夏の終わりに、アッテルベリの交響曲第3番

 ちょっとした調べものがあり、「スウェーデン四季暦」 (東京書籍) をひさしぶりに手にしました。人々の暮らしからスウェーデンの心を見る。スウェーデン在住の福祉研究家、訓覇法子 (くるべ・のりこ) さんのエッセイに、ブー・モッスベリ Bo Mossberg (b.1935) のイラストがマッチした、とても美しい本です。この本の第1部 『夏の盛り』 の最後、“夏の終わりとザリガニ” の章に、印象に残るエピソードが紹介されています。

 8月のなかばになると、スウェーデンではザリガニ・パーティが開かれます。それぞれの家のレシピで茹でたザリガニに、シュナップスやビールといったアルコール飲料を用意して愉しむ、年に一度のパーティ。おとながやる子供パーティとまで言われるほど、もの静かで知られるスウェーデン人も羽目を外して騒ぐとか。著者の訓覇さんは、この大騒ぎは、過ぎゆく夏を哀しむスウェーデンの人たちの素直な心の表れと考えています。秋になれば、じきに暗く寒い冬がやってくる。夏の最後だけは楽しもうじゃないか! 夏に別れを告げるにあたっては、秋風を待ちわびるわれわれとは違った想いがありそうです。

 「影が長くなり、明るい星がひとつ空に輝く。雲は垂れこめ、花は涙ぐみ、夕べのふしぎなそよ風に菩提樹がそよぐ」。ステーンハンマルがヤコブセンの詩に想いを託した合唱曲 〈九月 (September)〉。詩をテクストにした音楽に夏の終わりの寂しさが漂うのは当然として、夏を題材にした管弦楽曲や器楽曲にも同じような雰囲気が感じられるのがふしぎです。スウェーデンの人たちにとって、夏との別れには特別の想いがあるのでしょう。

 アッテルベリの第3番の交響曲も、そうした音楽のひとつです。北欧の音楽を聴くようになってしばらくして出会ったこの曲、夏から秋にかわるころになると、なんとはなしに聞きたくなります。

 クット・アッテルベリ Kurt Atterberg (1887-1974) は多才な人でした。10歳のとき、同級生のヨーエン・ラーゲルベリ Joen Lagerberg とホアン・モラーレス Juan Morales (作曲家、指揮者のオラーリョ・モラーレス Olallo Morales (1874-1957) の弟) に誘われたことをきっかけに音楽の道に入り、その後、チェロの勉強を始めました。生まれ育ったヨーテボリは音楽の環境にめぐまれ、若いアッテルベリはさまざまな音楽経験を積んでいきます。ステーンハンマル Wilhelm Stenhammar (1871-1927) が指揮したブラームスの 〈ドイツ・レクイエム〉 や、アルヴェーン Hugo Alfvén (1872-1960) の自作の交響曲第3番のコンサートでは、ヨーテボリ交響楽団のエクストラとして、チェロを弾いています。しかし大学はストックホルムの王立工科大学を選択し、卒業後は特許局に就職しています。

 在学中も音楽に対する興味はもちつづけ、電気工学を学びながらも、種々の音楽活動を行っています。1909年には、彼にとっての作品1となる 〈ピアノと管弦楽のためのラプソディ〉 を完成。翌1910年には第1番の交響曲で王立音楽アカデミーに応募し、それが認められてアンドレアス・ハッレーン Andreas Hallén (1842-1925) のもとで作曲を学ぶようになります。特許局への勤務が始まる前には、ヨーテボリで自作の第1番の交響曲を振って指揮者デビューもしています。

 それからのアッテルベリの活躍はちょっと信じられないくらいです。1968年に引退するまで特許局に勤務。その間、作曲、指揮をはじめとする音楽活動以外に、スウェーデン作曲家連盟 (FST) とスウェーデン著作権協会 (STIM) の創設にも大きく貢献しています。生涯に書いた作品は60曲あまり。この中には、アメリカの Columbia Gramophone Company (コロンビア蓄音機) が1928年のシューベルト没後100周年に行った作曲コンペティションで第1位をとった交響曲第6番も含まれています。交響曲は全部で9曲が書かれました。

