スウェーデンのフルート奏者、ヤン・ベンクトソンの3つのアルバム

 

 広島交響楽団の2月定期はとても魅力的なコンサートでした。2001年度の定期ではもっとも楽しめたコンサートと言いたいくらいです。曲目は、ドビュッシーの〈牧神の午後への前奏曲〉、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番、そしてビゼーの〈アルルの女〉。“名曲コンサート” の典型というプログラム、指揮者もわたしには未知のユベール・スダーン。そういうこともあって、定期会員の仲間同士、「気楽に行こうぜ!」という気分で出かけました。

 ところが、〈牧神…〉のフルートソロが始まったとたん、息をのみました。フルートは中村めぐみさん。わたしの友人のピアニスト、山根浩志とは高校、大学をつうじて先輩後輩の間柄。そういうこともあって、中村さんとは、ああだこうだと言い合う仲です。そのことがあるので、正直なところ、演奏が始まるまでは、子供の試験会場につきそった親の心境でした。ところが、演奏が始まるなり、思わず、「あー!」。単に“まろやかな”といった形容ではおさまらない独特の音色、徹底して細部まで磨いたフレージング。素晴らしいことが始まったと、思わず嬉しくなりました。

 そして、〈アルルの女〉のメヌエット。もう、なんというか、“瑞々しい情感” とだけでは言い切れないくらいに素敵な演奏。フルートには特別手当を出すべき! 下世話なことながら、そう考えないではいられませんでした。演奏会後、楽屋口のところでプレーヤーのひとりが言った、「フルートだけはベルリン・フィル」という賛辞も当然です。

 ちなみに、中村めぐみさんは国立音大を卒業後、デュッセルドルフのロベルト・シューマン音楽大学の大学院に留学してアンドレ・ゼーバルトに師事。その後、ケルン歌劇場とハーゲン歌劇場のオーケストラに在籍し、ドイツ演奏家国家試験に全員一致の最高得点で合格してから帰国。1998年から広島交響楽団のメンバーという経歴の持ち主です。

 中村さんは、去年 (2001年) の夏、スウェーデンでひとりのフルート奏者に個人レッスンを受けました。ヤン・ベンクトソン Jan Bengtson (b.1963)。ベンクトソンは、ヨーテボリの王立音楽アカデミーでゲルハルト・シャウプに学んだ後、王立オペラ管弦楽団の首席を経て、現在は王立ストックホルム・フィルハーモニック管弦楽団の第2奏者です。父親のスティーグ・ベンクトソン Stig Bengtson もかつては王立オペラのオーケストラで首席奏者を務めていました。4歳のヤンに最初の手ほどきをしたのも、父ベンクトソンです。このヤン・ベンクトソンのレッスンを受けたいと中村さんが願うようになるきっかけを作ったのが、“スカンディナヴィアの光 (Scandianvian Light)” という1枚のディスクでした (Arietta Discs ADDC9)

 グンナル・ド・フルメリ Gunnnar de Frumerie (1908-1987) の〈田園組曲 (Pastoral svit)〉やエルランド・フォン・コック Erland von Koch (b.1910) の〈モノローグ第1番 (Monolog nr.1)〉などをベンクトソンが演奏したこのアルバムは、派手なテクニックを披露するフルートのCDが多いなかでは、めずらしく、しっとりとした情緒を味わわせてくれる貴重なディスクです。どこが違うのか、奏者の見方が興味深いので、このディスクを聴いて、中村さんと交わした会話を思い出してみます。

− この人、ほんとにすごいわよ。
− 音色がきれいでなめらかな感じがするね。
− それだけじゃないのよ。
− っていうことは、技術的に何かあるわけだ。
− 一番すごいのが、ヴィブラートなのよ。いろいろなヴィブラートを持ってて、すごくうまく使い分けてるの。
− ヴィブラート? そんなにたくさんあるの?
− あるのよ。たいていの人は一種類のヴィブラートしかもってないんだけどね。だから、いつも同じヴィブラート。
− フルートって、なんとなく単調に聞こえることが多いけど、そのせいなのかな?
− けっこう大きいわね。いろんな人のフルートを聴いたけど、こんなのは始めて。このCDは、まずそこに耳が行くのね。
− 特別に派手なことはやってないね。だのに、すごく変化に富んでるように聞こえるのは、ヴィブラートの使い方ってこと?
− 何種類もあるヴィブラートをうまく使い分けてるから表現に幅ができるの。単調にならないし、この人の場合、音色もいいから  音楽に深みが出てくるのよね。漠然としたイメージをずっともってたけど、これだって気がする。

