ご挨拶にかえて

 
ノルディックサウンド広島を始めてから26年が過ぎました。この間、思ってもいなかったことに出会い、そのひとつが、文章を書いてほしいという依頼を受けたことでした。
 
最初が、キングインターナショナルが復刻した渡邊暁雄と日本フィルハーモニー交響楽団のシベリウスの交響曲でした。予定していたライターと連絡がとれなくなってしまったことから代役がまわってきたという経緯です。しばらくして届いたのが、 BIS Records の『スウェーデンの中世都市、ルンドの若い声が歌うクリスマスの歌』と Ondine Records の『クリスマスに神がこの世に』の国内仕様盤に添えるライナーノートの依頼でした。夏真っ盛りの8月にクリスマスの音楽というのも「モード」に乗りにくい仕事でしたが、若いころのスヴァンホルム・シンガーズのメンバーが参加していたカントレス・カテドラレスと、フィンランドをテーマにした美術展が山口市で開催されたタイミングもあって、引き受けました。スウェーデンの「ユール」やフィンランドの「トントゥ」のことをあらためて勉強したのも、このノートがきっかけです。ラハティ交響楽団とオスモ・ヴァンスカの『シベリウス・ベスト』、グリーグの『ピアノ協奏曲』、最近ではカレヴィ・アホの「協奏曲」。キングインターナショナルとは意義のある仕事をさせてもらいました。
 
「幻」に終わったアイスランド交響楽団の来日を記念してペトリ・サカリとの録音をまとめたナクソス・ジャパンの『シベリウス:交響曲集』では、アイスランドという国の概略やアイスランドと音楽というテーマにも取り組みました。大変ではあったものの、嬉しい仕事でした。
 
広島交響楽団の当時の理事の「北欧好き」から生まれた、秋山和慶氏のコンサートも曲目解説の依頼を受けました。最初がアッテルベリの《交響曲第3番》の日本初演。同じく日本初演だったヴィクト・ベンディクスの《交響曲第3番》。ヘンニング・クラッゲルードがソロを弾いたシンディングの《ヴァイオリン協奏曲》。エドゥアルド・トゥビンの《交響曲第5番》は、アヌ・タリの指揮だったものの、日本での演奏は初めてでした。秋山氏のコンサートでは「ディスカバリー・シリーズ」のひとつ、シベリウス生誕150年の「シンフォニー全曲シリーズ」もありました。第1回のコンサートでは、オーケストラ共演による歌曲が歌われたため、スウェーデン語歌詞の和訳も引き受けました。《三月の雪の上のダイアモンド》《逢い引きから帰ってきた娘》《夢だったのか》。ライナーノートの材料にと作っておいた訳文に「にわか詩人」になって手を入れた、なかなか味わえない気分の作業でした。
 
スヴァンホルム・シンガーズの『2004年 ボルボ・ファミリークラブ・コンサート』の曲目解説では《ホワイトクリスマス》《サンタが町にやってくる》《レット・イット・スノウ》といったアメリカのクリスマスソングが歌われることが急きょ決まり、最初に声のかかっていた大束省三さんから、コンサート当日、たいへんなことを押しつけちゃいましたねと、労われました。
 
いろいろと手がけたなかでもっとも楽しかったひとつが、2010年に来日したロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニックのツアー・プログラムに載った『ストックホルム・フィルハーモニー - 北欧の音楽と歩んだ一世紀』と題したエッセイです。1902年のストックホルム・コンサート協会の創設から、サカリ・オラモが首席指揮者兼芸術顧問に就いた2010年まで、その歴史を3000字あまりで俯瞰する。時間と知識の限られる中でどうするか、ちょっと迷ったものの、執筆を引き受けました。
 
この原稿では、『ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の75年(1914年-1989年)』と題した、歴代の首席指揮者や客演指揮者による1933年から1988年の放送録音と私的録音を8枚のCDにした BIS のアルバムがとても参考になりました。
 
シュネーヴォイクトが指揮し、ヨエル・ベリルンドが歌ったステーンハンマルの《フロレスとブランセフロール》(1943年録音)、グレヴィリウス指揮のアルヴェーンの《夏至祭の夜明かし》(1939年)と交響曲第4番《海辺の岩礁から》の「アンダンテ」のリハーサル(1962年)(本放送の録音が、Swedish Society Discofil の「アルヴェーン・エディション」に予定されていました)、トゥール・マンの指揮したニューストレムの《シンフォニア・エスプレッシーヴァ》(1950年)。1966年から8シーズンにわたって首席指揮者を務め、桂冠指揮者の称号を与えられたアンタル・ドラティの《不思議なマンダリン》(1970年)と《ダフニスとクロエ》 組曲第2番(1966年)も収録されていました。充実したブックレットも添付された貴重なアルバムです。
 
