなく “人” が案内役を務めていることです。ビジネスから趣味にいたる幅広い分野がカバーされ、それぞれの分野やテーマごとに専門の知識と経験を持った人 −− ガイド −− が情報を収集し、編集しているために、ユーザーにとって分かりやすい形で情報が提供されています。

 2001年7月25日現在、約250の分野で、「絞れる検索システム」、「読んで楽しい記事」、「初心者でも参加できるコミュニティー(掲示板ほか)」などのサービスが行われており、将来的には600名規模の専門ガイドのネットワーク化が予定されています。
 「クラシック」の分野では、約1400件の「リンク紹介」、「作曲家とその作品の紹介」、「コンサート情報」、「アーティストの紹介」などが情報として提供されます。なじみの少ない人でも気軽にクラシカル音楽の世界を楽しめるよう、“敷居の低いサイト” を目指すという、クラシカル担当の渡邉俊さんの苦心がうかがえます。

 7月からは「シリーズ 北欧の作曲家たち」の特集がはじまり、まずシベリウスの音楽が取り上げられました。現在は、グリーグの紹介にかわっていますが、バックナンバーのシベリウスも読むことができます。このあとは、もちろんニルセンです。“これから聴きはじめる” という時のためのCDについて、ちょっとばかり口を挟んでいますので、ご覧になってみてください (選択が違うからって、気をわるくしないでくださいね)。

 http://allabout.co.jp/entertainment/classicmusic/


新譜情報

BIS CD1202 ジャン・シベリウス (1865-1957) 初期ピアノ作品集 第2
 3つのワルツ (1888) アンダンテ、2つのスケッチ (1888) 2つの小品 (1888) アレグロ楽章 (1888)
 3つのソナタ楽章 (1888) 3つのフーガ提示部 (1889) ポルカ (1889)
 組曲《フロレスタン (Florestan)JS82 (1889) アレグレット (1889)
 ベッツィ・レルケのためのワルツ (1889)
 ソナタ ニ短調のアレウグロ提示部と展開部 (カレヴィ・アホ 復元)
 ベッカーのためのソナタ断片 2つのソナタ・スケッチ 11のソナタ・スケッチ
 ソナタ ヘ短調のアレグロ提示部 (アホ 復元) ソナタ・アレグロ
 ソナタ ハ短調のアレグロ提示部 (アホ 復元) ポルカ断片 (1892) マズルカのスケッチ (1894)
 スケルツォ (1891)
  フォルケ・グレースベク (ピアノ)

◇シベリウスの初期ピアノ作品集の第2集は、習作と作品の断片やスケッチが中心です。注目されるのは組曲《フロレスタン (Florestan)》。《モデラート》、《モルト・モデラート》、《アンダンテ》、《テンポ・プリモ》の4つの部分からなる小品です。シベリウス自身は出版を禁じたものの、1999年に出版が実現。日本シベリウス協会設立15周年を記念して行われた200010月のコンサートで日本初演されました。

Sony Classical SK60817 カイヤ・サーリアホ (1952-) 作品集
 ヴァイオリン協奏曲 《Graal Théâtre (聖杯劇場)》 (1994)
 Château l'âme (魂の城) (1995) (ソプラノ、8人の女声と管弦楽のための)
 Amers (1992) (チェロ、室内アンサンブルとライヴ・エレクトロニクスのための) 
  ギドン・クレーメル (ヴァイオリン) ドーン・アプショー (ソプラノ) アンシ・カルットゥネン (チェロ)
  エサ=ペッカ・サロネン (指揮)

 

「猫はブラームスを演奏する」

 またまたブラームスのことなど。

 今年の夏は、ほんとうに暑かった。北欧からの便りにも、そろったように「暖かい夏」と書かれていました。“暑い”ではなく、“暖かい”というところがいかにも北の国ですね。それにしても、ヘルシンキで摂氏30度を超すとなると、普通ではありませんね。地球の温暖化なのか、それとも別の現象なのか。南極の氷が解けて東京が水没する日も近かったりして?

 広島の気温も異常でした。ただでも夏に弱いところに、この暑さです。もう人間、やってられません。何が辛いって、思考力がまったく働かないのには困りました。ダメージを受けた脳細胞の数は、見当もつきません。修復までにどのくらいかかることやら…‥(元に戻ったら、お祝いにジンギスカン・パーティでもやりましょう)。

 こういうときに効果があるのは、とりあえずは、できるだけ、いい音楽を聴くこと。ベリマン、ヴオリ、ヘイニネン、ネアホルム、ヨウナス・トウマソン…‥コンテンポラリーが多いのは、趣味の問題です。

 B級映画も有効。特に、ハリウッド映画でしょう。あのバカバカしさを見るにつけ、「少しはしっかりしなきゃ」という気分になります。おまけに、楽しいし…‥。

 気分転換も兼ねるのだったら、ミステリーや冒険小説を読むのもよさそうです。ミステリーを読んでもすこしも賢くはならないといいますが、それとこれは別。テーブルスタンドの明かりのそばで過ごす、ひとりきりの静かな時間。史上初のミステリー小説が書かれらのはどこの国か知りませんが、イメージとしては、大英帝国のような気がします。シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポワロ、ミス・マープル、モース警部…‥有名なところだけでもこれだけの名探偵が住んでいたし、殺人事件も多そうだし…‥。

 そんなこんなで、「何か新しいの、あるかな?」ということで書店に行き、見つけたのがシャム猫ココのシリーズの最新作。なんとタイトルが、「猫はブラームスを演奏する (The Cat Who Played Brahms)」 (リリアン・J・ブラウン著、羽田詩津子 訳)。思わず、「ウッソー!」と叫びそうになりました。だって、ベリルンドのブラームス交響曲全集がリリースされ、ちょっとブラームスづいているところに、ミステリーまでがブラームスだもの…‥。

