『クリスチャン・シンディングのヴァイオリンとピアノのための音楽』

 
ノルウェーの音楽史を代表する作曲家のひとりでありながらクリスチャン・シンディング Christian Sinding(1856–1941)は、第二次世界大戦後、冷遇されてきました。大きな理由は、1940年4月、ノルウェーに侵攻したドイツ軍に協力する立場をとり、NS(ノルウェー・ナチ党)に入党したためだったと言われます。しかし、バリトン歌手のペール・ヴォレスタード Per Vollestad(1959–)が博士論文のために研究を行い、明らかにしたところでは、シンディングは当時、聴力をほとんど失い、アルツハイマー病に苦しみながらも、ドイツ軍の侵攻には激怒。党申込書に署名したのもシンディング自身ではなく、シンディング名義の党費を払っていたのは帝国総督(Reichskommisar)のヨーゼフ・テルボーフェンだったと推測しています。40年以上もドイツに住み、ドイツ音楽に親近感を抱いていたこと。オスロ王宮の一角にあるヘンリク・ヴェルゲランの家「グロッテン」の使用権を与えられるほど尊敬される芸術家だったこと。シンディングは利用されやすい立場にあったと考えられます。
 
シンディングのヴァイオリン協奏曲第1番を録音(Naxos 8.557266)、秋山和慶指揮の広島交響楽団と共演して日本初演も行ったヘンニング・クラッゲルード Hennning Kraggerud(1973–)は、シンディングの音楽の価値と魅力を認めていたひとりです。彼は、公式に認められたヴォレスタードの伝記にも勇気づけられ、ノルウェー国立図書館のオイヴィン・ヌールハイム Øyvind Nordheim の協力を得ながら、友人のピアニスト、クリスチャン・イーレ・ハドラン Christian Ihle Hadland(1983–)と一緒に、シンディングの再発見と再評価に結びつくプロジェクトをめざすことにしました。その始まりのようすをハドランが記しています。
 
「2005年10月、冷たい、雪が降ってじめじめした日だった。ヘンニングと僕は、オスロのソッリ・プラスにある国立図書館の部屋で落ち合った。これから宝探しを始めるにはぴったりの部屋だ。僕らが持ちこんだのは、重さ数百グラムの木、つまりヴァイオリン、そして、ヨハン・スヴェンセンの使っていた古いグランドピアノ。図々しいくらい大量の楽譜は、主任ライブラリアンのオイヴィン・ヌールハイムが持ってきてくれた。オイヴィンは、僕らの手助けをすることをいつも喜んでくれるんだ。僕らは、クリスチャン・シンディングの世界に深く飛び込むことを決めていた……」(クリスチャン・イーレ・ハドラン Naxos 8.572214–15N ブックレットから)。
 
こうして見つかった「宝」は、翌秋、2枚のCDに録音されました。
 
この作品集は、第1集と第2集に分けて国際リリースされました。第1集に収められたのは12曲。シンディングが再婚した妻の連れ子、モッテンが死んだ翌年の1906年に出版された《カントゥス・ドロリス》(悲歌)、《3つの悲しい小品》(Op.106)、《4つの小品》(Op.81) と《3つの小品》(Op.89)のそれぞれ2曲、歌心をもったヴァイオリンと華やかなピアノが会話する《ロマンス ニ長調》。4手のピアノのための《6つのワルツ》からは、ドイツのヴァイオリスト、ヴィリ・ブルマイスター Willy Burmeister による編曲にクラッゲルードとハドランが手を加えたヴァイオリンとピアノのための版による《ワルツ ト長調》(2つの版)と、アイヴィン・アルネス Eivind Alnæs(1872–1932)の編曲によるソロピアノのための《ワルツ ホ短調》。シンディング自身がオーケストレーションした版で知られる《古風な様式の組曲》は、オリジナルのヴァイオリンとピアノの版が演奏されています。甘美であったりメランコリックであったり、シンディングのロマンティシズムには、グリーグやスヴェンセンの "リリシズム" とは違った種類の魅力があります。
 