 このあといろいろとあって、ヤン・ベンクトソンの中村さんへの個人レッスンが実現しました。ダーグ・ヴィレーンの小協奏曲の録音 (nosag CD041) で共演した指揮者のステファン・カルペ Stefan Karpe (b.1962) が気軽にベンクトソンを紹介してくれたのは、ほんとにラッキーです。

 中村さんは去年 −− 2001年 −− の夏、ドイツ経由でスウェーデンへ。ストックホルムに到着した中村さんをベンクトソンが車で迎えにきてくれ、そのままレッスン場所の自宅まで案内したという話には驚きました。その自宅というのが郊外の湖を見下ろす森の中にあり、そこからの眺めを撮った写真は“熟考した音 (Due Consideration)”というCDのジャケットに使われています。到着後すぐにレッスンかと思うと、ボートで湖を案内するという。そして、スウェーデンの自然に触れるということもレッスンの一部だった、と中村さんは述懐しています。フルートのレッスンの後には、父ベンクトソンらをまじえての食事。食後には、ヤンとスティーグらと一緒にカルテットも演奏したということです。

 中村めぐみさんは、もともと技術も音色ももっている演奏家です。しかし、ベンクトソンのレッスンと彼の家族や友人たちとの交流は、彼女の音楽の世界をさらにひろげたに違いありません。今回の〈牧神…〉と〈アルルの女〉の演奏から、そのことを強く感じました。

 帰国するとき、中村さんはベンクトソンから1枚のCDをプレゼントされました。“ベンクトソン・イン・アクション (Bengtson in Action)” というディスク (nosag CD037/Kanx Records 1994) (1994)。ベンクトソン初のソロCDです。スティーヴィー・ワンダーやデイヴィッド・フォスター、モーツァルトやカール・ニルセン、あるいはスウェーデン民謡といったプログラムにも驚かされますが、すごいのがジャケットのデザイン。なんとツンツン・ヘアーのベンクトソンのイラストが使われています。さらにブックレットの中には、ロッド・スチュアートと見まがうばかりのヘアスタイルと皮ジャン姿のベンクトソンの写真まで。「この写真のとおりの人なの」と中村さんから聞かされても、にわかには信じがたい思いがしました。

 このディスクは、いろいろな機会をとらえて録音した演奏を集めたものとみえ、ベンクトソンの友人たちも多数参加しています。セイメルの〈キンポウゲ (Solöga)〉のセッションに加わったクリスチャン・ダーヴィドソン Christian Davidsson (b.1961) は王立オペラ管弦楽団の首席奏者 (録音当時はマルメ交響楽団に所属)。エールリングの指揮でベールヴァルドのバスーン小協奏曲 (BIS CD795/796) を録音しています。クラリネット奏者のペール・ビルマン Per Billman (b.1961) にはクルーセルの協奏曲の全曲録音があり (Naxos 8.554144)、彼も王立オペラ管弦楽団の首席奏者です。ふたりは、ベンクトソンとともにヴァドー五重奏団 Vadaux Quintet のメンバーとして室内楽演奏も行っています。このアルバムには、現代スウェーデンの吟遊詩人と呼ばれたエヴェルト・トーブ Evert Taube の曲も演奏されており、トーブの歌がスウェーデンで愛されていることが、ここでもわかります。

 ベンクトソンの2作目にあたるのが “スカンディナヴィアの光” です (Arietta Discs ADDC9) (1996)。フルメリやフォン・コックの比較的有名な作品と、もっと演奏されてもいい、ユングヴェ・ショルド Yngve Sköld (1899-1992) やオイスタイン・ソンメルフェルト Øistein Sommerfeldt (1919-1994) の曲をとりあげ、デンマークの作曲家ヨアキム・アナセン Joachim Andersen (1847-1909) の、楽譜が絶版になって久しい2曲もアンコール的に加えています。フルート、弦楽オーケストラとハープの版で人気の高いフルメリの〈田園組曲〉は、このディスクで演奏されるフルートとピアノの版が原曲です。

 3枚目のソロディスク “熟考した音”(nosag CD038/Kanx Records 1998) (1998) は、フルートのためのスタンダート・レパートリーを中心に、カーリン・ストリードのオルガンと共演したアルバムです。カール・ニルセン Carl Nielsen (1865-1931) の〈霧が晴れていく (Tågen letter)〉、オスカル・リンドベリ Oskar Lindberg (1887-1955) の〈山の牧舎の歌 (Gammal fäbodpsalm)〉、グリーグ (1843-1907) の〈春 (Våren)〉がしっとりと演奏されているのも嬉しいところです。モーツァルトの〈アンダンテ〉を聴いて、フーベルト・バルヴァーザーが木製のフルートで演奏したLPのことを思い出しました。音色はちがっても、落ち着いた雰囲気がよく似ています。