この原稿を書き、公演に接したことをきっかけに、KFO への個人的な思い入れが一層強くなりました。《エン・サガ》や《新世界から》を新鮮な音楽として聴かせたサカリ・オラモは、2020年から2021年のシーズンまで首席指揮者として KFO を指揮し、この期間に KFO は、カール・ニルセンの交響曲の全曲やエルガーの2曲の交響曲といった評価、人気とも高い録音を作りました。「貴族の家に生まれたターザン」が主人公の映画『クレイストーク』に使われたエルガーの《交響曲第1番》では、「オーケストラの貴族」といわれる KFO と、大学教授の家に生まれたオラモの相性の良さが示されたのか、彼の KFO 時代を代表する録音のひとつに挙げられています。
 
ひとつの時代を作ったオラモが辞任したあと、KFO はライアン・バンクロフトを新しい首席指揮者に指名しました。彼は、「2018年マルコ・コンペティション」で第1位と聴衆賞に選ばれたあと、デンマーク国立交響楽団がクリスティーネ・オストランとペア・サロのために委嘱したアラン・グラウゴー・マセンの二重協奏曲《Nachtmusik(夜の音楽)》の初演、ラウラ・ネッツェル、スヴェン=ダーヴィド・サンドストレム、アンドレーア・タローディの「ピアノ協奏曲」の初録音を指揮しました。ロサンジェルスの恵まれない地区に生まれ、父はハウスペインター、母は食料品店で働いていたと、KFO のトークで語っていた彼が、KFO の次の時代をどう作るか。バンクロフトは、 KFO と同時にタピオラ・シンフォニエッタのアーティスト・イン・アソシエーションとBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者のポストをもっています。KFO とタピオラの公式チャンネルの動画、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団を指揮したライヴの《タピオラ》やシューマンの《ライン》と《第4番》の交響曲。どんな音楽がこれから聴けるか。とても楽しみです。
 
サカリ・オラモが、KFO を離れ、シベリウス・アカデミーの教授としてフィンランドのオーケストラ教育の再建に努める必要があったように、音楽の受容やコンサートのあり方など、音楽の世界は大きな変化と流れの中にあるように思われます。
 
COVID-19 のパンデミックも大きな影響を及ぼし、コンサートやレコーディングのスタイルを考え直し、工夫する必要に迫られました。
 
この機会を積極的に利用する動きも見られました。スウェーデン著作権協会のライブラリアンは、出勤すると必ずといっていいほど毎朝、真新しい楽譜がデスクに置かれていると言っていました。委嘱を受けていた作曲家たちが、ロックダウンの間、作曲に集中した結果です。こうした曲は、コンサートで演奏され、アンデシュ・パウルソンの『ソプラノ・サクソフォーンのための孤独の詩』のように「コンセプト」アルバムとしてセッション録音されることが多くなっています。
 
新たな聴衆を獲得する試みのひとつ、デンマーク放送とデンマーク国立交響楽団の始めたガラコンサートはシリーズとして定着しました。幅広い聴衆が身近に感じている映画やゲームの音楽によるプログラムが組まれ、2024年の『Hollywood Gala: Award Night at the Symphonuy』では、ジョン・ウィリアムズの《Saving Private Ryan: Hymn to the Fallen》をはじめとする音楽が若い聴衆を楽しませました。このコンサートはデンマーク放送のスタッフによりテレビ番組にも作られ、クオリティの高い作品が Blu-ray や  DVD のメディアで国際的に紹介されています。
 
音楽が日常生活に落ち着く場所をもつ試みは、これからもさまざまに行われるでしょう。ノルウェーの 2L のプロデューサー、モッテン・リンドベルグは「録音芸術の美しさには決まった方式も青写真もない。すべてが、その音楽の内から現れてくる」と言い、「ジャンルの境界を越える」のモットーをレーベル創設時から掲げてきました。最近も、ウラニエンボルグ・ヴォーカルアンサンブルの『地には平和を』やトリオ・メディイーヴァルの『YULE』というクリスマスアルバムをジャズやトラッドのミュージシャンを加えたセッションで録音し、美しい成果を生みました。
 
この十数年の間に北欧の音楽関連の団体にいくつかの変化がありました。Caprice Records のスウェーデン・コンサート機構は組織が解消され、体制が再構築されたスウェーデン音楽情報センターも Phono Suecia レーベルの制作をストップしました。アイスランドの音楽情報センターは、ITM レーベルによる制作をやめ、レイキャヴィークのレコードレーベルへのサポートに移行。デンマーク音楽情報センターはデンマーク現代音楽事務局に統合、組織替えされ、ノルウェー音楽情報センターは楽譜の管理と印刷を主な業務とする組織に変わりました。いずれも経済環境と文化をとりまく環境の変化にともなって行われ、スウェーデンとフィンランドの音楽情報センターでは、その後、データベースの充実が図られ、音楽遺産の継承が続けられています。
 
ノルディックサウンド広島を閉じる今、わたしたちは、やることをやったという思いでいます。支えていただいた方々に心から感謝します。ありがとうございました。