第2集にはシンディングの国際的にもっとも有名なピアノソロのための《春のさざめき》が収録されています。この曲の残照を思わせるピアノに乗ってヴァイオリンがメロディを歌う《前奏曲》。メランコリックな《夕べの歌》と《ロマンス ホ短調》。アンダンテ・ドロローゾ(悲しげなアンダンテ) の楽章が特徴的な《古風な様式のソナタ》。ヴァイオリンと管弦楽のための《ロマンス ニ長調》と管弦楽のための《夕べの気分》はともに作曲者自身の手でヴァイオリンとピアノのために編曲された版が演奏されています。 
 
録音セッションはフレドリクスタのガムレビーエン(旧市街)の教会で行われました。数々の優秀録音で知られるアルネ・アクセルベルグ Arne Akselberg がエンジニアとして参加。「アルネが最高」と、そのための費用はすべてクラッゲルードが負担したと言っていました。このアルバムを芸術家人生の一里塚としたいという意気込みがうかがえます。クラッゲルードの弾くヴァイオリンは、クレモナの楽器、1744年製ガルネリ・デル・ジェズ(Guarneri del Gesu)です。
 
Naxos 8.572254 クリスチャン・シンディング(1856–1941) ヴァイオリンとピアノのための作品集 第1集
 カントゥス・ドロリス(Cantus Doloris) Op.78
 エレジー(Elegie) 変ロ長調 Op.106 no.1
 ロマンス(Romance) ニ長調 Op.79 no.2
 アルバムのページ(Albumblatt) Op.81 no.2
 古い調べ(Alte Weise) Op.89 no.2
 セレナード(Ständchen) Op.89 no.1
 古風な様式の組曲(Suite im alten Stil) イ短調 Op.10
 アンダンテ・レリジョーゾ(Andante religioso) Op.106 no.3
 ワルツ(Vals) ト長調 Op.59 no.3(ヴァイオリンとピアノのための)(ヴィリ・ブルマイスター 編曲 クラッゲルード、ハドラン 編)(第1版)
 ワルツ(Vals) ホ短調 Op.59 no.4(ピアノ独奏のための)(アイヴィン・アルネス 編曲)
 ワルツ(Vals) ト長調 Op.59 no.3(ヴァイオリンとピアノのための)(ヴィリ・ブルマイスター 編曲 クラッゲルード、ハドラン 編)(第2版)
 アリア(Air) Op.81 no.1 子守歌(Berceuse) Op.106 no.2
  ヘンニング・クラッゲルード(ヴァイオリン)
  クリスチャン・イーレ・ハドラン(ピアノ)
 
録音 2006年11月20日–25日 旧フレドリクスタ教会(ガムレビーエン、フレドリクスタ、ノルウェー)
制作 クシシュトフ・ドラーブ
録音エンジニア アルネ・アクセルベルグ
 
価格 1,540円(税込価格)(本体価格 1,400円)
 
Naxos 8.572255 クリスチャン・シンディング(1856-1941) ヴァイオリンとピアノのための作品集 第2集
 前奏曲(Prélude) Op.43 no.3
 ロマンス(Romanse) ニ長調 Op.100(ヴァイオリンとピアノのための)
 夕べの歌(Abendlied) Op.89 no.3
 春のさざめき(Frühlingsrauschen) Op.32 no.3(ピアノ独奏のための)
 ロマンス(Romanse) ホ短調 Op.30
 古風な様式のソナタ(Sonate i gammel stil) Op.99
 エレジー(Elegie) ニ短調 Op.61 no.2
 バラード(Ballade) Op.61 no.3
 夕べの気分(Abendstimmung) Op.120
  ヘンニング・クラッゲルード(ヴァイオリン)
  クリスチャン・イーレ・ハドラン(ピアノ)
 
録音 2006年11月20日-25日 旧フレドリクスタ教会(ガムレビーエン、フレドリクスタ、ノルウェー)
制作 クシシュトフ・ドラーブ
録音エンジニア アルネ・アクセルベルグ
 
価格 1,540円(税込価格)(本体価格 1,400円)
 
[2015年の Newsletter の文章を加筆修正して掲載しました]

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