 フルートという楽器は人気がある一方で、苦手としている人もけっこういます。深窓の令嬢のたおやかな姿というイメージがありながら、センスに欠ける奏者が演奏するとかなりきつい音に聞こえることがひとつ。また、ランパルやゴールウェーあたりの演奏はたしかに華麗ですが、時として、派手に吹きまくったあげく音楽がふっとんでしまうことがあります。同じ横笛だったら、フルートよりも時代楽器のフラウトトラヴェルソを聴くほうがいいという極端な声さえ聞こえてきます。技術が必要なのは当然のこととして、あとはセンス、そして心のぬくもりが求められるでしょう。

 ベンクトソンは現在、ムラマツ製の18Kゴールドのフルートを愛用しています。しかし、この3枚のディスクを録音したころは、1985年ミヤザワ製のシルバーの楽器を使っていました。落ち着いた音色はなかなかの魅力。素朴でありながら優雅なこのフルートを “青葉の笛” などと言ったら、歳が……。

 フルメリの〈田園組曲〉とスウェーデンの民謡。そして、フルートで演奏するデューク・エリントン。ベンクトソンの3枚のディスクにはしっかりとしたコンセプトがあり、アルバムのプログラムのままでコンサートができるくらい。フルートという楽器の魅力を再発見できるかもしれません。

 

Arietta Discs ADCD9 スカンディナヴィアの光 (Scandinavian Light)
ユングヴェ・ショルド (1899-1992) フルートとピアノのためのソナティネ 作品57
オイスタイン・ソンメルフェルト (1919-1994) フルート独奏のためのディヴェルティメント 作品9
グンナル・ド・フルメリ (1908-1987) 田園組曲 (Pastoral svit) 作品13a (フルートとピアノのための)
エルランド・フォン・コック (b.1910) モノローグ第1番 (Monolog nr.1) (フルートのための) 作品13b
ヨアキム・アナセン (1847-1909)
 組曲〈民族的幻想曲 (Fantasies Nationales)〉作品59 − スウェーデン (Suèdois)
 スケルツィーノ 作品55-6
  ヤン・ベンクトソン (フルート) ベンクト=オーケ・ルンディン (ピアノ)

nosag CD037 ベンクトソン・イン・アクション (Bengtson in Action)
スティーヴィー・ワンダー 回想 (I Wish)
デイヴィッド・フォスター スマイル・アゲイン (Smile Again)
モニカ・ドミニク (b.1940) サンバ・モニーク (Samba Monique) 願い (Önskan)
ヴィリアム・セイメル (1890-1964) キンポウゲ (Solöga) 作品11-3
デューク・エリントン (1899-1974) It don't mean a thing
ジョー・エイヌ (?-1978) かわいいワルツ (La petit Valse)
スウェーデン民謡 美しき水晶 (Kristallen den fina) ヴェルムランドの歌 (Värmlandsvisan)
 美しいばらを知っている (Jag ved en dejlig rosa)
エヴェルト・トーブ (1890-1976) これほど美しい海の光は (Så skimrande var aldrig havet)
W・A・モーツァルト (1756-1791) フルート協奏曲 ニ長調 K314 − アダージョ
J・S・バッハ (1685-1750)
 カンタータ「片足は墓穴にありてわれは立つ」 BWV156 − シンフォニア
カール・ニルセン (1865-1931) 霧が晴れていく (Tågen letter)
ヤン・ベンクトソン (b.1963) 沈黙 (Tystnad)
  ヤン・ベンクトソン (フルート、バリトンサクソフォーン) 
  友人たち  ペール・ビルマン (クラリネット) クリスチャン・ダーヴィドソン (バスーン)
   ウルバン・アイナス (トランペット) ヨアキム・ヴェンデル (ヴァイオリン) ほか

nosag CD038 熟考した音 (Due Consideration)
ジュゼッペ・タルティーニ (1692-1770)/M・コルティ アダージョ
J・S・バッハ (1685-1750) G線上のアリア シチリアーノ
J・S・バッハ (1685-1750)/シャルル・グノー (1818-1893) アヴェ・マリア
カール・ニルセン (1865-1931) 霧が晴れていく (Tågen letter)
オスカル・リンドベリ (1887-1955) 山の牧舎の歌 (Gammal fäbodpsalm)
W・A・モーツァルト (1765-1791) アンダンテ
アントニオ・ヴィヴァルディ (1678-1741) ラルゴ
クリストフ・ヴィリバルト・グルック (1714-1787) 精霊の踊り
エドヴァルド・グリーグ (1843-1907) 春 (Våren)
フランツ・シューベルト (1797-1828) 万霊節の日のための連祷 D343
  ヤン・ベンクトソン (フルート) カーリン・ストリード (オルガン)

(14.3.2002. TT)


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