 こうしたことだけを見れば、アッテルベリが20世紀スウェーデンを代表する作曲家のひとりと見なされてもおかしくはありません。しかし、1974年に亡くなった時には、知名度こそ高かったものの、演奏会の曲目として残っていた彼の作品は、〈ヴァイオリン、ヴィオラと弦楽オーケストラのための組曲〉 やバレエ音楽 〈馬鹿な娘たち (De fåvitska jungfrurna)〉など、ごくわずかでした。そのあたりのことについては、アッテルベリの音楽の特色ともいえる派手な和声と色彩の管弦楽法が仇となって、時代の好みから取り残されたせいではないかと一般的に考えられています。ルーセンベリ Hilding Rosenberg (1892-1985)、ヴィレーン Dag Wirén (1905-1986)、ラーション Lars-Erik Larsson (1908-1986)。たしかに、時代の流れは新しい技法を研究した作曲家たちの簡潔な語法の音楽の方向を向いていました。

 アッテルベリの交響曲第8番は民謡を素材にした、美しく、ある意味では親しみやすい音楽でしょうが、いろいろな音を気ままに使いすぎているような感じを受けます。初演 (1945年) に接したシベリウスが、“一級品の交響曲”を聴かせてくれたことに対して謝辞を述べたということですが、どこまで真意かはわかりません。古代詩集 「エッダ」 の 『巫女の予言』 に題材をとり、《幻想的交響曲 (Sinfonia visionaria)》 の副題をもつ交響曲第9番 (1957年初演) は、同じく独唱と合唱をともなう大規模な作品、ルーセンベリの交響曲第4番 《ヨハネの黙示録》 (1950年、改訂版初演) の抑制のきいた音楽にくらべると、外観の大きさに実質がともなっているかどうか。むずかしいところです。

 しかし、第2番と第3番の交響曲、組曲第3番は (おそらく、〈馬鹿な娘たち〉も) 魅力のある作品です。第2番は、2楽章の作品として初演されながら、批評家に “未完の作品” と指摘され、第3楽章を追加して作曲したといういきさつがあります。そのせいか、楽章間のバランスに欠けるのが弱点ともいえそうですが、最初のふたつの楽章はアッテルベリが書いたもっとも美しい音楽に数えられるでしょう。

 交響曲第3番ニ長調 (作品10) は素敵な音楽です。《西海岸の描画 (Västkustbilder/West Coast Pictures)》 の副題の西海岸は、デンマークのユラン (ユトランド) 半島に面した、ヨーテボリ近郊一帯の海岸のこと。氷河の浸食による複雑な地形をもち、岩の多い不毛の自然は芸術家のインスピレーションを誘うといわれています。

 この作品は、まず、最初の “スウェーデン西海岸の交響的絵画 《かげろう》” として作曲され、19144月にヨーテボリで初演されました。そして、つづく 《あらし》 が、同じくヨーテボリ交響楽団の演奏で191629日に初演されます。このコンサートでは 《かげろう》 もあわせて演奏されました。このコンサートの後、アッテルベリはこれらの作品を3楽章の交響曲に拡大することを考え、《夏の夜》 の作曲にとりかかります。そして19161128日、アルマス・ヤルネフェルト Armas Järnefelt (1869-1958) (シベリウスの義兄) 指揮、ストックホルムの王立管弦楽団により交響曲第3番としての初演が行われます。

 作曲者自身の説明によると、第1楽章がリート形式、第2楽章は対称ソナタ形式。展開部のあとの再現部で第1主題と第2主題が入れ替わっています。第3楽章は自由な形式。古典交響曲の様式にとらわれない音楽ということ、そして作品の題材。この曲はドビュッシーの “交響的スケッチ” 〈海〉に似た性格をもった音楽と考えることもできるでしょう。

 191810月、ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団の前身、ストックホルム・コンサート協会管弦楽団がこの交響曲を演奏した際、アッテルベリは音楽の内容を紹介する文章を寄せています。

 第1楽章《かげろう (Soldis/Sun Haze)》 −− 太陽のまぶしい、静かな海辺の一日の雰囲気を描く。海面にはかげろうがゆらぎ、遠くとの距離感がない。穏やかなはずの海なのに、波がうねっている。