 実はボク、猫が大の苦手です。チャイコかニャンコかというくらいで、見るのもイヤ。その点、わんちゃんは、かわいい。ちょっと邪険にすると寂しそうな目で見つめるので、「悪かった、悪かった!」と抱いてやりたくなります。“ポチ” とかいう名前も、いじらしくて。

 だいたい猫は身体がフニャフニャしているし、人間の存在を無視するかのような態度をとるので、かわいくありません。(酔狂にも)抱こうとして近寄ると逃げるし、「勝手にすればいい!」となるのは致し方ないでしょう。

 一匹だけ例外がいます。友人のピアニスト、山根浩志のところの “ドルチェ”。いつの間にか住み着いたとか。それにしても、すごい名前をつけたもの!  初対面のとき、「かわいーい!」とか言ってみんなが抱いたあと、「抱いたらー!」」と手渡された時には…‥顔がひきつり、身体が硬直してしまいました。が、いったん腕になじむと、まんざら妙な感触でもありません。人なつこいのか、客への礼儀なのか。それだけはなんとも言えませんが、おとなしい。飼い主に似たとも思えないし。

 そこで、シャム猫ココのお話。ハヤカワ・ミステリ文庫の邦訳も、すでに短編集も含めて全部で20冊になりました。たわいのない話ですが、登場人物(?)のキャラクターに惹かれ、最初からずっと読んでいます。猫嫌いがこんなシリーズを読むのは、珍しいことかも。「面白いよ!」と友人に勧められて読み始め、まあ、なりゆきですね。

 主人公は、ジャーナリストのクィララン、フルネームをカウ・コウ=クンというココ、そして連れ合いのヤム・ヤム。このココという猫は、実に気位が高い。猫の中の猫でしょう。でも、ここまで気位が高くなれば、なんとなくユーモラスに思えてくるから、作者のリリアン・J・ブラウンも考えたものです。その点、「クラシック以外は音楽ではない」などとうそぶく、どこかの三毛猫とは大違いです。このシリーズで愉快なのは、ほんとうに猫が事件を解決する糸口を与えてくれるのか、周囲の人間がそう思いこんでいるだけなのか、そのあたりがはっきりしないところ。猫たちは、さだめし人間のことをせせら笑っていることでしょう。

 で、今回の「猫はブラームスを演奏する」。フランソワーズ・サガンの小説では第3番の交響曲がモチーフでした。では、ココはブラームスの “どの曲を演奏した” のか?
 
 それを知った時には、うなりました。

 「知るんじゃなかった!」

 だって、よりによって “二重協奏曲” ですよ。ヴァイオリンとチェロとオーケストラの、あれ。

 突然、オイストラフとロストロポーヴィチがジョージ・セル指揮のクリーヴランド・オーケストラと共演した演奏が頭の中で鳴り始め、ああ、悪夢が!

 このLP、ひところ、セルとクリーヴランドの演奏に夢中になった時期があって、手当たり次第に買っているうちに、出くわしました。なんとなくイヤだなと思いながら聞いていて、第3楽章に入ったとたん、絶句! “絶句” となれば、何もしゃべれないはずですが、「ナニ、このあか抜けない音楽!」と叫んで…‥笑いが…‥。意地になって最後まで聴くには聴きましたが、げんなり。前のふたつの楽章がどんな音楽だったのか、まったく記憶にありません。その後、この曲をきっぱりと避けるようになったのは、ご想像どおりです。

 いまでも疑問なのは、あれは、曲のせいだったのか、それとも演奏のせいだったのか、ということです。でも、さすがに他の演奏を聴く気になれなくて…‥。

 でも、もしルーカスとクレメンスのハーゲン兄弟のソロで、共演がベリルンド指揮の COE (ヨーロッパ室内管弦楽団) だったら……。聴きます! 第3楽章の冒頭でチェロが弾く主題も、フレージング次第では、ひょっとして品のある音楽になるのかも?

 こんなことを考えるのも、ベリルンドと COE のブラームスが依然として話題になっているためです。特に、第3番。第1番については、「やはり曲がね……」というブラームス嫌いの声があるものの、こと第3番となると、「いいよねー!」と、押し並べて好意的です。実際、この演奏だと、ゴテつく音楽のはずの第3番が、なんと風通しよく聞こえること。この曲を選んだサガンのまわりのフランス人は、(
暑苦しい第1番を聞かせたミュンシュは例外として) こんな風なブラームスを演奏したのだろうか? まあ、どうでもいいですけどね。

 いずれにしても、ベリルンドと COE のコンビは人騒がせなことをするものです。次は、メンデルスゾーン (全曲ではなくて、第3番から第5番まで) とシューマンの交響曲でも? いや、実現しないものでしょうか。モーツァルトの最後の3曲もいいかもしれません。ベタベタと情緒がまとわりつかなそうだから。

 ベリルンドのブラームスが好まれるというのは、実際のところ、音楽の好みが多様化してきたことのあらわれでしょうね。19世紀ロマンにしがみついた演奏は要らないけど、時代楽器を使った、当時の様式に忠実とかいう演奏 (ほんとう?) もどうでもいいや
、というところ。ほんとうに嬉しいことです。

 ふと考えました。ドルチェは、誰も見ていないところでピアノを弾いているのだろうか? 弾くとすれば、何を?

 あ、そうか。エングルンドの《パヴァーヌとトッカータ》だ。
なぜでしょう?

(TT)


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CD artwork © Danacord (Denmark)