 第2楽章《あらし (Storm)》 −− 第1主題、展開部、コーダでは外海の群島を襲う激しい嵐の印象を表現。第2主題では、暗く荒れた遠くの海の轟きも届かない穏やかなフィヨルドを眺めた時の感じをとらえてみた。

 第3楽章《夏の夜 (Sommarnatt/Summer Night)》 −− 水面には波のうねりだけが見える静かな夕べ。海と陸の果てしない景色の見事な色彩に目を奪われる。夜半少し前に色が消える。静けさは深まり、ゆっくりと、夜風が吹きはじめる。北東の空が色彩を帯び、風のいきおいが感じられるようになると、山の峰に壮大な太陽が昇る。寒色から少しずつ暖色に。
 
 西海岸の自然のさまざまな表情を、オーケストラのパレットから自由に選んだ色彩で描いた音楽。厚く音を重ねるやり方ではなく、透明な響きを大切に扱かっているので、印象主義風の発想と音楽がうまく調和しています。アッテルベリの音楽にひらめきの感じられる時期の作品と言えるでしょうか。

 この交響曲は初演のときから好意的に受け入れられ、国外での人気も高かったといわれます。データでは、1924年までに22回、スウェーデン以外の国で演奏されています。

 ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団を指揮しているシクステン・エールリング Sixten Ehrling (b.1918) は第2次世界大戦後のスウェーデンを代表する音楽家のひとりです。ストックホルム音楽院で指揮法を学び (教官のひとりは、アッテルベリの同級生ホアン・モラーレスの兄、オラーリョ・モラーレス)、キャリアのスタートはストックホルムの王立オペラのピアニスト、レペティトゥール (レッスン教師)。1939年のことです (1944年から常任指揮者)。1963年に渡米、デトロイト交響楽団とメトロポリタンオペラの指揮者など経歴を重ねます。ザルツブルク・モーツァルテウムとジュリアード音楽院の指揮科の教授としての活動も重要です。

 エールリングの音楽の特色のひとつは、伝統に染まったスコアを読み直し、新しい発想から音楽を組み立てることでしょうか。オーケストラのコントロールが巧み。いたずらにあおりたてることなく、大きなクライマックスを築いていきます。すべての音がやんだ後のすがすがしいい余韻。ちょっと得難い魅力です。

 余談ですが、先日、ビルギット・ニルソンが元帥夫人を歌ったシュトラウスの〈ばらの騎士〉の王立オペラのアーカイヴからのCD (Caprice CAP22052) が届きました。指揮はエールリング。19599月と10月、劇場のドレスサークルに簡単な録音機を持ち込んでの録音が音源です。けっして理想的とはいえない音質にもかかわらず、“エールリングの音楽” が聞こえてくるのには驚かされました。エールリングが指揮した〈ばらの騎士〉は、少し後のライヴの全曲録音が残っているはずです。

 アッテルベリの第3番の録音でのエールリングは独特のアクセントのつけ方やフレージングをみせています。それがストックホルム・フィルハーモニックの音色感といっしょになって作り上げた、美しい色彩とダイナミックな響きの演奏。これがスウェーデンの音楽です。アリ・ラシライネン Ari Rasilainen (b.1959) が指揮した北ドイツ放送ハノーヴァー・フィルハーモニック管弦楽団の、音楽の運びも響きもストレートな演奏 (cpo 999 640-2) との大きな違いは、そのあたりでしょうか (cpo の録音は再生がむずかしいかもしれません)。

 秋風を感じる季節。ザリガニ・パーティというわけにはいきませんが、アッテルベリの音楽を聴きながら夏に別れを告げるというのも、なかなか情趣がありそうです。

 

Caprice CAP21364 クット・アッテルベリ (1887-1974) 
 交響曲第3番 ニ長調 作品10 《西海岸の描画 (Västkustbilder)
  ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団 シクステン・エールリング (指揮)
 ホルン協奏曲 イ短調 作品28
  アルバート・リンナー (ホルン) ヨーテボリ交響楽団 ジェラール・オスカン (指揮)

(13.9.2003 TT)


HOME

© Nordic Sound Hiroshima  CD artwork © Caprice Records (Sweden)